【世界に称賛される自衛隊】
「信頼」は最大の“防御兵器”テロを防いだヒゲの隊長ら自衛隊員
井上和彦
■井上和彦(いのうえ・かずひこ) ジャーナリスト。1963年、滋賀県生まれ。法政大学卒業。専門は、軍事安全保障・外交問題・近現代史。「軍事漫談家」の異名も持つ。産経新聞「正論」欄執筆メンバー、国家基本問題研究所企画委員などを務める。第17回「正論新風賞」受賞。主な著書に『日本が戦ってくれて感謝しています』(産経新聞出版)、『東日本大震災 自衛隊かく闘えり』(双葉社)、『撃墜王は生きている!』(小学館)など多数。
「ヒゲの隊長」こと佐藤氏(中央)は、イラク・サマワの人々から信頼された。
2003年に成立した「イラク特措法」に基づき、自衛隊はイラク戦争で荒廃した同国の人道復興支援任務を09年まで実施した。特筆すべきは、各地でテロリストの攻撃
を受け、最終的に約4500人の戦死者、約3万2200人の戦傷者出した米軍に比べ、自衛隊は1人の死傷者も出さなかったことである。
イラク南部サマワで06年まで活動した陸上自衛隊は、戦車や火砲など重装備を持ち込まなかった。武器使用の要件も、正当防衛や緊急避難などに限定されていた。テロリストからすれば、これほど攻撃しやすい相手はいなかった。
だが、自衛隊が到着前から、サマワでは小泉純一郎首相(当時)の似顔絵入りの垂れ幕が登場するなど、歓迎ムード一色だった。イラク暫定政権のヤワル大統領(同)が「自衛隊はイラクで活動する外国部隊の中で、最も歓迎されている」と語るほどだった。
産経新聞は04年7月11日、以下のようなニュースを伝えている。
先遣隊として派遣された、通称「ヒゲの隊長」こと、第一次復興業務支援隊長、佐藤正久1佐(現・自民党参院議員)の帰国時には、別れを惜しむ周辺の部族長から族長衣装が贈られ、「サミュール・サトウ」(同胞の佐藤)というアラブ名まで送られた。
米CNNテレビは、サマワ住民約70人の自衛隊宿営地へのデモを報じた。何とデモ隊は日章旗を持ち、「サマワ市民と自衛隊で安全な街を再建しようと」と書かれた垂れ幕を掲げ、佐藤氏に花束を贈ったのである。
佐藤氏は、族長たちの要望によく耳を傾け、親身に世話をした。ある有力な族長は次のような布告を出した。
「日本軍を攻撃したら一族郎党を征伐する」
産経新聞は同年11月12日、サマワ市民による「自衛隊駐留継続懇願デモ」も伝えている。米軍と武装勢力の激しい戦闘が行われていた同月11日、市民約140人が自衛隊の宿営地にやってきて駐留継続を訴えた。「NO、テロリズム」「自衛隊に感謝」という横断幕を持っていた。
もう1人、第1次イラク復興支援群長、番匠幸一郎1等陸佐(当時)という名指揮官がいた。番匠氏は部下に訓示した。
「国家の再建と復興に懸命に取り組んでおられるイラク国民の方々に、夢と希望をもって頂けるよう、各国と協力しながら、日本人らしく誠実に心を込めて、また、武士道の国の自衛官らしく規律正しく堂々と、与えられた任務の完遂に全力を尽くしたい」(『武士道の国から来た自衛隊』産経新聞社)
陸上自衛隊は、常にイラクの人々と同じ目線で接し、厳しい規律の下で任務を完遂した。地元の人々の輪の中に飛び込み、病院や学校、道路、橋などの復旧・整備、医療支援に給水支援などを誠実に続けた。
自衛隊員の姿勢は高く評価され、結果として自衛隊員の安全確保に大きく貢献した。自衛隊は、地元住民の「信頼」という最大の“防御兵器”でテロ攻撃を防いだのだ。
【維新嵐】平成29年6月に対テロ準備法が国会において可決しました。ISISは我が国がアメリカやNATOといった欧米各国とテロとの戦いにおいて協調している点を「十字軍」に加わったとして、二人の日本人を無慈悲に殺害し、我が国にテロの脅威を加え続けています。
テロリズム、とりわけ一般社会での市民を対象にしたテロリズムは、否応なく多くの市民の日常生活を破壊し、恐怖と憎しみの連鎖を作り出して、国家機関に対してゆさぶりをかけてきます。その力は、超大国アメリカの通常戦力の蓄積でも勝てないことがイラクやアフガニスタンで実証されています。
いわゆる民族的なアイデンティティに起因するテロには、通常戦力や核兵器以外の「戦争」の形態、戦い方が不可欠であることが、我が国のイラク支援ではばからずも実証されました。
自衛隊は、国際復興支援、人道支援、緊急災害支援活動では、世界をリード(指導)できる立場にいます。軍事力で相手をねじ伏せるわけでもなく、隣人に対する感謝、復興への思いの共有、寄り添う思いやりという「無形の力}が自衛隊、ひいては日本人の「武器」ともいえます。「非武装」な状態で相手に胸襟を開いて思いを共有していく、情報を集め、どこにどういう必要な支援をするか検討し、必要なだけの支援を行って見返りは求めない。我が国の「国際支援」は、武力行使や威嚇ではなく、我が国の歴史的立場に立脚した寄り添う支援という「型」がなければいけません。兵装備をひけらかす支援は我が国になじまないやり方といえるでしょう。
陸上自衛隊編
イラクで放映された陸上自衛隊CM 1
القوات اليابانية التي ساعدت العراق
2007/06/05 にアップロード
自衛隊イラク派遣の真実。これを見れば自衛隊がいかに現地で歓迎されたかがわかります。
日本の放送局では絶対に放映されないCMです。
https://youtu.be/dfWSNSKtfz4
VIDEO
イラクで放映された陸上自衛隊CM 2
القوات اليابانية التي ساعدت العراق
2007/06/06 にアップロード
自衛隊イラク派遣の真実。これを見れば自衛隊がいかに現地で歓迎されたかがわかります。
https://youtu.be/GMInUr3bxyQ
VIDEO
イラクで放映された陸上自衛隊CM 3
القوات اليابانية التي ساعدت العراق
2007/06/05 にアップロード
自衛隊イラク派遣の真実。これを見れば自衛隊がいかに現地で歓迎されたかがわかります。
日本の放送局では絶対に放映されないCMです。
https://youtu.be/59MccamIess
VIDEO
【KSM】イラク・サマワ市民に愛された自衛隊前代未聞の感謝デモ
Ver.2
2015/07/19 に公開
https://youtu.be/2lykPhPOreg
VIDEO
航空自衛隊編
【航空自衛隊】イラク人道復興支援活動の軌跡 2003-2008・前半[桜H22/4 /26]
2010/04/27 にアップロード
イラク復興支援特別措置法に基づき、平成15年12月の編成完結式を経て派遣され、クウェート国内の飛行場を拠点として、平成16年3月から平成20年 12月まで、計821回に上る輸送をC-130にて行った、航空自衛隊によるイラク人道復興支援活動の概要を お伝えします。
[映像提供:航空幕僚監部広報室]
https://youtu.be/YrS7cIi4S5c
VIDEO
【航空自衛隊】イラク人道復興支援活動の軌跡 2003-2008・後半[桜H22/4 /27]
2010/04/27 にアップロード
イラク復興支援特別措置法に基づき、平成15年12月の編成完結式を経て派遣され、クウェート国内の飛行場を拠点として、平成16年3月から平成20年 12月まで、計821回に上る輸送をC-130にて行った
https://youtu.be/IVTZRecE0JQ
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