2016年1月30日土曜日

零戦、再び日本の空を舞う!~「日米戦争時の名戦闘機」~

零戦、日本の空を飛ぶ 鹿児島・海自基地で試験飛行

さきの大戦中、日本海軍の主力戦闘機だった零式艦上戦闘機(零戦)が平成28127日、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)の上空を試験飛行した。
 機体は1970年代、パプアニューギニアのジャングルで発見し、購入した米国人らが復元した。現在はニュージーランド在住の石塚政秀氏(54)が所有する。

 石塚氏は「零戦の部品の一つ一つに日本人の勤勉さが詰まっている。日本の空を飛ぶことができ、感無量だ」と語った。

零戦、日本の空を飛ぶ 鹿児島・海自基地で試験飛行


復元ゼロ戦、無事に飛行~鹿児島上空を22分間~

2016.1.27 17:44更新 http://www.sankei.com/life/news/160127/lif1601270030-n1.htm

 太平洋戦争中、日本海軍の主力戦闘機だった零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を復元した機体が27日午後、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)で試験飛行した。フライトは6分、16分の2回計22分で、基地の上空を旋回しながら飛んだ。機体は日本人が所有し、資格を持つ米国人が操縦した。

 機体は午後2時15分ごろ、エンジン音をとどろかせながら離陸。2回目の飛行では、最高で高度約1650メートルに達した。
 主催者のゼロエンタープライズ・ジャパン(東京)や同基地の関係者、報道陣が見守り、飛行が無事に終わると、関係者らは握手しながら成功を喜んだ。基地内では一般の見学ができず、フェンス越しに見上げる人の姿もあった。

http://www.sankei.com/life/news/160127/lif1601270030-n2.html

飛んだ機体は1970年代、パプアニューギニアのジャングルで見つかり、修復された。

 所有するニュージーランド在住の会社経営、石塚政秀さん(54)は「日本の空を飛んでくれて、ありがとうという気持ちだ」と感無量の様子。「日本人はこれまで短期間で技術革新を遂げてきた。ゼロ戦を通じて日本の技術力を多くの人に知ってほしい」と話した。

2016/01/29 に公開
石塚政秀氏が推進していた「零戦の日本飛行」のニュースについてお伝えすると共に、当日の映像をダイジェストでお送りします。

元零戦パイロット「仲間は傾きゆく天を支える気持ちだった」鹿児島鹿屋市でテスト飛行、フェンス越しに歓声

2016.1.27 18:42更新 http://www.sankei.com/west/news/160127/wst1601270114-n1.html

翼よこれが故国の地だ-。零式艦上戦闘機(零戦)がテスト飛行した27日、零戦が飛び立った海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)の周辺には、雄姿を一目見ようと、大勢の見物客が訪れた。福岡市在住の元零戦パイロットは、基地を訪れることはできなかったが、「元搭乗員の友人と、零戦が鹿屋の空を飛んだ喜びを分かち合った」と語った。(奥原慎平)
午後2時、零戦のプロペラがエンジン音とともに回り出した。操縦席には米国人パイロット、スキップ・ホルム氏(72)が乗り込む。機体は滑走路を滑らかに加速し、鹿児島の空に飛び立った。滑走路近くのフェンスに集まった、100人近い見物人から歓声が上がった。
 2回目の飛行では最高で、高度約1650メートルに達した。
 この日飛行した零戦は、ニュージーランド在住でフライトジャケット製造・販売会社を経営する石塚政秀氏(55)が所有する。石塚氏は、2010年2月に米国人バイクレーサーから購入した後、日本国内での飛行を目指して、資金集めや、関係省庁との交渉を進めた。
 当初、戦後70年である昨年の実現を目指したが、安全保障関連法案の審議をめぐり、「戦争賛美の誤解を受けかねない」と複数のスポンサーが撤退し、関係省庁も消極姿勢だった。
 石塚氏はようやく飛んだ零戦を見上げ「感無量だ。部品の一つ一つに日本人の勤勉さが詰まっている。飛ぶ姿を見て、今の日本人に自信を取り戻してもらいたい。この機体を、日本のいろいろな場所で飛ばしたい」と語った。


 スポンサーの1人で、埼玉県在住の陸上自衛隊OB、和泉洋一郎氏(66)は「世紀の瞬間に立ち会えた。零戦は日本人の技術力が詰まったものであり、日本人が所有する零戦が飛ぶ姿をみると、感動しきりです」と涙ながらに語った。冠婚葬祭業、サンセルモ(東京)の安田幸史社長は「この感動を多くの人と分かち合いたい。飛行を一般公開してほしい」と述べた。
 福岡市南区に住む、零戦の元搭乗員、池田一彦氏(91)は残念ながら鹿屋に赴くことはできなかった。それでも、零戦が旧海軍ゆかりの鹿屋を飛ぶという話を、搭乗員仲間と電話で語り合ったという。池田氏は産経新聞の取材に「零戦が鹿屋の空を飛んだ喜びを分かち合った。零戦の技術力も知ってほしいが、あの戦争において、傾きゆく天を支える気持ちで戦った仲間の思いを、若い人が知るきっかけにしてほしい。いつか日本人が操縦し、編隊で飛ぶ零戦をみたい」と語った。

《維新嵐感動!》
日本人が所有する零式艦上戦闘機としては、初めて我が国への「凱旋飛行」がかないました。まさに歴史的瞬間だと思います。
太平洋戦争初期(というより初期なら大東亜戦争か)の日本海軍の破竹の進撃を支えたのは、空母を中心とする機動部隊だったわけですが、その制空を担ったのは紛れもなく零戦といえます。
対空レーダーがないとか被弾に弱いなどと酷評されますが、世界の航空技術の発展に大きな影響を与えた名機であることは、誰も否定しようがありません。ある意味「国宝」ですよ。

「平成の零戦」ついに一般公開されました!

元来は、ステルス戦闘機を捕捉するための新型レーダー開発(先進技術)を実証するための機体開発だったのですが、未来の日本の国産戦闘機開発のための試作機という意味合いもあるようです。
どちらにせよ日米戦争後にアメリカ軍によって徹底的に破壊された我が国の航空機技術が、三菱のMRJも同様ですが、少しづつでも「復活」していくことは、国民として本当に喜ばしい限りです。
今後の国産ステルス戦闘機開発への道に大いに期待しています。

2016/01/29 に公開
28日に報道陣に公開された、先進技術実証機(心神)。近年日本が力を入れている,、航空産業の復興への期待と共に、その意義をお伝えします。





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