2015年9月17日木曜日

自然災害にむけての危機管理マニュアル

鬼怒川堤防決壊…米国の教訓

2005年夏、米大型ハリケーン「カトリーナ」によって水没した食料品店から商品を略奪する人々 =米ニューオーリンズ(AP)

2015.9.17 09:52更新 http://www.sankei.com/column/news/150917/clm1509170009-n1.html

先週、記録的豪雨により日本各地で堤防が決壊した。関係者は「決壊するとは思っていなかった」「これほどの範囲の浸水になるとは予想もしなかった」「夜半だったのでためらいがあった」などと釈明した。
 待てよ、似たような話を聞いたことがあるぞ。そうだ、2005年夏のハリケーン・カトリーナ。米ルイジアナ州ニューオーリンズでは堤防決壊で市の大半が水没した。米国南部で死者・行方不明者は2千人を超えた。外務省を退職した直後のことだから今も鮮明に覚えている。

 米国でも担当者は躊躇(ちゅうちょ)した。8月27日の夜中、国家ハリケーンセンター所長はニューオーリンズ市長の自宅に電話で住民の強制避難が必要と伝えたが、その時点で避難命令は出なかった。対応は不徹底、決断も遅かった。市長は州知事や連邦政府が対応すると甘く見た。これに官僚主義、煩雑な手続きも加わり、被害は拡大した。当時ニューヨーク・タイムズ紙は「全ての関係者が判断ミス、連絡ミス、過小評価を犯し続けた」と書いた。


 当時市内は銃撃、略奪、婦女暴行が多発する無政府状態だった。関係者は管理マニュアル通りの対応に終始、支援物資やボランティアの申し出を断るケースすらあった。市内全域で通信が止まり、関係省庁や地方政府間の連絡も不十分だった。当時の連邦緊急事態管理庁長官はインタビューで「予測不能だった、知らなかった」と応答、厳しい批判を浴びて更迭された。これがカトリーナ事件の概要だ。

 日本の関係者を批判するのが目的ではない。危機管理の失敗は今も世界中で起きている。されば、カトリーナ事件から私たちが学ぶべき教訓は何だろうか。

(1)初動対応が全てを決める

 誰も危機の規模を正確に予測できない。だからこそ、常に最悪の事態を考える必要がある。「夜中だった」「休暇中だった」などの言い訳は一切通用しない。初動では私情を捨てるべきだ。「危機か否か」に迷ったら、それは既に「危機」である。
 そんな時は「事態は深刻だ」と直言する部下が最も頼りになる。「イエスマン」は要らない。また、危機が起きたら誰も助けてくれない。「誰かがやってくれる」と期待すべきではない。


(2)マニュアルと現場管理

 「危機管理マニュアル」は平時の「頭の体操」と割り切る必要がある。危機の際は「マニュアル」ではなく「常識」に頼るしかないのだ。また、混乱する「現場」を「中央」は一元管理できない。部下や現場に対する指示を明確にしないと現場は動けない。危機の際情報は必ず混乱する。現場責任者に一定の権限を付与することも重要だ。

(3)情報管理の失敗

 危機の際、「広報」は「最大の武器」にも「致命傷」にもなり得る。トップの最高意思決定には常に広報担当責任者を同席させるべきだ。「十分対応できなかったこと」よりも、「嘘をついた」「知らなかった」ことの方がダメージは大きい。誤解を恐れずに書けば、メディア関係者は常に「生贄(いけにえ)」を探している。情報を発信しない組織はターゲットになる。まして、情報を操作しようとした組織は必ず報復されるだろう。


(4)結果責任

 政治は結果であり、部外者は関係者の結果責任を求めている。だが、結果を出すためには行動が不可欠だ。「思考するだけで失敗しない部下」よりも、「行動して失敗する部下」の養成・慰労・処遇が重要である。それでも政治判断に迷う場合は常識、すなわち「普通の人の普通の感覚」を考えるしかない。

 以上がカトリーナ事件の教訓だ。
 ちなみに当時米国では誰も謝罪せず、トカゲの尻尾切りで幕引きとなった。その点、日本の対応の方がはるかに誠意があると思うのだが。


【宮家邦彦のWorld Watch】より

【プロフィル】宮家邦彦

 みやけ・くにひこ 昭和28(1953)年、神奈川県出身。栄光学園高、東京大学法学部卒。53年外務省入省。中東1課長、在中国大使館公使、中東アフリカ局参事官などを歴任し、平成17年退官。第1次安倍内閣では首相公邸連絡調整官を務めた。現在、立命館大学客員教授、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。


《維新嵐コメント》平時にどれだけ有効なマニュアルを策定していても、いざその時、有事になると取り乱して混乱し、動けなくなってしまうのが人間である。
 人としてのこうした性質は、特別な危機管理の訓練をうけていても簡単にあらためることは難しいものと考える。
 だからこそ個人や各家庭の単位で構わないので、家族が集まれるように有事の集合場所を周知させておく、緊急時に使える金銭はどこに保管されているか、支援物資が届くようになるまでの食糧や水の貯えを少しでもしておき、場所と役割を確認しておくということだろうか。
 鬼怒川の堤防決壊のような事例は、今後全国的に堤防だけが命の綱という比較的低い土地に住む人たちにとって、絶好の「マニュアル」を結果的に示したことになるのではないか?
 本当の意味での災害への「強靭化」とは国が示してくれる法案ではなく、国民一人一人の意識の中にあるものであろう。

 さらに居住する家屋の「強靭性」が結果的に命を救う、安心感を有事にもたらした例についてあげてみたい。
 名古屋市において河村市長による名古屋城天守閣の老朽化に伴い、木造建築で天守閣を再現しようという動きがおこっているが、こうした危機管理的な発想を無視した、単なる「歴史的な回顧主義」では、ただ建築予算や維持費の高騰と将来的な負担を増すだけである。
 天守閣は戦国時代から落雷による火災、戦災による被害にあってきた。
そこに頭を悩ませてきたからこそ江戸幕府は、江戸城の天守閣を当時最も優れた耐火建築である「漆喰」による壁と瓦葺で建築したが、それでも明暦の大火で焼失してしまったのである。

 優れた建築とは、インテリア性、美的感覚も大切な要素であろうが、最も重要なことは、人の命を有事的な状況からどう守れるのか、ということではないだろうか?


激流に耐え命救った白い家、胸中にあったのは大震災
日刊スポーツ2015914()1023分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150914-00000071-nksports-soci

 関東・東北水害で、大きな被害が出た茨城、栃木両県では13日も行方不明者の捜索が続き、新たに男性3人の死亡が確認された。このうち1人は、茨城県常総市が鬼怒川の堤防決壊前に避難指示などを出していなかった三坂町で発見された。同市高杉徹市長は記者会見で「行政上のミスだった」と認めて謝罪した。一方、三坂町の住宅が流される中で、一軒の白い家がそのままの形で残った。ネット上では、頑丈な家が危機的状況にあった近隣住民の命を守ったと話題になった。
 常総市三坂町の堤防決壊現場で、周囲の住宅が流されたり半壊する中、1軒の白い家がそのままの形で残った。流れてきた家を受け止め、さらには濁流の中、電柱につかまった男性が助かった要因になったとみられている。電柱は、白い家のすぐ下流に立っており、家により水流も弱まったとインターネットなどでたたえられている。
 この様子は、テレビ中継され、ネット上でも「あの白い家はすごい」と、話題になった。家の持ち主、中沢和弘さん(44)によると、3年前に新築したという。中沢さんは、「東日本大震災があったので、妻と相談して地震に強い家にしたかった」と、建築理由について明かした。この家は鉄筋2階建てで、基礎部分にはコンクリートの基礎の他に、18本のくいが地中に打ち込まれているという。
 堤防が決壊した時には、中沢さんの妻と2人の子どもが家にいた。中沢さんは「この家なら大丈夫。外に出るより家の中にいた方が良い」と、家族に指示したという。流されてきた家を受け止めた時には、大きな衝撃だったというが、外壁も無事。その後、家族はヘリコプターで救助された。1階部分が浸水し、基礎部分の土もえぐられたため、すぐに帰宅はできないが、中沢さんは「何より家族が助かったので良かった」と語った。
 この日、現場を見に来たという、施工した旭化成ホームズの「ヘーベルハウス」の関係者は「家の方が無事で良かった。再建には、できる限り協力したい」と話した。
《維新嵐コメント》別にヘーベルハウスの宣伝をしたいわけではなく、最悪の危機管理を想定したうえで、新築をされたことは注目に値します。助かってよかった、という感慨があとでもてる家を造れることが重要なことでしょう。

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