2015年11月8日日曜日

元陸上自衛隊幕僚幹部 元米国デュピュイ戦略研究所東アジア代表  松村劭氏の戦術論①

先制攻撃

元陸上自衛隊幕僚幹部 元米国デュピュイ戦略研究所東アジア代表 
松村劭
2003.10.04


 2003年10月3日、ロシア国防省はロシアの国防ドクトリンとして「先制攻撃」を方針とすると発表した。米国も先制攻撃を国家戦略としていると明示している。

 先制攻撃には、「攻勢攻撃(Offensive Attack)「防勢攻撃(Defensive Attack)がある。前者は敵国の国防線を踏み破って奇襲攻撃を仕掛けるもので、後者はわが方の国防線の中で脅威国が戦争準備――多くの場合演習と称するが――すれば侵攻準備の未完に乗じて先制攻撃するものである。「防勢攻撃戦略」にもとづく先制攻撃は国家が方針として明示するかどうかにかかわらず正当性があるのは、二六〇〇年の世界軍事界の常識である。そうでなければ国防はまっとうできない。
 人間は、両手を拡げた範囲の中に見知らぬ人が入れば自然に緊張する。もっとも恋人や強い友人であれば、うれしくなったり、心強く思ったりする。この両手の範囲が個人の国防線である。
 昔は抜き打ちで切り捨てられないよう見知らぬ人との間合いをとるのが武士の心得であった。それだけに見知らぬ人が手のとどくほどに近いときには、お互いに刀を右手に持って無害であることを示した。それでも相手から不意打ちを受けて傷つくと備えのない武士として軽蔑された。
 国防線の範囲に入っている隣国が友好国であるか、潜在的脅威国かの区別は相手が「敵意を持っているか」「戦略的に対立しやすい国であるか」であり、警戒する必要があるかどうかは「国情が見えない(見知らぬ人)国か、否か」である。 


 日本の国会議員の中でこんな基本的な軍事常識もなく、防勢戦略の先制攻撃を非難する人たちがいる。これでは国会議員の資格欠如だからさっさと辞職しなければ、国家・国民に対する犯罪である。
 もっとも元国会議員でどこかの大学の教授をしている田島陽子氏がモンゴル帝国もムガール帝国も知らず、ポルトガルの地勢も知らなかった醜態をTVのクイズ・ミリオネアでさらけ出したのだから、ほかの国会議員の軍事知識も推して知るべしであろう。
 本当の問題は、作戦としての先制攻撃の難しさにある。完全な敵情の入手は不可能であり、「敵情は四分の三が霧の中」が状況判断の前提となるのが常識の世界で「先の先」「互いの先」「後の先」をとる作戦を実行するには、優れた戦闘ドクトリンの開発、厳しい訓練で鍛えられた「スピードと機敏第一」の軍事力、開戦奇襲を決断できる政府の指導力が不可欠である。  
「時期尚早」「もう少し情報を得て」「国際情勢を見て」などとほざいていて、時期に適する先手の決断ができないような指導者の下では、先制攻撃などは空念仏で実行不可能である。なにしろ相手は常山の蛇だからである。




各個撃破の原則

2003.09.27

「戦いの九原則」の第一にくる原則は「目標(objective)の原則」である。

目的(object)の原則ではない。目的は抽象的に語ることができるが、目標は1H5Wによって規定されていなければならない。
「いつ、誰が、どの敵を、何のために、どこで、いかに撃破するか」を明示することである。


 敵軍主力をまとめて包囲撃滅する計画を樹立出来れば格好がよい。第一次世界大戦のドイツ軍モルトケの西欧進攻計画のように、ベルギー正面から反時計回りに全英・仏軍を包囲撃滅しようとしたようなものである。このような大計画は無数の戦闘計画を積分したような計画になる。それぞれの部分の戦闘計画が成功しなければ全計画は齟齬をきたす。
 個々の戦闘計画はいくつかの仮定が入る。だから全体計画は仮定の山積になる。その一つの仮定が壊れれば作戦は成り立たない。


 案の定、パリの近くまで順調に作戦を進めていた包囲機動の最右翼のドイツ軍が英仏軍によって撃破されてしまいドイツの進撃が阻止されて戦況は機動戦から陣地戦に移ってしまった。
 戦略の第一の原則は、敵軍を分断してバラバラにし、一つずつ各個に撃破することである。
 日本政府の対北朝鮮政策の問題点は二つに区分できる。一つは「核問題、拉致、麻薬密輸、偽札偽造を解決して日朝国交樹立」という目的を示しているが、当面の目標の1H5Wを明らかにして示していないことである。第二は、日朝間の諸問題をまとめて「包括的」に解決しようとする「大風呂敷計画」である。   これは第一次世界大戦におけるモルトケの作戦計画のように時間と手間がかかって、どこかに穴があいて失敗する。


 外交戦略も「各個撃破の原則」を守らなければならない。一懸案事項づつ全力を集中して解決するのが外交の要諦である。そしてその優先課題の第一は「拉致問題」においてほかにない。日本政府の「包括的解決案」は歴史の教訓に反する方針であることは間違いない。




反戦思想の転機

2003.05.27

「転機」は自然な流れの中で訪れない。天候に不連続線があるように歴史にも不連続線がある。もちろん、歴史を詳細に研究する立場から言えば、変化の予兆があらわれ、それが次第に現実のものとして姿を現し、膨れあがって変化するからどこが転機など言えないと反論されるだろう。
 しかし、例えば、ヒットラーがチェコの防衛体勢強化を口実に、チェコに軍事侵攻して併合したとき、それはヒットラーの瀬戸際政策の一環で連続性のあるものであったが、英国のチャーチルは「英国は対ドイツ宥和政策から強硬政策に転換すべし」と訴えたときが英国にとって大陸政策の転機であった。
 日本の反戦思想は、冷戦によって赤色に着色されたとはいえ、原点は、第二次世界大戦において日本軍が沖縄と硫黄島、千島列島の最北端において「国土戦」を行い、多くの非戦闘員の犠牲を出したことである。沖縄では軍人が九万六〇〇〇人、非戦闘員九万四〇〇〇人が生命を落とした。さらに東京大空襲で約八万、広島・長崎への原爆で約二二万の非戦闘員が犠牲になった。


 要するに政府は国民を守れなかった。守らなかったのではない。守る能力を失っていたのだ。しかも「国土戦に陥ること自体が国防の失敗」なのである。


 そこへ米国の占領政策が加わった。日本を二度と太平洋の雄国にしないという「日本弱化政策」である。この政策で日本は武装解除されただけではなく、「の文化」「家族愛の文化」を捨てさせられ、日本歴史が切断された。敗戦は国土戦の悲劇を浮き彫りに、国民は政府に対する信頼を失った。「政府とは、国民に危険な戦争を起こし、市民の平和を奪うもの」と考えるようになったことが原点である。だから、明治維新以来、国家のために生命を賭けて戦
った先人たちを「国家への奉仕者」と尊敬せずに「国家の戦争犠牲者」として同情するようになった。
 こうして半世紀以上、日本の「反戦主義文化」と「戦後が日本歴史の始まり」とするアメリカナイゼーションが続いている。
「国と国民の対立関係」で考える反戦主義は論拠を日本の平和憲法(特に前文と第九条)と国連憲章の趣旨に置いてきた。
 ところが米・イラク戦争で国連の安保理事会の無力と大国の身勝手を目の当たりにし、また、北朝鮮の核武装問題、日本人拉致問題に直面して、「国家は国民を守るべき」と考えるようになりつつある。すなわち、国家と国民を対立関係で見る」思考に決別を告げるときがきたようだ。はっきり言えば、それは敗戦トラウマによる反戦病だったのだ。ようやく国民の意識が世界の常識にもどる「転機」にきたようだ。 


「戦争は他の手段をもってする政治の継続である」(クラウゼヴィッツ)


 であって、戦争の目的はより良い平和の構築であるなら 


「戦争反対も政治の手段であって、その目的は現在の平和の維持 


 にほかならない。目的論で言えば、反戦は「現状の平和維持派」であり、戦争は「新しい平和構築派」である。机上で考えれば、現在の平和関係から話し合いの対話政策で新しいより良い平和関係に移行できそうな気がする。しかし、歴史は、平和関係の転換は戦争でなければできないことを示している。
 戦後、冷戦下で、自衛隊と言う軽武装のまま日本は約六〇年の平和を楽しんできた。国際政
治に軍事力が必要だなんて誰も考えなかった。今日でも、国土戦のための「有事法制」が国会
で可決されたとはいえ、日本に武力侵攻するような外国を想定することができないから、他国に脅威を与えない軽武装で日本の安全を維持できると考えている。
 日本の歴史を振り返って見れば、日本の防衛力の整備は、「脅威対応論」で行われてきた。そしてそれが世界の常識だと誤解している。
 世界の国々は、古代ギリシャのマケドニア以来、防衛力の整備を「戦闘ドクトリン対応論」で行うのが常識である。日本にはこの概念が未だに定着していない。 この考え方を相撲に例えれば、広く適用性のある基本技のうち、「得意技(戦闘ドクトリン)」を研究開発し、それに対応できるように心・技・体(戦力の質量と訓練・士気)を錬成することである。大きい軍事力は必要がない。しかし、強い軍事力である。特定の相手との取り組みを想定しない。特定の相手との取り組みは、頭の中で考えておけばよい(防衛戦争計画)。
 人間は両手を拡げた範囲に敵意のある人(脅威)が近づけば、緊張し自己保存本能が働く。しかし、恋人や家族、友人が来れば、脅威を感ずるどころか抱きしめる。その人たちには脅威を感じない。脅威とは敵意であって、戦力ではない。友人や恋人が強い武術家であれば頼もしいのだ。
「強いことは良いことだ」
 中国や朝鮮半島の人々が、日本が軍備を強化すれば脅威というのはお門違いである。日本は彼らに敵意を持っていない。彼らが日本に敵意をもって日本を見るから、日本の軍備を脅威と感ずるのだろう。その意味で「海洋国家日本は大陸国家の心の鏡」である。日本と言う鏡に写った自分の心に怯えているのだ。
 もう、ぼつぼつ日本も「戦闘ドクトリン対応型」の防衛力整備を考える成人の国に成長したいものである。 「軍事力ほど儲からないものはない。しかし軍事力がなければ、もっと儲からない」(古代ギリシャ商人の言い伝え)




経済制裁
2003.05.10

 軍事史をみれば、国家の賢明な指導者は、国際問題の解決に話し合いで解決しようと時間を無限に使用する。そして話し合いが妥結しないときは、より大きい戦争の危機に直面する。
  一九五〇年六月、北朝鮮が韓国に奇襲侵攻したと言う報告をカンサスの自宅で聞いたトルーマン米大統領は、ワシントンのホワイトハウスに向かう飛行機の中で、
「雑草は若芽のうちに摘み取らなければ、庭中にはびこって始末できなくなる」
 との言葉を思い出して、戦争介入を決断した。紀元前のペロポネソス戦争においてコリントの指導者はアテネに対し挑戦するとき、
「勇気ある指導者は、現在の平和を維持しようと努力するよりも、危機の早期に戦争を決断して勝利し、新しい平和の構築を考える」 と演説したと伝えられている。
 クラウゼヴィッツは、指導者に不可欠な資質として「状況の特質を一瞬にして見破る勘(クー・ドゥィュ)」と「戦機に投じて決断できる精神的勇気」を挙げている。
 ここで第二次世界大戦の人的損害を見てみよう。特色があるのは、国土が戦場になった国とそうでない国に人的損害に大きな特色がある。
 国土が戦場にならなかった米国は、動員兵力数一四九〇万(損害率五.七%)、軍人の戦死者数約二九.二万、戦傷者約五七.二万でその比は一対一.九五である。そして非戦闘員の死亡者数は無視できるほど少ない。
 同じく英国は、動員数六二〇万(損害率一四%)、戦死者数約三九.八万、戦傷者約四七.五万でその比は一対一.二であり、非戦闘員の死者数は六.五万で戦死者数の約一六%であった。
 国土の一部が戦場になったフランス・ドイツ・日本についてみると、フランスは動員数六〇〇万(損害率一〇パーセント)、戦死者数は約二一万、戦傷者四〇万で、その比は一対一.九である。一方、非戦闘員の死者数は約一一万で戦死者数の約五〇%であった。
 長靴の先のシシリー島からほぼ半島の三分の二が戦場になったイタリーは動員数四五〇万(損害率四.四%)、戦死者数七.八万、戦傷者数一二万で、その比は一対一.五である。また、非戦闘員の死者数は約七万で戦死者数に対する比は九〇%である。
 ドイツは動員数一二五〇万(損害率七八.六%)、戦死者数二八五万、戦傷者数七二五万で、その比は一対二.五である。非戦闘員の死亡者数は約五〇万で戦死者に対する比は一七.五%である。
 日本は動員数七四〇万(損害率二七%)、戦死者数約一五〇万、戦傷者五〇万で、その比は一対〇.三三である。非戦闘員の死者数は約五〇万(広島原爆一五万、長崎原爆七.五万、東京空襲八万を含む)で戦死者数に対する比は三三.三%である。
 国土のほとんどが戦場となったソ連と中国についてみると、ソ連は動員数約二四〇〇万(損害率八九.五%)、戦死者数七五〇万、戦傷数一四〇〇万で、その比は一対一.九である。また、非戦闘員の死者数は一二五〇万で戦死者に対する比は一六七%である。
 一方、中国は動員数一〇〇〇万(損害率二二%)、戦死者数五〇万、戦傷者数一七〇万で、その比は一対三.四である。非戦闘員の死者数は約一〇〇万で戦死者の約二倍に上っている。
 この数字を北朝鮮と韓国が戦争するとして、北朝鮮軍にはソ連の損害率を、韓国軍には、英国の損害率を、また、非戦闘員の死亡率については、北朝鮮にソ連、韓国にはイタリアの比率を恣意的に当てはめてみると、北朝鮮軍は約三〇万が戦死し、非戦闘員が二七万死亡する勘定になる。
 一方、韓国軍は、約三.八万が戦死し、非戦闘員が約三.四万が死亡することになる。戦闘における平均損害率を適用すれば、人的損害は、もっと小さい数字になる。どちらが適当かは判断できないが、戦争になれば、その損害は、これらの見積もりの間に収まるだろう。
 さて、米国と日本が北朝鮮に経済制裁を加えても、中国とロシア――状況によっては韓国も――は全面協力しないだろう。北朝鮮の金正日政権が細々と生き残る程度の支援を続けるとすれば、金正日政権はこれまで通り軍人をのぞいて弱い貧困の人民から一年あたり約五〇万の餓死者を出すような政治を続ける公算が大きい。
 さて、こうしてみれば、経済制裁と戦争とどちらが非人道的な手段・方法なのか「戦争反対!」論者や、宥和政策論者の意見を聞きたいものである。
 それにしても、今日本に望まれる指導者は、勇気と果断の人であり、賢明と慎重の指導者は不要であるだけでなく、日本にとって不幸である。



間抜けた有事法制

2003.05.15

 一九〇四年、日露戦争においてウラジオストックを基地とするロシア巡洋艦三隻が津軽海峡を通り抜けて太平洋に進出。東京湾の周辺で日本の貨物船を次々と攻撃し、六隻を撃沈した。これに対し国民は、
「日本海軍は国を守っていない!
 と非難の嵐を浴びせた。第二次世界大戦では、硫黄島で日本軍も島民も玉砕した。
沖縄では、米軍を迎撃した日本軍は約九万六〇〇〇が戦死し、島民九万四〇〇〇名が死亡した。沖縄の人々は、今日でも日本軍が国を守ったと思っていない。つまり、国土における戦争は、「国防に失敗」した戦争なのである。
 ところが現在の日本の政治家は、この悲痛の歴史から全く何も学んでいない。なぜなら、日本の国防線を日本の領土、領海線に引いている。すなわち、「国土を主戦場」に想定しているのだ。これでは国防したことにならない。
 国土に猛烈な砲爆撃が襲い、侵略軍が上陸して国土を蹂躙しているとき、侵略軍は日本国民の人権など見向きもしない。我が国の憲法は有事を想定した条項がない。有事になれば、憲法の想定の範囲外になるから、平和なときだけの日本憲法は無効状態になる。
 こんな馬鹿げた国防方針など世界中にないし歴史にもない。国土を主戦場にして自衛隊が断末魔的に戦うための「有事法制」など造って意味があるのだろうか?
  憲法で「戦う」ことを想定していないから、「直接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とする自衛隊」は戦わずして国家を防衛すると言う。それは抑止戦略だと---。しかし、自衛隊は国土に侵略軍が侵攻してから戦うのだから「白血球的戦闘」を行うだろうが、侵略軍が日本国土外の基地で日本に対し侵攻準備(多くの場合、演習と嘘をつく)しているのを先制打撃する計画を持っていない。すなわち、侵攻準備は全く自由にできる。自衛隊は侵攻準備を抑止できないのだ。
 「戦わない」平時だけの自衛隊(我が国の防衛力の整備方針基盤的防衛力構想”)が、どんな作戦計画で戦うのかと聞けば「不測事態対処計画(Contingency Plan)」によって戦うと言う。すなわち、予期しない緊急事態が発生(奇襲されたとき)したとき、平時だけの自衛隊がとりあえず、ほとんど無準備のまま戦うための計画である。不測事態とは、政治家も自衛官も情勢を至当に判断できない間抜けであったときと言うことになる。
 今回、政府と国会が騒いでいる「有事法制」は「国土を主戦場とし、奇襲されたときにおっとり刀で戦うときのための法制」である。
 世界の国々の有事法制は、話し合いでは国際問題が解決できそうもなく、相手国が戦争に訴える可能性を至当に判断し、十分な防衛作戦準備ができる時間の余裕を設定して「防衛作戦準備」を行い、国境の外側で軍事的に合理性のある地域に国防線を設定して「国土の外側を主戦場にして防衛作戦」を行うに必要な法制である。
 大部分は、平時行政から戦時行政への切り替えと有事動員に必要な法制が骨幹になる。なんと日本の有事法制と違うことか!



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