2016年1月10日日曜日

日本共産党の「安全保障論」 ~国防に関する考え方~

【元自衛官の共産党市議が激白】
安倍政権よ、自衛隊を安易に使うな
 
井上圭一(土浦市議会議員)

※多くのみなさんは、この論文を読まれてどうお感じになるでしょうか?

2016.1.9 12:10更新 http://www.sankei.com/premium/news/160109/prm1601090029-n1.html


 私は陸上自衛隊の自衛官として、茨城県の霞ケ浦駐屯地の後方支援部隊で9年間勤務しました。その私が、2015年4月の茨城県土浦市議会議員選挙に立候補、多くのみなさんの支援を受け、日本共産党の議員として初当選しました。
 自衛官であることと共産党員であることは、憲法9条を大切に考える私にとって自然なことでした。ところが、その9条を踏みにじり「自衛官を他国の戦争に参加させる」という集団的自衛権への動きが始まりました。なんとか食い止めたいと思い、総選挙にも挑戦し訴えました。後輩の自衛官を絶対に戦死させたくないという強い思いと、自衛官の“声なき声”とその家族の思いを代弁するために、立ち上がったのです。(iRONNA

※およそ憲法での「自衛権の行使」には、元来集団的、個別的という区別はありません。そしてどの国も「自衛権を行使」する「防衛戦争」は、憲法上認められています。逆に「侵略戦争」は禁じられています。どこまでが侵略戦争かあいまいな点もありますが、国家主権を守るための自衛戦争は認められており、我が国の憲法も同じと考えられます。

 日本独自の自衛隊とは何かというと、専守防衛(日本本土が他国から軍事的攻撃を受けた場合、防御・反撃する体制)の名のもとに、第二警察としての役割を果たす組織です。そして一番重要なことは、日本国内専用の組織として設立から現在まで運用され、国民の理解を得てきた日本の宝なのです。なぜ宝かと言うと、日本を襲う未曽有の災害に対し迅速かつ適正に大量の人員(訓練された)を現場に派遣し、人々を救助出来る組織は自衛隊を置いて他にありません。平和な日本の生活を営む国民にとって、これほど頼りになる、いざという時の為の保険にも似た後ろ盾を持っている日本人はある意味幸せです。

※「専守防衛」は政治用語であり、軍事用語としてはいわれません。外から我が国に対しての侵略行為と戦うのは「軍隊」の仕事であり、戦時国際法が適用されます。つまり「戦時」という秩序は存在します。警察は国内治安維持のための組織であり、元来軍隊と警察は性質の違う組織ですね。


 自衛隊を他国の人たちが見た場合、一般的に「軍隊」と認識すると思います。ただ、歴代政府が今まで世界に発信してきた、自衛隊の存在は、守備であり攻撃することは無い組織であることは世界的にも認知されてきたところだと思います。それは、先の大戦の教訓から、日本は日本国憲法を制定し、戦後70年間武力による国際紛争に協力してこなかったことも大きな要因です。とりわけ平和憲法第9条の役割は強大で、日本を取り巻く安全保障関連が悪化した場合であっても、紛争解決のために武力(抑止力含む)を伴う国際的平和活動にも自衛隊を使うことはありませんでした。また時の政府による右傾的暴走の歯止めになっていたのも憲法9条の力であることは、周知の事実だと多くの国民は知っています。
 日本国憲法には、立憲主義・主権在民・民主主義など、日本人が日本人であるために必要な条文が決められ、すべての国民はこの憲法を守り生かしていく事になっています。これは日本人にとって絶対のルールであり、改憲するのであれば国民の過半数の賛同が必要です。

※我が国は「立憲君主主義」の国です。現行憲法第1条でうたわれる「国民統合の象徴」表現は天皇が元首であることを示しています。ただ中華皇帝や神聖ローマ皇帝と混同しないように「元首」表現はしていません。
軍事において「攻撃」と「守備」は一体となった概念です。どちらかを区別して考えることは無理があります。また憲法は「絶対ルール」ではないです。時代にあわないところが改正されるのは自然なことです。そして条文の解釈をめぐり意見がわかれるのは当然のことです。解釈がわかれるからこそ公の解釈が正しく示されないといけません。9条の解釈が定まらないのは、「集団的自衛権は保持はするが、行使できない」というわけのわからない解釈を示したことが原因でしょう。

 なかには、日本国憲法を否定する者、米国からの押し付け憲法などと日本国憲法を認めない改憲派の存在もあります。そんな人たちをも包んで見守っているのも日本国憲法なのです。どおしても納得しないのであれば納得のいく国に住めばいいだけです。世界は広いのです。私は憲法の条文を読めば読むほど素晴らしく思えてならないのです。誰が作ったなど関係ないじゃないですか。いいものはいいのです。
 最近、教科書の歴史認識をめぐる問題が勃発していますが、私は本当のことを載せるのが筋だと思うのです。それをどう理解するかは、読む個人の感性であり、それを議論したり話し合ったりする場が学校であり教育ではないでしょうか。事実と違うことを捏造し子供たちを洗脳することに憤りを感じます。

 日本は戦後アメリカの従属国となり日米安保・地位協定など様々な面でアメリカの傘下におかれ支配されてきました。残念なことに日本人はアメリカに守られていると勘違いしている人が多いのも事実です。私は疑り深い性分なので政府の見解を聞いていると、日本政府すらアメリカに乗っ取られているように感じます。本気で独立国家を目指すのであれば、義務教育の必須科目に最低でも日本国憲法や日米地位協定、近代歴史など日本の根幹を主る部分を教育するべきです。あくまでも判断するのはこれからの未来を担う生徒自身です。逆にその部分が欠落しているのが多くの現代人ではないでしょうか。この問題は知れば知るほど無関心ではいられないほど日本人にとって必要な知識なのです。知ってしまった人達の全国的なデモ、有識者などの発言は、政府にとって目の上のたん瘤であり、表に出さないためにメディアを使った世論操作に必死で、真面な意見を潰しにかかっています。国、言いなりの国民で良しとする政府にとってこれに気づかれることは最大の恐怖だからです。

※「本気で独立国家を目指すのであれば、義務教育の必須科目に最低でも日本国憲法や日米地位協定、近代歴史など日本の根幹を主る部分を教育するべきです。」
その通りです。日本国憲法は、まだまだ法解釈次第で使える条文があるかと思います。日米地位協定の意味、第二次大戦の前後では我が国の国際的地位が変化したことをきちんと教えるべきでしょう。戊辰戦争、明治維新とそれ以降の大日本帝国の発展と没落、外国との戦争で敗北を認めることがどういう意味を持つのか、は公教育でしっかり語るべきです。


 さて、今まで述べてきたことを踏まえて、私が元自衛官として共産党議員として、戦後70年にして、時の一内閣による自衛隊の在り方を180度転換した、今回の安全保障法制(戦争法)がいかに無策で相当なリスクがあることを世間に伝えたいと思います。まず、自衛隊は国民の命を敵から守る最後の砦として武器を持ち最小限の抑止力を保持してきました。自衛隊は殺戮が生業の集団です。「自衛隊が武器を持ち他国に派兵される意味とそれを認めた事に国民は責任を持たなくてはなりません」。これは、生まれたての赤ちゃんから人生の最期を迎えようとしている人まで全てです。「やれば、やられる事を覚悟しなければなりません」。私は自衛隊を安易に使いたがる安倍自公政権に失望します。平和だの安全だの綺麗ごとをいくら並べて推し進めたとしてもウソはウソでしかありません。

 防衛省では、これからの自衛隊は「国際平和のために国連などに協力し貢献することが隊員に与えられている使命である」「戦争や紛争に巻き込まれて困っている人々を助けることは隊員として当たり前の任務」などと国際貢献は当たり前と隊員を洗脳している傾向にあります。本来任務を逸脱する状況に気づかずに訓練に励んでいる隊員がいじらしくも思えます。日本が国際貢献する手段は何も武力を用いた策だけでは無いはずです。国民は、アメリカ・軍需産業・経団連のトライアングルを見逃してはなりません。自衛隊員に犠牲が出てからでは遅いのです。自衛隊員に犠牲(死者)が出ると言う事は、相手国にも相当な犠牲が出ているはずです。今の平和な日本は、先の大戦の多大な犠牲の上にあります。もう一度、自衛隊員の犠牲のもとに「平和な日本を」と過去の過ちを繰り返そうとしている安倍自公政権にノーを突きつけ、武力・抑止力に頼らない、今までやった事の無い様な積極的な平和外交を推進し、国際社会の和平に貢献する日本にして行きましょう。

※安倍内閣の「安保関連法」は、自衛戦争で自衛隊がより機能するための法律と考えるべきでしょう。例えば、海外で働く在留邦人を守るために自衛隊が戦うことは「まちがい」なんでしょうか?
自衛隊が海外へ派遣されるとすぐに戦争がおきると共産党などはいいますが、自衛隊は海外へ平和復興や人道支援、停戦監視のためにいくわけですから、戦争を抑止するための派遣といえます。
今や自衛隊の国際支援の在り方は、世界の先進モデルです。いわば自衛隊は「人を社会を活かすための軍隊」といえるでしょう。そこは日本人は「国防軍」としての自衛隊を誇りに思うべきです。人殺しをするのが軍隊という理解は間違いです。



 その点、日本共産党はブレません! だから私は、共産党で議員になったのです。信念を曲げて大勢に魂を売って媚びることなどに、政治家として大儀を見いだせるはずもありません。もはや「自民党に任せておけば大丈夫だろう」の時代ではないのです。今こそ、国民の意思が通る政治(本物の民主主義)に変われる時ではないでしょうか。黙っていたら政府に無条件で賛成したのも同じこと。自分たちや子孫の未来に、悪政・悪法を残さないために、私たちは「今」活動するべく「大儀」があるのではないでしょうか。国民の無関心を誘導する政府・メディアに騙されない、主権者として政治を動かす新しい時代を築こうではありませんか。自衛隊を派兵させ、国民の血税をバラまかなければ、国際社会に向けあえない安倍自民公明政権に幕を引きましょう。

※確かに日本共産党はブレてません。ただ国体の在り方、安全保障の考え方、軍事の理解は正した方がいいかな、と思います。まずは我が国が「立憲君主国家」であることを認めるべきでしょう。日本国憲法がGHQのおしつけであったとしても、占領下での憲法だとしても、日本の帝国議会で審議され、昭和天皇がご裁可された憲法であることは疑いようがありません。
 憲法改正論がさかんですし、安倍内閣もこれを政策の中核にしていますが、まずは現行憲法にリスペクトの気持ちをもって、どこが時代にあわないのか、修正すべきなのか、今までの解釈は今後も妥当なのか、十分建設的に議論しながら進めていかないと昭和天皇に対して不敬にあたります。
 すでに安保関連法審議で内閣法制局の集団的自衛権の行使の解釈を修正するという「ウルトラC」を成し遂げています。今までの憲法解釈を見直すことでも憲法をまともにできるわけです。
 今上陛下は、性急な憲法改正には慎重な姿勢であるといいます。大御心に従うべきでしょう。

本文中「※」以下の文章は、管理人維新嵐の個人的意見です。

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