2017年2月23日木曜日

アメリカ軍を沖縄から台湾へ「再配置」する!?日本の「専守防衛」のあり方

米軍を沖縄から台湾に再配置する!?
「一つの中国」見直し論

岡崎研究所

 トランプ政権と近く、国務長官候補に名前が挙がったこともあるボルトン元米国連大使が、2017116日付ウォール・ストリート・ジャーナル紙掲載の論説にて、米政権は「一つの中国政策」を改め、台湾への武器売却のみならず、一部の米軍を沖縄から台湾に再配置するなどして、中国と対峙すべきだ、と論じています。要旨、次の通り。
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20171月初め、中国は空母「遼寧」に台湾海峡を通過させた。この動きは、台湾の蔡英文総統がトランプ次期大統領に当選を祝う電話をしたことへの対応の一部である。これが中国のやり方である。
 上海コミュニケから45年が経過した現在、「一つの中国政策」を見直し、米国がその意味をどう捉えるか再考するときがきている。トランプは、この政策は交渉可能だと言っている。交渉は米国が譲歩し中国が得をすることを意味するべきではない。我々は1972年ではなく2017年を反映する形で、戦略的に一貫性のある優先順位を決める必要があり、そこには貿易や通貨政策以上のもの、特に台湾政策が含まれるべきだ。
 米国はこれまであまりに長い間、不本意にも「一つの中国政策」という言葉遊びに付き合わされてきた。しかし、上海コミュニケにおいてさえ、「米国は、全ての中国人が、中国はただ一つであり、台湾はその一部であると信じていることを認識する」としているだけだ。
 米国は常に、中台の再統一は、平和的かつ双方の合意のもとでなければならないと主張しているが、67年が経過しても相互の合意は存在していない。中国が香港についての一国二制度を乱暴に再解釈し、それを香港に強いているのを見れば、予見しうる将来にも双方の合意は実現しえないだろう。
 米国は、台湾への武器売却を増やし、兵員と装備を台湾に再度配備することで、東アジアにおける軍事態勢を強化し得る。マッカーサーのように台湾を「不沈空母」と捉える必要はなく、相互防衛条約の再交渉も必要ない。基地駐留の権利と関連活動は、完全な防衛同盟を意味するわけではない。我々の活動は、シンガポールのやり方とそれほど変わらないだろう。台湾関係法は広範に作られており、既にそのような関係を含んでいるため、新たな権限法を通す必要はない。
 確かに、米軍の駐留は上海コミュニケ違反だと主張する向きもあるだろう。しかし、それには台湾関係法の文言が優先されるべきである。この地域の情勢は、中国が主張するような1972年の状況とは根本的に異なっている。アジアの近隣諸国は、中国の軍事力と好戦性が劇的に高まっていると見ているはずだ。より重要なことは、中台関係に恒久的な変化が生じており、上海コミュニケの大半が時代遅れになっていることである。国際法における事情変更の原則に基づけば、1972年と異なる視座に立つことは正当化される。
 台湾の地理的位置は、沖縄やグアムよりも東アジアの本土や南シナ海に近く、事態が生じた場合に、米軍が即応展開する際の広範な柔軟性を与えることになる。米国は、少なくともある程度の米軍を沖縄から台湾に再配備し、日本との緊張を緩和することもできるだろう。それに現在のフィリピン指導部を見れば、予見しうる将来、米比の軍事協力を強化する機会はあまりなさそうである。
 海洋の自由の維持、軍事的冒険主義の抑止、一方的な領土併合の阻止は、東アジアおよび東南アジアにおける核心的な米国の利益である。現在では、1972年とは逆に、台湾との軍事関係の緊密化が、これらの目的を達成するのに重要な一歩となるはずである。もし中国が異議を唱えるならば、もちろん話し合う余地はある。
出典:John Bolton,Revisit the One-China Policy’’(Wall Street Journal, January 16, 2017
http://www.wsj.com/articles/revisit-the-one-china-policy-1484611627

 1972年の「上海コミュニケ」の中ではじめて表現された米国の「一つの中国政策」を今日の現実に合うように変えるべきであるとの主張です。トランプ大統領がツイッターで「『一つの中国政策』は交渉次第である」と述べたことと軌を一にしています。
曖昧な同床異夢
 「一つの中国政策」とは、もともと曖昧な同床異夢の上に成りたった概念です。中国はそれを「台湾は中国の不可分の一部」を意味するものと主張します。米国も日本も中国の主張に相当の歩み寄りをみせつつも、米国は「中国の主張を認識する」というにとどめ、日本は「中国の主張を十分理解し、尊重する…」というにとどめ、中国の主張を承認したり、合意したりしていません。
 この同床異夢の概念が成立したのは、ボルトンの言う通り1970年代の冷戦期です。さらに、その後40数年の間に、台湾人のもつアイデンティティー意識は、各種アンケートが示すとおり、「自分たちは中国人ではなく、台湾人である」との意識が着実に強まってきました。
 米国はこれまで、中国の主張する「一つの中国政策」の解釈について、直接的に異議を唱えることなく、そのまま受け入れることが多く、そのため、知らず知らずのうちに中国の解釈に屈してきたという、ボルトンの指摘はその通りです。
 トランプの対中政策のうちでは、為替・関税操作、南シナ海問題、「一つの中国政策」の3分野が主たる注目点です。トランプが、いずれかの分野で中国が妥協すれば、他の分野での要求をとりさげるというような取引材料としてこれらを使おうとしているのか、依然として判然としないところがあります。
 今日までの中国の反応を見る限り、いずれの分野に対しても中国はトランプの批判に対抗する立場をとっていますが、この3分野の中では「一つの中国政策」に対して最も強硬な態度をとっているように見えます。中国外交部スポークスマンは、「台湾問題の高度な敏感性を十分認識し、『一つの中国原則』に基づき政策を継続するよう促す」との趣旨の発言を行いました。
 そのような中国の対応から見る限り、「一つの中国政策」の見直しを主張するトランプやボルトンの主張は、中国にとって最も痛いところを突くものなのでしょう。これまで、各国が中国と対話するうえで、一種のタブーのように扱われてきた「一つの中国政策」をトランプがいとも簡単に破ったことに中国としては内心、恐慌をきたしているに違いありません。
 ボルトンが指摘するように、「台湾関係法」を持つ米国は、台湾への防御用武器を台湾に売却できる仕組みをもっています。ボルトンは「台湾関係法」の文言を優先して、国際法の「事情変更の原則」により、米軍の一部を台湾に再配備することを提案しています。この点については、専門家の間においてもいまだ議論されていない点であり、そう簡単に実施に移されるとは考えられません。ただし、このような議論が米国内で行われるようになったということ自体が、中国牽制の意味を持つものと考えられます。
 台湾の蔡英文政権は、「一つの中国政策」をめぐる米中間の対立の中に「台湾カード」として巻き込まれることを避けるため、目下のところ、本件を静観するとの基本的姿勢を維持しています。中国は、空母「遼寧」を台湾島の周辺を一周させた他、サントメ・プリンシペの台湾承認を中国承認に切り換えさせ、トランプ就任式に出席した台湾代表団を威嚇したりしています。

《維新嵐》アメリカ軍のどの軍種、部隊を沖縄から台湾に再配置する考えが出されているかこの文面からは読み取れないですが、アイディア自体は悪くない考え方であろうと思う。ただそういう場合尖閣諸島も含めた南西諸島の防衛ラインの一角を死守するために「再配置」して減ってしまったアメリカ軍の穴をうめるため「日本国防軍」たる自衛隊の部隊、装備を強化する必要が出てくるのは必然かと思えます。そうした場合に単に正面装備だけ協力にするのではなく、システムの上で島嶼間への外国侵攻を探知し、即応できる態勢を作っておくことは不可欠です。北朝鮮による邦人拉致のように外国工作員でしたが、二度と本土への上陸をなされてはならないのです。。

台湾国防軍

【阿比留瑠比の極言御免】
敵基地攻撃能力の保有へ機は熟している「座して死を待つなかれ」
「わが国土に対し、誘導弾などによる攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨だとは考えられない」
 鳩山一郎首相(当時)が衆院内閣委員会でこんな政府統一見解を示し、敵基地攻撃能力の保有は合憲だと表明したのは、さかのぼることはるか61年、昭和31年2月のことである。統一見解は次のように続く。
 「誘導弾などによる攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾などの基地をたたくことは、法理的に自衛の範囲に含まれ、可能である」
 まだ日本が、現在のように北朝鮮や中国の弾道ミサイルの脅威にさらされていなかった時代でも、そうだったのである。
 それからミサイル技術は日進月歩し、正確性も破壊力も比べものにならない。にもかかわらず、情けないことに「わが国は敵基地攻撃を目的とした装備体系を保有しておらず、保有する計画もない」(今年1月26日の衆院予算委、安倍晋三首相答弁)のが現状だ。

■国際情勢の変化

 長年にわたる政治の不作為により、国民の生命と財産は危険にさらされ続けてきた。もうここらで、政治は真摯に現実に向き合うべきだろう。自衛隊部隊の日報における「戦闘」の定義や意味について延々と不毛な論争をするよりも、よほど国民のためになる。
 安倍首相はこの1月の答弁で、敵基地攻撃能力の保有について「国民の生命と財産を守るために何をすべきかという観点から、常にさまざまな検討は行っていくべきもの」とも述べた。当然の話だろう。
 もともと安倍首相は、わが国の敵基地攻撃能力の欠如について問題意識を持っている。まだ当選2回の若手議員だった平成10年9月の衆院安全保障委でも、次のように主張している。
 「日米安保条約第5条は、具体的に日本が攻撃されたときに米国が報復をするという義務規定ではない。わが国が報復する能力を持っていなければ、抑止力に穴が開いてくる」
 「(現状では)基地をたたくのは、すべて米軍がやらなければいけないことになる。この状況は少しおかしいのではないか。すべて米軍の若者の血と生命によらなければ、わが国の生命と財産が守れないかもしれないということになる」
 これに対し、当時の額賀福志郎防衛庁長官は「現在の自衛隊は敵の基地を攻撃する目的で装備体系をしているのではないので、敵基地に対し軍事的な有効な打撃を行うことはなかなか難しい」と答えている。
 この質疑からも18年余がたつにもかかわらず、日本はいまだに自分の手足を縛り続け、国際情勢の変化についていけていない。
■ハードルは低い
 安倍首相は11年4月の衆院日米防衛協力のための指針に関する特別委では、集団的自衛権の限定行使容認を訴え、16年後の27年にはそれを可能とする安保関連法を成立させた。
 このときは、従来の政府解釈の変更が伴ったこともあり、野党や憲法学者らから違憲だとの指摘が相次ぎ、国会前でデモが行われるなどの騒ぎになった。だが、敵基地攻撃能力の保有に関しては歴代内閣が鳩山一郎内閣の統一見解を踏襲しており、ハードルはもっと低いはずである。
 また、稲田朋美防衛相や自民党の高村正彦副総裁、日本維新の会の片山虎之助共同代表も検討に前向きであり、機は熟している。

 安倍首相にはぜひ、国民を守るため敵基地攻撃能力の保有の検討開始に踏み切ってもらいたい。座して死を待ってはならない。(論説委員兼政治部編集委員)

《維新嵐》ジャーナリストの櫻井よし子氏もご指摘されていますが、日本国憲法第9条は、国防軍事力すべてを否定したものではありません。パリ不戦条約の精神を受け継いだこの条文の精神は、侵略戦争と侵略戦争を遂行するための軍事力は禁止するということです。国家の主権と独立を守るための国防軍、自衛戦力は否定されてはいません。自衛隊も国防軍も同義ですが、もちろん憲法では国家の主権と独立を守る軍隊になります。
そして「敵地攻撃能力」は、国防上当然可能なことです。問題は手段です。日本列島、南西諸島は日米共通の国防線、海峡を封鎖していくことを至上命題とする自衛隊では、敵地攻撃は、今の時点では難しいでしょう。海のむこうまで飛ぶような長距離の兵器があって、新たな軍事ドクトリンの構築が必要になります。結論からすると巡航ミサイルの運用がかぎになるかと思います。
専守防衛と敵地攻撃能力について

敵ミサイル基地を撃破せよ!


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