2017年2月15日水曜日

地政学からみる日本

敗戦で領土の8割を喪失した日本が、戦後繁栄した理由

 田岡俊次
Dot 

 トランプ米大統領の登場で先が読めなくなってきた国際情勢。だからこそ、見えにくい事実をあぶり出す新しい地図に注目したい。VR(バーチャルリアリティー)やスマホアプリで地図の世界もどんどん進化している。ブラタモリなど街歩きブームの極意もルポする。AERA 2017220日号では「地図であぶり出す未来」を大特集。
「地政学」と銘打った本が次々と出版されている。軍事と結びついた地政学は戦後タブーとされたが、混沌とした世界を見る際の羅針盤となるのか。軍事評論家の田岡俊次さんに、地政学の観点から見た日本について、寄稿していただいた。
***
 「地政学」は国際政治をもっぱら地理的観点から論じようとする。20世紀初頭のドイツで膨張政策を正当化し、英、米が帝政ロシアやソ連に対する封じ込め戦略を推進するための説が主だった。地政学という言葉が広まる以前から、国家、地域の成り立ちや消長が地理的条件によって左右されるのは自明だった。
 戦争は領土や勢力圏の境界を巡って隣接国との間で起こることが多い。そこに住む民族間で反乱や闘争が起き、領域外に住む同一民族の支援に出兵することもある。国境と民族の数が多ければ、武力紛争に引き込まれる可能性も高くなるだろう。
 日本は生活に適した温帯にある大きな島国で、安全保障上も経済的にも有利な位置にある。

●海に守られている日本

 今日の日本は陸上の国境がなく、深刻な民族対立がないから、比較的平和を保ちやすい条件がある。宗教的にもキリスト教、イスラム教などのような宗派の闘争もない。
 日本の対外戦争は663年、大和朝廷が同盟状態にあった百済救援のため出兵し、唐、新羅軍と戦って大敗した「白村江の戦い」、1592年から98年にかけての豊臣秀吉の「朝鮮の役」、そして1894年の日清戦争から1945年の敗戦に至る約50年間の一連の戦争と介入、と大陸への出兵が3件あったが、結局失敗に終わった。
 日本が侵攻を受けて始まった戦争は1274年と81年の蒙古・高麗連合軍の襲来だけだ。モンゴル帝国を日本が撃退し得たのは、「神風」によるものではない。鎌倉武士団の勇戦もさることながら、海に囲まれた地理的優位によるところが大きい。
 日本と並ぶ島国の英国も防衛上有利で、ヨーロッパ大陸を席巻したナポレオン、ヒトラーに制海権、制空権で対抗し、侵攻を防ぎえた。小型の武装商船が主体だった英海軍が1588年、スペイン「無敵艦隊」による英国攻略を阻止し、無敵艦隊が嵐で壊滅したのは、日本の蒙古襲来の撃退と似ている。
 だが英国も日本と同様、海外に属領、勢力圏を拡大した結果、各地で戦うこととなった。アイルランドを占領して長く反乱、テロに悩まされ、米国独立戦争で苦杯を喫し、インドや南アフリカで苦戦した。
 航空機の発達や弾道ミサイルの出現で、地理は軍事上絶対的要素ではなくなった。島国の防衛上の利点は減じたとはいえ、渡洋侵攻の困難さは変わらない。1個師団(1万~2万人程度)と装備、車輛の輸送には50万トン以上の船腹が必要だ。例えば160万人の中国陸軍も、幅約150キロの台湾海峡を渡って送り込める兵力は23万人と見られ、13万人の台湾陸軍の制圧は不可能に近い。
 日本は第2次大戦で台湾、南樺太、朝鮮半島などの属領を失い、事実上統治下にあった満州を含むと領土の約80%を失ったが、1968年に戦前夢にも思わなかった世界第2位の経済大国になった。属領の防衛費や行政経費、インフラ整備などの出費を免れ、産業の振興に資金と努力を集中できたことが成功の主因だろう。
 商船の巨大化で海運のコストが著しく低下し、資源も国内より海外から買うほうが安くなり、工場が海岸に立地する島国の利点が発揮された。いまや国力の源泉は領土ではなく、労働力の質と量、技術、資本、経済体制、海外市場(すなわち友好関係)などであることを示した戦後日本の成功例は、「地政学」を論じるに当たって忘れてはならない点と考える。(軍事評論家・田岡俊次)※AERA 2017220日号



 © dot. 日本の「立地」は日本社会にどんな影響をもたらしたのか (※写真はイメージ)

「地政学」を動画から学んでみましょう

日本における地政学の位置づけ 林吉永

日本の外交政策、地政学が示す3つの選択肢

最強兵器としての地政学 海洋国家日本の戦略 藤井厳喜


0 件のコメント:

コメントを投稿