2015年12月31日木曜日

情報戦略でテロリズムを抑止できるのか?

テロ懸念で制限される米国民主主義
岡崎研究所

20151223日(Wedhttp://wedge.ismedia.jp/articles/-/5764
パリの同時多発テロをフランス当局が未然に阻止できなかったことを受け、米国では情報機関による国内監視権限の是非をめぐる議論が再燃しています。1117日付のニューヨークタイムズ紙と1120日付のウォールストリートジャーナル紙がそれぞれ賛否の異なる社説を掲載しているので、紹介します。
パリ同時多発テロを受け、連帯と犠牲者への追悼を表すメッセージ(iStock
ニューヨークタイムズ紙
 パリ同時多発テロから3日後、ブレナンCIA長官は「テロリストを見つけるための政府の役割が制約を受けている」ことに懸念を表明した。
 2011年国家安全保障局のスノーデンが、同局が米国市民数百万人の電話記録を入手していることを暴露し、国民はこれに今も憤激している。今年6月、オバマ大統領は「米国自由法」に署名した。これにより、政府は一般市民の国内通話記録の大規模収集を原則中止した。これを情報コミュニティは、テロ対策への重大な制約と見なしている。
 ブレナンが今以上にどのような権限を欲しているのかは明らかではない。パリ襲撃犯の大半は、以前からフランスとベルギー当局の情報網に引っ掛かっていた。フランスのテロ対策専門家は「我々の情報は優れている。だがそれに基づく行動に限界がある」と述べている。問題はデータの不足ではなく、データに基づいてどう行動するかにミスがあったということである。
 FBIのコミー長官も、アップルやグーグルのような企業は暗号化された顧客の通信を法執行機関が解読できるような措置を施すべきだ、と言っている。だが、そうしたバックドアを設けることは、犯罪者やスパイにとってもハッキングしやすくすることになる。
 情報機関や法執行機関が、攻撃を未然に防ぐ能力を持つべきであることは当然である。しかしそれは、市民の自由を阻害し、憲法違反のやり方を許容することにはならない。
ウォールストリートジャーナル紙
 パリでのテロがテロリスト監視問題の議論を再燃させているが、良いことである。ブレナンCIA長官は暴露と制約でテロリストの発見が難しくなっていると述べた。
 スノーデンの暴露でテロリストは用心し、その探知がより困難になっている。フランス当局がなぜテロを防げなかったのか。部分的には、情報活動の失敗があった。フランス当局の警戒対象リストには、1人以上の犯人が載っていた。しかし当局は彼らの動きを追跡するのに失敗したか、その意図を見誤った。
 グローバル・ジハードと戦うためにはグローバルな情報収集が必要である。
NSA
の通話メタデータ収集が禁止され、米国の情報能力は低下している。スノーデン事件を受け、オバマは6月、電話傍受の廃止を提案し、議会もこれを認めた。
 外国情報監視法(FISA702節、すなわち、外国人同士の通信の盗聴を許容することは残したが、通信の双方が米国人ではないことを証明するのは情報当局にとり大きな負担となっている。
 FBICIAは、携帯電話通信の全面的暗号化にも懸念を抱いている。これはテロリストが通話のモニタリングを妨害するのを容易にしてしまう。アップルとグーグルは、携帯電話通信にアクセスできないよう最新のOSを暗号化している。
 暗号化が政府当局の収集にとって障害になるのなら、多少の妥協は必要である。大量の犠牲者を出す攻撃があり、それが暗号化された電話に守られていたとすれば、これら企業のCEOは政治的逆風に晒されるから、慎重に考えるべきである。
 テロリストは自由な社会に非対称的な攻撃を加えられる有利さを持つ。尋問や情報は必要である。オバマは尋問も収集も弱体化したが、それは一方的軍縮である。
 出 典:New York Times Mass Surveillance Isnt the Answer to Fighting Terrorism
November 17, 2015
Wall Street Journal
The Decline of Antiterror Surveillance’(November 20, 2015
http://www.nytimes.com/2015/11/18/opinion/mass-surveillance-isnt-the-answer-to-fighting-terrorism.html
http://www.wsj.com/articles/the-decline-of-antiterror-surveillance-1447977687

情報機関は万能ではない
 今回のパリでのテロのような事件があると、必ず情報活動の失敗が言われ、その強化論が出てきます。ただ、テロリストは秘密裏に準備し、テロを行うのであり、情報機関がそれを把握するのはそう簡単ではありません。把握できないことのほうが多く、把握できたら、よくやったということです。情報機関への期待が大きすぎるので、その活動の失敗を言いたて、情報機関側ではそれを利用して予算、権限拡大を求める傾向があります。 情報機関も万能ではないことを認識しつつ、その強化を、民主主義の理念を尊重しつつ、図ることが重要なのでしょう。
 国家安全保障局は、スノーデンが暴露したような国内通信の傍受を再復活させるべきであるとのウォールストリートジャーナルの主張は、通信の秘密は重要な人権であり、あまり適切ではありません。それに大量にデータを集めても、十分に利用、分析できていません。もっと絞り込んだ通信傍受を考えるべきでしょう。
 今は米国内での電話の盗聴は原則禁止ですが、メールは傍受してよいし、外国との通話は傍受しても良いとされています。グーグルなどの暗号化はメールの傍受を難しくします。これをどうするか、費用対効果、通信の秘密の尊重など、検討が必要でしょう。
 脅威との見合いで、人権の尊重の理念を踏まえつつ、どのような情報収集努力をすべきかが問題です。テロ対策の必要性と、人権や生活の便宜のバランスを良くとっていくべきです。日本でも、地下鉄や新幹線のテロへの脆弱性が気になったことがありますが、乗客全員の荷物検査をするわけにもいきません。生活の便利さとのバランスをとる必要があります。
 テロとは断固戦う必要はありますが、テロに反応して大騒ぎすることはテロ組織の思う壺です。冷静な対応をすること、テロに振り回されないことが重要です。

 なお、イスラム過激派が当面の問題ですが、神の名において殺人を推奨するような主張は正当な宗教上の主張ではありません。彼らに宗教の自由に基づく保護を与える必要は全くありません。神の名において殺人を教唆する過激な説教師は、たとえモスクでなされようとも、その言論を封殺、弾圧すべきでしょう。
《維新嵐こう思う》
 テロの未然の防止と情報収集をいう時には、必ず人権の問題という壁にあたるように思います。テロリストの側もそこはふまえていて、先進国を狙う時には、比較的人権意識の高い、コンプライアンス性の高い国でテロ行為を行うことにより効果の最大化を狙う意図が感じられます。
ですから法的な人権意識の存在はテロを行う側にとっては実行を容易ならしめているといえるのかもしれません。
テロを未然に防止することは、不可能なことかと思います。しかしテロをおこさせにくい、テロがおきにくい環境を作ることはできるかと思います。それは市民、国民レベルそれぞれの意識の持ち方であろうと思います。
身近なところ、日常生活における個々の家庭環境、職場環境で不審者だな、という方には、壁を作らず気さくに声かけをしてみるとか、物を秘匿できないような住環境を意識してみることにより、草の根レベルでテロを防止できる素地はあるのではないでしょうか?
表現の自由とテロ

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