2016年12月29日木曜日

日本の内閣総理大臣がハワイ・真珠湾を訪問 ~日米同盟の歴史的考察~

安倍首相真珠湾訪問、もう一つのパールハーバー

「屈辱の象徴」から「和解の象徴」へ

小谷哲男 (日本国際問題研究所 主任研究員)

 20161227日午後、安倍晋三首相が真珠湾を訪問する。1950年代に吉田茂、鳩山一郎、岸信介ら歴代首相が真珠湾を訪問していたことがわかってきたが、日本の首相として1962年に建設されたアリゾナ記念館を訪問するのは、安倍首相が初めてだ。
安倍首相は、真珠湾訪問に先立ってオバマ大統領との最後の首脳会談を行う。201212月に第二次安倍政権が発足し、その翌月の131月に第二期オバマ政権が始まった。アジアリバランスを掲げ、アジアを重視する対外政策を追求してきたオバマ大統領と、積極的平和主義を掲げ、限定的ながらも集団的自衛権の行使に道を開く平和安全保障法制を制定した安倍首相は、日米関係を安全保障だけではなく、経済、文化など様々な分野で強化してきた。最後の首脳会談は、この4年間で強化された日米同盟を確認する機会となるだろう。
米議会演説で示した「不戦の決意」
 13年末の安倍首相の靖国神社参拝により、米国では安倍首相の歴史認識に強い懸念が生まれた。しかし、154月に安倍首相が米議会上下両院合同会議で行った演説は、安倍首相が極東軍事裁判の結果を受け入れない「歴史修正主義者」ではないかという米国内の懸念を払拭した。
 この演説の中で、安倍首相は「真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海……、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙とうをささげました」と述べ、戦争で命を落とした米国人の魂に哀悼を捧げた。
 安倍首相は、この演説で謝罪はしなかった。日米は、太平洋戦争で凄惨な戦いを経験し、双方に数多くの犠牲者を出した。だが、日米の和解に謝罪は必要ない。安倍首相は、犠牲者を悼み、威厳を持って悲劇の歴史を共有した上で、不戦の決意を実践することが日米の和解の方法だということを示したのだ。

 この演説の傍聴席には、硫黄島での戦いに従事したスノーデン元米海兵隊中将と、栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官の孫である新藤義孝国会議員がいた。安倍首相は、日米合同の慰霊祭にしばしば参加し、日米の和解の努力を行ってきたスノーデン元中将に感謝の意を表した。
「悲劇の象徴」、ヒロシマ、「屈辱の象徴」、パールハーバー
 165月には、オバマ大統領が伊勢志摩で開かれた主要7カ国(G7)首脳会議に出席の後に被爆地・広島を訪問した。広島平和記念資料館を視察したオバマ大統領は、原爆死没者慰霊碑で献花した後の演説で「核なき世界」の実現に向けた決意を改めて示した。
 その際、オバマ大統領は、一人の被爆者と歴史的な抱擁をした。自らも被爆者である森重昭氏は、原爆で亡くなったアメリカ兵捕虜がいることを調査し、核廃絶に取り組んできた。オバマ大統領と森氏の抱擁は、もう一つの日米の和解を物語っていた。この抱擁は多くの被爆者とその家族に安らぎを与えたに違いない。
 米国大統領の広島訪問は、政治的に難しい決断だった。米国では、原爆投下は戦争の早期終結に不可欠だったという考えが依然根強く、大統領による広島訪問、ましてや原爆投下への謝罪は、退役軍人や遺族から大きな反発を招きかねない。
 だが、安倍首相が米議会で謝罪する必要がなかったように、オバマ大統領が広島で謝罪する必要はなかった。犠牲者に哀悼を捧げるとともに、核廃絶への思いを強調するだけで、また1つ日米の和解を具現できたのだ。
 オバマ大統領の広島訪問後、安倍首相の真珠湾訪問の可能性が取りざたされるようになった。だが、「ヒロシマ」と「パールハーバー」はその響きが持つ意味が異なる。「ヒロシマ」が悲劇の象徴だとすれば、「パールハーバー」は屈辱の象徴だからだ。
 41127日午前755分、日本海軍の連合艦隊機動部隊が真珠湾を強襲し、2時間で戦艦を含む12隻の艦船が沈没または座礁し、164機の軍用機が破壊され、民間人49名を含む約2400名が犠牲となった。
 米国では、宣戦布告なき攻撃を受けたこの日は、「汚辱の日」と呼ばれ、「リメンバー・パールハーバー」の言葉とともに、第二次世界大戦の忌々しい記憶として語り継がれている。パールハーバーは、米国が日本を降伏に追い込むことを決意した場所なのだ。
 一方、日本では、米国によって自存自衛のための戦争に追い込まれたという見方が根強い。ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を知っていたにもかかわらず、戦争を忌諱する国民世論を参戦支持に誘導するため、わざと攻撃させたという陰謀論も一部には信じられている。あくまで軍事施設を攻撃した真珠湾攻撃と、都市を標的とし、多くの民間人の犠牲者を出した原爆投下を一緒にするべきでないという考えもある。

「屈辱の象徴」から「和解の象徴」へ
 オバマ大統領が広島を訪問したからといって、安倍首相が真珠湾を訪問することは自然な流れではなかった。しかし、日米の和解は真珠湾でもすでに進んでいた。
 139月に、真珠湾のアリゾナ記念館に原爆犠牲者の折った折り鶴が展示された。2歳の時に広島で被爆し、原爆症と闘いながら元気になることを祈って折り鶴を折り続けた佐々木貞子さん。そのサダコの折り鶴が屈辱の象徴であるパールハーバーに展示されることなど、本来なら考えられないことだった。
 しかし、貞子さんの兄、原爆投下を決断したトルーマン大統領の孫、ハワイの日系人社会、そして米軍人の協力によってこの展示が実現した。この瞬間、パールハーバーは屈辱の象徴ではなく、和解の象徴になった。
 822日、スーパーマリオに扮した安倍首相がリオ五輪の閉会式に土管から出現していた頃、アリゾナ記念館では昭恵夫人が真珠湾攻撃の犠牲者を悼み、サダコの折り鶴の展示の前で足を止めていた。昭恵夫人は、パールハーバーの持つ意味の変化に気づいたことだろう。
 安倍首相の真珠湾訪問が発表された直後の128日には、真珠湾で初となる日米合同の慰霊祭が行われた。安倍首相が27日に向かうのは、屈辱や復讐ではなく、和解の象徴としてのパールハーバーである。安倍首相の訪問は、真珠湾攻撃の生存者と犠牲者、そしてその家族の魂に安らぎを与えることだろう。
 当日、安倍首相とオバマ大統領にはハリス米太平洋軍司令官が同行する。日本海軍と戦った海軍人の父と、米軍の空襲で神戸の実家を焼かれた日本人の母の間に生まれ、日米同盟の強化に尽力してきたハリス司令官は、日米和解のもう一つの象徴だ。安倍首相とオバマ大統領の4年間を締めくくるためにこれほど最適な同行者は、故ダニエル・イノウエ上院議員以外にはいないだろう。
 戦争や植民地支配で生まれた国家間の敵意と憎悪を克服し、真の和解を実現することは容易ではない。政治家同士が和解を演出しても、犠牲者とその家族が寛容の心を示さないかぎり、真の和解が実現することはないだろう。

 日米では戦争の犠牲者とその家族、そして軍人とその遺族が和解を進めてきた。安倍首相の真珠湾訪問は、国民同士の和解の動きに支えられ、日米関係のさらなる強化につながるだろう。そして、それは、日本と中韓などアジア諸国とのさらなる和解につなげる上で重要な一歩となる。

日米和解をアピール

日本の安倍首相、ハワイで戦没者墓地など訪問
BBC News

 日本の安倍晋三首相は平成281226日(日本時間27日早朝)、米ハワイ州ホノルルに到着し、戦没者らが眠る国立太平洋記念墓地などを訪れた。27日にはオバマ米大統領とともに、太平洋戦争の直前に旧日本軍の攻撃を受けた真珠湾を訪問する。
日米両国の首脳がそろって真珠湾を訪れるのは、今回が初めて。
安倍首相の側近らは、首相は慰霊に訪れるものの、謝罪はしないと語った。1941127日(日本時間8日)の真珠湾攻撃では、米軍関係者と市民が計2400人以上死亡。間もなく太平洋戦争が始まった。
真珠湾攻撃では、停泊していた戦艦8隻のうち4隻が撃沈され、残りの4隻も撃破された。ただし、主要な空母は航海中だった。
ハワイ到着後、最初に訪れたホノルル中心部近くの国立太平洋記念墓地で、安倍首相は献花し、しばし黙祷を捧げた。
27日には、安倍首相とオバマ大統領が会談した後、撃沈された戦艦アリゾナの上に設けられたアリゾナ記念館を一緒に訪れる予定となっている。来年1月のオバマ大統領退任前に、両首脳が会談する最後の機会になる。
安倍首相による真珠湾訪問は、攻撃75周年の3週間後にあたる。これに先立ち、今年5月にはオバマ大統領が現職大統領として初めて、被爆地・広島を訪れた1945年の広島原爆投下で、約15万人が死亡したとされている。
真珠湾を訪問した最初の日本の首相は吉田茂。1951年にサンフランシスコ講和条約署名のため訪米した際、往復時に2回ハワイに立ち寄っている。
吉田首相(当時)が復路に立ち寄った際には、アーサー・ラドフォード米太平洋艦隊司令長官(同)と面会。面会した部屋から、真珠湾攻撃の跡地が直接眺められたという。
ラドフォード提督は後に回想録で、「まるで戦艦アリゾナの残骸が窓から見えるような気がした」と書いている。
面会の冒頭は気まずい雰囲気だったが、ラドフォード氏の飼い犬が吉田氏に近付き、頭を撫でてもらったのを機に、空気は和んだという。
安倍総理を迎える真珠湾は今
【寛容の価値を世界に】すぐに歴史問題を振りかざす中韓にも理解を迫る

論説委員兼政治部編集委員・阿比留瑠比
 安倍晋三首相が平成2812月27日(日本時間28日)に米ハワイ・真珠湾で行った演説からは、敵国として熾烈(しれつ)に戦った米国との間で「戦後」に決着をつけ、強固な日米同盟を基盤にともに未来を切り開こうという強い思いがうかがえる。それは、4年前の第2次政権発足後、安倍首相が一貫して取り組んできたことでもある。
 「これで戦後は完全に終わりになるかな。いつまでも、私の次の首相まで戦後を引きずる必要はない」
 安倍首相は今回の真珠湾訪問を発表した平成2812月5日夜には、周囲にこう語っていた。日米同盟に刺さった最後の「トゲ」である真珠湾で、5月の被爆地・広島に続いてオバマ米大統領と並んで戦没者の慰霊を行うことで、米政府との間では歴史問題をめぐる不毛な対立は今後、なくなるはずだ。
 もともと安倍首相は、米議員らから拍手喝采を浴びた平成27年4月の米上下両院合同会議での演説と、世界で高い評価を受けた昨年8月の戦後70年の首相談話発表で日米の和解を演出し、強調していた。真珠湾訪問にはその総仕上げという意味合いがある。
 安倍首相は米議会演説後には「握手攻めにあった米議員らから口々に『もう謝罪は必要ない』といわれた。米国との間では歴史問題は終わった観がある」、戦後70年談話発表時には「謝罪外交に終止符を打ちたい。これでもう80年談話や90年談話は必要ない」とそれぞれ周囲に語っていた。そしてハワイ出発前には次のように述べている。


 「米議会演説と70年談話で、米国との関係ではかつての戦争は歴史の領域に入った。だから今回は、それを踏まえて日米同盟の強さを確認する場でもある」
 実際、真珠湾演説では米議会演説や戦後70年談話にはあった「反省」や「悔悟」といった言葉は使わなかった。もう謝罪めいたことは必要ないという自信の表れだといえるし、米側もそれを受け入れている。
 日米間で過去の戦争へのわだかまりが払拭されれば、中国やロシアもこれ以上、日米離間を図ることは難しい。歴史認識や安全保障観がまだ定かでないトランプ米次期大統領に対しても、日米同盟の重要性を印象づけることができる。
 そのためのキーワードが「寛容」と「和解」だ。
 「寛容の心、和解の力を、世界はいま、いまこそ必要としています」
安倍首相は演説でこう述べるなど、「寛容」という表現を7回用いた。70年談話でも「寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました」など2回、「寛容」を使用している。
 これは、かつて敵国だった米国による戦後の援助への感謝の表明であると同時に、紛争の絶えない世界各国のありように対する警告でもある。さらには、戦後70年以上がたっても過去ばかりに目を向け、すぐに歴史問題を振りかざしては優位に立とうとする中国や韓国に、寛容さの価値への理解を迫るものだ。


 戦後70年談話では、中国を含む諸外国の寛容さを強調して「心からの感謝の気持ち」を表明したため、中国側から特に目立った批判は出なかった。真珠湾演説でも「米国が、世界が、日本に示してくれた寛容」と述べ、寛容の普遍的価値を訴えている。
 「今日をもって、『パールハーバー』は和解と同盟の記念日になりました」
 演説に先立つオバマ氏との最後の首脳会談。安倍首相はこう語りかけ、オバマ氏に手を差し伸べた。大統領も「その通り」と答え、首相の手を握り返した。
 2人の思いが実を結んだとき、本当に世界で「戦後」が終わる。

パールハーバー アリゾナ記念館黒い涙


《維新嵐》 今や日米の太平洋を挟んだ関係は、世界経済、世界の安全保障の根幹を支えているといっても過言ではないでしょう。
 そして21世紀以降もこの両大国が国際社会を牽引していくはずです。いずれはロシアも引き込んで日米プラス露で「三国軍事同盟」を締結していけば、共産中国や北朝鮮の弾道ミサイルや巡航ミサイルをほぼ完ぺきに抑止できるはずです。
 真珠湾のアリゾナメモリアルには、アメリカ海軍の軍人ばかりでなく、撃墜されたり、墜落した日本海軍の軍人も葬られています。バウフィン号の資料館には、日本軍ゆかりの遺品(要は米軍の戦利品)も展示され、我が国の側からも十分しのぶことができます。今回は安倍総理のスピーチの中に旧日本海軍軍人にも言及していて評価できるものであったかと思います。
 真珠湾奇襲攻撃は、戦時国際法に基づけば「戦争犯罪」ではありまあせんが、深く両国の開戦に至る経緯について思いをめぐらせ、当時の日本軍がなぜハワイを攻撃しなければならなかったかについて、今一度日本人は思いをめぐらしてみてもいいでしょう。




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