2018年6月24日日曜日

史上初の「米朝首脳会談」で米朝両国がゲットした外交的成果とは? ~実はまだ続くよ米朝戦争~

米朝首脳会談の結果に笑いが止まらない中国

「南シナ海の軍事化」はいよいよ最終段階に

北村淳
シンガポールで開催のアジア安全保障会議に出席した中国人民解放軍軍事科学院の何雷副院長(左)。中国による南シナ海の軍事拠点化は「国防のため」だと述べた。(201862日撮影)。(c)AFP PHOTO / ROSLAN RAHMANAFPBB News

 シンガポールでの米朝首脳会談の結果、アメリカによる北朝鮮への予防戦争発動は、当面の間は停止されることになった。
 トランプ政権は、朝鮮半島の非核化には少なくとも2年半以上の時間が必要と考えている(米軍関係者や専門家は完全な非核化には10年かかると見積もる人々も少なくない)。したがって少なくともその間は、そして北朝鮮による新たな核兵器開発が明るみに出ない限りは、アメリカによる北朝鮮に対する軍事攻撃の可能性はなくなったと考えられる。
遠のいた日本に対する弾道ミサイル攻撃
 アメリカによる北朝鮮に対する予防戦争(本コラム「米国の『予防戦争』発動間近、決断を迫られる日本」2017.12.7(木)「迫りつつある北朝鮮攻撃のレッドライン」2018.3.8(木)など参照)発動が当面の間は遠のいたという状況は、北朝鮮が日本に対して弾道ミサイル攻撃を仕掛ける可能性も減少したことを意味する。
 なぜならば、日本が拉致被害者奪還を口実にして北朝鮮に対する軍事攻撃をちらつかせたり先制攻撃を仕掛けでもしない限り、北朝鮮が日本に対して弾道ミサイルを発射するきっかけとなるのは、アメリカによる対北朝鮮軍事攻撃だけだからである。その場合には、アメリカの同盟国である日本に対する報復攻撃として、北朝鮮から多数の弾道ミサイルが撃ち込まれることになる。トランプ政権は、朝鮮半島の完全なる非核化を、予防戦争ではなく米朝直接交渉を中心とした外交交渉によって達成する方針に舵を切った。その方針が維持される限りは、日本に対して北朝鮮の弾道ミサイルが撃ち込まれる可能性はほとんどなくなったと言ってよい。
とはいうものの、たとえ核弾頭が搭載されていなくとも、化学弾頭が装着されうる200発前後の日本攻撃用弾道ミサイルを北朝鮮軍が手にしている現実から目を背けるわけにはいかない。国際情勢の急変により、何らかの理由によって、北朝鮮が日本に対する弾道ミサイル攻撃を敢行する事態が絶対に生起しないという保障はないからだ。北朝鮮が対日攻撃能力を備えた弾道ミサイルを手にしている限り、日本としてはそのような攻撃を抑止、あるいは阻止し、万一の場合には被害を最小にとどめる態勢を固めておかねばならない。だが、いずれにせよ日本にとっては、北朝鮮からの弾道ミサイル攻撃の可能性が大幅に薄まったということは、米朝首脳会談がもたらした朗報ということはできる。
「南シナ海の軍事化」に追い風        
 日本以上にシンガポール会談によって大いなる恩恵を受けたのが中国だ。
 昨年(2017年)春から今年の春にかけては、北朝鮮による核弾頭ならびにICBM開発とそれに対するアメリカの強硬姿勢によって、国際社会の関心が北朝鮮に向けられていた。中国はその間隙を縫う形で、南シナ海での軍事的優勢を確保する態勢作り、すなわちアメリカの言うところの「南シナ海の軍事化」を推し進めた。
「南シナ海の軍事化」が仕上げ段階に入っている現在、南シナ海情勢から国際社会の目をできる限りそらし続けるのが中国にとって都合が良いことは、誰の目にも明らかだ。そして、中国にとってさらに好都合なことに、米朝首脳会談により「朝鮮半島の非核化」が現実味を帯び始めた。直接利害関係国以外の国際社会全体から見ると、地の果ての南シナ海のどこにあるかも分からない小さな環礁を巡っての「南シナ海の軍事化」という動きよりは、「朝鮮半島の非核化」のほうがはるかに大きな関心事であることは疑いようがない。したがって、中国が国際社会からの強い反発を受けることなく「南シナ海の軍事化」を完成させることは、ますます容易になったのだ。
南シナ海から締め出しを食う米軍戦力
 中国側の論理によれば、南沙諸島人工島の軍事基地化にせよ、西沙諸島の軍備増強にせよ、アメリカのいう「南シナ海の軍事化」は、南シナ海(その8割以上は中国の主権的海域であると中国当局は定義している)で「アメリカ軍が我が物顔で自由自在に動き回れなくする」ための、防衛態勢を固める方策の1つということになる。なにも中国は、南沙諸島に設置した3カ所の本格的航空施設を含む7つの人工島すなわち7つの海洋軍事基地を拠点として、フィリピンやマレーシア、そしてオーストラリアなどに軍事侵攻しようと企てているわけではない。中国人民解放軍が立脚している「積極防衛戦略」によれば、太平洋方面から中国本土に押し寄せるアメリカ海洋戦力を中国本土沿岸よりできるだけ遠方の海域で撃破するために、南沙諸島や西沙諸島に地対艦ミサイルや防空ミサイルを設置してミサイルバリア網を誕生させようというのである(下の図)。
中国の南シナ海ミサイルバリア態勢(赤円は地対艦ミサイルと防空ミサイルの射程圏)
もちろん、南沙諸島や西沙諸島に中国のミサイルバリア網が構築され、それらの海域や空域を中国艦艇や航空機が自由自在に飛び回るようになることは、アメリカが第2次世界大戦で日本軍を駆逐して以来、手にしていた「南シナ海での軍事的優勢」を失うことを意味している。したがって、アメリカは「南シナ海の軍事化」に反発しているのだ。しかしながら、北朝鮮情勢や、イランをはじめとする中東情勢、それにロシアの動きなど、アメリカが南シナ海へ軍事力を集中することができない国際情勢は、少なくとも南シナ海に関しては中国に利しているようである。そして、シンガポールでの米朝首脳会談によって、中国に吹く追い風はますます決定的となった。

 アメリカ国防当局が画期的な対中反攻戦略(拙著『トランプと自衛隊の対中軍事戦略』講談社新書参照)を繰り出さない限り、南シナ海での軍事的優勢は中国の手に転がり込むことは確実な状況になりつつある。

〈管理人より〉外交交渉は交渉する両国が「win-win」の関係にならなければなりません。どちらかの国に権益が偏ると武力衝突になりかねないのです。今回は北朝鮮が「非核化」に向けて核廃絶を進めていくのに対して、米韓が「合同軍事演習」を中止する、となりました。どちらかが合意違反となれば今度こそ「軍事衝突」となるでしょうね。共同宣言に当然盛り込むべき「拉致問題」は、核の問題以上に大きくとりあげられなかったのでしょう。アメリカ人も何人拉致されているかわからないにも関わらず、です。北朝鮮の外国人拉致は、かの国の非合法な「侵略戦争」という側面そのものです。そこを厳しく追及しなければ、北朝鮮は「真摯な」姿勢で核廃絶に取り組むことはないでしょう。

米朝首脳会談とこれからの日本

【首脳会談でアメリカは北朝鮮に実をとられたか?】


金正恩にいいとこ取りされたことに気づかないトランプ

海野素央 (明治大学教授、心理学博士)
 今回のテーマは、「金氏の新たな後ろ盾」です。史上初となった米朝首脳会談は2018年6月12日、シンガポールで開催されました。米国が北朝鮮に大きく譲歩したというのが大方の見方です。
 本稿ではまず、会談におけるドナルド・トランプ米大統領の非言語コミュニケーションに焦点を当てながら演出力を分析します。次に、トランプ氏の支持者を意識した共同声明と記者会見について述べます。そのうえで、金正恩北朝鮮労働党委員長が本当に得たものは何かを探ってみます。
握手は交渉の入り口
 米朝首脳会談は第三国で行われたのにもかかわらず、トランプ大統領は金委員長に対してまるでホストのように振舞っていました。米朝の国旗が合計12本交互に並んだホールで、約13秒間握手を交わすと、トランプ氏は「どうぞ」という動作をして、金氏の背中に手を添えながら部屋に入っていきました。
 トランプ大統領は金委員長との握手の感触により、同委員長の自尊心の強さを測り、交渉をするに足る人物か否かを見極めていたのです。トランプ氏は、金氏を「価値ある交渉相手」と判断したのでしょう。加えて、金氏を利用して会談で素晴らしい演出ができると確信したのでしょう。トランプ氏は、金氏に向かって親指を立てて「グッド」のサインを出しました。握手は単なる挨拶ではなく、交渉の入り口と捉えているトランプ氏は、ゲームの最初から主導権を握るつもりだったのです。
非核化よりも演出重視
 今回の米朝首脳会談でトランプ氏は、明らかに非核化よりも演出を強く意識した行動をとっていました。以下で、どのようにして演出力を発揮したのかについて説明しましょう。
 第1に、会談成功の演出です。トランプ大統領は会談に出発する直前まで、「合意文書に署名することはないだろう」と述べていました。明らかに、会談に対する期待値を下げました。
 ところが金氏との散策の最中、メディアに向かって「合意文書に署名する」と語ったのです。会談前は期待値を下げて置き、会談後は米朝が合意文書に署名ができたとアピールすることによって、会談の「成功」を演出したのです。
 第2に、金委員長との関係づくりの演出です。トランプ大統領は、大統領専用車「ビースト(野獣)」の中を金氏に見せました。同氏は「ビースト」をのぞき込んでいました。
 シンガポールに向かう直前まで、トランプ氏は会談の目的は、「互いを知り、人間関係を構築することになるだろう」と記者団の質問に答えていました。トランプ氏は、ビーストを使ってこれほどまで金氏と信頼関係が構築できたという演出を行ったのです。
3に、金委員長に非核化の実行を促す目的で作成された4分間のプロモーションビデオです。非核化を受け入れた場合、北朝鮮がどのような経済繁栄をするのかを連想させる内容のビデオです。
 ビデオの中で、非核化によってもたらされる経済的メリットを強調しています。電気インフラ、鉄道の整備、技術革新、医療の発達、リゾート地の開発などを挙げ、経済発展を成し遂げた北朝鮮の姿を魅力的に描いています。それらをインセンティブ(刺激・誘因)にして、非核化を実現させようという米国の意図が透けてみえます。
 ビデオは「たった一つの瞬間」「一回の選択」と訴えて、機会損失をしないように金委員長に警告を発しています。524日の会談中止を告げた例の書簡においても、トランプ大統領は金氏に「あなたはチャンスを逸した」という一文で締めくくりました。ビデオの中で、金氏が大好きなバスケットボールの選手がダンクシュートを決める場面があります。同氏に対して、即座に大胆な決断を下すように強く働きかけているわけです。
 第4に、タッチングと発言量です。握手と同様、タッチングは非言語コミュニケーションの中の動作に分類されます。一般に、目上の人が目下にタッチングを行います。
 トランプ大統領は握手とタッチングを組み合わせて、自分が会談をコントロールしているという演出をしました。共同声明に著名を行った金委員長がトランプ大統領の背中に手を添えると、今度はトランプ氏が透かさずやり返す姿は、まるでタッチングの競争のようでした。さらに、発言量においてもトランプ氏が金氏を圧倒し、会談の主導権を握っている印象を与えたのです。
 第5に、米朝共同声明の署名後に12本の国旗の前で交わしたトランプ大統領の強引な握手です。トランプ氏は、金委員長の体が動くほど、強く同委員長の手を引っ張たのです。会談の最後にトランプ流の握手を見せて、「強いリーダー」を世界に見せつけました。
トランプ支持者を意識した共同声明と記者会見
 トランプ大統領は、米朝共同声明で支持者を強く意識した声明を入れました。
 「米国と北朝鮮はすでに身元が特定されている遺骨の本国への即時送還を含め、捕虜及び行方不明兵士の遺骨の回収を約束する」
 トランプ氏はこの声明を発表できたことにより支持基盤の一角を成す退役軍人から高い評価を受けることは間違いありません。
 記者会見では韓国に相談せず、コストを理由に「非核化交渉の間は米韓合同演習を中止する」と発表しました。在韓米軍は核保有の北朝鮮のみならず中国も視野に入れているので、北東アジアの安全保障にとって極めて重要であるというのが、外交・安全保障問題の専門家の見解です。
 ところがトランプ大統領は、彼らとはまったく異なったパラダイム(ものの見方・考え方)に基づいて議論しています。率直に言ってしまえば、在韓米軍にかかるコストに反対するトランプ支持者を意識して発言したのです。史上初の米朝会談においても、トランプ氏は「支持基盤第一主義」を貫いたということです。
金氏の最大の収穫
 米朝共同声明には、「検証可能」「不可逆的」という文言は入りませんでした。非核化に関する期限及び具体的な検証の仕方に関しても一切触れていません。結局、今回の米朝会談で非核化についてトランプ大統領の本気度に疑問符が付きました。これまでは、北朝鮮の非核化のコミットメント(関与)に懐疑的でしたが、会談の「ショー化」にエネルギーを注ぐトランプ氏を見ると、同氏の本気度を疑うのは当然です。
 マンマス大学(米東部ニュージャージー州)が実施した最新の世論調査(1861213日実施)によれば、「米朝首脳会談でどちらの国がより多くの利益を得たと思うか」という質問に対して、有権者のわすか12%が米国と回答したのに対して、38%が北朝鮮と答えました。しかも、同世論調査では米朝会談でトランプ氏が「強く見えた」と回答した有権者は46%、一方金氏は45%で拮抗しています。演技力と発言力の双方でトランプ大統領が金氏を上回っていたのにもかかわらず、米国の有権者は同大統領に厳しい評価を下しています。確かにトランプ大統領の米韓合同演習中止の発表は、金氏にとって収穫でした。だたそれのみではありません。
 トランプ大統領は、米朝首脳会談後の記者会見で日本及び韓国に経済支援の費用を期待していると述べました。帰国後、米FOXニュースとのインタビューの中で、金氏について「我々はケメストリー(相性)がとてもいい」と4回も語り、両首脳の良好な関係を強調しました。金氏はすでに外交・安全保障において、習近平国家主席を後ろ盾にてしています。加えて今回の会談で、同氏はトランプ氏を経済支援の後ろ盾に得ることに成功しました。これが、同氏にとって最大限の収穫であったわけです。

【メディアが伝えない終わりのない米朝戦争】

「米朝首脳会談」でも続く北朝鮮のサイバー攻撃

中国、ロシアのハッカー集団も韓国を狙い撃ち

米朝首脳会談の合間に、シンガポールのカペラホテル敷地内を並んで歩くドナルド・トランプ米大統領(左)と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(2018612日撮影)。(c)AFP PHOTO / SAUL LOEBAFPBB News(文:山田敏弘)

山田敏弘
ジャーナリスト、ノンフィクション作家、翻訳家。講談社、ロイター通信社、ニューズウィーク日本版などを経て、米マサチューセッツ工科大学(MIT)のフルブライト研究員として国際情勢やサイバー安全保障の研究・取材活動に従事。帰国後の2016年からフリーとして、国際情勢全般、サイバー安全保障、テロリズム、米政治・外交・カルチャーなどについて取材し、連載など多数。テレビやラジオでも解説を行う。訳書に『黒いワールドカップ』(講談社)など、著書に『モンスター 暗躍する次のアルカイダ』(中央公論新社)、『ハリウッド検視ファイル トーマス野口の遺言』(新潮社)、『ゼロデイ 米中露サイバー戦争が世界を破壊する』(文芸春秋)など多数ある。

「韓国語が話せる? 大卒で米国民? あなたの能力はここで求められている」
 201711月、こんな求人がCIA(米中央情報局)の公式ツイッターでアップされた。この求人は、CIAで対北朝鮮の任務を担える人材を探すためのものだったが、米情報当局などはこの1年ほどの間、積極的に朝鮮情勢に関わる人員を増やしてきた。
 例えば、米国家情報長官室(ODNI)も、「コリア部長」を今年2月に募集。CIAでも昨年5月に開設されたコリア・ミッションセンターに他の部署から人材が集められていると報じられている。2018年612日、ドナルド・トランプ米大統領と金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長による歴史的な会談が実現した。これまでになく上機嫌で会談後の記者会見に臨んだトランプ大統領は、1時間以上も記者の質問に応じた。ただ結局、合意文書には「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」(CVID)」という言葉も見当たらず、金党委員長からは非核化に向けた「再確認」という言葉を得ただけだった。トランプ大統領は、決して「譲歩」はしていないと主張した。
 その上で、非核化に向けた具体策は翌週から協議を続けていくと語っている。米朝は今後も駆け引きが続いていくことになりそうで、米政権内で朝鮮半島情勢の重要度はこれからも変わらないだろう。事実、トランプ大統領は非核化を実現するには1度の会談よりも「もっと時間がかかる」と語っており、そのための人材の強化なども続いていくと見られる。
 そんな中、CIAのみならず、米軍や米情報機関に人材を派遣するセキュリティ企業でも、韓国語をはじめとする外国語が使え、サイバー部門などで情報分析などもできる求人が増えているという。というのも、米朝による非核化に向けた交渉の裏で、サイバー空間での北朝鮮の動きが活発になっているからだ。また交渉が進むにつれ、サイバー空間での動向がどうなるのかも注視されている。
 しかも問題は北朝鮮だけにとどまらない。トランプ大統領が一方的に核合意から離脱したイランにからんでも、サイバー空間で不穏な兆候があると指摘されているのだ。
トランプ大統領の予測不可能な動きに、水面下で動き出す各国政府のハッカーたち――。北朝鮮とその背後にいる中国やロシア、さらにはイランは、果たしてサイバー空間でどう暗躍しているのだろうか。
韓国へのサイバー攻撃を続ける北朝鮮
 米朝関係をめぐっては、今年3月が大きな転機になった。トランプ大統領が金正恩党委員長の要請を受けて首脳会談に応じると発表し、それを受け、金党委員長は中国を初めて訪問、習近平国家主席と会談した。その後にはマイク・ポンペオ米国務長官(当時はCIA長官)が北朝鮮で金党委員長と面会した。だが2018年524日には状況が一変。トランプ大統領が突然、米朝会談の中止を発表した。しかし、この動きに金党委員長が折れ、61日には再び会談が行われる運びとなった。
 そんな紆余曲折の中で、サイバー空間では北朝鮮がうごめいていた。もっとも標的になっていたのは韓国だ。
 そもそも、金党委員長は427日に、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領と初会談を行い、「お互いにすべての敵対行為を完全に中止する」と合意している。それを踏まえて、文大統領も「新たな平和の時代が始まる」と述べているが、実際のところ、北朝鮮は敵対行為を「止める」どころか、サイバー空間での攻撃を続けているのである。
 517日、韓国のソウルで開催された「アジアン・リーダーシップ会議」で、韓国警察のアドバイザーを務めるサイバーセキュリティ専門家のチョイ・サンミュン氏は、「2つのコリアの融和ムードによって、北朝鮮は陸海空からは韓国に攻撃を仕掛けないだろうが、サイバー空間では北朝鮮による攻撃や情報を盗む工作が続いており、私は両国の仲直りの様子を少し懐疑的に見ている」と語った。また多くのセキュリティ会社も、南北が接近を始めた今年初めから、韓国をターゲットにした北朝鮮によるサイバー攻撃が増えていると指摘している。
スマホ向けの攻撃アプリを送り込む
 一体どんな攻撃が起きているのか。例えば、韓国のシンクタンク・世宗研究所や、北朝鮮に向けた支援などを行っている組織などにサイバー攻撃が仕掛けられたことが判明している。また金融機関に対する攻撃、機密情報などを盗もうとするサイバー攻撃なども発生している。
NSA(米国家安全保障局)の元東アジア専門分析官は、「北朝鮮の攻撃者たちは破壊的なマルウェア(不正なプログラム)を開発し、アンドロイドのスマホ向けの攻撃アプリを開発して送り込んだりして、広範囲でサイバー攻撃によるスパイ工作を行っている」と、メディアに語っている。
 また韓国人を装ってマルウェアを仕込んだ悪意ある電子メールなどが、米朝会談にも携わる北朝鮮専門家たちや脱北者などに送りつけられていることも確認されている。現時点で攻撃者はまだ完全には特定されていないが、おそらく目的は、関係者らのコンピューターなどから会談に関連する情報を盗み、米国や韓国などの出方を把握したい、ということだと見られている。もちろんそうしたメールの送り主は、北朝鮮のサイバー部隊だと考えるのが自然だ。
 北朝鮮のサイバー部隊は、最近、技術的にも優れ、非常にしたたかだというのが大方の見解だ。そんなことから、北朝鮮は米朝の交渉で米国や韓国と文書を共有したり、コミュニケーションを行うようになったことを利用し、サイバー攻撃で相手にマルウェアを送り込む可能性があると警戒されている。情報機関などもコミュニケーションのセキュリティを強化していると聞く。
中露も韓国を狙い撃ち
 実は、韓国を攻撃しているのは北朝鮮ばかりではない。朝鮮半島の安定化、もっと言うと、北朝鮮が米国と接近するのを望まない中国やロシアも、韓国などに攻撃を行っている。米サイバーセキュリティ企業の「ファイア・アイ」は、中国の「TempTick」という集団が、ワード文書にマルウェアを埋め込んでばらまいており、さらに「Tonto」と名付けられた中国関連の集団も韓国を標的にしていると報告している。
TempTick」という組織は、2009年から日本や韓国を標的に活動していることが確認されており、中国の反体制派をサイバー攻撃していた過去もある。そうした背景も、この集団が中国政府に関係しているとされる根拠となっている。
 瀋陽に拠点を置く「Tonto」は中国軍とつながりのある集団で、韓国で2017年から配備が始まった米軍のTHAAD(ターミナル段階高高度地域防衛システム)に抗議する意味で、サイバー攻撃を繰り返していた。中国はTHAADを軍事的な脅威と見ているからだ。さらに今年3月には、韓国・沿岸警備隊の求人に見せかけ、クリックした人がマルウェアに感染するという攻撃も報告されている。
 さらには、北朝鮮のもう1つの隣国、ロシアの政府系ハッカー集団も韓国を襲っている。例えば、エストニア政府がロシア連邦保安庁(FSB)につながる組織だと指摘する「Turla」は、少なくとも2006年から欧州を中心に世界でサイバー攻撃を実施しているが、そんな「Turla」も最近、韓国を攻撃している。トランプ大統領と金党委員長の米朝会談により、サイバー空間では、北朝鮮や中国、ロシアがうごめいて韓国を狙い撃ちにしている。そうした攻撃には、北朝鮮からの攻撃に見せかけているケースもあるという。
現在すでにこうした攻撃が起きていることを鑑みれば、仮に北朝鮮の非核化が結果的に不調に終わる場合にはどんな事態になるのだろうか。前出の元NSA分析官は、「(北朝鮮による)サイバー報復攻撃が起きるでしょう。米政府や米軍のネットワーク、米政府とつながりのあるセキュリティ企業、また民間の大企業に対するDDoS(分散型サービス妨害)攻撃や他の破壊工作が起きる可能性が高い」と語る。
 もっとも、韓国と融和的なムードが漂う中でもサイバー攻撃の手を緩めなかった北朝鮮だけに、会談や交渉がどう転んでもサイバー攻撃は続く可能性がある。
核合意破棄でイランも不穏な動き
 そしてもう1つ、トランプ政権の下したある大胆な決断によって、サイバー空間に不穏な空気が漂っているケースがある。イラン核合意の問題だ。
 トランプ大統領は今年58日、2015年に当時のバラク・オバマ政権と英国、フランス、ドイツ、ロシア、中国が、2年に及ぶ交渉の末にイランと結んだ核合意から離脱した。すると、直ちにサイバー空間ではイラン政府系のハッカーらの動きが察知された。
 ハッカーたちは米国やその同盟国の外交官や通信会社社員などに、マルウェアを仕込んだ悪意ある電子メールの送信を開始した、とセキュリティ企業がすぐに警告を出している。また欧州にある米軍施設のコンピューターにも入り込もうとしている兆候が報告されている。
 実は、特に欧米諸国に対するイランのハッカーらによるサイバー攻撃は、2015年の核合意以降は大人しくなっていた(核合意に加え、イランがシリアやイエメンでの紛争に焦点を移したからとの見方もある)。
 それまでイランは、大々的にサイバー攻撃を実施していた。例えば2012年、ライバル国であるサウジアラビアの国営石油企業「サウジアラムコ」に大規模なサイバー攻撃を行い、社内の3万台に及ぶパソコンのデータを消去した。同社は復旧に2週間を要している。
ウォール街企業やインフラシステムにまで攻撃
 NSA2013年、この攻撃について「20128月に発生したサウジアラムコに対するイランの破壊的サイバー攻撃は、多くのパソコンの内部に保存されていたデータを破壊した。これまでイランを見てきたNSAの見解でも、イランによるここまでの攻撃は過去に例がない」と、内部文書で報告していた。
 イランのハッカーたちは、2017年にもサウジアラビアの別の石油会社をサイバー攻撃し、制御システムをコントロールして爆破させようとした。結果的に爆破は阻止されたが、この攻撃にはロシアが協力したとの報道もある。
 さらにイランは、米ウォール街の企業に対して激しいサイバー攻撃を続けてきた実績があるし、2015年にはラスベガスのホテルなどを経営するユダヤ系不動産開発会社「ラスベガス・サンズ」をサイバー攻撃して騒動になった。また米国内にあるダムなどのインフラのシステムにもハッキングで侵入を成功させていたことが判明している。
 日本も無関係ではない。イランの精鋭軍事集団である革命防衛隊の協力団体は、2013年から世界中の320の大学や米政府機関、国際機関などを狙ったサイバー攻撃を実施しており、そのターゲットには日本も含まれていたことが後に判明している。とにかく、トランプ大統領は核合意からの離脱によって、寝た子を起こしてしまったようだ。2002年に米政府がイランの銀行に対する強力な経済制裁を発表した後も、米国にある多くの銀行が、イランによるDDoS攻撃の被害に遭っている。今後も、核合意の後に大人しくしていたイランの政府系ハッカーらによるサイバー攻撃が増加することは間違いないだろう。
 北朝鮮やイランの問題は、サイバー空間にもその余波が広がっているのである。どちらの問題も、これからさらに交渉や調整などが続けられることになるだろう。結果的に、関係が今以上に険悪になったり、小競り合いになる可能性も十分に考えられる。そうなれば、米国やその同盟国に対する攻撃や工作が頻発し、今以上にサイバー空間が騒がしくなるだろう。今のうちから、米国機関やセキュリティ企業が人材の補強を行っているというのは、賢明な動きなのかもしれない。

〈管理人より〉現代は「第三次サイバー世界大戦」の時代
 殺し尽くせ、焼き尽くせという19世紀以来の「戦略爆撃論」に代表されるようなリアルな武力戦争は、経済的な相互依存関係が国際的に進みすぎた現代社会では、もはや現実的ではありません。破壊力がメガトン級の核兵器が前近代的な兵器であることは誰の目にも明らかでしょう。核兵器を使った国家は、侵略国家、非道国家として国際的な信用を失墜させ、多国籍軍に代表される国連安保理の繰り出す武力制裁、経済制裁により早々につぶされるだけです。21世紀からの現代の戦争は、仮想敵国の経済、人的(技術的)なインフラを焼き尽くさず、破壊せず、殺さずにコントロールして国益を追求する戦争といえるでしょう。インターネットの普及とハッキングやマルウェアなどの技術的な進化により、新たな戦争の形が確立したわけです。まさに現代は「第三次世界大戦」の状態といえますが、「第三次」の後に「サイバー」をつけるべき有事体制といえるのです。


0 件のコメント:

コメントを投稿