自衛隊のイラク派遣
2003.07.01
のちに東方からトルコ民族が西南進して一時的に三日月地帯を占領したが、アラブ民族は英国の力を借りてアナトリアに追い払った。アラブ民族とペルシャ民族の抵抗力は高い。
パレスチナ(イスラエル、パレスチナ自治区)の地は、ユーラシア大陸とアフリカ大陸(特にエジプト、北アフリカ)を繋ぎ、かつアジアと地中海を結ぶ戦略要地であり、さらに宗教的にはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地の中心点で、絶え間ない聖戦の焦点である。 そのうち、イスラムはシーア派とスンニ派が血みどろの戦いを三日月地帯の各地で繰り拡げてきた。
争いの歴史的焦点は、パレスチナ支配、アラブ・ペルシャの民族対立、イスラム宗派対立、クルド民族独立問題の四点である。
歴史的なアラブ・ペルシャの民族対立、クルド民族独立問題もいずれもがシーア・スンニ対立という宗教問題と密接に絡んでいる。したがって中東地域の平和の基本的問題点は、イスラム諸国家がトルコを除いて「政治と宗教文化の分離」ができていないことである。
西欧と日本は一六世紀に政教分離に成功した。二〇世紀の共産主義諸国は、政教分離が行過ぎて宗教破壊を行なった。
「人間は弱く、はかなく、その癖に欲張りで、怖がり」であるから政治のイデオロギーが人の心を癒す能力があると考えるのは、政治が傲慢過ぎたのである。宗教を斬り捨てた共産主義諸国の政治は次々と崩壊した。もちろん同じように、自由主義のイデオロギーも万能ではない。
政治が独裁的傾向や寡頭政治になりやすいのは「大陸国家」の一般的傾向である。それ故、中東にフセイン独裁のイラク、イスラム独裁のイラン、国王独裁のシリア、サウジ・アラビア、ヨルダンは「対立の緊張」によって平和の秩序を保ってきた。
政教未分離の国々や宗教否定の国々と、欧米式の民主主義が緊張関係になるのは、間違いなく“文明の衝突”である。
人類の歴史では、一つの平和秩序から新しい平和秩序に移行する手段は戦争であった。戦争は旧秩序から新秩序への転換の決定的手段の役割を果たしてきた。すなわち人類の歴史は戦争と平和の循環である。このことを直視しないで、米英・イラク戦争の本質を見ることはできない。
この戦争を「法理論」「道徳論」だけで観察することは間違っている。社会科学の全視点でみる必要がある。そして「戦争は勝利の芸術」であるから力の論理が基軸であることを忘れてはならない。
ところが自衛隊をイラクに派遣するかどうかの段取りになって、日本では再び「法理論」で問題を論じようとしている。すなわち、 「イラクに大量破壊兵器がない公算が高い以上、そして国連のお墨付きがない以上、米英・イラク戦争は不正義の戦争だから、日本がこれに肩入れすることに正当性がない」 と。
日本には国家戦略がない。まして世界の紛争にかかわる「関与の戦略」がない。その場その場の対症療法的自衛隊の運用である。その都度国会で時間を費やして立法しなければならないような政治システムは世界に恥を曝すことでもある。
つまり政治家が自分の国際政治判断力に自信がないのだ。だから、事態ごとにしり込みしながら“何かできることはないか”と手探りする。
イラクに自衛隊派遣をする決断の原点は「国益」である。その国益とは、米国の尻馬に乗ってきた日本が中東諸国から利益を得やすいような関係を築こうとすることである。そのために考慮することは、
(1)四月二日のコラムで述べたように、海洋国家としての暗黙の同盟を結び続けることである。すなわち、米英との連帯を維持・強化することである。
(2)米英に対するイラク反米英勢力のゲリラ的抵抗の帰趨をどう読むかである。イラクとパレスチナにおけるゲリラ・テロ行動には「聖域」があるか、あるとすればいつまで機能するか、フランス・ドイツ・ロシアはどう出るか、その鍵を握っているのは“シリア”にほかならない。
(3)イスラエル・パレスチナ問題解決に動いている米国の真意を何とみるか、米国が考えている本音の解決の方向は?要するに米英の中東における影響力(覇権)の陣取り合戦が成功するかどうかを見切ることである。
(4)米英、中東諸国と良好な関係を持つことによって金正日政権打倒の外堀を埋め、経済制裁の態勢を固めることである。
だが、その判断は、クラウゼヴィッツが説くように“国際情勢は四分の三が霧の中”だから二五パーセントの情報資料で行なわなければタイミングを失する。すなわち、「決断の問題」なのだ。
判断ができないときの決断は
(1) 判断できるまで議論を続ける
(2) 情報が入るまで動かない
(3) 「状況不明だと? よし、攻撃前進だ!(電撃戦の名将グーデリアン大将)」
第一案は、政治家が判断能力不足の証明である。第二案は、政治家が精神的勇気(クーラージ・デスプリ)欠落の証明である。第三案では、将来における行動選択の自由度が高い初期の目標を選択することである。さもないと猪突猛進になる。
すなわち、ダイナミックな指揮に自信のある指導者が自衛隊に如何なる事態にも対応できる編成・装備と自由裁量権を与えて、すみやかにイラクに出陣させることである。派遣する以上、戦闘を恐れてはならない。“強いことは良いこと”で、国威を発揚して中東諸国から信頼と尊敬を得ることになる。
8月15日「無条件降伏とは」
2003.08.01
「無条件降伏は国家がするのか、軍隊がするのか」
ここでは国家が無条件降伏するものと理解され、カサブランカ会談のあと米英ソ軍の戦闘は“日・独の市民などの非戦闘員を殺戮することも正義”となった。こうして「陸戦の法規慣例に関する条約(1907)」や「空戦に関する規則(当時審議中)」に違反してハンブルグ・ドレスデン・東京空爆、広島・長崎への原爆投下となった。目的は“国家の滅亡(敵国民の如何なる権限も認めない)”である。
米軍は、騎士道や武士道に反し、ジンギスカーンも犯さなかった「戦いのルール」に違反した。その延長線上に「東京戦争裁判」がある。 国家が無条件降伏すれば敗戦国は無権限状態になり、“司法・行政・立法は基本的に占領軍が行なう”ことになる。直接行政するか、敗戦国の要人でダミー政府を作るかは別として、一切が占領軍司令官の命令で決定され、“命令が法律”ということになる。伝統も文化もすべてが破壊された。
ドイツでも日本でも、占領軍は「接収という名の略奪」を自由にすることが出来た。多くの女性が人身御供となった。
占領軍の最大の失敗は日本の有能な人材を占領軍指令五五〇号で「公職追放」したことである。もちろん旧日本軍を残し、米軍の指揮下に入れるという発想などはさらさらない。
これで共産主義者やアナーキストが教育界や労働界、さらには官僚界まで支配することになった。その結果、国民は政府に対する信頼を失い、『国民と政府の対立関係』を作り上げてしまった。反米闘争も激しくなる。
日本は一時的に世界軍事史に例を見ない“国家の無条件降伏(無権力状態)”になったの
だ。天皇陛下を戴くという国体は残ったが、一時は全て伝統文化を失った。今、少しずつ回復途上にあるとはいえ、完全に回復するには長い年月が必要だろう。
一般に、文化レベルの低い軍隊が文化レベルの高い国を占領すると“略奪”に走る。だからジンギス・カーンやオスマン・トルコ帝国を築いたオスマン一世などは、部下の略奪を三日以内に限定した。そして敗戦国の政治機構はそのまま生かし、文化・伝統も破壊し
なかった。二度と敵対国にならないように監視部隊を残しただけである。
敵国王に“自責”をもって新しい平和を承服させ、降将を地位・階級を侮辱せずに捕虜――戦争犯罪人ではなく――として扱うとともに、服従する敗軍は、そのまま自分の軍隊に編入した。それが2600年以上の戦争の歴史における慣例であり、最も効率的な占領政策だったのだ。日本の陸軍士官学校を卒業し軍人道を心得ていた蒋介石は、
「既往を咎めず、徳を以って怨に報いる(1945.8)」
と宣言し、在大陸約200万の日本人引き揚げを保護した。これは
「決して真珠湾を忘れない」(米大統領トルーマン)
「日露戦争の仇を討った」(スターリン)
「すべてを接収し、賠償を取り、日本人を奴隷にせよ」(周恩来)
の演説よりはるかに格調が高く、戦史のルールに従ったものだった。
今、イラクで米軍が行なっている占領政策は日本占領政策の焼き直しだろうが、オスマン一世の故知に習った方が賢明であろう。
イラクに派遣されるであろう自衛隊指揮官の最大の役割は、それを米軍に主張することである。第二次世界大戦前の米軍人はアメリカ南北戦争(国内戦)が教科書だったが戦後には世界軍事史を勉強するようになったから理解できるはずだ。
「無条件降伏とは、軍隊の降伏」であって、国家の降伏ではない。国家が壊滅すれば、敗戦国に必ず憂国の士が現れゲリラ・テロ戦を展開することは歴史の通りである。司法・行政・立法のすべてを他民族の血で入れ替えることは、古代ローマ軍でも、清王朝でもできなかった。もちろん日本の台湾、韓国支配でもできなかった。
こうして戦史を眺めてみると、破壊と殺戮が最も少ない最良の勝利は、敵軍を降伏させて敵国の軍事力を剥奪し、敵国指導者を服従させることである。敵軍を撃滅することはこれに次ぐ。敵国を無政府状態に追い込むことは優れた戦争指導ではない。
結局、戦争とは、話し合いのテーブルで得られない平和を軍事力によって獲得することにほかならない。新しい平和関係を構築するためには、しばしば戦争が必要なのである。より良い平和のためにも“戦争は悪である”という固定観念から解放されることだ。
歴史に従えば、「戦争は宣戦布告によって始まり、降伏文書の調印によって終わる」のが本来のルールで、国家の無条件降伏(司法・行政・立法を奪う)を要求することは異常なのだ。現実のイラクはどうなのか?
米軍基地の戦略展開
2003.12.01
日本の2名の外交官がイラクで殺された。韓国の民間人2名も、スペインの情報部員7名も殺された。日本のマスコミや野党、一部の与党政治家も大騒ぎである。
それよりも今日、世界の平和を乱しているものは誰か? 米・英(+スペイン、ポルトガル)の海洋国家か、それともゲリラ・テロ、核兵器の拡散か?を冷静に考えることである。
マスコミはブッシュやラムズフェルドがどう言ったの、小泉がどう言ったのと揚げ足を取るのに必死だが、英国、スペインやイタリアの首相、韓国の大統領の発言は伝えない。沈黙の世論操作である。
そんな話に乗らないで、米軍基地の戦略展開の動きの現実から、今回のグレート・ゲーム(19世紀の英露の中央アジアの覇権争いからこの名前がついている)を眺めることである。
米軍はテロ・核兵器拡散の脅威に対抗するため、海外基地を拡大しようとしている。まずヨーロッパでは、ドイツの基地を閉鎖し、ポーランド、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニアに基地を開設しようとしている。中東ではサウジ・アラビアのスルタン基地を閉ざす代りにトルコとカタールの基地を強化している。北アフリカではモロッコ、チュニジア、アルジェリアに基地獲得を計画している。これで地中海を制するだろう。
まだ、本格的ではないが、アフリカではセネガル、ウガンダ、マリに基地を建設しようとするテスト計画が動いている。さらに、アフガン問題を口実に中央アジアのキルギスタンに大規模な基地を獲得し、さらにウズベキスタンの空港も空軍基地として使用している。一方、朝鮮半島では、議政府(韓国)の米第二歩兵師団を漢江より南に移し、沖縄はそのままにしてグアム基地を強化しはじめた。
こうして観ると、米軍は「フロム・シー戦略」の態勢を着実に世界に拡大し、その基地ネット・ワークという座布団の上を、機動打撃部隊で縦横に迅速(月の単位から日の単位へ:新国防報告)に運用しようとしているのだ。
当面の焦点は、イラク、アフガニスタン、次いでイランと北朝鮮であるが、要するに地政学上の戦略要域に主導権を握ることである。
大陸国家のフランス、ドイツ、ロシア、中国は苦々しく思っていることは間違いない。これはグレート・ゲームなのだ。
日本は、これらの地域からの国家資源の輸入と市場を確保することが当面の狙いになるだろう。そのためには中央アジアの下腹にあたる海岸に適切な「交易所」を
確保することである。それなら今、イラクで何をするべきなのか?
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