2020年10月11日日曜日

呉鎮守府101特別陸戦隊 ~B29の出撃拠点マリアナ諸島を攻撃せよ!~

 大日本帝国を壊滅させた爆撃機

 1944年6月に日本の敗戦を決定づける爆撃機が本土上空に飛来する。「超空の要塞」の異名をとるアメリカ陸軍の新型爆撃機B29である。最大航続距離約9700km、最大約9tの爆弾搭載量を持ち、当時の迎撃戦闘機では迎撃困難な高度(10000m)を飛行可能な爆撃機である。

 B29の完成により、アメリカ軍は日本本土の直接攻撃が可能になったが、中国大陸からの基地から攻撃していた当初は、爆撃の被害は九州の一部に留まっていた。しかし1944年9月に占領が完了したマリアナ諸島へ爆撃部隊が展開すると、本土の主要都市のほぼ全てが爆撃の射程レンジ内に収まることになった。

 日本軍も新型の防空を目的とした局地戦闘機や高射砲での迎撃を行うが、高高度から無限に出現するB29爆撃隊に対しては効果は薄かった。その結果、国民の生命・財産は奪われインフラ施設は焼失し、我が国の生産力は着実に喪失していった。

 そうした状況の中でB29爆撃機を打撃する秘密作戦が実行されつつあった事実はあまり知られてはいない。作戦目標は、爆撃隊ではなく、爆撃機の出撃基地であるマリアナ諸島そのものである。そして作戦の主力とされていたのが、海軍特殊工作部隊「呉鎮守府第101特別陸戦隊」であった。

海軍の陸上用部隊

 陸戦隊とは、海軍内に設けられた陸上での戦闘を想定した歩兵部隊である。創始は明治の海軍創設時まで遡る。既に陸戦部隊は創設されていたのだが、陸軍の規模の拡大に伴い、1876年に一旦廃止されていた。しかし上陸戦や海岸沿いの地域などで陸上兵力が必要となるたびに随時編成されていた。日中戦争当時は「上海海軍特別陸戦隊」が組織され、中国大陸沿岸部や海南島で戦った。

 海軍陸戦隊は、状況に応じて艦船乗員や非番の兵員を招集して編成される臨時部隊でしかなく、アメリカ海兵隊のような常備兵力ではない。日米開戦前年に上陸戦用の常備戦力整備を求める意見が出されたといわれるが、結論的には、艦隊決戦用の艦船拡充が優先されたといわれている。

 呉鎮守府第101陸戦隊は、こうした中でも異様な部隊であり、体格のいい海兵が集められ、隊員の外見や訓練内容がアメリカナイズされていたのである。

 隊員は必ず英語や英会話の授業を受講しなければならず、服装も米軍の軍服に酷似していた。頭髪も当時禁止されていた長髪も許可されていた。この規格外の意味は、隊員が米軍陣地での活動を目的としていたことによる。

 隊長の山田大二少佐の名前から「山岡部隊」とも呼ばれたこの部隊は、潜水艦などで敵地へ進入し、日系人に偽装して各地へ潜伏し、遊撃戦(ゲリラ戦)によって米軍を疲弊させることになっていた。遊撃戦術を身に着けるために、戦闘訓練は夜間の山岳地帯で実施されたといわれる。しかし既に戦局は劣勢となり、進入作戦に使用できる潜水艦はほとんどなく、制海権も米軍にとられていた。米本土への進入も計画されたといわれるが、結局実行されることはなかった。そうした折に101陸戦隊にB29の壊滅を目指す機密作戦への参加が命じられることになる。

マリアナ諸島への特攻作戦

 半年以上の本土防空戦によって軍部は防空戦でのB29の撃退は不可能であると判断する。そして決死の反撃作戦を1945年春に承認する。それはB29の出撃基地であるマリアナ諸島を攻撃して、B29の出撃を阻止しようという作戦であった。

 ところが当時の日本軍には、日本本土とマリアナ諸島の間を往復できる航空機はなかった。往復できたとしても護衛機をつけられないので爆撃による基地の無力化は不可能とされていた。そこで作戦ソリューションとしての案が、航空機で夜間にマリアナ諸島へ強行着陸を行い、工作部隊の破壊活動にて基地能力を無力化する、という作戦だった。

 この作戦は「剣作戦」と名付けられた。工作部隊は101陸戦隊が選ばれた。しかしいかに夜間とはいえ、かなりの迎撃が予想される作戦である。仮に工作部隊を送り込めたとしても回収できる可能性は極めて低い。作戦終了後は玉砕するしかないだろう。

 一応は通常作戦となっていたが、「剣作戦」の実態は特攻作戦であった。

未遂に終わったマリアナ諸島攻撃

 「剣作戦」の実行は1945年7月末を予定されていた。101陸戦隊は、青森県三沢基地への移動を命じれらた。作戦決行日には30機の一式陸上攻撃機に分乗して出撃することになっていた。ところが7月14日に三沢基地が米機動部隊の空襲をうけてしまい、作戦用の機体を多数破壊されてしまった。そのため機体の不足で作戦は延期を余儀なくされ、決行日は8月20日前後とされた。

 作戦延期に伴い、海軍は機体をかき集めると同時に投射兵力を拡充する。陸軍の空挺部隊約300名、「銀河」爆撃機約70機で編成された。支援用爆撃隊の参加も決定した。

 さらに1945年8月6日9日の原子爆弾投下を考慮して、米軍の核貯蔵施設の捜索と破壊も任務に加えられた。既にマリアナ諸島周辺の状況は捕虜からのヒアリング調査により把握されていた。懸念された基地への再空襲もなく、後は作戦決行を待つだけであった。

 1945年8月15日に日本政府がポツダム宣言を受諾し、終戦の大詔が下った。これにより101陸戦隊がマリアナ諸島で実戦を戦うことはなくなった。その後部隊は解散となったわけである。

一式陸上攻撃機

銀河爆撃機

上海海軍特別陸戦隊の戦闘記録


一式陸上攻撃機のある風景 / Scenery with G4M「Betty」 https://www.youtube.com/watch?v=1peV2Yqazrg

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