2018年5月7日月曜日

【米朝首脳会談2018を前に】金正恩の人物像・資金について

人物像編
金賢姫が見た金正恩
「彼は弱いから虚勢を張る」
2018/05/03 07:00 

文春オンライン
黒田 勝弘

金賢姫元死刑囚。主婦として地方都市で静かに暮らしている。

 201711月、大韓航空機爆破事件(KAL機事件)発生から30年の節目を迎えた。55歳となった金賢姫元死刑囚は、今何を思うのか。当時から事件の取材を続けてきた黒田勝弘・産経新聞ソウル駐在客員論説委員が迫った。(「文藝春秋」201712月号)


◆ ◆ ◆

金 ご無沙汰しております。今日は、懐かしい写真を2枚持ってきました(と言ってバッグから取り出す)。

黒田 これは懐かしい(写真裏の日付は1990620日)。金さんが事件から3年後、はじめて外国人記者団に向けて記者会見を行った日に撮影された写真ですね。こちらはマイクに向かって喋っている金さん。もう1枚のほうは、人差し指を立てて質問している私が写っていますね。あの日、「あなたは日本語が上手だと聞いているが、次の質問は日本語で答えてほしい」と私が韓国語でお願いすると、金さんは「あのォ」「それでですね」などと、実に自然でこなれた日本語を披露されました。
金 いやあ……そうでしたかねえ。
黒田 あの事件から今年(2017年)11月がちょうど30年ということで今回はインタビューを御願いしましたが、韓国語、日本語、どちらでやるかを事前にお尋ねしたところ「日本語でやりたい」と言っていただきました。相変らずお上手ですが、今も日本語の勉強はなさっているのですか。
金 いいえ。日本語を聞く機会は普段ありませんから、単語などは結構忘れちゃっていて。勉強というほどではありませんが、日本語の本を読むことはあります。村上春樹さんの小説は好きですね。

30年は本当に長かったです

黒田 しかし、こうして写真を見ると、金さんは当時、ふっくらとした顔でしたね。それが最近は、お痩せになったように見えます。これまで大変な気苦労やストレスがあったせいではないかと心配です。
金 大丈夫です。私は元々、太りにくい体質なのです。でも、ストレスがなかったと言えば、嘘になるかもしれません。
黒田 30年という歳月は、長かったですか。それとも、あっという間でしたか。
金 本当に長かったです。振り返れば、辛い出来事ばかりでしたから。かつての私は、自分が「革命戦士」だと信じていました。祖国を統一するため、テロの正当性を疑ったことはなかった。しかし、実際は、無辜の人々の命を奪ってしまっただけでした。その事実が消えることは決してありません。あの事件は一生背負っていかなければならない十字架だと思っています。

“北の訛り”が出てきている

黒田 (逮捕後)韓国に連行された後、1カ月足らずですべてを告白しました。どの瞬間に「もう駄目だ」と思ったのですか。
金 最初は教育された通り日本人や中国人のふりをしていました。でもすぐにボロが出る。「日本で使っていたテレビのメーカーは?」と尋ねられて、「チンダルレ(北朝鮮のテレビメーカー。ツツジの意)」と答えたり、中国北部の黒竜江省出身と言っているのに、南部の広州の言葉でしゃべったり。
 でも、告白した最大の理由は、韓国が、北で教えられていた国とまったく違ったからです。北では「南朝鮮の人々は酷い生活をしている」と頭に叩き込まれていました。ところが、韓国の人々は生活が豊かで言論や思想の自由が保証されていた。見るものすべてが新しかった。そして、確信したのです。金日成の教育は嘘だ。間違っている。私がやったことは祖国統一の助けになるどころか罪なき人民の命を犠牲にしてしまっただけなのだ、と。
黒田 すべてを告白すれば北に残してきた家族に危害が加えられてしまう、と心配にはなりませんでしたか。
金 もちろん心配でした。私のせいで、家族は追放され、殺されてしまうかもしれないとまで覚悟しました。外交官だった父、そして母、妹、弟……。
黒田 今、家族についての情報はあるのですか。
金 消息はまったくわかりません。でも、30年も経っていますから、両親は亡くなっているのではないでしょうか。生きていれば80歳を過ぎています。栄養状態が悪い北では長く生きられませんから……。

やはり家族は懐かしいし、会いたい

黒田 近頃とみに感じるのですが、北より韓国での生活が長くなったのに、言葉に“北の訛り”が強く出ている気がします。齢(とし)を取ると元に戻るんですかね。
金 今はもう自分を偽る必要が無くなって久しくなりましたから、自然と生まれ故郷の言葉が出ているのかもしれません。それに加えて現在、私が住んでいるところ(慶尚北道)の言葉が父の故郷(咸鏡道)のアクセントに似ていることも原因の一つかもしれないです。
黒田 家族に会いたいでしょうね。
金 現在の北に行きたいと思うことはないですが、やはり家族は懐かしいし、会いたい気持ちはあります。
 10年ほど前、よく夢を見たんです。なぜか私はお葬式に出ている。誰のお葬式なのかは分からないのだけど、きっと父のお葬式――。夜中にビックリして起き、父のために祈りました。いつか、もし北の体制が滅んで、統一が成され、北と南を自由に行き来できるようになったら、昔家族と住んでいた平壌の街に行ってみたいと思います。

早く死んで終わらせてほしい

黒田 法廷に立たされて1989年に一審で死刑判決を受けた時はどのような心境でしたか。
金 あまりにも大きな罪を犯しましたから、死刑への恐怖はありませんでした。「早く死んで終わらせてほしい」とばかり考えていました。
 何よりも辛かったのは、法廷で遺族を間近に目撃して、彼らの悲しみの叫びを聞いた時でした。「私の息子を返せ」「私の夫を返せ」「一緒に死んでやる」……こんな私が生きていて良いはずがないと思っていました。
黒田 ところが、その翌年、盧泰愚(ノテウ)大統領の特別赦免(特赦)が出て、金さんの死刑執行は免除となりました。金さんはいわば「北の国家テロの生き証人」として生かされることになった。
金 再び生き返ることが嬉しくもあり、このまま生き残る自分が惨めでもあり、これから罪人として一生を過ごしていくことに暗澹たる思いがありました。
 しかし、私に出来ることは何かを考えました。そして、1991年に『いま、私は女になりたい』(邦訳版は 『いま、女として─金賢姫全告白』 文藝春秋)という本を書き、印税はすべて遺族に差し上げることにしました。どうお詫びしても、いくらお金をあげても、解決できることではありませんが、私に出来るのはこれくらいしかありませんでしたから。
黒田 その後、遺族と接触はありましたか。
金 事件からちょうど10年後の199712月末に、はじめて直接遺族の皆さまとお会いしてお詫びを申し上げました。直接お会いするまでに10年という歳月がかかってしまったのです。
黒田 当時、金さんの“告白”によって、日本にも思わぬ余波がありました。著書をはじめ北朝鮮の実態についてさまざまな証言をしたことで、日本人拉致問題の真相の一端が明らかになったのです。特に、金さんに「日本人化教育」を施した李恩恵という存在が分かったことは極めて大きな出来事でした。李恩恵は、1978年に拉致された田口八重子さん(失踪当時22)だったからですね。
金 私は工作員として訓練を受けていた1981年から約1年間、李恩恵先生こと田口八重子さんと2人で生活していました。日本人としての立ち居振る舞いは、すべて田口さんから学びました。思い出もたくさんあります。石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」などの流行歌を一緒に聴いたり、夜中に“自由主義”と言ってこっそり2人で招待所を抜け出し街に出かけたり……。
黒田 金さんの日本語の喋り方は、きっと田口さん譲りなのでしょう。

横田めぐみさんが歌った「君が代」

金 実は、私は1984年頃、横田めぐみさん(失踪当時13)にも会っているんです。
黒田 そうでしたね。
金 会った当時は、彼女が日本人だということは分かっていたけれど、「横田めぐみ」という名前は知りませんでした。しかし、2006年に横田さんの夫・金英男(キムヨンナム)氏が記者会見を開いた際、横田さんの写真がニュースで取り上げられ、それを見た時に「会ったことのある人だ」と確信したのです。
黒田 どこで、横田さんに会ったのですか。
金 金淑姫(キムスクヒ)という同年代の工作員仲間の「日本人化教育」の先生が横田さんだったのです。1984年頃、もう淑姫は横田さんとは一緒に暮らしていませんでしたが、懐かしがって会いたがっていたので、私と淑姫は密かに横田さんの暮らす招待所に会いに行ったのです。久しぶりに会って気まずくて黙りこくっている淑姫を見て、横田さんが「歌を唄いましょう」と言ってくれました。彼女が歌ってくれたのは、「君が代」でした。
黒田 田口さんは1986年頃に交通事故で亡くなり、横田さんは1994年に自殺したと、北は発表しています。これをどう思いますか。
金 2人とも生きていると思います。2002年に小泉純一郎首相(当時)が訪朝して金正日総書記(当時)と会談し、5名の拉致被害者が帰国した時に、北は田口さん・横田さんを「死亡」としていたけれど、私は「嘘だ」と確信しました。田口さんも、横田さんも、死亡の時期や理由の辻褄がまったく合っていませんから。北の言葉は一切信用できません。
黒田 なぜ、北は2人を亡くなったことにしたいのでしょうか。
金 北は、金日成一族の秘密を知っている人は帰国させたくないのです。田口さんも横田さんも招待所で工作員の教員をやっていました。横田さんは金一族に日本語を教えていたと聞いたことがあります。国家の秘密を握った人だと認定されているのです。
黒田 20107月、民主党政権時代に日本政府の招待で初来日され、拉致被害者家族と面会していますね。
金 暑い夏の日でした。軽井沢にある鳩山由紀夫元首相の別荘で、拉致被害者の家族にお会いしました。横田さんのご両親や田口さんの息子さんの耕一郎さんたちと会い、一緒に料理を作り、本当の家族のようになりました。私に出来ることは、自分が知っている情報を伝えることと「希望を失わないで」と励ますことだけですが、心から彼らの力になりたいと思っています。
 実は今年7月に行われた都議会議員選挙の前に「小池百合子東京都知事と拉致問題について対談ができないか」と彼女の事務所から申し入れがありました。
黒田 えっ、それは本当ですか?
金 こちらはOKでしたが、結局立ち消えになり、実現しませんでした。小池都知事も拉致問題には関心があるようです。私は日本人拉致問題の解決のためには、とにかく力になりたい。今後も、要請があればどんなことでも協力したいと考えています。

突如出てきた“金賢姫ニセ者説”

黒田 事件以後、最も辛かった時期はいつですか。
金 2003年〜2008年の盧武鉉(ノムヒョン)政権時代は精神的にも生活的にも最悪の時期でした。
黒田 やはりそうですか。少し解説しておくと、1990年代に入り、いわゆる民主化によって韓国では「北の脅威論」が大きく後退しました。そして、北へ宥和的な「太陽政策」を掲げた金大中(キムデジュン)大統領(1998年〜2003年)の後を継いだ、左翼色の強い盧武鉉大統領の下では、これまでの保守政権下で起こった政治的出来事の評価をひっくり返す動きがおこります。
 KAL機事件や金賢姫さんも再検証の対象にされました。“親北”左派政権にとっては、都合の悪い存在ということですね。そこで「真実・和解のための過去史整理委員会」という政府機関を設置し、真相糾明と称し、KAL機事件の韓国政府謀略説や金賢姫ニセ者説などをさも意味ありげに取り上げたのです。韓国メディアもこれに便乗し、準国営のKBSをはじめテレビ3局は「KAL機事件の“謎”と“真相”」などと題する特集番組を競って放映し、まるで北朝鮮の意向を受けたような“金賢姫つぶし”キャンペーンをしましたね。
金 国情院(国家情報院)の調査員が「再調査に応じなさい」と何度も自宅を訪ねてきたり、「あなたの自宅に届くミルクには毒薬が入っているかもしれない」と脅迫されたり、当時、ソウルにあった自宅の住所が流出してテレビ局のクルーが毎日のように押し寄せてきたり……。私は、左派による保守派への攻撃材料として使われていたのです。
 まともな暮らしは出来なくなり、ソウルを逃れ、夫の実家がある地方都市への引っ越しを余儀なくされました。“避難生活”はもう15年になろうとしています。
黒田 その後、李明博(イミョンバク)大統領(2008年〜2013年)、朴槿恵大統領(2013年〜2017年)と保守政権が続きましたが、状況は変わりましたか。
金 2008年、私は自分が受けた迫害の実態を嘆願書にして政府に送り、この身に起きた出来事を手記にしたためて発表しました。国情院の院長にも面会し、“ニセ者説”が意図的に流布されたことも認めさせましたが、結局、迫害の責任については有耶無耶(うやむや)にされてしまいました。

私は争点になり続ける運命なのです

黒田 今年、文在寅左派政権が誕生しました。彼は盧武鉉大統領の最側近でした。心配はありませんか。
金 さすがに“ニセ者説”の再燃はないでしょうが、文在寅政権の思想は、盧武鉉政権と根底で繋がっていると思いますから、盧武鉉政権による私に対する“工作”の事実は絶対に認めないでしょうね。左派と保守派の戦いは延々と続いていくでしょうが、私はその争点になり続ける運命なのです。
黒田 日常生活はどうですか。依然、不便でしょうね。
金 そうですね……。でも今は穏やかに暮らしていますし、子どもたちも無事大きく育ってくれました。
黒田 お子さんたちはいくつになりましたか。
金 上の男の子は高校2年生、下の女の子は中学3年生です。2人とも学校で第二外国語として日本語を勉強していて、たまに私が教えてあげたりもしています。思春期の子どもは本当によく食べるから、今の私は毎日、料理することで精いっぱい。食卓にお肉が並んでいないと、「食べる物がない」と言うんですよ(笑)。
黒田 非常に聞きにくいのですが、子どもたちは、お母さんが誰であるかということは知っていますか。
金 ――まだ知らないんです。今まであえて話してきませんでしたし、訊かれることもありませんでしたから。でも、時々北朝鮮の情勢について講演することもあるので、子どもたちは、薄々「お母さんは北に詳しいし、家族がいるのかな」と推察しているみたいです。
 いつかは話さなければいけませんよね。でも、今は2人とも受験勉強が大変だし、2人が大学生になって落ち着いたら、すべてを明かそうと考えています。

血気盛んな性格が現状を生んでいる

黒田 30年間で、北も大きく変わりました。指導者は金日成、金正日、金正恩と代替わりしています。3代目の金正恩は、国際社会でトラブルメーカーのような扱いを受けています。今の北を見て何を感じますか。
金 私が北にいた頃は、庶民の生活は貧しかった一方で、政治的には金日成も金正日も生きており、物事の統制は取れていた気がします。ですが、金正恩は不安定に見えます。若くて経験がない上に血気盛んな性格が現状を生んでいるように思えます。
黒田 核やミサイル開発を急ピッチで進めており、アメリカとも熾烈な言葉の応酬をしています。戦争前夜のようだとの指摘もあります。金正恩は戦争を覚悟しているのでしょうか。
金 金正恩が核の開発をなぜ急ぐかといえば、自分の足元が政治的に不安定だからこそ、先進国と対等に交渉できるカードが欲しいのです。金正恩は本気で戦争を望んでいません。彼は若い時にスイスに留学しているので、平壌の街をヨーロッパ風にするべく、飾り立てています。戦争を始めるということは、自分が作り上げた平壌の街を破滅させることです。そんな選択はしないと思います。また、大袈裟で激しい言葉を使いたがるのは北ではよくあること。弱いからこそ虚勢を張る。真に受ける必要はないでしょう。
黒田 さらに来年は、韓国では平昌(ピョンチャン)冬季五輪が開催されます。KAL機事件は「ソウル五輪を阻止するため」という名目で企てられたテロでした。再び、北によるテロが起きるのではないかと心配する向きもあるのですが。
金 今と昔では韓国と北の関係が異なります。当時は、まだ北と韓国はある種の競争関係にありました。ソウル五輪で圧倒的な差を付けられるのは避けたかった。それを妨害するためにテロを行ったわけです。平昌五輪はそこまで重要視されていない。狙われる危険は高くないと思います。むしろ、現在の北が意識しているのはアメリカなので、アメリカ人やアメリカに関係する何かはあるかもしれません。

心の支えは何だったのか?

黒田 ところで金正恩は国内では恐怖政治を展開しています。2013年には父・金正日の妹婿で事実上の“ナンバー2”張成沢を処刑し、今年2月には異母兄・金正男をマレーシアの空港で暗殺してしまいました。
金 金正男暗殺の一報に触れた時、「工作員のテロだ」と確信しました。しかし、白頭山(ペクトゥサン)血統(ロイヤルファミリー)までもテロの標的としたことは驚きでした。金正男は金正恩の競争相手だったし、張成沢の支援を受けていたとも言われていますから、何としてでも消したい存在だったのでしょう。金正恩の焦りを感じました。
黒田 そういえば、今日、金さんへの警護が増えていますね。これは金正男暗殺と関係ありますか。
金 1990年に特赦を受けて以降、私には外出の際には必ず23人の警察による警護が付いていたのですが、金正男暗殺の一件があってから、人数が5人に増えました。彼らが所持している銃も強力なものに変わっています。金正男暗殺に使われたVXガスへの対応もしているようです。ショッピング、街へ出る時、旅行……いつも一歩家を出た瞬間から警護の方とはずっと一緒です。
黒田 大変ですね。これは北の体制が崩壊するまでは続くんでしょうね。
金 もう慣れています。いつ暗殺されるか分からない身だということは、罪人として生かされたあの日から運命として受け止めています。不便なこともありますけれど、守ってくれるわけですから、ありがたい限りです。
黒田 この30年間、精神的にも肉体的にも大変だったと思います。それでも、こうして気丈に振る舞っている金さんの一番の心の支えは、何だったのでしょうか。
金 死刑判決を受けて、赦免され、私は大韓民国の国民になりました。北の工作員・金賢姫は一度死に、テロを世界から無くすため、北の蛮行を明らかにするため、私は「生き証人」として、生き返ったのです。

 世間から「金賢姫はニセ者だ」と言われていた2003年頃は、正直に言うと、死んでしまいたいほど苦しくて辛かった。でも……(絶句。涙ぐみながら)仮に私が自殺して、この世から消えてしまえば、それこそ北の思うツボです。自分自身が「ニセ者」だと認めてしまうことになってしまう。しかし、私は本物です。この手でKAL機を墜落させた北の元工作員です。その真実が変わることはないのです。これからも、身が引き裂かれそうに苦しいことがあっても、私は十字架を背負って生き続け、北と闘いぬかなければいけない。それが、命ある限り、自分に課された役割だと思っています。(「文藝春秋」201712月号)



資金編

【金正恩氏の究極目標は命とカネ】 東アジアの未来握る日本
2018/05/06 06:39

産経新聞

 日本とも「対話の用意がある」と言いだした北朝鮮をめぐり、専門家や政府内でも見解が分かれる問題がある。北朝鮮はなぜ、急に対話に転じたのか? 北朝鮮への対処策を探る上で重要な基本課題である。

 日本では主に2つの見方がある。1つは、経済制裁と米国による軍事圧力の効果を前提とする見方。北の転換を、経済が干上がり生命の危険も感じた金正恩氏が窮余の策として選んだ結果だとみる。
 もう1つは、制裁の効果は限定的か、ほぼ無意味で軍事についても「反撃を恐れた米国は北を攻撃できない」と北が見きったとの見立てによる。この説では、北の転換は核と大陸間弾道ミサイル(ICBM)を「完成」させたことで自信を強め、機が熟したとみた正恩政権がスケジュールに沿って戦略的に外交を積極展開した-と説明される。
 いずれにせよ確実なことは父、金正日総書記の没年(70歳)まで生きたとしても、正恩氏は、長い“未来”があると見越しているだろうということだ。生命の保証を得られなければ元も子もないし、経済モデルとしているとみられる中国流の改革開放へ向かった場合でも、経済が発展しなければ独裁者の地位も揺らぎ、暗殺されるかもしれない。
 結局のところ正恩氏は、米国と日本にそれぞれ、命とカネの保証、確約を求めるため、動き出さざるを得なかったのではないか。


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 米国はこの1年あまり、たびたび空母打撃群を朝鮮半島近海で運用。また対地ミサイルなど60トン以上を積載できる戦略爆撃機を海上の南北境界線である北方限界線(NLL)の北側に越境させた。しかし、北朝鮮軍は反応できず、レーダー捕(ほ)捉(そく)もできなかったとも指摘される。
 制空権がないことがはっきりしたにもかかわらず、米国の軍事圧力に北朝鮮はとりあえず耐えた。ただ、これは即、北の勝利を意味するものではない。むしろ不安だからこそ、体制保証を求めて動き出したのだろう。
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 経済制裁についてはどうか。北朝鮮の経済の仕組みが、いわゆる「宮廷経済」と「一般(市中)経済」に分かれていることは指摘されている。
 宮廷経済とは、正恩氏や家族のぜいたくな暮らしをまかない、高級車から果てはマンションまで、忠誠心を得るための豪華な下賜(かし)品の代金、さらに核やミサイルの開発関連や外国からの人員招聘(しょうへい)など“王朝”を権威と実質で維持するための必要経費一切のことだ。
 これは「統治資金」とも言われ、「39号室」という特殊機関で資金を調達、管理している。脱北者証言や米韓の情報機関などの分析では、正恩氏は先代の正日氏から日本円にして数千億円規模を引き継いだとされる。日本政府は「直ちに資金枯渇し、経済が破綻することはないが、制裁が維持されたら将来が展望できないだろう」(公安調査庁関係者)と分析している。
 日本国内では、米朝首脳会談を前に日本が関係国で「孤立」し「北から相手にされていない」との“分析”もある。「早く、首脳会談を」という主張も出てきたが、本当に「孤立」しているのだろうか。
 日本は日朝首脳会談で、国交正常化後に幅広い経済協力を取り決めている。
 一兆円以上と目される資金は当面、半島の安定を企図する米国や韓国、中国からも当てにされよう。日本からのカネは東アジアの安定と正恩氏の“未来”を握っているとも言える。日本は孤立どころか北をめぐる事態が進むほど、その役割が増し、北にとって重視せざるを得ない立場に向かうだろう。日本は焦ることはない。じっくり構え、拉致問題の完全解決への戦略を練ることが重要だ。


〈管理人〉我が国が北朝鮮との国交正常化にあたり、最も障害になる要件は、北朝鮮の政治体制が金一族を頂点とする独裁体制だということであろう。豊富な地下資源やマツタケが豊富な北朝鮮と国交を開く意義はある。しかしその反面北の工作員が、白昼堂々と国内で活動し、必要に応じて拉致を繰り返す。理由もわからず日本人が蒸発する事件が多発するであろう。
 そうなることに潜在的に恐怖を感じるから、北朝鮮との国交正常化に大きな抵抗が国民レベルでぬぐえないのである。
 北朝鮮にとって外国人拉致は、他国へのあからさまな「侵略行為」であることを忘れてはならない。北朝鮮の拉致問題の完全解決とは、北朝鮮による侵略行為との戦いなのである。これを暴露し、拉致された方の帰国を実現することが、北朝鮮による侵略戦争への完全勝利につながる。帰国した方々が北朝鮮について赤裸々に語ることにより、その責任を政府が北に追求することは「戦後処理」なのである。そして拉致問題の完全解決は、北朝鮮の一族独裁体制の崩壊につながる。だから我が国は拉致問題の完全解決という戦争の選択肢は放棄してはならないのである。

北朝鮮“大物工作員”追跡で発覚した金正恩氏らの日本不法入国 
膨大な金の出入り確認
2018.5.6 02:00更新http://www.sankei.com/world/news/180506/wor1805060005-n1.html


 北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と実兄の正哲(ジョンチョル)氏が幼少時の1990年代前半、日本に不法入国した入管法違反事件は、捜査当局が大物工作員とみて動向を追っていた北朝鮮の男の捜査過程で偶然発覚した“副産物”だったことが201855日、政府関係者への取材で分かった。北朝鮮の指導者一族は、男の手引きで日本入国を繰り返していた疑いが強まっている。(北朝鮮問題取材班)
 政府関係者によると、男は北朝鮮の指導者一族の秘密資金などを管理する朝鮮労働党秘書室の朴英武(パク・ヨンム)副部長。
 捜査当局は1996年ごろ、北朝鮮への渡航を頻繁に繰り返していた日本人男性が帰国するたびに、朴氏が同行していることを把握。朴氏の入国状況をさかのぼって調べたところ、ブラジル政府発行の「Richardo(リカルド) Pwag」名義の旅券で入国していたことをつかんだ。朴氏はブラジル政府発行の旅券のほかに、「リカルド」名義のポルトガル政府発行の旅券も所持していた。
 各国情報機関などの協力を得て、「リカルド」の個人情報を調べたところ、その人物はポルトガルの首都リスボン近郊で農場を営んでおり、本人の知らないところで旅券が申請されていた。朴氏は拉致した人物に成りすます「背乗(はいの)り」と同じ手口で、日本に何度も不法入国していた。


 91年5月12~22日に入国した際には、男児2人をつれていた。男児らの旅券には「リカルド」の「子」との表記があった。
 この男児が正恩、正哲兄弟だったことが判明するのは96年以降のことだった。
 正恩氏は91年5月の入国の際、ブラジル政府発行の「Pwag Josef」名義の旅券を使用。ブラジル人の個人情報に、正恩氏の顔写真を貼付して申請し、取得したものだった。当時8歳。滞在中に正哲氏や朴氏らと東京ディズニーランドを訪れていたことがすでに判明している。
 朴氏が92年4月2~12日まで日本に滞在した際も正恩氏は同行。このときはポルトガル政府発行の旅券で名義は「Josef Pwag」となっていた。
 朴氏は正恩氏の滞在中の身の回りの世話や旅費、飲食や買い物などすべての支払いをしていた。日本の捜査当局は朴氏が各地で使用したクレジットカードの利用状況を分析、外国情報機関と協力して、カード決済用の銀行口座が中国銀行マカオ支店にあることを突き止めた。
 朴氏は正恩、正哲兄弟のほか、2人の実母で金正日総書記(2014年死去)の4番目の妻、高英姫(コ・ヨンヒ)氏らの名義で約10枚のカードを契約、所持。捜査当局は、高英姫氏が病気治療などのためにフランスへ渡航した際にも朴氏が専用機に同乗していたことを把握している。口座には膨大な出入金が頻繁にあったという。


 2001年5月、成田空港から不法入国しようとして入管当局に身柄を拘束された正恩氏の異母兄の金正男(キム・ジョンナム)氏(2017年殺害)も成田の騒動以降もクレジットカードで購入した航空チケットの代金などが決済されていたことから、政府関係者はこの口座が指導者一族専用のもので、朴氏はその資金を管理する立場にあったとみている。

 捜査当局は一時、朴氏の逮捕状を取って、入国が確認された際には身柄を拘束する準備を進めていたが、その後、入国の形跡がないため、逮捕状の更新をしていない。日本政府関係者によると、朴氏は14年に死亡したとの情報もある。


北朝鮮の核の資金源



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