テロでもっとも怖いものは
藤原章生 (毎日新聞記者)
2015年12月14日(Mon) http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5718
2001年9月11日。ニューヨークの世界貿易センタービルに旅客機が突き刺さった音を、私は東京で聞いた。CNNを流す小さなテレビの脇に立ち、キャスターの言葉を聞き取ろうとスピーカーに耳を近づけた瞬間、「バーン」という鉄板を叩き割るような音がした。キャスターは動転した声で「何か打ち込まれたようです、ロケット、いやミサイルでしょうか」とコメントした。私は手にしていた原稿用紙に「ロケット? ミサイル?」と書き込んで、同僚に手渡した。
9.11発生後、ニューヨーク市のユニオンスクエアでアラブとの宥和を訴える人々(Getty
Images)
その晩はいつになく静かだった。新聞社の外信部にいた私は、同僚2人と海外ニュースをチェックしていた。大きなニュースもなく、新聞の早い版の編集を済ませ、ゲラを確認した私たちは、弁当を食べ終わり、くつろいでいた。その時、いつも机の端、書棚の上に据え付けていた二台のテレビのうち右側に高層ビルが映し出された。CNNの映像だ。左側の小型テレビのNHKに、そんな絵はない。よく見ると、ビルからかすかに煙が上がっている。「火事か?」。同僚の声を合図に私はテレビの脇に行き、ボリュームをあげたその時、破裂音を耳にした。それから4、5時間、私はテレビの米国情報を日本語に翻訳しては同僚に渡し、とんでもない事件を伝える新聞作りに追われた。情報は海外にいる同僚、つまり現地の特派員をはじめ、内外の通信社からひっきりなしに入ってくるが、私はCNNを聞いてメモにまとめあげる仕事に徹した。
興奮していたのだろう。言い知れぬ苛立ち、怒り、無力感が入れ替わりやってきた。人間たちが作り上げたバベルの塔のような巨大なやぐらの上で、足元がグラグラ揺れ、崩れていくような感覚。あるいは、砂漠の嵐の中、ひたすら耐えていると、一陣の風でテントごと吹き飛ばされ、自身が砂のように消えていく感覚。そんな妄想が繰り返し現れた。
これは一体なんなんだ。
職業柄、世界の行方、時代の変化といった大局を一応は考えるが、手元の仕事を淡々とこなしながらも、同時に猛スピードであらゆることを考えた。私はその時、ごく個人的なことを考えた。
「学習障害がある」と校長に厳しく拒絶され、南アフリカの地元の小学校に入れなかった長男は、そうした子供達が集まる学校に通った末、私と帰国したばかりだった。私は彼の学校生活を常に気にしていた。南アでは「メインストリームに乗る」という英語表現をよく使っていたが、彼が普通の学校に馴染むのは難しいと心配していた。テロの翌春には別の国に転勤するのも決まっていた。
当時10歳の長男が外地で思春期を送ったとして、その後、彼はどこに馴染むだろう。米国ならなんとか道が開けるかもしれない。ぼんやりとそんなことを考えていたころだった。
そのせいか、テロそのものより、私はそれに対する米国の反応、国家の反動を怖れた。
国際情勢の行く末は簡単に想像できた。1998年8月にナイロビで起きたアメリカ大使館爆破事件を取材していたため、その後の米国の動きはだいたい読めた。ブッシュ大統領はテロをアルカイダの犯行と断定し、ほどなくアフガン攻撃を始めるだろう。だが、それよりも私は、米国が国境を閉じ、より閉鎖的になっていくのを恐れた。
私自身が米国に暮らしたわけではない。友人がそこに暮らし、旅行や取材で何度か訪れただけの国だ。過度に理想視していたわけでもない。それでも、なにがしかのチャンスがあれば、どのようなマイノリティーであってもそれなりの暮らしが保証される。何か秀でたものがあれば、出自や障害などに関係なく拾い上げてもらえる可能性があり、マイノリティーに対する差別が比較的少ない社会。私はそう捉えていた。そして、移民社会ゆえのその美徳は、時代とともに強まっていくと、当時の私は確信していた。
だが、今回のテロで、米国は一気に国境の壁を高めるだろう。メキシコからの移民はリオ・ブラボーを越えられず、アジアからの移民は空港から強制送還されるーーそんな映像が浮かんだ。一気に崩れ落ちるツインタワーを見ながら、たまたまそこに出入りしていた掃除人や配達人ら移民たちの死を想像した。米国になんらかの希望を持って渡った人々の「可能性」が潰されることに、私は絶望的な気分になっていった。
テロの恐怖は何だろう。それはたまたまそこに居合わせ、巻き込まれることだけではない。むしろ、それに対する国家の反応、国家の台頭を私は恐れる。渦のように、ハリケーンのように急旋回した米国のその後の反応は私の妄想を超え、イラクに飛び火し、結果的に私はバグダッドに何度も通うことになった。
だが、米国の排他性はどうなっただろう。他者への排斥はどれほどひどくなったか。意外に、さほどでもなかった。もともと移民で栄えた国だ。国境を閉じるなどということは出来ようがない。と同時に、そこまでの意思は米国人にも、政府にもなかった。
では、パリ同時多発テロに見舞われたフランスはどうだろう。しばらく、米国と同じように報復、閉鎖を繰り返していくだろう。だが、今回のテロのインパクトが01年のそれよりもはるかに小さかったように、欧州を閉鎖するなど、まずありえない。時間とともに人の移動はさほどの制限を置かれることもなく、ずるずると自由な方向へと流れていくだろう。
《維新嵐こう思う》
2001年のニューヨーク同時多発テロは、多くの犠牲を払った痛ましいテロ事件として記憶があせることはないが、歴史的な転換点として認識してもいいかと思われるが、あのテロ事件により、アメリカ世論全体がある種「強迫神経症」状態になって、首謀者とされたオサマ・ビンラディンを匿ったアフガニスタンのタリバン政権に報復攻撃することを容認したことは、「対テロ戦争」の名の下で公然とアメリカの侵略戦争が拡大していく状況を作り出してしまったことは、後世の歴史的な「汚点」、アメリカの新たな侵略戦争として記憶されるに違いない。そもそもアルカイダのテロを招いたこと自体が、原油利権をベースにした西アジアでの米英の権益への強烈なアンチテーゼであることを考えるとキリスト教原理主義に対するイスラム原理主義という歴史的な宗教対立の延長にあるものという理解に結びつくし、イスラムでもキリスト教でもない民族性からみれば、米英の自業自得が招いた結果といえる。
2005年のロンドン同時多発テロ以降、イギリスは対テロ戦争では積極的にアメリカと協調戦略をとってきたように思えば、2015年のパリ同時多発テロによりフランスも首謀者であるISと「交戦状態」に入ったともいえる。
しかしとはいってもテロで歴史ある街が文化的、経済的に追い打ちをかけられた、危機に瀕したという事態にはならないだろう。そこは非軍事の力、非軍事的創造力により、波になって非人間的なテロに打ち勝ってほしいと切に願う一人である。
新たなテロに脅えすくむパリ 右翼には追い風
パリからの現地リポート
佐々木伸 (星槎大学客員教授)
2015年12月14日(Mon)http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5730
パリの同時多発テロから2015年12月13日で1カ月。多数が犠牲になったバタクラン劇場や近くのカフェでは、献花に訪れる人が今も絶えず、恐怖の記憶は消えていない。シャンゼリゼ大通りの人出もクリスマス前にしては「例年の半分以下」(地元の衣料品店)で、パリは新たなテロに脅えすくんでいるかのようだ。
5人の犠牲者が出たカフェ'La Bonne Biere',(GettyImages)
ディズニー店に金属探知機
凱旋門から伸びるシャンゼリゼ大通りは夜になると、街路樹に青い色のイルミネーションが灯り、華やかさはいつもの年と同じだ。しかし通りに面したブランドショップや貴金属店などは店先にガードマンを配置し、手荷物やバックの中を調べるなど入念にチェックしている。
ディズニー関連の店では入店の際、金属探知機を体に当て銃や爆弾などを携行していないかを調べるものものしさだ。シャルルドゴール空港などとは違い、通りには武装した警官や治安部隊の姿は見られない。ただ、人出は少ない。この時期を知るブランドショップの店員によると、通りを歩く人は例年の半分以下で、商売にも影響が出ているという。影響はこうしたブランド店だけではなく、レストランや劇場などにも波及している。いつもなら予約の取れないセーヌ川沿いの海鮮レストランもガラ空き状態で、エッフェル塔を眺めながら食事を楽しむことができる窓際の席が簡単に取れる。
90人が犠牲になったバタクラン劇場は閉鎖されたままで、劇場の前などには献花された花束が山のようになっている。銃撃を受けた劇場から近いところにあるカフェ「ボンビエール」はすでにオープンし、パリっ子の心意気を示すものとして歓迎されているが、ウエイトレスの1人は再び狙われる懸念を漏らしていた。
このウエイトレスの懸念はそのままフランス政府の懸念でもある。フランスの専門家らによると、同国のイスラム教徒は約700万人にも達する。うち過激派として監視対象者は2万人程度いるが、フランス国内の治安担当者は3000人程度しかおらず、とても常時監視できるような状況ではない。圧倒的に人員が不足しているのだ。
その上、欧州連合(EU)の治安システムは「欠陥だらけ」(専門家)とされる。EUには、犯罪者のデーターベースはあるが、イスラム過激派の共有されるブラックリストのようなものはない。情報の共有システムがなく、各国間の横の連携がない。加えてEU創設の理念である国境管理の撤廃がテロ対策では深刻なジレンマになっている。
パリの同時多発テロの主犯格だったアバウド容疑者(死亡)はシリアで過激派組織「イスラム国」(IS)の宣伝動画の主役を演じ、欧米の情報機関から危険なテロリストとして重要手配されていたにもかかわらず、密かにEUに舞い戻っていた。またバタクランの襲撃犯の1人も2012年にイエメンに渡航したことから監視リストに入っていたが、それにもかかわらず、シリアに行き、そしていつの間にかフランスに戻っていた。専門家の1人は生体認証のデータベースの構築が急務だと指摘しているが、治安システムの確立には時間がかかりそうだ。
移民排斥の極右躍進
玉砕覚悟まで追い詰められたIS戦闘員
玉砕覚悟まで追い詰められたIS戦闘員
新たなテロの懸念と不安が国民の間に蔓延するのを追い風にしてフランスではルペン女史率いる極右「国民戦線」の移民排斥の主張が支持を受け、地域圏議会選挙の1回目では得票率30%を獲得して第一党に躍り出た。13日に実施された2回目の結果に注目が集まっている。
米国でも次期大統領選の共和党指名争いでトップを走る実業家のドナルド・トランプ氏がイスラム教徒の入国全面禁止を主張して物議をかもしているが、同氏の率直な物言いに、よくぞ言ってくれたと考える白人有権者も多く、欧米を中心にイスラム嫌いが急速に高まっていると言えるだろう。
こうした中で、パリ事件の後からテロの元凶ともいえるISに対する米欧、ロシアの攻撃が激化、特にここ数日、米国とイラク軍がイラク西部アンバル州の州都ラマディの奪回作戦を開始、市の中心部を包囲して突入の機会をうかがっている。
ラマディは半年前にISが制圧して以来占領中で、約300人の戦闘員が玉砕覚悟で抵抗を続けている。IS側はトンネルを無数に張り巡らし、市のいたるところにわな爆弾を仕掛け、全員が自爆ベルトを着てイラク軍を待ち構えているという。仮にラマディが陥落すれば、ISにとっては大きな打撃となり、シリア、イラク両戦線でISの劣勢が一挙に強まる可能性もある。ISとの戦いは、パリのテロ事件1カ月とともに、いよいよ重大な局面に入ってきた。
《維新嵐こう思う》
ISの最新装備といっても兵装は、戦車でなくTOYOTAのランドクルーザー、旧ソ連時代の遺物であるカラシニコフが主流であろう。だから地上戦闘ともなれば、空爆も選択できる米英露仏の敵ではないだろうが、だからこそ「弱者の戦術」テロ攻撃を行うのである。
油断できないのはこのテロ攻撃をシリア、イラク以外の場所で行えることだろう。インターネット回線をフル活用して、先進国の格差社会の矛盾を肌で感じすぎている若者を取り込むこと自体が脅威であるのに、彼らをうまく活用してテロ攻撃のコマンダーにしたてあげる。こういう「非対称攻撃」をしかける相手を陸海空から従来型の軍事的攻撃で根絶することなどできるのであろうか?
「誤爆」などで多くの人が軍事攻撃の巻き添えをくうくらいなら、いっそ先進各国の格差社会の矛盾を解消するべく、富裕層に資産税などの高額課税を課すとか「非正規労働者」に正規労働者並みの待遇を保証するなどした方が、ISのテロ攻撃に対する抑止になるのではないだろうか?
IS掃討にNATO陸軍を投入せよ
岡崎研究所
2015年12月16日(Wed)http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5704
イスラム国打倒には空爆では不十分
すなわち、「イスラム国」によるパリでの虐殺はオランド大統領が言うように戦争行為であり、NATO条約第5条にいう集団的対応を要求する。同盟の指導者間で対応のあり方が議論されているが、憤慨するだけでは不十分である。
唯一の適切な対応は軍事的対応であり、「イスラム国」の粉砕と、シリアとイラクでの拠点排除である。テロ集団にもはや領域支配を許してはならない。
オランドは、攻撃は海外で準備され、国内からの共犯もあって実行されたと述べた。「イスラム国」の脅威を単に地域的とみてはいけない。これはグローバルな脅威である。「イスラム国」を敗北させるためには地上にNATO軍がいる。イラク、アフガン戦争の後、これは馬鹿な行為ではないかとか、軍事行動は逆効果にしかならないと指摘するのは理由がある。また、テロは完全には敗北させられないという意見もある。
しかし、これらの議論は魅惑的であるが、拒否されるべきである。空爆では「イスラム国」を敗北させられない。ロシア、中国はパリの攻撃を非難している。「イスラム国」を敗北させるための軍事行動についての国連決議を邪魔すべきではない。サウジなど地域諸国もこの怪物の敗北に関心をもつ。
「イスラム国」はプロパガンダなどに巧みである。しかし軍事的には打倒することができる。西側の情報は最近のジハーディ・ジョンの殺害にみられるように優れている。今のオバマ政権のように、「『イスラム国』は敗北させられる」と言うだけでは不十分である。そのための計画がいる。
こういう事件は欧州社会での宗教的暴力の可能性を高める。すでにイスラム嫌いが増えてきているように見える。難民がシリアからヨーロッパに殺到する中でこの攻撃は起きた。彼らを忌避せずに、助けるべきである。彼らはイスラム国とアサドから逃れている。シリアへの不介入は、流血と今や欧州に危険をもたらしている。
戦闘は長引くだろう。イスラム世界にはスンニ派(サウジ)とシーア派(イラン)との対立もある。この悲劇は穏健ムスリムによって内部で解決されるしかない。
シリアとイラクで「イスラム国」を粉砕しても、ジハードのテロの脅威は残る。しかし完全性を求めて、何もしないのは良くない。団結のなさがこれまでの軍事努力を阻害してきた。団結が今可能であり、それとともに勝利も可能である、と論じています。
Roger Cohen,‘To Save Paris, Defeat ISIS’(New York Times,
November 14, 2015)
URL:http://www.nytimes.com/2015/11/14/opinion/to-have-paris-defeat-isis.html?_r=0
URL:http://www.nytimes.com/2015/11/14/opinion/to-have-paris-defeat-isis.html?_r=0
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欧米諸国は地上軍の派遣を
この論説の趣旨には賛成できます。「イスラム国」の問題については、もっと本気で取り組むべきです。アルカイダのようなネットワーク型組織と違い、「イスラム国」は領域を支配している擬似国家的な組織です。ネットワーク型のテロ組織は良く見えませんが、「イスラム国」は良く見える敵です。その首都ラッカを空爆、奪還し、占拠している領域を奪還してしまえばよいのです。
ただ、そのためには地上軍の派遣がいります。これをするか否かは、NATO指導部の決断、それへの国民の支持獲得が可能かの問題です。この論説ははっきりと地上軍派遣を主張しています。それしかないのではないかと思われます。
今、クルドの部隊がラッカに近づいています。欧米諸国は自分では動かずに、クルドの部隊にラッカを奪還してもらいたいと思っているのでしょうが、そんな本気でない取り組みではうまくいかないのではないでしょうか。NATOが第5条(集団的自衛権)を発動し、シリアに入りラッカを取れないということは考えられません。
政治的なシリア問題の解決などと言って、やるべきことをやらないのでは、パリのようなことがワシントン、モスクワ、ロンドンなどで発生することになりかねません。今度の件で、シリアに不介入、地上軍は出さないという決定が翻り、シリアへの介入の程度が強まれば、人道危機もより小さくなるでしょう。
コーエンは、シリア介入強化には国連安保理決議がいるかのように言っていますが、フランスは自衛権を使ってシリアを攻撃し、他のNATO諸国は集団的自衛権で武力攻撃すればよいだけです。9・11後の米のアフガン攻撃は自衛権行使でした。G20首脳会議がパリでのテロを非難したのは当然ですが、こういう非難声明はあまり効果のあるものではありません。イスラム国の資金を断つなども時間のかかる話です。やはり、軍事的介入が早く効果を上げられる道でしょう。
《維新嵐こう思う》
原油利権に目がくらみ、多くのイラクの油田をおさえるためか領域支配を実施してしまったこと、誤ったイスラムの戒律により、支配領域内で「暴力」による支配体制を選択してしまったことは、ISのメリットを自ら放棄したようなものであろうと思います。
あえてISの側の視点から俯瞰してみれば、面的な支配領域の拡大をめざすべきではなく、既存の政権の合法的な奪取をめざす方が、彼らの政治理念の実現を確実に達成できたように思います。
もうパリの同時多発テロにより、ISは世界中の共通の敵となりました。軍事力を政治的手段として行使すれば、「自衛権の行使」となり集団安全保障ですから合法的行為となります。
世界中のISシンパが、テロ攻撃を完遂していくのが速いか、シリアのラッカが壊滅するのが速いか、しかしラッカが例え軍事攻撃で壊滅したとしても、テロ攻撃はやまないでしょう。既存の格差社会により、自分すらみえなくなっている人々の先進国の問題が解決されない限り、持てる世界、富が集中する領域へのテロ攻撃は連鎖するのではないでしょうか?
富める者が富を開放し、みんなで富をわかちあおうという思想になり、それが行為として実現され、地道に働く多くの人々の生活が今以上に充足しない限り、経済階級からくる社会矛盾への挑戦と破壊は続くものと思われるのです。
ISへの軍事攻撃が取りざたされる中、テロと平和で安全な庶民のくらしとの関わりについて多くのみなさんはどうお考えでしょうか?
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