ロシア・スパイ事件に揺れる防衛省
お粗末すぎる情報管理体制が露見
桐生知憲 (ジャーナリスト)
2015年12月03日(Thu)http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5676
「OBだけでなく現役の幹部が関わっているようだ」
日本の国防を担う防衛省が揺れている。理由はロシアへの情報漏洩。ロシアスパイを追いかける警視庁公安部は近く、漏洩に関わった7人を書類送検する方針だ。冷戦期さながらと思わせる今回の事件。当初は直接情報を漏洩した幹部OBとロシア大使館の元駐在武官を中心に立件する予定だった。ところが、幹部OBが元駐在武官に渡したブツを自衛隊駐屯地内から持ち出した中に現役の陸将がいたことがわかり、防衛省はあわてふためているというのだ。その実態に迫る。
2013年5月某日の夜のことだった。場所は学生で賑わう東京・高田馬場駅近く。その一角にあるロシア料理店で、2人の男が向き合っていた。1人は少し老いたとはいえ鍛え上げられた屈強な体をした防衛省OBのI。Iは現役時代、ある関東方面のトップを務め、陸将まで上り詰めた。陸海空自衛隊の初となる多国籍軍との共同軍事演習に参加するなど、数々の輝かしい実績を持つ人物だ。
もう1人は豊かな口髭をたくわえ、青い目をしたロシア人のK。2人は周囲を一定程度、気にする様子も見られたが、酒が入った影響もあり楽しい時間を過ごしていた。2人のやりとりの様子からすると、関係は対等ではない。KがIに師事するような態度だ。この日は何事かの約束をして2人はそれぞれの家路についた。それから約1週間後、都内の超一流ホテルで2人再会した。おもむろにIが文書を取りだす。文書は400ページ以上もあろうかというものだった。文書に加えてIは自分が愛用していた電化製品もKに贈り、Kは笑顔でそれらを受け取ったのだった。
Iは後ろ暗い気持ちはあったものの、機密指定がかかっているようなものではないと開き直っていたのかもしれない。むしろ自分を師のように仰いでくれたKの帰国の手土産にでもなればという思いのほうが勝っていたようだ。大勢の人が行き交うホテルで行われた出来事であり、誰も2人の行為に気が付かなかったのか。
しかし、2人の行動を凝視していたあるチームがいた。警視庁公安部外事一課、いわゆるロシアスパイハンターの面々だった。ここから今回の警察対防衛省という一代攻防が幕を開けたのだった。
教範はどこから持ちだされたのか?
渡した文書は普通科部隊、つまり歩兵部隊の戦術などが書かれた教範。防衛省によると、駐屯地内の書店で販売されているが、外部に持ち出すことは禁じられている。特定秘密や防衛省の機密指定にあたるものではないという。ただし、この教範の中には、アメリカ軍との連携など戦術の機微に触れられている部分もあり、純粋に自衛隊の戦術についてのみ記載されたものとは言い難い。
Iは教範をKに渡した時点では、すでに防衛省を退職しており、直接入手できる立場にはなかった。では、誰がIのもとに教範を届けたのだろうか。先にも触れたが、Iは関東方面のトップにまで上り詰めた幹部自衛官である。長い自衛隊人生の中で多くの部下を持った。Iは豪快な性格で、自衛隊内では「軍神」という異名で呼ばれていた。豪快な性格に加えて、部下を半ば暴力的に従わせる一面もあったとのことで、Iに「忠誠」を誓った人物もさぞかし多かったろうと推察される。
Kに手渡された教範は1冊だったが、Iの手元には今も3冊が残っているとされる。つまり、持ち出し禁止のはずの教範が合計4冊、外部に漏れてしまったというのだ。 ある1冊は現役の自衛官からIの元腹心だったOBに手渡され、またある1冊は別のOBが駐屯地内の売店で購入し、またまた別の1冊はIと男女関係が噂される女性現役自衛官が駐屯地の図書館から持ち出し、最終的にIのもとに集まったという。この女性現役自衛官に至っては、Iに対し「取り扱いには注意してね」とメールで釘をさしていたのだ。
あまりにゆるすぎる… 自衛官の情報管理意識
そして、最も問題なのが現役の自衛官で、しかも陸将という高位にある幹部自衛官からIに渡った教範だった。外事一課はこの陸将からIが入手した教範がKに渡ったと見ているのだが、いくら特定秘密や極秘ではないしろものとはいえ、日本の国防を預かる自衛隊の、しかも幹部自衛官がいとも簡単に持ち出し禁止のブツを外部に出すとは…。驚きを通り越して、これで国防は大丈夫なのかとあきれてしまう。
Iの事情聴取が今年上旬にあった際に、ある捜査関係者は「IとKを立件することが対ロシアへの牽制になるのであり、防衛省・自衛隊の問題にはしたくない」と漏らしていた。しかし、Iの携帯電話などを調べていくうちに、自衛官のあまりにもゆるすぎる情報管理を目の当たりにし、「関係者はすべて書類送検する」(別の捜査関係者)ことになったという。
これには、防衛省側も驚きを隠せないようだ。当初、ある防衛省関係者が「持ち出し禁止といっても、極秘でもなんでもない文書。一部は黒塗りになるが情報開示を請求されれば公開されるもの」と語っていたように、立件は難しいと高をくくっていたふしがある。仮に、IとKが立件されたとしてもOBがやったこととして済ませてしまおうという雰囲気もあったという。ところが、捜査の大詰めで現役陸将の関与が明らかになり、警察に軍配が上がる形勢だ。余談ではあるが、防衛省・自衛隊の管理の甘さとして、この教範がインターネットのアマゾンで販売されていたことも付け加えておく。
ロシアスパイKはあの“ゾルゲ事件”と同じGRU所属
ゾルゲ事件のリヒャルド・ゾルゲをはじめとして旧ソ連を含めたロシアによるスパイ活動はつとに有名だ。近いところでは、ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)の武官が家庭の事情を抱えていた海上自衛官につけ入って、秘密指定文書などを入手していた事件があった。
今回、教範を受け取ったKもGRUに所属していたと見られる。KはIから教範を受け取った直後に帰国しているが、今回の日本勤務は3度目だったという。Kは今回以外にも、横須賀の海上自衛隊の基地を何度も訪問したり、ある駐屯地近くの居酒屋で居合わせた自衛官と名刺交換したりするなど、不審な行動がたびたび確認されている。Kは2008年にIがトップを務めていた関東方面の駐屯地を訪問し、これをきっかけにIの知遇を得たという。その後の2012年にロシア大使館のレセプションで2人は再会し、KはIに「教えを請いたい」との態度で接し、Iも籠絡されてしまったようだ。
警視庁のスパイハンターたちがカバーで入国してきたロシア諜報員を“監視”“追尾”していることは公然の秘密である。情報部門にいたこともあるIほどの大物が、なぜ簡単に応じてしまったのか。ある防衛省関係者は次のように指摘する。「Iは渡したことは認めているが、『その程度のものを渡して何が悪いんだ』という態度でいるようだ。兄弟も自衛官になるなど“軍人”としてのプライドが高く、逆におだてられてその気になってしまったのかもしれない」。
この指摘があたっているとしたら、本当にお粗末である。「その程度の情報も取ることができないのですか」とは、ゾルゲが相手から情報を入手するためによく使った常套句だったという。
今回の事件で、Iは再就職先だった大手自動車メーカーの顧問を辞め、防衛省もその内部ガバナンスが大きく問われることになるだろう。それにもまして、安保法制により海外派遣が可能になった防衛省がこの程度の情報管理で国民を守り、諸外国から信頼を得られると思えるだろうか。中国が人工島造成を進める南シナ海へ自衛隊を派遣すべきだという勇ましい意見もあるが、今回の行為はその中国に部隊編成や装備の機能を漏らすようなものだ。
書類送検はされるものの、「起訴までは難しい」(捜査幹部)というように刑事処分は軽微なもので終わる可能性が高い。それでも、防衛省・自衛隊には自分たちの職務に鑑み、今回の件を重く受け止めてもらいたいものだ。
《維新嵐こう思う》
戦前のゾルゲ事件を考えると、ソビエト連邦から現在のロシアまで北からのスパイ戦略にブレはないように思います。我が国には変わらず隣国から狙われる情報が存在するが、それに対する守秘の意識はどれだけ高まっているといえうでしょうか?
今回の件では実名報道がされていますが、特定秘密保護法が施行されてもこうした事態に機能しなければ、国家の情報戦略自体が不完全といわざるをえません。
《報道資料》
【陸自元幹部情報漏洩事件】
露元武官が日米演習の情報要求・元陸将は拒否
2015.12.5 21:45更新 http://www.sankei.com/affairs/news/151205/afr1512050033-n1.html
陸上自衛隊の東部方面総監などを歴任した泉一成・元陸将(64)がロシア大使館のセルゲイ・コワリョフ元駐在武官(50)=帰国=に陸自の内部資料を渡したとして、自衛隊法違反の教唆容疑で書類送検された事件で、元武官が自衛隊や米軍の動向を探ろうと日米が行う「日米共同方面隊指揮所演習」についての情報を求めていたことが5日、捜査関係者への取材で分かった。
演習は有事の日米連携を確認するため定期的に行われ、ロシアも関心を寄せているとされる。警視庁公安部は、ロシア軍の諜報機関「参謀本部情報総局」(GRU)所属だった元武官が、重要情報を得ようと機会をうかがっていたとみている。
捜査関係者によると、元武官は演習での米軍の編成などについて情報を要求。泉元陸将は東部方面総監の平成20年、同演習で日本側の指揮を担当していたが、元武官の要求を拒否した。
事件では、泉元陸将の依頼を受け教範入手に関わったとして陸自富士学校長の渡部博幸陸将(57)らも書類送検されており、防衛省は4日付で渡部陸将を陸上幕僚監部付とした。更迭人事とみられる。
【元陸自幹部ら書類送検】ロシア側に情報漏えい容疑 警視庁公安部
2015.12.4 15:45更新 http://www.sankei.com/affairs/news/151204/afr1512040027-n1.html
陸上自衛隊の泉一成・元東部方面総監(64)=元陸将=が、在日ロシア大使館(東京都港区)で勤務していた情報機関員セルゲイ・コワリョフ元駐在武官(50)に自衛隊内部の冊子「教範」を渡したとして、警視庁公安部は2015年12月4日、自衛隊法(守秘義務)違反の教唆容疑で2人を書類送検した。
また、元総監の依頼で冊子を入手したなどとして、同容疑や自衛隊法(守秘義務)違反の疑いで現職陸将を含む現役やOBの自衛官の男女5人も書類送検。
捜査関係者によると、元武官は本国でロシア軍参謀本部情報総局(GRU)に所属しているとされ既に帰国。公安部は外務省を通じ元武官の出頭要請をしたがロシア側は応じていない。
元総監の書類送検容疑は2013年5月、自衛隊の運用や戦術が書かれた教範「普通科運用」を元武官に渡すため、部下らに入手を依頼した疑い。元武官は教範の提供を元総監に要求した疑い。元総監は容疑を認めている。金銭の授受は確認されていない。
【ロシア武官に情報漏洩した陸上自衛隊将官は常在戦場の「野戦軍司令官タイプ」】パーティーでも迷彩服姿
2015.12.4 15:48更新 http://www.sankei.com/affairs/news/151204/afr1512040028-n1.html
警視庁公安部がロシア大使館の元駐在武官に情報漏洩(ろうえい)した容疑で書類送検した泉一成・元陸将を、防衛省関係者は一様に「野戦軍司令官」に例える。容貌だけでなく、その指揮・統率スタイルがイメージを強めたようだ。
刈り上げた髪形は自衛官に大勢いるが、他官庁の官僚や経済人と頻繁に接する将官では珍しい。しかも無類の迷彩服好き。駐屯地は言うに及ばす、日常的に防衛省内を迷彩服姿で闊歩(かっぽ)。防衛省関係のパーティーでは、他幹部の通常制服を横目に、迷彩服に半長靴の「実戦態勢」で臨むことも。
退官直前、東部方面総監の重責を担った。この配置は帝国陸軍でいえば宮城と帝都を守護する「近衛」に連なる。総監時代は短い指揮杖を携行し、隷下部隊を督励してまわったエピソードも有名だ。ちなみに、指揮杖は自衛隊の装備にはなく、私物。乗馬ズボンに騎兵用長靴姿、乗馬鞭を持ち、象牙のグリップを備えたマグナム拳銃を携行…。まさか、オリジナルな外見にこだわった米陸軍のパットン将軍を慕っていたわけではなかろう。
何よりも、執務室の「会議テーブル」は伝説にさえ成っている。朝鮮戦争時代まで見られた米陸軍の旧型ジープのボンネットなのだ。喫煙はもちろん、幕僚や部下との会議も立ったままで、ボンネットを囲む。ボンネットを開ければ、しゃれたサイドボードに化ける。何より自慢の一品で、転勤先に不可欠な引っ越し荷物だった。
「第一線に在る」といった信念を掲げていたのか、作戦に対する決心や事務処理の決済を急がせるのが常であった、という。
一方で、情報畑の部署に就いた経験も有り、それならそれで脇の甘さが際立つ。「情報を1つ差し出し、2つを得よう」としたかもしれぬ。「情報を2つ差し出し、1つ得る」のであればスパイだが、逆は情報従事者として当然ではある。ただ、防衛省では情報従事者の本格的育成を手掛けてはいない。外国の情報機関員への基本的接触法や機密情報漏洩防止策は習うが、情報の取り方は世界の水準には到底及ばぬレベル。組織内で帝国陸海軍のOBが活躍していた時代には、諜者を育成した中野学校や民間組織を装って東南アジアなどの独立運動を支援した特務機関の経験者が教壇に立ったが、現在はまったくお寒い状況だ。ノウハウがなければ→教官も育てられぬ、悪循環から脱せられないでいる。
0 件のコメント:
コメントを投稿