ペテン師? 賢い? 戦わずして勝つ人
フランスの英雄ドゴール
フランスの英雄ドゴール
2016年05月19日(Thu)http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6803
パスカル・ヤン (著述家)
サミットに大物政治家はやって来るか。ノルマンディー上陸の日はやって来るが……。
オマハ・ビーチでやっちまって
iStock
盲目の黒人シンガー レイ・チャールズが、歌手としての成功の糸口を求めて南部を離れて北に向かったとき、難儀するたびに、自分の目をさして“オマハ・ビーチでやっちまって”という方便を使うと、魔法の呪文のように、援助の手が差し伸べられた。バスターミナルでの乗り換え風景は映画『Ray』でも泣かせる場面だ。
オマハ・ビーチとはノルマンディー上陸作戦で最も激戦となった場所。英兵、米兵、カナダ兵、オーストラリア兵、ニュージーランド兵など15万人が、早朝大挙してノルマンディー海岸を目指した、いわゆる史上最大の作戦の一部ということになる。
最悪の激戦地となったのが、米軍3万人以上が上陸したいわゆるオマハ・ビーチなのだ。連合軍の総大将アイゼンハワーは、ノルウェー上陸や泳いでも渡れるドーバー海峡上陸をほのめかし、ヒトラーもドーバーを信じて疑わずドーバーシフトになっていた。
敢えて言えば、ノルマンディー海岸は手薄であったのは間違いない。偶然ドイツの大部隊がノルマンディー海岸の中でもオマハ・ビーチ裏で演習中であったそうだ。アメリカ兵3万余が担当した地域であるが、全員が戦死した部隊もでるなど、オマハだけで1日で数千の死傷者がでた。
だから北部エスタブリシュメントにとっても、オマハで失明したという黒人青年をむげにはできない。レイ・チャールズは子供の時失明しており、戦争にはいっていないのだが。
あの日がまたやって来る。1944年6月6日のことだ。後から考えれば簡単なことでも、その時には苦渋の選択ということが多い。反対もあったが、雨と嵐の束の間のチャンスを利用したのが、アイゼンハワーという天才の判断となる。しかし、彼が考えたシナリオ通りに進んだ作戦は一つしかないようだ。
その他多くの作戦は想定外の展開となってしまった。その想定外は、俗にいう結果オーライかもしれないが、当事者たちは肝を冷やしたことであろう。肝を冷やすどころではなく死傷者が一日で数万人も出てしまったのが、Ddayということ。
有名な想定外が二つ。空挺部隊を輸送機にのせて作戦予定地に降下するはずであったが、急ごしらえの操縦士たちで、極度に怖がり、本来であれば時速150キロ程度に減速すべきところを300キロで兵士を降下させてしまったのだ。というより、作戦地点を通過してしまうので降下せざるを得なかったのだろう。
結果、空挺隊員は、四方八方に散らばって着地し、極端な例は海上に落ちて亡くなった兵もいた。この珍事が吉となり、ドイツ軍は、攻撃の的がその夜どこにあったのか、見当をつけることができなかったというのだ。
もう一つ、九十九里浜がノルマンディーなら、千葉市に当たる町がCAEN(カン)だ。この大学街を一日で取ると豪語した英国軍のトップ、モントゴメリー将軍は何日たっても攻略できない。てこずったおかげで近在のドイツ軍がすべてCAENに集中してしまったようだ。
いいとこ取りのフランス軍
その間隙をぬって主力の米軍は最速でパリに至ってしまったのだ。2カ月と数日でパリを窺うこととなった。ここまで、フランス解放の主役であるべきドゴール率いるフランス軍の話は聞かない。しかし、大政治家ドゴールだ。手をこまねいていたわけではない。アイゼンハワーを締め上げて、パリ入りはフランス軍が中心となることを約束させていた。
パリのドゴール像(iStock)
8月25日にパリ入り、27日には、ドゴールは凱旋門からシャンゼリゼをパレードしてしまったのだ。その際、外国の特派員にたくさんの写真を取らせて世界中にばらまかせたのは有名な話だ。フランス軍がDdayからこの日までにとったリスクは、パリに残るドイツ軍の狙撃兵からの弾丸だけだったともいえる。
史上最大の激戦の日、あの海岸にフランス兵を探したが見えなかった。そもそも、チャーチルもアイゼンハワーも6月6日の件はドゴールに伝えていなかった。したがって、フランス軍は、動員されていないというべきだろう。
しかし、華であるパリ解放の日には、あたかもノルマンディーでドイツ軍を撃退したのは我らだという顔をしてシャンゼリゼを行進した。フランス国民もそれを求めていたのだろう。
しかし、華であるパリ解放の日には、あたかもノルマンディーでドイツ軍を撃退したのは我らだという顔をしてシャンゼリゼを行進した。フランス国民もそれを求めていたのだろう。
ドイツの傀儡がいつの間にか戦勝国に
その後ドゴールはフランス国家の合法性に心血を注ぎ、ドイツの傀儡政権であったフランスをいつの間にか戦勝国にしてしまった。そればかりか、国際連合ができるや否や常任理事国の地位を得ている。自らの手で独裁者ムッソリーニを排除したイタリアが敗戦国の地位に甘んじているのと比べると驚かざるをえない。
その一年後、東京湾、米国戦艦ミズリー号上で行われた日本降伏の調印式には、フランスも、ちゃっかりやって来ている。さすがにドゴールは飛来できなかった。かわりに、ドゴールが右を向けと言ったら一日でも右を向いているといわれた忠実な副官ルクレルク将軍がフランスを代表して調印式に出ている。
あがってしまったのか、英語中心の中で戸惑ったのか、調印文書は一行間違えてサインし、その後ただちに帰国したと聞いている。ルクレルクも英雄の一人でパリに彼の名を付けた大通りもある。
あがってしまったのか、英語中心の中で戸惑ったのか、調印文書は一行間違えてサインし、その後ただちに帰国したと聞いている。ルクレルクも英雄の一人でパリに彼の名を付けた大通りもある。
日本にもいませんか、大政治家ドゴールのような人。戦わずして勝つ人。
《維新嵐》 安倍晋三氏などどうでしょうか?戦後のワンマン宰相吉田茂氏は「大政治家」といえるでしょうか?織田信長や豊臣秀吉、徳川家康はまちがいなくいえそうですがね。
坂本龍馬は暗殺されなければ「大政治家」として大成していたかもしれません。しかし龍馬の本意ではないでしょうね。
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