2015年10月31日土曜日

米中大戦勃発か!?元陸自幕僚幹部松村劭氏の「米中戦略観」

米中の戦略的関係

元陸上自衛隊幕僚幹部 元米国デュピュイ戦略研究所東アジア代表 
松村劭
2005.09.15

 9月13日、ワシントンで北京政権の胡錦涛国家主席とブッシュ大統領が会談した。両首脳は、それぞれ自国の言い分を主張して合意するものは何もなかった。朝鮮半島の非核化に同意したというが、軍事的には無意味な同意である。自由・平和政権にならない限り、北朝鮮に一切の核手段を与えないという米国の主張と北京の主張は折り合わなかった。
  北京政権の人々は米中関係を戦略的関係という。しかし、その中身の説明はない。その関係は明らかに次の三つの関係である。


  第一は、海洋国家と大陸国家の対立である。特に台湾を含む西太平洋の制海権を米国が握って放さないことである。
  第二は、自由主義政権と独裁政権の対立である。米国の自由主義の輸出という白い革命の脅威に北京は困っている。
  第三は、米国のアジアにおける覇権の現状維持に対する北京の中華思想による現状打破の挑戦である。朝鮮半島から米軍を追い出し、沖縄から米軍基地を撤収させ、ASEAN諸国に嫌米の風を吹かせることである。 


  このような構造的戦略関係にあるかぎり、そしてソ連が再興しないかぎり、「戦略的米中結託」は夢想であろう。便利主義による一時的な対米の「中ロ結託」の方が戦略的に妥当である。
  米国が中国と友好になるのは、中国が屈服して、その巨大な人口マーケットを米国経済界の意のままに明渡したときである



日中戦争の防止策(平成19年3月)



北京の対日政策

元陸上自衛隊幕僚幹部 元米国デュピュイ戦略研究所東アジア代表 
松村劭
2005.09.15

 福沢諭吉の「脱亜入欧」の思考様式を借りてみよう。大河を挟んで白人国家群の岸辺と、その対岸に黄色人種の国家群があると想像してみよう。福沢諭吉は、日本を白人国家側の岸辺におくことを主張した。
 今日、北京が日本を見る眼は、河の向こう岸に立つアメリカの覇権下に抱かれた日本と見えるだろう。そこで北京の対日政策の基本的選択案を考えてみよう。それは日本の選択肢そのものでもある。


(
第一案) 日本は北京側の岸辺に移る。
(
第二案) 日本は河の中洲に移る――日本の中立化
(
第三案) 日米は太平洋の両端において対等同盟する。
(
第四案) 日本は米国の翼に下で保護されつづける。――現状維持案


  北京にとって最も望ましいのは、第一案である。次案は第二案だ。北京にとって最も都合の悪い案は第三案である。日本の指導者が安全保障戦略もなく、国内における権力争奪にううつを抜かしている第四案なら、引きつづき日本国内の対外政策を混乱させればよい。
  日本にとって、最悪の案は、第二案である。中立といえば格好がよいが、国際的に孤立する。それは滅亡への駆け足にほかならない。次案は第四案である。とにかくアメリカの傘下で、ヘコヘコしながら日米にお世辞笑いするたけである。明日の日本がどこへ行くかも見えない。
  第一案を選んで、日中同盟 ・協商路線をとれば米英の対岸に立つ。それだけの覚悟があるか  将来不安な北京政権と抱き合って地獄に落ちるかもしれない。日露戦争12年前の日本国民の選択は賢明であったのだが――
  最良の案は、第三案である。それは大西洋を挟んだ米英関係の太平洋版となる。しかし、これの案が成り立つためには、日本が整えなければならない三つの条件がある。その条件は、 第一に、日本の首相が米国大統領から信頼と尊敬を受けるに値する国際戦略能力があることである。それは太平洋における外交と軍事の戦略であり、その会話に耐えうるだけの歴史的知識をもっていること
である。
  第二に、日本の首相は西太平洋諸国の指導者たちの村意識として指導的立場を築いていることである。もっとも日本と朝鮮半島の二つの国とは竹島問題が棘になっいてるので、双方は河の対岸に立っているから対立的であるのは仕方がない。 第三に、西太平洋における制海権の確保について軍事的に日米
共同作戦を実行できるように、作戦機能的に自立的な能力を持っていることである。もちろん核の傘は米国に依存することが前提になる。
  こうして見ると、米中関係が「戦略的関係」なら「日中関係も戦略的関係」にほかならない


「大国」の狭間にある国家の防衛のあり方

カナダ国民の選択は「米国の軍事的属国にはならない!」~米国主導のIS爆撃からカナダ軍が離脱
空中給油中のカナダ軍CC-150Tポラリス。カナダ軍はなぜIS爆撃ミッションから離脱することになったのか

20151019日、カナダ総選挙が実施され、野党第二党の地位に甘んじていたカナダ自由党(中道左派政党)が勝利した。これにより、10年間政権の座にあったカナダ保守党(中道右派政党)ハーパー政権に終止符が打たれた。
 若き党首ジャスティン・トルドーが率いるカナダ自由党はなぜ空前の大勝利を収められたのか。その最大の理由の1つが、「アメリカ主導によるISに対する爆撃からカナダ軍を離脱させる」というカナダ自由党の主張であった。
祝電をかけたオバマ大統領にトルドー次期首相は・・・
歴史的大勝を収め、次期首相となるトルドー党首にオバマ大統領が電話で祝福を述べた際、トルドー氏は「カナダ自由党の選挙公約通り、カナダ軍はISに対する爆撃ミッションから離脱する」とオバマ大統領に伝えた。
 オバマ大統領は、カナダ国民の意思決定に対して理解の意を表明した。ただしカナダでの選挙期間中、アメリカ側は、TPP合意とIS爆撃に対するカナダ政府の立場が選挙によって大幅に変更されてしまうことに対して、強い懸念を表明していた。
もっともアメリカ国防当局によると、カナダ空軍による爆撃がストップしたとしても戦局に大きな影響は出ないとしている。しかしながら、ISと戦闘を交えているクルド武装勢力などからは、カナダ軍が戦線から離脱することに対して失望の声が上がっている。
 まして、ロシア軍による爆撃やミサイル攻撃を含む本格的軍事介入が開始された現在、主導権を維持したいアメリカにとって手痛い打撃になることは必至である。
なぜIS爆撃を中止する選択をしたのか
カナダでは国民の過半数が、カナダ軍によるISに対する爆撃からの離脱に賛成した。その表向きの理由は、アメリカ主導の対IS戦闘ミッションに参加するために莫大な費用がかかってしまっているということである。
 それと関連して、アメリカ主導のIS爆撃ミッションの効果に大きな疑問も呈された。すでに1年近くも“IS主要軍事拠点”に対する爆撃を継続してきているにもかかわらず、ISの勢力は依然として健在であると。爆撃により本当にIS中枢に深刻な打撃を与えているのか? ということである。
(カナダ軍は201494日、アメリカ主導のIS軍事作戦に参加して以来、20151021日までに、CF-18ホーネット戦闘機による爆撃のための出撃が1055回、CC-150Tポラリス空中給油機による出動が287回。連合軍機に対して1700万ポンド以上の燃料を供給し、CP-140オーロラ哨戒機による偵察出動は305回に上っている。カナダ軍の軍事作戦は「IMPACT作戦」と呼ばれている。)

 アメリカにとっては幸いなことに、トルドー政権になってもTPPに関しては大幅な変更は生じないようである。しかし、アメリカ主導のIS爆撃からカナダが離脱することは大きな問題である。1カ国でも“仲間”の数が多いことを望んでいるアメリカにとっては好ましからぬ選挙結果となってしまったようだ。
(ちなみに、イラクならびにシリア領内のIS爆撃を実施しているのは、アメリカ、オーストラリア、カナダ、フランス、ヨルダン、モロッコ、イギリスの7カ国。イラク領内だけのミッションに参加しているのはベルギー、デンマーク、オランダ。シリア領内だけ参加がバーレーン、カタール、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、トルコである。)
カナダ軍CF-18ホーネット


 また、イスラム過激派に対する戦闘への参加にともなって、ハーパー政権が「反テロ法」(Bill C-51)という様々な法令を修正し、カナダ安全情報局(CSIS)の権限を強化したことに対する反感も大きかった。
 要するに、カナダ保守党ハーパー政権による「アメリカに追随した強権的反テロ政策」に対してカナダ国民がNOを突きつけた結果が、カナダ自由党の大勝であった。
 加えて、トルドー次期首相が公約している対IS姿勢が、カナダの伝統的な対外政策への回帰につながるとの期待も、カナダ国民の大きな支持を勝ち取った要因の1つと考えられる。
軍事的属国に陥りたくないカナダ
カナダは、経済的にも軍事的にもカナダを圧倒するアメリカと陸上国境線で接している。だからこそカナダには、「日本のようにアメリカ“ベッタリ”の外交政策をとっていると、アメリカの軍事的属国に陥ってしまう」という危機意識が伝統的に存在している。
 そのようなカナダの伝統的な外交政策の1つに、国連主導のPKO活動など戦闘自体を目的としない軍事作戦に積極的にカナダ軍を派遣する、というものがある。
 もちろんカナダはNATO加盟国であるので、NATO条約上の義務を果たすための戦闘活動にはカナダ軍を参加させてきた。ただし、あくまでカナダ軍の海外展開は、非戦闘的活動が主体であるというのが伝統的な立場であった(ただしカナダ軍の非戦闘的活動は、日本で用いられているおかしな“非戦闘”とは似て非なる国際標準の意味での活動である)。


しかし、アメリカ主導の世界的対テロ戦争が勃発すると、NATO条約上の集団的自衛権(義務)によって、アフガニスタンでの激戦地区への地上部隊の投入をはじめとして、戦闘ミッションへの参加の比重が増大してきた。
 そしてハーパー政権下において、NATOや国連の要請ではないアメリカ主導の対IS戦争への参加(IMPACT作戦)に踏み切ったのである。
 このような、アメリカに引きずられた形での“アメリカ的”な国際紛争への軍事的参加の継続によって、“カナダ的”な軍事的国際貢献であるPKO活動などに対する参加の割合は劇的に低下してしまった。
 現在、カナダ軍が派遣しているPKO部隊の規模は、世界で66番目という小規模な人数レベルまで落ち込んでいる。予算規模も軍隊の規模も小さなカナダ軍にとって、“アメリカ的”戦闘任務と“カナダ的”PKO任務を共にこなすのは不可能である以上、これは当然の帰結と言える。
 保守党政権に「NO」を突き付け、「アメリカ主導のIS爆撃ミッションからの離脱」を選択した多くのカナダ国民は、カナダの外交姿勢がアメリカ追随的なものから脱却して、かつての“カナダ的”なものへと回帰することを期待している。
 ジャスティン・トルドー氏の父である名宰相ピエール・トルドーは、アメリカとは一線を画した外交路線を推進した。若い指導者ジャスティン・トルドーも国民の期待に答えて“カナダ的”外交安全保障路線を実現できるかどうか、政策と指導力が問われることになる。
アメリカ追随だけが日米同盟の強化と考えるのは危険
 カナダとアメリカは日本以上に緊密な同盟国である。しかし、カナダ国民は決してアメリカ“ベッタリ”の安全保障政策を良しとはしなかった。


一方、昨今の日本の安全保障政策は、アメリカ軍戦略家たちからも「これでも立派な軍事組織を擁している独立国か?」と驚きの声が漏れ聞こえてくるほどアメリカ“ベッタリ”の度合いが強まっている。
 カナダとは安全保障環境が全く違う日本では、アメリカ“ベッタリ”の安全保障政策から脱去するのは甚だ困難な状況に陥っている。それは、憲法9条の存在を隠れ蓑として、経済的にも戦略的にも血の滲むような努力が必要となる自主防衛努力を欠いてきた日本政府と日本国民の多数意見であったのだから致し方ないのかもしれない。
 しかし、自国自身の軍事力が相対的に弱体化しているアメリカは「使えるものは何でも使う」方針に転換している。そのため、アメリカ“ベッタリ”の日本が積極的に自衛隊を海外に展開させる方針に転換したこの好機を見逃す道理がない。
 あの手この手で自衛隊を国際舞台に引きずり込んでしまえば、カナダ軍が爆撃ミッションから離脱するような事態が世界各地で発生しようがさしたる戦力低下につながらないと期待して日本に外圧をかけてくることは必至である。
 アメリカ追随だけが日米同盟の強化であると考えるのは、あまりに安易、稚拙であり、危険ですらある。
 今こそ日本は、カナダが隣国アメリカの軍事的従属国にならないようにと心している姿を少しでも見習って、アメリカの軍事的従属国の地位から離脱するために、自主防衛戦略の構築へと舵を切るべきである。

《維新嵐》
 北村氏の論文のご主旨はよく理解できるが、正直感じることは、我が国とカナダでは、地政学的な条件が違うのではないか、ということである。
 基本的に大国と大国に挟まれた、すなわち大国同士の国防圏の狭間にある国家というものは、歴史的にみて一方の大国と同盟関係か従属関係になることが多い。
 我が国の例からいえば、戦国時代の大内家と尼子家の狭間にあった毛利家や今川家と織田家の間にあった徳川家があげられるだろう。
 毛利家は、伝統的に大内家と従属関係にあったし、徳川家(松平家)は、二転三転したが最終的には今川家と従属関係になっている。
 経済力、軍事力など総合的な国力が違いすぎる点や反目する大国勢力の狭間で生き抜くための非常措置もいえなくもないが、言い換えれば一方の大国に独立を維持するために、もう一方の大国を政治的に利用しているともいえる。
 我が国は第二次大戦では、国策を誤って軍事経済大国からその国力をおとしめてしまった。そのため戦争当事国であるアメリカ軍を政治的に受け入れることで、天皇を象徴とする君主制国家の形を維持する方向で独立を担保したのである。
 北には、ソビエト連邦という強大な政治的思想の異なる勢力が存在したが、民主主義自由主義的価値観が近しいアメリカの支配を受け入れ、独立後も軍事同盟関係になることで独自の国防圏、独立を維持してきた。
 これはまさに先の毛利家や徳川家と同じことであろう。
歴史的に思想的に近しい隣国と同盟し、国家を守ることは、独立国家としての地位を守るための「知恵」と「工夫」であって犯罪ではない。ただ国力が違いすぎるために「従属関係」になっているだけである。
 そしてそのような戦略的な従属関係が、国防に資することになるのである。
 現在の我が国は、国際的に誰もが認める、国力の高い先進国となった。だから日米関係も見直して、対等な同盟国として関係を再構築し、在日米軍には撤退していただけるのが理想的なのであるが、国際的な手枷足枷をかけられており、国防のために核兵器の保有ができない、独自に戦闘機や爆撃機の開発生産ができないために、占領統治時代の支配者であるアメリカから装備品を購入し、在日米軍の駐留により、自国の防衛抑止力のたらないところを補っているのである。
 だから在日米軍については、北東アジアでのアメリカの既得権を守るという任務が、我が国の守る国益と重複することをうまく利用して、またアメリカが国策を変更してアジアから逃げないように「思いやり予算」という駐留経費を負担してまで、「人質」として担保されているという見方もできるであろう。
 対してカナダは、隣国をアメリカという超大国に挟まれているものの国防上、ロシアの脅威の緩衝地帯になってもらっている形になっている。アメリカにとってもカナダは北の国防上、不可欠な存在である。
 総合国力はアメリカの方が大きいから、アメリカに従属した形になっているが、安全保障上アメリカに対して極端に卑屈になることもない。NOはアメリカに対していえる国だと考えられる。
 アメリカ、ロシア、共産中国という超大国のはざまにあって軍事、政治の微妙バランスをとらなければ国際的な秩序を保てず、北朝鮮からも工作員をおくりまれて邦人を拉致されてしまう我が国とは、まるで状況が違う。
 何でも自前の防衛力で守れるわけでもなければ、今や同盟国、関係国との協力関係を構築できなければ主権は守れないのである。
 保守思想の方に申し上げたいことは、戦後アメリカに言論弾圧されたり、思想統制されたり、憲法までアメリカにおしつけられた、といいますが、占領支配されながらも非力な軍事力になってしまった日本国の政治家が、いかにアメリカの軍事力を活用することで国防に利用してきたか、今一度お考えいただければ、と思います。
 


オーストラリア軍の運用とドクトリン

(財)DRC研究専門委員
井川宏

はじめに

統合の必要性及びその運用のあり方については、自衛隊創設以来種々検討されてきたが、統合幕僚会議は設置されたものの、運用についての具体的な進展はなかった。しかし、冷戦終結後は、自衛隊の活動がわが国の領域内に止まらない場合も考えられるようになったことも影響して、統合運用の必要性が強く認識されるようになった。その具体的な現れとして、昨平成1412月には、統合幕僚会議が「統合運用に関する検討」成果報告書を公表した。今後はこの検討結果を現実の施策として実現する段階であろう。
統合運用は、米国をはじめとするほとんどの先進国軍隊で実施されているが、その実態は国により幾分の相違がある。本項では、軍の運用構想の変遷などにわが国と相通ずる面のあるオーストラリアを取り上げた。その戦略思想の変遷と現在の運用の実態を、公式の出版物であるドクトリンで探り、わが国の統合運用考察の参考に供したい。

1.オーストラリア軍事戦略の歴史

1901に連邦が成立して以降、オーストラリアは大別して4種類の軍事戦略を採用してきた。すなわち、大英帝国(1931年以降は英連邦)防衛への統合(1901-42年及び1945-69年)、前方防衛(1955-72年)、オーストラリアの防衛(1973-99年)、及び地域の防衛(1997年以降)である。これらの軍事戦略の変更は漸進的であり、変更の際には重なりがあった。それぞれの戦略は、その時代の環境を反映しており、国内の経済、社会、及び政治情勢に大きく影響されている。しかし、全体に通じる共通の主題は、オーストラリア本土に対する直接の脅威の発生に先んじて備えようとするものである。
これまでのオーストラリアの戦略に関する政策論争は、大陸の防衛と前方防衛というコンセプトのどちらを中心にするかということであった。歴史的には、オーストラリアは、同盟国との集団安全保障条約に頼っている。
大英帝国、そして後には英連邦の防衛戦略の下では、オーストラリアは、オーストラリアの陸上の要地を守るための、少数でその大部分は非常勤の陸軍と、全世界的な役割を担っている英国海軍の一要素として組み込まれることになっている海軍を保持していた。英国の戦略的なシーパワーが、オーストラリアの戦略的及び地域的安全をもたらした。オーストラリアは、大きな英連邦軍の分遣隊として戦うための臨時の遠征陸上部隊を徴募することで、主要な戦争に対応した。1920年代と1930年代に、この戦略は、軍および政府の中で激しく議論された、シンガポール戦略として知られる単一の戦略的賭博に過度に集中することとなった。その採用は、オーストラリアが戦略的な独立を保持するために必要な陸海空戦力への投資に政府が反対であることを意味した。
日英同盟が1921年に破棄され、それが敵対関係に変わると、大英帝国の防衛戦略に頼ることはできなくなった。英国の経済力が低下したために、英海軍と英空軍は、ヨーロッパと東方の両方に十分な兵力を維持することはできなくなった。1942年始めにおける日本によるシンガポールの占領は、1920年代と1930年代を通じて陸軍と空軍の上級士官によって提起されていた懸念を立証した。
1941年から1942年の間に、オーストラリアはその限られた資源をオーストラリア本土の防衛のためにつぎ込んだ。本土への攻撃が繰り返された結果、始めてオーストラリアへの侵攻の恐れが現実のものとなった。この経験によって、政府はオーストラリアの安全保障に対する東南アジアと南西太平洋の群島の重要性に注目するようになった。太平洋の戦いで共に戦った米国とオーストラリアは、重要な同盟国となった。1942年の事象は、オーストラリアに、強力なパートナーとの同盟と十分な自助の手段とのバランスの取れた安全保障の必要性を強く認識させた。
第二次世界大戦後オーストラリアは、第二次世界大戦の経験とオーストラリア政府がアジアの不安定さに注目したこととの両方を反映して、次第に前方防衛の戦略を取るようになった。侵略戦争や反乱の支援などによる共産主義の拡散及び東南アジアの新しい民族国家の弱体さが大きな問題であった。1960年代中期には、オーストラリアは英国への依存から米国との同盟に完全に移行した。第二次世界大戦後における、小さいが即応性の高い常備陸軍と、広く展開できる海空の兵力の創設もまた、オーストラリアの防衛における自助努力の増強の必要性を認識した結果である。
1970年代におけるベトナムでの戦略的な失敗は、オーストラリアと米国の両方によるアジアの同盟国へのそれぞれの国による直接支援のコミットメントの再評価をもたらした。ニクソン大統領の1969年グァムドクトリンは、米国がアジア太平洋地域にコミットするとしても、地域の諸国は米国の戦闘部隊がそれらの国の防衛に関与することは求めないということを既に指摘していた。
1971-72年のオーストラリアのベトナムからの撤退、並びに1973年のシンガポール及び1985年のマレーシアにおける前方基地設置の結果、徐々にではあるがオーストラリア軍事戦略の再評価が行われた。この再評価は、東南アジアの大部分における戦略的、経済的安定の増大と期を一にするものであった。1960年代後期におけるオーストラリア砦概念の論争に始まったこの移行のフェーズは、Defence of Australiaと名づけられた戦略が作成され採用された1986年のDibb Reviewで最高点に達した。Defence of Australiaは、オーストラリア北部に接する海空ギャップと呼ばれる場所における敵の撃滅に努力を集中した縦深防御のコンセプトを再び明確にした。
けれどもオーストラリアのStrategic Review 1993以後、オーストラリアは全般としては安全保障上の要求に合致したより積極的な方向に向かった。Australia’s Strategic Policy 1997に始まり、国防白書Defence 2000: Our Future Defence Forceの中に展開されているのは、どこでそしていかなる環境の下で、オーストラリア本土及びオーストラリア国益の直接の防衛が実際に始まるのかについての長期にわたる再評価である。現在公表されているオーストラリアの国防政策は、地域の安全保障によるオーストラリアの安全保障である。脅威が最初に現れたときに、オーストラリアは地域の諸国と共同してともに対処し、オーストラリアの戦略空間を最大にすることで生じつつある潜在的な脅威を避けるための最善の位置を確保するのである。
現在のオーストラリアの戦略政策は、オーストラリアの国防は特に群島とオーストラリアの北部及び北東部(近い地域)の海陸空ギャップに密接に関わっていること及びオーストラリアの安全保障はより広いアジア太平洋地域と相互に依存していることを認識した、海洋コンセプトの戦略に基づいている。
同時に、1990-91年の湾岸戦争や1993年のソマリアにおける安定作戦のような、多くの米国主導の連合部隊へのオーストラリアの参加は、同盟国への支援及び国連憲章に述べられている集団安全保障の原理を通しての、より広い世界の安定へのオーストラリアのコミットメントを示している。
この活発な地域的アプローチと連合へのオーストラリアのコミットメントとによって、東チモール作戦に代表される国連平和維持使命へのオーストラリア軍の参加が増大している。

2.オーストラリア軍ドクトリンの構成

前項のオーストラリアの戦略が、どのような運用によって遂行されるかをドクトリンによって見ることにするが、その前に先ずドクトリンの構成について紹介する。
オーストラリアの軍事ドクトリンは、武力紛争の性質、役割、及び実施についての思考の母体である。オーストラリア軍(ADF)のドクトリン出版物は大きく二つに分類される。すなわちオーストラリア軍のドクトリン出版物(ADDP)と各軍種のドクトリン出版物である。ADDPは、国防軍司令官(CDF)の権限の下で作成され、ADF全般で使用されるものである。ADDPは、CDFによる統合作戦の実施に関すること、又はADF全般にかかわることをカバーする。ADDPはそのレベルによって、①キャプストン・ドクトリン(戦略レベル)、②キーストン・ドクトリン(戦略/作戦レベル)、③その他の統合ドクトリン(作戦レベル)、の3段階に分けられる。
キャプストン・ドクトリンは、ADFのドクトリン体系の最上位に位置する。その最新のものは、20024月に作成された「オーストラリア軍事ドクトリンの基盤」(ADDP-D-Doctrine)であり、ADFの能力の開発と使用のための戦略的な指針を提供する。キーストン・ドクトリンは、統合参謀部の参謀部毎の区分に従って分けられている作戦レベル以下のドクトリンの最上位に位置するものを指し、その分野についての哲学的な思考を提供する。その他の統合ドクトリンは、キーストン・ドクトリンの下につながるもので、軍事能力の適用についてのドクトリンである。
各軍種のドクトリン出版物は、海軍、陸軍、及び空軍のために作成される。これらの出版物は、各軍種の観点からの軍事作戦の戦略、作戦、および戦術レベルをカバーする。
しかして、これらの統合ドクトリン及び各軍種のドクトリンは、ADDP-Dを頂点として首尾一貫している。

3.ドクトリンに見るADFの運用

本項では、ADFドクトリンの頂点にあるADDP-Dの記述によって、ADFの運用について見ることにする。

(1)国政レベル
国防は、憲法で定められたオーストラリア政府の責任である。ADFの運用は、文官の権威者によって執り行われる。ADFは政府に対して責任があり、政府は議会を通してオーストラリア国民に対し責任がある。
戦略的な国防政策を策定することについての憲法上の責任は、疑問の余地はなく議会と首相にある。この権限は次の機関によって執行される。
      内閣
      内閣の国家安全保障委員会、構成員は首相(議長)、副首相、国防大臣、外務大臣、財務長官及び法務長官
      国防大臣、大臣は内閣及び内閣の国家安全保障委員会の決定に従うことに注意
内閣及び内閣の国家安全保障委員会によるADFを派出する決定には、政府全体の合意が必要である。
1903年国防法第8項により、国防大臣はADFの一般的な統制と管理を行う。
1903年国防法第9項により、総督は国防軍司令官(CDF)を任命する。CDFADFを指揮する。
1903年国防法第9A項により、国防省長官とCDFは、ADFの指揮に関する事項及びその他の大臣によって命ぜられた事項の他は、共同してADFを管理する。CDFと長官は、その権限を大臣の命令により行使する。
オーストラリア憲法第2項及び第61項により、連邦の行政権は女王に属し、女王の名代である総督によって全面的に行使することができる。
憲法第68項によって、女王の名代としての総督が、連邦の国防軍の最高指揮官となる。最高指揮官として総督は、大臣の助言を得て単独で務める。
執行権力は、選挙で選ばれた政府にある。女王及び総督に委託され、そして明らかに軍事指揮権が総督に与えられているけれども、法律の下で総督はただのADFの名目上の指揮官である。女王も、そしてその代理である総督も、ADFの指令又は指揮を行う役割を有しない。

(2)戦略レベルの指揮統制

戦略レベルにおけるADFの指揮統制は次の通りである。
      オーストラリア国防司令部(ADHQ)の補佐を得て、CDFADFを指揮する。
      海軍司令官、陸軍司令官、及び空軍司令官は、CDFの下でそれぞれの軍を指揮する。(このことは、国防法第9項で定められている。)
      各軍司令官は、CDFに対して、各々の軍の要素を作戦に即応できるように、徴募し、訓練し、及び維持し、そして国防政策、軍事戦略、及びそれぞれの軍の能力と要素の使用について、CDFに助言を行う責任を有する。
      CDFは作戦を直接指揮することを選択することができるが、通常はオーストラリア戦域指揮官(COMAST)を通じてADFの作戦指揮権を行使する。COMASTは、他の作戦レベル指揮官が任命されない場合には、作戦レベル計画立案並びにADFの会戦、作戦、及びその他の活動を遂行する。COMASTは、オーストラリア戦域司令部(HQAST)の支援を受ける。
      CDFは、戦域指揮官として行う作戦のための兵力をCOMASTに配属することを、各軍種の司令官に命ずる。
      COMASTは、配属された部隊に対する作戦指揮の権限を隷下指揮官に委任することができる。
      各軍種の司令官は、それぞれの軍種の部隊が作戦のために配属されているといないとに関わらず、その部隊に対する管理面の権限と責任を保持する。
      オーストラリア政府は、連合又は提携作戦のために、オーストラリア軍部隊を他国の指揮官の下に派出させることがある。他国の指揮官が行使するのは、配属されたオーストラリア軍部隊に対する作戦統制に限られる。これらの部隊は、常に国家の指揮権の下にある。

(3)軍司令官委員会

軍司令官委員会(COSC)は、CDFに対する助言の機関であり、議長としてのCDF、長官、各軍種の司令官、及び国防軍副司令官(VCDF)がメンバーである。CDFは、COSCの責任分野に影響する事項についての討議のために、次官及びその他の必要な人員を迎えて、COSCの人員を増やすことができる。
COSCは、CDFに対し、ADFを指揮すること及び政府に対し軍事面の助言を行うことについての責任を果たすために必要な助言を行う。特に、COSCCDFに、地域指揮官としてのCOMASTに対する部隊の配属及び物資の支援を含む、戦略レベルの軍事戦略及び計画の承認について助言をする。COSCはまたCDFに対し、軍事戦略、能力と兵力整備、動員、及び国家支援配備のような、ADFについての長期の事項についての助言も行う。

(4)戦略指揮グループ

戦略指揮グループ(SCG)は、枢要な助言グループで、戦略レベルの作戦事項についてCDFに助言をする。SCGCDF(議長)、長官、VCDF、戦略政策担当次官、3軍の司令官、戦略指揮部長、国防情報局長、及びその他必要な人員で構成される。
SCGの役割は、CDFに対して適時の軍事戦略についての助言を行うことである。
      政府に提供するための、国家戦略の狙いと目的を助ける軍事的対応の選択肢
      軍事的対応の選択肢に関する政府の指令を実行するための、戦略レベルにおけるADFの作戦の指令

(5)戦略指揮部

オーストラリア国防司令部(ADHQ)の戦略指揮部(SCD)は、戦略レベルの作戦におけるADFの指揮統制について、CDFを補佐する。SCDは、CDFに対して軍事参謀としての助言、特に、初期の戦略的選択肢及び戦略的軍事計画の作成に関する事項を用意する。SCDはまた、ADFの統合・連合作戦の戦略レベル指揮統制を調整し、実施を監視し、そしてADFの作戦についての戦略的観点からの参謀所見を用意する。

(6)国防委員会

国防委員会の役割は、大臣及び政府によって求められた結果の達成を助ける、高いレベルの決定を行うことである。これらの決定は、軍事作戦の統合による実施(CDFが唯一の指揮権者となる)、能力の準備、適時のそして適応した国防についての助言、及び人員と資源の適切な処理を含んでいる。委員会は、5年又はそれ以上の長期に焦点を当てたこれらの結果の配布において、指令を与えそして実施を監視する。
国防委員会は、国防長官が議長であり、長官、CDFVCDF3軍の司令官、物資担当次官補、政策担当次官、各軍次官、経理部長、技術部長、情報保全担当次官で構成されている。

(7)戦域レベル以下

      オーストラリア戦域司令部(HQAST)は、オーストラリア戦域指揮官(COMAST)の司令部であり、統合参謀の1要素、海洋司令部・陸上司令部・航空司令部の3要素、及び特殊作戦司令部(HQSO)の1要素で構成されている。各構成要素は、COMASTに対し作戦上の助言を行う。状況によっては、特殊部隊指揮官とHQSOの要員は、作戦レベルで独自に働くために分派されることがある。
      北方軍司令部(HQNORCOM)は、北方軍司令官の司令部であり、通常、北部オーストラリアにおける地域作戦レベルで役割を果たす。時には戦術レベルに携わることもある。
      現地統合部隊司令部(DJFHQ)は、通常は戦術レベルの司令部であるが、作戦レベルの役割を果たすこともあり、特に海外に展開した場合にはそうである。
       
オーストラリア軍の指揮統制組織
英連邦の一員であるオーストラリアでは、統治権は女王にあり、総督は女王の代行者としてそれを執行することになっているが、これは名目上のことで、実際には選挙で選ばれた首相と内閣が行政権を行使している。

4.我が国の場合

わが国はオーストラリアに較べれば古い国であり、近代的な軍についても明治以降の歴史がある。しかし、一旦軍事力がゼロになった大東亜戦争の終戦後に限って見るならば、新しく生れた自衛隊の歴史はけっして長くはない。
昭和2351日に海上保安庁が発足し、その後の朝鮮戦争の勃発に関連して、昭和25810日に警察予備隊が発足した。昭和2698日には、対日講和条約が署名され独立を回復し、同時に日米安全保障条約を結び、米国の協力を得てその安全を確保することを選択した。昭和27426日に海上保安庁の機関として海上警備隊が発足、同年81日には保安庁が設置され、昭和2971日に防衛庁と改められて、陸海空自衛隊が発足した。
昭和20年の終戦から昭和35年の日米安全保障条約改訂までの日米関係は、保護者と被保護者の関係と見なすことができる。この時期に自衛隊は発足したものの兵力は未だ小さく、実質的にはわが国は米国の軍事力に守られていた。そして経済面においてもアメリカの大規模な援助を受けた。
昭和35年の日米安全保障条約の改定から、昭和49年のフォード大統領の訪日までは、後見人・被後見人の関係と見なすことができる。この時期、日本は何かにつけてアメリカに助けてもらいつつ、国際社会で一人前になる努力をし、経済的な力もつけてきた。海上自衛隊を例にあげるならば、この時期には米海軍との共同訓練をしばしば行い、戦術・術力の充実に努めてきた。米海軍は、自分達が使用している米海軍の戦術出版物NWPだけでなく、NATOの出版物であるAP類も、必要なものは海上自衛隊に提供してくれた。
昭和50年の天皇陛下のご訪米に始まる次の時代は、イコール・パートナーシップの時代と言えよう。わが国の経済は相当に発展し、日米のGNP比は13にまでなった。その結果、経済面では米国との間に軋轢も生じた。防衛面では着実に自衛隊を整備し、例えば、極東にあるソ連軍の艦艇等の監視を効果的に実施して西側に大きく貢献した。この時代の末期である平成312月にソ連が解体して、冷戦は終結した。
終戦後から冷戦の終結までのわが国は、冷戦を戦うという米国の世界戦略に組み込まれていたと見ることができる。後半、自衛隊が防衛力を着実に整備してはきたが、位置付けとしては、オーストラリアが大英帝国(英連邦)の戦略の一部として組み込まれていた時期と似ていると言えよう。
冷戦後の時代における日米関係は、平成84月の「日米安全保障共同宣言」及びそれを受けて、平成99月に策定された「日米防衛協力のための指針」などに示された新しい時代に入った。すなわち日米同盟がアジア太平洋地域の平和と安定の維持に大きな役割を果たしているという認識である。見方を変えれば、周辺地域ひいては全世界の平和と安定がわが国の平和と安定の維持につながるということである。これは地域の安全保障によるオーストラリアの安全保障という現代のオーストラリアの戦略と通じるものであろう。
わが国の領土、領海、領空に侵攻する敵に対して、米国軍の支援も得て対処することを目指していた自衛隊では、3自衛隊はそれぞれに運用されることになっていた。統合運用の必要性については折に触れて提起されてはいたが、実行の動きにはならなかった。しかし、近年、周辺地域ひいては世界の平和と安定がわが国の平和と安定の維持につながるという認識に至ったこととも関連して、統合運用の実現に向けて大きく動き出した。
ほぼ同じような時期に、地域の安全保障によるオーストラリアの安全保障という戦略を打ち出したオーストラリア軍は、いち早くその運用を統合運用に切り替えた。割合に歴史が浅いので過去のしがらみに捕らわれず論理的に必要と考えることを実施することができるし、小規模な軍隊であるので、無用な重複を省いて効率的な運用を目指すこととなる。例えば、英国では各軍種別の運用があるとしていることに対して、全てが統合運用としている点はその例である。
今後のわが国の統合運用を実現する上で参考にし得るものが多く含まれていると考えるので、その概要を紹介した。


参考文献
1 Australian Defence Headquarter, Foundations of Australian Military Doctrine (ADDP-D), (April 2002)
2 松浦晃一郎『歴史としての日米関係』(サイマル出版社19926月)


2015年10月30日金曜日

プーチンもびっくり!ロシアの軍事力&経済

ロシアの“サラミ戦術”に対抗せよ!鍵となる近代的ゲリラ戦
岡崎研究所

20151026日(Monhttp://wedge.ismedia.jp/articles/-/5514

元米国防次官補代理で、2005-06年の国防計画(QDR4年ごとに見直し)の策定を主宰したJim Thomasが、ルーマニアの研究所所員のインタビューに答え、ロシアが限定的・非正規の軍事力を用いてNATOの縁辺諸国を脅かすようになっていることについて、いかに西側が対抗すべきかを述べています。
iStockより
 すなわち、冷戦での西側の勝利は、次の要因による。
 ①ソ連は、米欧の団結を割ることができなかった。特に西欧が団結して中距離ミサイルを配備したことが大きい。
 ②レーガンの国防予算増強にソ連が対抗できなかった。
 ③西側が、Air Land Battle等、新しい戦術を開発した。
 ④米国はAir Land Battle戦術を可能とするため、DARPA(国防高等研究計画局)を活用して技術開発をした。これにより精密誘導兵器、ステルス技術、データ・リンクによる米軍の統合指揮能力の飛躍的向上等、絶対的優位を築くに至った。
NATO加盟国を悩ませるA2/AD
 冷戦終結後、NATOはロシアと基本関係文書に調印し、NATO新規加盟国には核兵器を展開しないこと、新規加盟国の有事には緊急展開兵力の派遣で対処することにした。
 しかし現在のロシアは、空・海双方で敵の接近を撥ね付けるA2/AD(=Anti-Access/Area-Denial)において優れた能力を備えている。戦術核兵器も、A2/AD戦で用いることを明らかにしている。これは、NATOが新規加盟国に緊急展開兵力を派遣することを困難にさせる。さらにロシアは、非正規兵力の使用に長けている。
 ロシアはA2/AD能力でNATOを抑止し、一方で非正規兵力を駆使してクリミアを併合する等、一枚一枚“サラミ・ソーセージを切り取っていくような戦術”を開発したのである。
 同様の戦術は、アジアでも用いられている。漁民、あるいは市民の抗議活動が利用されることもある。
 NATOの縁辺諸国も、自身のロシアに対するA2/AD能力を高めるべきだろう。更に核兵器も含めて、米国・NATO諸国の兵力を縁辺諸国に常駐させることも考えるべきだろう。

縁辺諸国は、敵の浸透・侵攻に対する市民レベルでの抵抗能力も高めるべきである。
 こうすることによって、NATO側は、サラミ戦術のコストがロシアにとって高くつくように仕向ける。反撃用兵力を分散配置するとか、兵器を隠して配置しておくとか、秘密の兵站網を整備する。小型ミサイル、精密誘導砲を備えたトラック移動の「近代的なゲリラ兵力は、非常に有効な手段となる。これまで西側は、敵の攻撃に対して上から目線で「罰」を与えることで抑止しようとしてきたが、これからは敵の作戦を長引かせることで抑止する方向に変えて行かねばならない。
黒海はロシアのA2/AD能力でカバーされた湖のようになりつつあるが、ルーマニアも自身のA2/AD能力を高める必要がある。防空能力、海岸防備能力、そして対戦車兵器、地雷を整備する他、市民防衛体制も整える必要がある。長期的には、沿岸作戦用潜水艦部隊を持ってもいいかもしれない、と述べています。


出 典:Jim Thomas & Octavian Manea ‘Protraction: A 21st Century Flavor of Deterrence’(Small Wars Journal, September 11, 2015

***

 旧ソ連圏諸国はロシアを怖がり、NATOの庇護を求めます。するとロシアは対抗措置を取り、また今度はNATO側がそれに対抗します。果てしない悪循環は対立を嵩じさせますが、日本がどうこう言う筋合いのものではありません。
 バルト諸国、旧東欧諸国の防衛能力強化においては、NATO全体よりも、米国が二国間ベースで対応する例が増えています。つまり、欧州方面においてもアジアと同様、米国を扇の要としたhub&spokesの体制が形成されつつあります。ここにおいては、ドイツが対露、対米関係を如何にもっていくかが鍵となりつつあります。
 日本、アジアにとって意味があるのは、中露のA2/AD能力向上により、中露の周辺では「絶対的優位に立っているはずの米軍」を使用できない状況が出てきているということです。
 上記インタビューでは、西側が「近代的ゲリラ兵力」を整備することが提唱されていますが、その場合、米軍自身がその兵力を提供するのでないと、米国のコミットメントは相対化します。
 上記インタビューでは、当然のことながら、小笠原列島周辺での中国漁船の行動、南シナ海における中国軍の行動のような「海におけるサラミ戦術」は議論されていません。日本はこれも含め、南西諸島の防衛等、対策を米国とともに練っていくことが求められています。
 日本が今、米国と調整しなければならないのは、中露のサラミ戦術への対応だけではありません。核の傘、中露海軍協力への対応、オホーツク海での活動調整などもあります。
米国無人機を低コストに無力化・ ロシア軍の秋季演習
 小泉悠 (財団法人未来工学研究所客員研究員)

2015年10月初頭にロシアが実施したシリア領内への巡航ミサイル攻撃は、世界に大きな衝撃を与えた。ロシアが冷戦後初めて、中東に軍事介入を行ったことに加え、西側の専売特許と思われていた長距離精密攻撃をロシアが実施し得たこともその背景にはあると思われる。
 実際、今回のシリア介入では、ロシアは巡航ミサイル攻撃に加えて衛星誘導兵器やレーザー誘導兵器を用いた精密攻撃を展開し、依然として西側に比肩する水準ではないにせよ、作戦能力の回復を強く印象づけた。
NCWという新しい軍事作戦の遂行方法
 だが、現代戦においては個々の兵器やその運搬手段の性能だけでなく、目標の捜索・監視、情報の伝達、部隊の指揮・通信等を効率的に実施するためのC4ISR(指揮・統制・通信・コンピュータ・インテリジェンス・監視・偵察)能力が死活的な重要性を有するようになった。このような能力を中心に据えた現代的な軍事作戦の遂行手法は、NCW(ネットワーク中心の戦い)と呼ばれる。
今年夏、モスクワ航空宇宙サロン(MAKS2015)で展示された電子戦システム(筆者撮影)
 2008年のグルジア戦争では、ロシア軍は精密攻撃能力だけでなく、近代的な指揮・通信能力や目標捜索・監視を行う無人偵察機の欠如を露呈し、徹底的な軍改革の必要性が叫ばれる結果となった。
 2014年に始まったウクライナへの軍事介入や今回のシリア介入でロシア軍が旧来型の作戦遂行能力を大きく回復させたことが実証されたが、NCWのような目に見えない領域における作戦能力の進展度合いはこれまでほとんど明らかになっていなかった。たしかにウクライナ紛争では、ロシア軍は強力な電子戦を展開し、ウクライナに送り込まれた米軍事顧問団さえその能力を高く評価するに至ったと伝えられるものの、電子の世界におけるロシア軍の実力はなかなか見えにくい。

 こうした中、9月に実施されたロシアとベラルーシの合同演習「同盟の盾」演習の模様を伝えるロシア国防省の機関紙『赤い星』に、その実態を垣間見せてくれる興味深い記事が掲載されたので紹介したい。
(翻訳)
 オレグ・パチニューク「ハッカーの試みは失敗する」『赤い星』2015915
 916日、ロシアとベラルーシの合同作戦演習「同盟の盾2015」が終了する。両軍が実施した訓練における特徴的のひとつは、航空戦力と電子戦機材の活発な使用であった。軍の通信部隊では、敵のハッカーによるサイバー攻撃の撃退も実施された。
 合同演習「同盟の盾2015」のシナリオは、ロシア及びベラルーシの軍人によって三つの演習場(キンギセップ、ストゥルーガ・クラスヌィエ、カメンカ)で実施された。連合国家地域連合部隊の空挺部隊は、プスコフ州ストゥルーガ・クラスヌィエで任務を遂行した。同地では、プスコフ州に駐屯する空挺師団とベラルーシ特殊作戦軍のスラブの兄弟が限りなく実戦に近い条件下での戦術行動を演練した。

同訓練には、約150点の軍事機材が投入された。空からは、西部軍管区の航空部隊に所属するKa-52ヘリコプターが火力支援を実施した。Ka-52攻撃ヘリコプターの編隊は、降下に先立って仮想敵部隊に対する攻撃を行い、降下地点の安全を確保した。
現代的な電子制圧手段
 21世紀の武力闘争がますます高度技術化し、無人化システムによる偵察及び攻撃を特色とするようになったことに鑑み、「同盟の盾2015」演習では現代的な電子制圧手段が活発に使用された。
 西部軍管区の電子戦部隊は、演習の第二段階において、仮想敵の無人機を妨害するために「ジーチェリ」自動電子妨害システムを使用した。「敵」は無人機を使用して連合国家地域連合部隊の隷下部隊に関する情報を入手し、主攻方向を特定しようと試みた。しかし、西部軍管区広報部長のオレグ・コチェトフ中佐によると、電子戦部隊は「ジーチェリ」妨害ステーションを用いて敵UAV(無人機)の管制及び情報伝達周波数を特定し、妨害電波を発振して通信回線をブロックした。この任務は、「ジーチェリ」のオペレーターがUAVの管制システムを妨害する一方、同地域における我が航空機の活動は妨害しないようにするという複雑なものであった。
 電子戦部隊が空中で「敵」と戦う一方、通信部隊はバーチャル空間での戦いを繰り広げた。演習シナリオにおいて、非合法武装勢力の「ハッカー」達は、情報の撹乱及び欺瞞情報の流布を目的として地域連合部隊の通信回線にネットワーク攻撃を仕掛けようとした。そこでサイバーテロリストからの防護のため、通信部隊はネットワーク攻撃の監視システムを運用した。
 もちろん、ハッカーや「ゲーマー」達と、我が通信部隊の戦いの詳細を明らかにすることはできない。ここでは、通信部隊が機器コンプレクス及びプログラムにインストールされた「ファイヤーウォール」を用いて機器類の機能状態を間断なく監視したとだけ言っておこう。
 「ファイヤーウォール」は侵入の試みを即時に通知し、その後、オペレーターは手動で攻撃側コンピューターをブロックするとともに、三つある予備回線(ケーブル、衛星、又は電波回線)のひとつへと通信を移行させた。
こうした訓練はすべてのシナリオで実施され、それぞれのシナリオでは3-4回のサイバー攻撃が実施された。
 (後略)
米軍のステルス無人偵察機をハッキングして強制着陸させる
 この記事の興味深い点は主に次の二点である。第一に、依然として無人偵察機戦力で劣勢にあるロシアは、それが電波によって敵の操縦者と紐づけられている点を逆手に取って電子妨害を行い、その無力化を図っている。これまでにも、イランがそれまで存在さえ知られていなかった米軍のステルス無人偵察機RQ-170をハッキングして強制着陸させた事例が知られているほか、ウクライナ紛争でも、ロシア側、ウクライナ側双方がこうしたオペレーションを実施していると言われる。

米国の無人機を低コストに無力化する
 米軍が世界の戦場で実施しているような大規模な無人偵察機の運用には、グローバルな通信ネットワークの確立など多大のコストを要するが、ロシアの戦略は、これをより低コストに無効化する「非対称」型戦略と言えよう。ロシアは米軍の世界的な軍事活動を支えるGPS衛星測位システムの妨害手段にも注力していると言われ、米軍もこれに対抗してGPSに依存しない測位システムの開発を進めているほか、米海軍大学では最近、六分儀による位置測定を15年振りにカリキュラムに含めたことが報じられている。
 これまでは通信インフラの安全性を前提として組み立てられてきた米国の軍事戦略が再考を余儀なくされる可能性をこの演習は示していると言えよう。もっとも、ロシア軍自身も最近では無人機を大々的に活用するようになってきており、ロシア軍の「非対称」戦略は諸刃の剣という側面もある。
 第二に、サイバー攻撃が通常の軍事作戦と一体化する形でロシア軍の演習に組み込まれている点である。ロシア軍は従来から電子戦総局を中心にサイバー戦能力の拡充に努め、2011年には国防省が『サイバー戦概念』と呼ばれる将来のサイバー戦に関する文書を公表している。この文書では、サイバー戦を従来の軍事作戦の延長線上に捉え、将来的に通常戦とサイバー戦が一体となった戦場空間の出現を予見しているが、すでにこうしたビジョンが演習に取り入れられていることは興味深い。
 従来、ロシアが実施したサイバー攻撃としては、大量の「サイバー民兵」を動員して政府機関にDDoS攻撃を仕掛けた事例が複数知られているが、今後は銃弾の飛び交う戦場でもサイバー攻撃が想定される時代になっていることをこの演習は示唆している。当然、専守防衛の概念を持たないロシアは自国が敵野戦軍に対して攻勢的なサイバー戦を行うことも想定してよう。
 また、この演習の後に実施されたロシア軍の中央軍管区秋季大演習「ツェントル2015」では、「アンドロメダ-D」自動指揮通信システムが初めて大規模に使用されたほか、記事中で触れられている「ジーチェリ」電子妨害システムなど150基が投入されたという。詳しくは明らかになっていないが、こうした大規模演習での電子やサイバーの世界で目には見えない激しい仮想戦闘が繰り広げられたに違いない。
 今後はこうした面でもロシアの軍事力の動向に注目すべき時代が来ているようだ。


知れば安心! ロシアビジネス

プーチン大統領の85% ロシア人気質とは?

中村繁夫 (アドバンスト マテリアル ジャパン社長)

20151027日(Tuehttp://wedge.ismedia.jp/articles/-/5537

 ロシアには多くのアネクドート(小咄)がある。何度もモスクワに行くうちに、笑いのツボが判ってくる。普通の日本人はロシア語が理解できないからロシア人が笑っていてもサッパリ笑えない。例えば、こんなアネクドートがある。
 “旧ソ連の独裁者が死んで天国の門を叩いた。天国の門番は「お前は地獄行きだ。帰れ」といった。数日たってから天国に無数の難民が押し寄せた。門番が良く見る無数の難民たちは地獄の鬼の大群だった。”
 とざっと、こんな具合だが虐げられている国ほどブラックジョークは冴えわたるようである。また、こんなアネクドートもある。
 “真夜中にプーチンが台所に来て冷蔵庫を開けた。すると、プリンがブルブルと震えた。大統領はこう言った。「心配するな、ビールを取りに来ただけだ」”
 このアネクドートはロシア人が好んで喋るアネクドートで北朝鮮で同じような軽口を云えば本当に逮捕されるかもしれない。
 プーチンは日本人にとっては一見、冷酷なイメージがあるようだが実は結構お茶目なところもある。ロシアの国民は力強い指導者に人気が集まる。特にロシアの女性は妥協を許さないくらい男らしいタイプが好きなようだ。シリアへの爆撃についても、チェチェン紛争時代からプーチン大統領は一貫してテロとの戦いの姿勢は変わらない。
 ウクライナ問題でも理路整然とロシアの正当性を主張している。欧米(NATO)からの経済制裁についても断固とした姿勢を崩さないからロシア国内の人気は一向に陰ることはないようだ。最高指導者に就任してはや15年になるが、いまだにプーチンの人気は85%を維持している。経済は破たん寸前だというのに、こんな高い支持率を持っている大統領など聞いたことはない。
 ロシア人は我慢強い民族である。旧ソ連の崩壊の時もそうだったがハイパーインフレの中でもアネクドートを口にして厳しさを笑い飛ばせるところがある。
ロシアの「つるふさの法則」って知ってるか?
 ロシアの最高権力者には禿げ頭と髪ふさふさの大統領が交互に現れるというジョークがある。ロシア人は酔っぱらいながら、こんな話ばかりしてウオッカを飲むのが大好きである。
 まずはじめは、社会主義革命を成功させた禿げ頭のレーニンである。その次が髪ふさふさの独裁者スターリンだ。続いてベリヤでマレンコフ、次が有名なところでキューバ危機のフルシチョフでその次がブレジネフである。
 続いて禿げのアントロポフで次がチェルネンコ、1985年にペレストロイカを始めたゴルバチョフは知っての通りのあざ付の禿げ頭である(てっきり当時は北方領土の地図のシミかと思っていた)。
 そしてフサフサの白髪の大統領のエリツィンで、ついに2000年にはプーチンになる。2008年にメドベージェフになり、2012年は再び禿げ頭のプーチンの返り咲きである。
 まあ、見事な偶然だがプーチンの次が気になって夜も寝られないロシア人もいるかもしれない。

さて、そのプーチン大統領が今年は日本に来ると言いながら結局来なかった。ソチオリンピック以来、安倍首相はプーチン大統領に訪日の実現を打診してきたが、欧米のロシアへの経済制裁のために日本側も足並みを揃えなければならないので結局先送りになっているようだ。
逆さ地図から見る日露関係の新発想
 今年の8月にはプーチン大統領が北方領土を訪問しているが領土交渉の実現を考えているとの見方も多い。その後も93日~5日まで、極東ウラジオストクで経済フォーラムを開催した。プーチン大統領が自ら極東開発について日本の資本投資や技術協力についての可能性を打診したが、日本からの参加者よりも中国や韓国からの参加者の方が多かった。
 プーチン大統領の本音は中国でもなければ韓国でもないのに日本人はあと一つロシアに対して拭いきれないような誤解があるようにも見える。井上靖の小説『おろしや国酔夢譚』主人公の大黒屋光太夫がエカテリナ2世に謁見した時からも日本政府はロシアには冷淡であった。海外情勢を豊富に知る光太夫は生涯軟禁されて一生を送ったようだ。当時から日本は大陸からの視点を持つという事はなかったようだ。
 日本から見た極東の地図を逆さにするとロシアにとって日本列島がいかに重要であるかが理解できる。日本人でこの逆さ地図を見れば、シベリア開発が大変身近なものだとわかるのだが、自由貿易を標榜する産業人ですら、いまだにロシアからの視点で発想する人物は少ないように思うのは私だけだろうか?
日本に最も近い欧州沿海州にエルミタージュやプーシキン美術館を移設せよ
 日本の資本や技術提供なしに極東経済の発展はないことは明らかで、極東共同開発のテーブルに、北方領土のカードをロシアは乗せたくて仕方がないのである。ロシアの友人に聞いたところ日本を嫌いなロシア人など滅多にいないが、日本人はなぜかロシアを誤解していると言っている。そんな誤解を解くためには双方の交流を進めるしか王道はないように思われる。
 例えば、今年の9月の経済フォーラムが行われたウラジオストックは新潟から飛行機でたった1時間半のところにある。成田からの直行便もある。2時間10分のフライトである。日本からの一番近いヨーロッパなのに日本人旅行客はサッパリである。
 私自身はこれまでロシアには60回以上の訪問をしているが、ロシア人ほどおおらかで親日的な国民はそうはいない。表面的にはとっつきが悪いから日本人が誤解しているのである。この際、産業面の協力だと言っても時間ばかりかかるからロシア文化で交流を進める事を提案したい。
 今年の34日に東京の学士会館で「ロシアセミナー」を開催した時のことである。私の勝手なお願いでロシアのアファナシエフ大使にロシア民謡を大使館の子女に歌って貰う事を依頼した。大使は快く私の願いを聞き入れてくれた。その結果、会場には素晴らしい友好の輪が広がった。
 この発想をさらに広げるなら、サンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館やモスクワのプーシキン美術館やトレチャコフ美術館のコレクションを極東のウラジオストックやハバロフスクに時々持ってきて展覧会をして貰いたい。
ロシア民謡を歌い踊ってくれた大使館の子供たち
 さらにモスクワのボリショイ劇場を夏の間だけでも極東で公演してくれたら芸術好きの日本人がロシアに喜んで大挙して訪問することは確実だ。私にしてみれば「少なくとも北方領土の返還よりも簡単ではないか」と思うがプーチン大統領は何と答えるだろうか?
2回ロシアビジネス交流会では何が起こるか分からない
 そんなこともあって日露の友好関係をさらに深めるために、来る1112日に第2回ロシアビジネス交流会というイベントを企画している。目的は日露の経済関係を深化させることであるから私の尊敬している著名な日露の経済人を招聘して行われるものである。
 すでに書いたように今年の34日にも東京でロシアセミナーを行って大成功している。この事実を見ても分かるが、日本人の多くの経済人は日露取引を期待していることは明らかなのだが、何から手を付けるべきなのかが分からないのである。私の答えは単純明快である。まず会ってみて、話してみて、意見交換から疑問を出してみて、ロシア人の反応を見れば何事も簡単に理解できるはずである。
 無論、複雑な問題もあるだろうが、政治的な領土問題は棚上げにしてまずは経済関係をスタートさせることから始めればよいだけの話である。
 今回のパネルディスカッションでは不肖ながら私が司会を務めさせて頂く。
タイトルは「大国ロシアのこれからとビジネスチャンス」である。参加いただく論客は以下の先生である。下斗米伸夫 (法政大学)、谷本正行 (国際協力銀行 資源ファイナンス部門 石油・天然ガス部長)、Alexander Vladimirovich Kravtsov YAR Bank 会長)、司会: 中村繁夫 (アドバンストマテリアルジャパン)
 経済を知るためには総合的な分析が必要になってくるから色んな議論がなされるだろう。ロシア人はもちろん、ロシア通が多く集まることになると思う。情報、人脈を一挙に強化できるいい機会であり、本当のロシアの状況を勉強できるチャンスなのでぜひご参加をご検討頂ければ幸いである。無論、今回はさらにバージョンアップして一緒にロシア舞踊やロシア音楽も企画している事は言を待たない。
関連リンクここから、申し込んで頂ければ幸甚である。)