2016年9月20日火曜日

【北朝鮮による邦人拉致】日米戦争以後北朝鮮からしかけられた「情報戦争」 ~解決の糸口を考える~

 北朝鮮の「金王朝」による朝鮮戦争直後から始まった日本人拉致については、「テロ」事件としてとらえられる向きが強いのですが、北朝鮮の国家機関、国軍による計画的な拉致であることは明らかであり、しかも特殊工作機関や朝鮮人民軍による訓練を受けた工作員と国内の朝鮮総連との共同による軍事作戦という位置づけといえます。
 すべて朝鮮戦争において北朝鮮が朝鮮半島の統一に失敗したところから、日本人を利用して韓国への工作活動、いわゆるインテリジェンスによる工作を実現するための作戦だといえます。
 
 我が国の国民は、日米戦争の終戦から戦後の苦しい時期を朝鮮戦争による経済特需により脱しつつある時期に発生し始めた事案であり、北朝鮮のインテリジェンス戦を達成するために邦人を拉致するという「情報戦」、『孫子』用間編の「生間」の手法を応用した軍事作戦と考えることもできます。

 われわれ日本人は、アメリカとの戦争に敗れた後、北朝鮮による情報戦による国民拉致という侵略戦争にも敗れた、といえるだろう。そして未だに日本人は、自国が侵略戦争に敗れたという自覚もできないままこの「戦後処理」を解決できないでいます。

 産経ニュースの記事からどう邦人が拉致され、外国工作機関によって利用されてきたか、今後救出の手立て、望みはないのか、考えていけるきっかけとなればと思います。
 拉致被害者のご家族のご心痛には、察するにあまりまる心境ですが、ご家族にも時間がないように拉致されたご本人の方々にも時間がない状況である。特に拉致された当時、年齢の高かった方々は北朝鮮でお亡くなりになられている方も少なくないのではないでしょうか?
 北朝鮮は事あるごとに我が国に植民地時代の謝罪を求めてくるが、それなら我が国も朝鮮戦争の「戦勝国」として、その結果受けた「邦人拉致」という侵略の事実に対して謝罪と補償を求めても罰はあたらないであろう、と思います。


① 北朝鮮の元戦闘員が日本潜入の手口を現場で再現した「日本の警察は撃たない」「拉致はまた起きる」

 元北朝鮮の戦闘員、李相哲(仮名)氏(左)。特定失踪者問題調査会の荒木和博(中央)らに日本潜入のときの様子を説明した=平成28年8月31日、山口県長門市
 日本に潜入した経験をもつ北朝鮮の元戦闘員、李相哲(リサンチョル、仮名)氏が8月末に来日し、山口県長門市の潜入現場などを訪れた。その李氏は日本人拉致を実行した工作機関が今後も存続していたとしたら、「拉致はまた起きる可能性がある」と断言した。いまだに拉致問題を解決できず、拉致実行犯の協力者らも野放しのままの日本。核とミサイルで国際社会を脅し続ける北朝鮮から国民の命を守ることはできるのか。

工作員の日本人化教育、身分のクリーニング目的で1960年代から拉致

 李氏が日本に入ったのは昭和57年6月。北朝鮮から工作母船で出港し、山口県沖合の小島で組み立て式の子船に乗り換えた。その後、先に青海島に向かった同僚から無線で連絡を受け、ゴムボートで島へ。20代半ばぐらいの在日朝鮮人とみられる男性を船に乗せ、北朝鮮へと連れていった。李氏は翌年、韓国に潜入しようとしたところ逮捕された。現在は転向して、韓国で暮らしている。
 今回、李氏は拉致問題を調べている「特定失踪者問題調査会」の特別検証に合わせて来日。山口県長門市から船に乗り、かつて潜入した青海島の付近などをめぐった後、島根県益田市で開かれたセミナーで日本人拉致について語った。
 「北朝鮮では1960年代の中盤から、工作員を日本人化する教育というのを始めた。日本人化教育をしようと思えば、日本人が来て教育をしなければいけない。もう一つ、身分のクリーニング、つまり日本人の身分を得て行動するということだ」と日本人拉致の目的を説明した李氏。拉致が行われた期間については「60年代半ばから80年代に入ってまで、かなり活発に拉致を続けたのではないかと思う」と話し、実施した組織は朝鮮労働党傘下の工作機関のほか、朝鮮人民軍も行っていたと証言した。


北工作員になめられる理由「日本の警察は撃たない」

 続けて李氏は日本の無防備さを語った。「日本は海岸線がすごく長くて、韓国の場合は武装した軍人が守っているが、日本はそうではない。前に清津(チョンジン)連絡所から聞いた話だが、日本から浸透して、そのときに警察に捕まりそうになっても、日本の警察は撃たない。だから北朝鮮から浸透する人間も武装しないで入っていた」。北朝鮮の工作員にとってはそれだけ、日本への侵入は簡単ということなのだろう。
 さらに李氏はこう予言した。「60年代中盤から拉致をやってきたといったが、今後も北朝鮮の工作機関が残るとすれば、そのときに連れていった人たちも年をとる。そういうことになると、今度また拉致が起きていく可能性があるのではないかと思う」
 その理由として、再び日本侵入が簡単なことを挙げた李氏。日本国内での情報を収集する必要もないとして、「朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)が日本の中にあるので、そこで十分に情報は収集できる」と説明した。

日本海側だけではない拉致「どこでも危ない」

 セミナーを開いた特定失踪者問題調査会の荒木和博代表も拉致問題の深刻さについて、「一体どれだけの人が拉致をされているのか全然分かっていない。今政府が認めている人は17人というわけだが、実際にははるかに多くの人たちが拉致をされている」と語った。
 さらに「拉致というのはやろうと思えば非常に簡単にできる」と説明した荒木氏。「(北朝鮮による拉致の可能性を排除できない)特定失踪者には日本海側だけでなく、太平洋側でも内陸でも拉致の可能性の高い人がいる。おびき出してしまえば、車に乗せてどこにも連れて行けるので、どこでもある意味危ない」と警鐘を鳴らした。


李氏、荒木氏の話で浮かび上がった日本の甘さは過去の事件からも一目瞭然だ。昭和52年9月に石川県の宇出津海岸から三鷹市役所の警備員だった久米裕さん(91)=拉致当時(52)=が拉致された事件では、久米さんを北朝鮮工作員に引き渡した男が逮捕されたが、容疑は拉致とは直接関係のない外国人登録法違反。男は久米さん拉致への関与を認めたにもかかわらず、「被害者がいない。主犯もいない」として起訴猶予となった。
 53年6月にごろ、神戸市の中華料理店に勤務していた田中実さん(67)=拉致当時(28)=が拉致された事件でも、拉致にかかわったとされる男の一人は逮捕されることなく死亡し、もう一人の男は今でも東北地方のある県で暮らしている。

 何より、北朝鮮の非合法活動に協力してきたとされる朝鮮総連が今も存在していることが日本の甘さを示している。北朝鮮が再び拉致に手を染めたとき、日本国は日本人を守れるのか。スパイを防止する法律すらなく、不法行為が指摘されている怪しげな組織の存続を許している現状では、心許ないとしかいいようがない。


② 自衛隊特殊部隊OBが工作員の日本上陸を再現してみせた!「水際で防ぐことは不可能だ」

 秋田県の男鹿半島に、日本への絶好の潜入ポイントがあるという。北朝鮮による拉致問題を調べている「特定失踪者問題調査会」が6月10日に実施した特別検証で、自衛隊初の特殊部隊「特別警備隊」の先任小隊長を務めた伊藤祐靖さん(51)が北朝鮮工作員役となり、海からの上陸を実演した。その様子を報告する。
上陸するのに「ありがたい地形」とは
 伊藤さんは昭和62年、海上自衛隊に入った。平成11年に能登半島沖で発生した北朝鮮の工作船による領海侵犯事件では、護衛艦「みょうこう」の航海長として不審船を追跡した。その経験を買われ、特別警備隊の創設にかかわった。
 自衛隊を平成19年に退官した後は、各国の警察、軍隊への訓練指導に携わっているほか、元自衛官らでつくる「予備役ブルーリボンの会」の幹事長として、北朝鮮による拉致問題にも取り組んでいる。


 男鹿半島に伊藤さんが着目したのは、日本海に飛び出た半島で、1直線上に並ぶ灯台が2つあるからだ。鵜ノ崎灯台と潮瀬崎灯台の2灯台からの光が重なるラインをたどっていけば、コンパスなど方位を指し示す道具がなくても、最短距離でたどりつける。両灯台の光は領海外からも見えるといい、伊藤さんは特異な条件を持つ男鹿半島に関し、「上陸するほうからすればありがたい地形だ」と説明する。

上陸後に休憩?実は「五感を回復するため」

 その後陸に近づくと、陸に向かって左方向奥の防波堤にある明かりを目印にして進めば、湾内に入ることができるという。
 通常は船でできるだけ陸に近づいた後、工作員が泳いで岸へと向かうが、伊藤さんが今回実演したのは、湾内に入ってからどのように上陸するかという過程だ。


 日中でも、波消ブロックに沿って陸に近づいて来る伊藤さんの様子はかすかにしか分からない。実際に密上陸を図る際には、人の出入りや船が少ない荒天の日の夜を狙うことが考えられるため、その場合はまったく姿は確認できないことがうかがえた。
 伊藤さんは陸が間近になると、うつぶせで接近を図った。動画では確認しづらいが、このときナイフを浅瀬の砂地に差しながら進み、波に流されないようにしていたという。荒天時での上陸が通常のため、それを想定しての行動だった。
 完全に陸に上がってから、伊藤さんはうつぶせの状態から、あおむけに体勢を変えた。体を休めているかのように見えたが、視覚や聴覚が制限されるうつぶせの状態から「五感を一番感知しやすい状況にするため」だという。すべての行動には、しっかりとした理由があった。

難しい上陸阻止、協力者「あぶり出すのが大事」

 今回は一人で上陸してみせた伊藤さんだが、実際に北朝鮮工作員が密入国する場合は、ナビゲーターとしての協力者の存在が欠かせないという。
 ナビゲーターの役割は、船から降りた工作員を安全に陸へと誘導すること。上陸地点に人がいないかを確認して無線で伝えるのに加え、上陸後に必要となる着替えなどの物資を渡すことが重要だと強調する。
 ただ見つからないよう上陸するだけなら、一人でも簡単だが、上陸後に安全に行動するためには協力者がいないと厳しいという。
 海岸線の長い日本の場合、伊藤さんは「水際で止めるのは不可能」と伊藤さんは指摘。日本への上陸を防ぐためには、「協力者をどうやってあぶり出すのかが大事だ」と話した。

【関連リンク】



③ 拉致現場となった海岸の近くには無人島が…証言から浮かぶ計画性とその手口とは…

 北朝鮮工作員は、どのように日本人拉致を実行したのか。拉致が行われた現場の検証を通じ、地形に応じ、その方法が異なることが分かってきた。昭和53年7~8月に起きた一連のアベック拉致事件のいくつかでは、海岸近くに無人島があることが確認されている。帰国した被害者の証言と合わせると、拉致作戦の遂行にあたって、無人島が大きな役割を果たしていることがうかがえる。

■2カ月で少なくとも4件発生

 アベック拉致事件は、現在分かっているだけでも、4件が確認されている。7月7日に福井県小浜市で地村保志さん(61)と浜本(現地村)富貴恵さん(61)が連れ去られ、同月31日には新潟県柏崎市で蓮池薫さん(58)と奥土(現蓮池)祐木子さん(60)が拉致された。
 8月に入ると、8月12日に鹿児島県日置市で市川修一さん(61)=拉致当時(23)=と増元るみ子さん(62)=拉致当時(24)=が連れ去られ、同月15日には富山県高岡市で拉致未遂事件が発生した。


 同じ年の8月12日に新潟県佐渡市で、曽我ひとみさん(57)と母のミヨシさん(84)=拉致当時(46)=が連れ去られた事件もアベックとして狙われた可能性がある。
 2人の当時の服装を調べると、曽我さんがワンピース、ミヨシさんはいつもズボンをはいていた。曽我さん母子拉致事件では、2人は後方から襲われており、後ろから見た場合、2人をアベックと誤認したことが考えられるからだ。

■無人島の存在は工作子船を隠すため?

 この一連のアベック事件について、拉致被害者の支援組織「救う会」の西岡力会長とジャーナリストの恵谷治氏が現場を訪れて調べたところ、福井県小浜市の地村さん拉致現場と、市川さん、増元さんが拉致された吹上浜の近くに、無人島があることが確認できた。
 拉致現場近くにある無人島の存在について、6月22日に東京都文京区で開かれた集会で、恵谷氏は「福井の小浜と鹿児島の吹上浜、この沖合には小島というか、岩の島がある」と説明。さらに「福井の場合、小浜湾にある島ですが、入り江のようになって工作子船がちょうどすっぽり隠れることができる」と話した。吹上浜の沖合にも、久多島という無人島があり、工作子船を係留できるような地形だったという。


 恵谷氏がいう工作子船とは、さらに大きな工作母船から出て、陸地のほうに近づく船のことだ。海岸に上陸する場合は、さらにゴムボートなどが使われることが通常だ。
 小浜や吹上浜とは異なり、蓮池さんが拉致された柏崎の海岸や曽我さんが拉致された現場には、工作子船を隠すための島がないという。恵谷氏は「子船はいったん母船まで戻る。それは危険回避という意味です」と指摘した。

■被害者証言から増す信憑性

 拉致現場近くにあった無人島が工作子船を隠すためだったと推測する恵谷氏。帰国した被害者の証言と合わせると、その推測はさらに信憑性(しんぴょうせい)を増す。
 帰国した被害者から拉致されたときの状況を詳しく聞いた西岡会長は「地村さんはゴムボート、子船、母船と2回乗り換えている。ところが曽我さんは『1回しか乗り換えていない』という」と明らかにした。蓮池さんも1回しか船を乗り換えていなかったという。
 このことは何を意味するのか。西岡会長は「曽我さんと蓮池さんの場合は、無人島がない。だから子船は帰っていったのではないか。ゴムボートがかなり長い距離を行き、母船も危険を冒して(日本の)領海の中に入ってきて(ゴムボートを)回収したのではないか」と話し、こう総括した。


「(拉致現場近くに)無人島がない拉致被害者は1回しか(船を)乗り換えていない。(現場近くに)無人島がある地村さんたちは2回乗り換えていた。このことと、今、恵谷さんがいった『子船を無人島に隠していたのではないか』ということがぴったり合った」
 少しずつではあるが、見えてきた北朝鮮による日本人拉致の実態。だが、北朝鮮はその真相を明らかにしないだけでなく、生きている拉致被害者についても、「死亡した」などとうそをついて返そうとしていない。

④ 見えてきた日本人拉致の全貌・横田めぐみさんは偶然に拉致されたのではない

 政府が認定する被害者だけで17人に上る日本人拉致事件の全貌(ぜんぼう)はどこまで分かっているのか。拉致被害者の支援組織「救う会」の西岡力会長とジャーナリストの恵谷治氏が拉致事件の発生現場や被害者証言の検証を通じ、目的に応じて3つのパターンに大別することが見えてきた。かつて偶然に拉致されたとみられていた横田めぐみさん(51)=拉致当時(13)=らも、ある目的のため、北朝鮮工作員に連れ去られたことがうかがえる。

新たに浮かんだ「条件拉致」

 日本人拉致事件が3つのパターンに大別されることは、6月22日に東京都文京区で救う会が開いた集会で明らかにされた。
 西岡会長と恵谷氏が示したパターンは、海上遭遇拉致、人定拉致、条件拉致の3つ。海上遭遇拉致は、海上で漁船に見つかった際に工作員が摘発されるのを防ぐため、さらっていくもの。昭和38年5月に石川県志賀町から出漁し、消息を絶った寺越昭二さん=失踪当時(36)=らの事件が該当する。


 人定拉致は、拉致する対象者を工作員らがじっくりと選定した上で、北朝鮮に連れ去る。52年に工作員が日本人になりすます目的で、東京の三鷹市役所警備員の久米裕さん(91)=拉致当時(52)=が拉致された事件がこれにあたる。
 集会で、西岡会長は「海上遭遇拉致と人定拉致があるということは常識だった。逆にいうと、人定拉致こそが拉致の主流だというように思っていた」という。だが、いろいろ調べていく過程で、「1977(昭和52)年、78年の拉致についていろいろ調べると、もう一つ条件拉致があるのではないかということが分かってきた」と明かした。
 これまで昭和52年に拉致された松本京子さん(67)=拉致当時(29)、横田めぐみさんについては、工作員がたまたま目撃され、秘密の暴露を防ぐために拉致した遭遇拉致とみられていた。だが、西岡会長と恵谷氏が調べると、どうやら違っていることが分かってきたという。
 例えば、松本さんが連れ去られた際には、拉致現場近くに住む男性が現場近くを通った際に工作員の顔を見ているが、殴られただけで連れ去りはされなかった。この状況を根拠にして、恵谷氏は「偶発的に出会って連れ去られるのは海上でしかない、陸上ではないと判断した」と指摘。横田めぐみさんに関しても、事件と同じ月日の現場を見た上で、「めぐみさんも当初は遭遇拉致ではないかといわれていたが、真っ暗な中で(工作員を)目撃するはずもなく、めぐみさんは『若い女性を連れてこい』という条件拉致だったのではないか」と語った。


被害者の証言「若い女性を工作員にしようとしていた」

 若い女性を連れてこいという条件があったのはなぜか。西岡会長は、北朝鮮が当初、女性拉致被害者を工作員にしようとしていたという帰国被害者の証言に注目する。
 ただ、工作員として養成することはうまくいかなかった。外国人拉致被害者のケースでは、訓練を受けた後、海外に演習に出かけ、逃亡したこともあった。
 大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キムヒョンヒ)元北朝鮮工作員によると、「当時、若い女性を連れてきて洗脳しろという命令が金正日(キムジョンイル)から出ていた、と。しかし、なかなかうまくいかないという状況だったんです」(西岡会長)という。


 恵谷氏は「(北朝鮮の)とにかく目的は女性だった。しかし、女性一人であれば、精神的に不安定になり、寂しいとかいろいろな問題があるのでカップルにしろということになった」と説明する。松本さんやめぐみさんが拉致された翌年夏、日本ではアベックが連れ去られる拉致事件が頻発した。

状況、証言から浮かぶ「アベック」という条件拉致

 昭和53年夏に起きた日本人拉致事件は未遂も含めて5件に上る。このうち4件の被害者はアベックだが、残る1件については異なっている。
 8月12日に新潟県佐渡市で北朝鮮工作員に曽我ひとみさん(57)と母のミヨシさん(84)=拉致当時(46)=が連れ去られた。2人はアベックではない。
 しかし、西岡会長が曽我さんに2人の服装を聞いたところ、ミヨシさんはいつもズボンをはいており、曽我さんはその日ワンピースを着ていた。事件が起こったときはすでに薄暗くなっていたうえ、2人は後方から近づいてきた工作員に襲われた。こうした状況から、西岡会長は「後ろから見たら、若いアベックに見えたのではないか」という一つの仮説を挙げ、「そうすると1977(昭和52)年は若い女性が狙われ、78年はアベックが狙われた。ぴったりと条件ということに合う」と話した。
 今回、集会で拉致事件の全貌に迫った目的について、西岡会長は「北朝鮮に問題提起したいのは、『あなたたちは1977年、78年に条件拉致をやっていたでしょう。記録を調べてみなさい。われわれがいっていることが正しいということが分かったならば、日本を甘く見てはいけないということが分かるはずだ』という問題提起です」と話す。北朝鮮は拉致についてうそをつき続けているが、真実は徐々に明らかになってきている。

【情報戦で対抗】北が恐れるラジオ放送「しおかぜ」・中波送信開始で“電波戦”に新展開

北朝鮮による拉致問題を調べている「特定失踪者問題調査会」が運営している北朝鮮向け短波ラジオ放送「しおかぜ」が近く、中波での放送を始める。従来の短波に加え、中波での放送を行うことで、より多くの人に情報を届け、拉致被害者の早期救出につなげることが狙い。外部からの情報流入を嫌う北朝鮮はこれまで短波放送に対し、妨害電波で対抗しており、中波にも同様の妨害工作を仕掛けてくることが予想される。拉致問題解決に向けた北朝鮮との“電波戦”は新たな展開を迎えた。

北では短波より中波ラジオが普及

 北朝鮮に普及しているラジオ受信機の台数は約300万台という情報があり、そのうち3分の2が中波受信機とされている。
 こうした事情から、平成26年12月、日本、韓国、米国の北朝鮮向けラジオ放送の担当者を集めて開かれたシンポジウムでは、中波放送の重要性が強調された。韓国のあるラジオ放送の担当者は「強力な中波放送で、北朝鮮の住民に拉致被害者家族の立場を伝えることが大事だ」と話した。


 調査会による脱北者の聞きとりでも、北朝鮮では韓国の中波ラジオ放送をよく聞いていた。このため、調査会は以前から中波放送の実施を検討してきたが、日本国内の送信施設を使う許可が得られず、実現に至っていなかった。
 その後、調査会は海外の放送会社に委託しての放送実施を模索。平壌から約1350キロ離れたモンゴルのチョイバルサンという都市にある施設から放送できることが判明。その施設から送信した音声について、平壌よりも遠いソウルで収録したした音声を確認したところ、ある程度音声を聞き取ることができた。このため、モンゴルからの中波放送実施を決めた。
 しおかぜを担当する調査会の村尾建兒(たつる)専務理事は今後、「いつ北朝鮮が妨害をかけてくるか。それでどれだけ(しおかぜを)認識してくるかが分かる」と話す。北朝鮮はこれまでも、妨害電波を発信し、しおかぜを聞くことがができないような工作を仕掛けてきたからだ。


妨害電波に周波数の重複申請…、度重なる嫌がらせ

 平成17年10月に放送を始めたしおかぜに対し、妨害電波が確認されたのは、18年4月のことだった。その後、妨害電波は平壌から発信されていることが分かった。
 放送開始当時、しおかぜは1つの周波数でしか放送していなかった。そこに妨害電波を出されると、逃げ道はなかった。妨害電波をかわすため、調査会は複数の周波数で放送できるよう政府への働きかけを進め、現在は複数の周波数で放送。妨害電波に負けないよう、300キロワットでの送信も行っており、北朝鮮で聴取しやすい環境を整えている。
 妨害電波の状況を見ると、北朝鮮の情勢とも関係していることがうかがえる。例えば、金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長の叔父で後見人とされた張成沢(チャンソンテク)氏が粛清された後、2週間ほど妨害電波が確認されず、調査会は「北朝鮮の指揮命令系統がうまくいっていないためではないか」と分析する。
 逆に金正日(キムジョンイル)総書記の死去後、金正恩氏が最高指導者になった後は、妨害電波の音の種類がより音声を聞くのが困難なものに変わったといい、「体制固めのためにやったのではないか」(調査会)とみている。
 妨害電波以外の工作も確認されている。調査会によると、昨年10月に開かれた国際電気通信連合の周波数調整会議で、北朝鮮がしおかぜが使用している周波数の取得申請を行ったという。今年3月末の会議で取り去れたが、調査会は「しおかぜの放送を妨害しようとした意図が感じられる」とみている。


 さまざまな妨害を仕掛けてくることは、北朝鮮がしおかぜによる情報流入を恐れていることを示している。それだけに、しおかぜの中波放送に対して北朝鮮がどのように反応してくるかは、情報が北朝鮮にしっかりと届いているかどうかを見る一つの指標となる。

将来的に目指す日本国内からの送信

 調査会が脱北者からラジオへの要望を聞くと、「まずニュースを聞きたい」という希望が多いため、しおかぜの中波放送では、朝鮮語と日本語による北朝鮮情勢によるニュースを放送。さらに政府認定の拉致被害者と拉致の可能性を排除できない特定失踪者の氏名を日本語と朝鮮語で読み上げる内容となっている。今後は要望の多い、音楽を放送することも検討している。
 中波での放送は3カ月間を予定している。2時間半の放送費用が月額約100万円の短波に比べ、中波は30分で月額約135万円が必要で、同じ時間で換算すると中波は短波の6倍以上の費用が必要となる。放送予定期間を3カ月としているのは、十分な資金がないためで、調査会は今後資金が集まれば、放送を継続する予定だ。
 費用面の課題に加え、送信距離という問題もある。モンゴルの送信施設から平壌への距離は約1350キロあり、日本の九州にある送信施設からの距離のほうが近い。このため、今後政府に働きかけるなどして、日本国内からの送信を目指す。村尾専務理事は「たった30分の時間を認識してもらわないといけない」と話している。


【国軍で対抗】自衛隊は拉致被害者を救出できないのか?ドイツの事例を参考に元自衛官らが訴える「奪還シナリオ」の必要性

 北朝鮮による拉致問題の進展がない中、自衛隊を活用した拉致被害者救出実現を目指す動きが始まっている。自衛隊はこれまでイラクとアルジェリアで邦人輸送をした経験はあるものの、昨年、成立した安全保障関連法の審議でも自衛隊による拉致被害者救出が議論されることはほとんどなく、現状では自衛隊を邦人救出に活用することへのハードルは高い。「なぜ被害者を助けるのに自衛隊を使えないのか」。自衛隊OBらは“有事”に備えた準備の必要性を指摘する。

アルバニアの動乱から邦人を救ったドイツ

 「自分の国民をほかの国の軍隊に救出してもらうこともあるし、自分の国の軍隊でほかの国民を救出することもある。これが国際的な常識です」。自衛隊OBや予備自衛官らで作る「予備役ブルーリボンの会」(荒木和博代表)が3月5日に東京都内で開いたシンポジウムで、そう指摘する意見が上がった。
 指摘したのは、予備役ブルーリボンの会幹事の荒谷卓氏。陸上自衛隊唯一の特殊部隊といわれる特殊作戦群の初代群長を務めた経験を持つ自衛隊OBだ。
 シンポジウムで荒谷氏は、世界各国による在外国民救出の事例を説明。その中でも、1997年に東ヨーロッパのアルバニア共和国で発生した動乱での、ドイツの活躍を紹介した。
 アルバニアでは国民の間で流行していたネズミ講が破綻。財産を失った国民が暴徒化するという事態に発展。このときドイツはアルバニア在住の自国民保護のため、国防軍を派遣。ドイツ人だけでなく、日本を含む他国民も救出した。


 このときのドイツの行動に関し、荒谷氏は「自国民も救出したが、非常に多くの外国人を救出した。これで国際社会もドイツが軍事的にも主体的に行動するということを是認した」と説明。自国民保護をきっかけに、ドイツが国際政治の中で重要なプレーヤーになっていったと強調した。
 これに対し、日本の自衛隊はこれまでイラクとアルジェリアで邦人輸送を実施したが、「両方とも非常に安全な状況の輸送だった」と荒谷氏はいう。このため、「自衛隊を自国民保護という目的で、世界中の国々の人をどんどん救出していく。そのオペレーションの実績、経験を積んでいくことによって、北朝鮮で救出する機会がきたときに恐らく自信をもって作戦行動ができるようになると思う」と北朝鮮有事に備えた準備の必要性を語った。

北にいうこときかせるには「力しかない」

 続いて登壇した予備役ブルーリボンの会代表で、拉致問題を調べている「特定失踪者問題調査会」代表の荒木和博氏は、韓国人拉致被害者救出や小泉純一郎首相の訪朝による拉致被害者5人の帰国などを例に、日本がどう北朝鮮に対峙していくべきかを述べた。
 北朝鮮が日本人拉致を初めて認め、その後の拉致被害者5人の帰国につながった2002年の日朝首脳会談が実現した背景には、米による圧力強化があったことが知られている。同年1月の一般教書演説でブッシュ米大統領は「悪の枢軸」と北朝鮮を名指しして批判、北朝鮮が日本に接近し、首脳会談へとつながった。
 荒木氏は一般教書演説を受け、「これで爆弾を落とされると本気で北朝鮮の中は思った」と説明。当時は中国との関係も悪化したため、北朝鮮には日本に近づく選択肢しかなかったと分析した。


 こうした経緯から、今後北朝鮮との間で被害者帰国に向けた交渉を実現するため、荒木氏は「北朝鮮にいうことをきかせるには、力でやるしか方法はない。北朝鮮の中で金正恩が『このままいくと爆弾を落とされる』『日本がキレたら何をするかわからないと』いうふうに思えば、交渉に乗ってくる可能性はある」と話した。
実現しなかった拉致被害者救出作戦
 シンポジウムでは、民間による拉致被害者救出が過去に検討されたことがあったことも明かされた。
 昭和53年8月に北朝鮮に連れ去られた増元るみ子さん(62)=拉致当時(24)=の弟、照明さん(60)は平成14年終わりごろ、るみ子さんと、るみ子さんと一緒に拉致された市川修一さん(61)=拉致当時(23)=救出作戦の実施を提案されたという。
 照明さんによると、作戦を提案したのは、元北朝鮮工作員の安明進(アンミョンジン)氏。「現在でも増元るみ子さんと市川修一さんの所在地がある程度わかる。連れ出せるはずだという相談があった」という。
 しかし、るみ子さんと市川さんの2人を同時に救出するのは困難だという見通しを伝えられ、「どちらか一人残されたほうはどうなるのだろうという危惧があったのでプロジェクトを断らざるをえなかった」と振り返った。
 荒木氏も15、16年前に、民間軍事セキュリティー会社の関係者から、特定の被害者奪還を提案されたことがあったと説明。「そのときはそこまで考えがいたっていなかったのと、それ以上に一人だけ取り返すということについてどうしても抵抗があって、なんとなく立ち消えになった」というが、「どこかで(救出作戦を)決断しなければいけない時期はくるという可能性はある」と話した。


天災でも準備しないといけない時代だが…

 シンポジウムの最後では、報告者らが意見をそれぞれ訴えた。荒谷氏は「天災でさえも今はちゃんと準備しないといけない時代。政治的な災害はもっと主体的にかかわれるはずだ」とし、「拉致問題に対する根本姿勢を一度見直して、本当に国際社会で責任ある国家であればどうするだろうという視点から、立ち向かうべきだろうと考えている」と話した。
 自らも予備自衛官である荒木氏は「この国が蹂躙されて国民が連れ去られ、向こうから取り返せない。その状態を自衛官として予備であろうが現役であろうが恥ずかしいと思わないか。悔しいと思わないか」と訴え、膠着した事態を動かすためには「怒りが必要だ」と強調。「こんなことやられて、われわれは今何もできていないのだという怒りをしっかりとかみしめて、先祖にも、生まれてくる次の世代にも申し訳ないとしっかり感じていく必要があると思っている」と呼びかけた。


《維新嵐》北朝鮮を孤立させること。経済制裁だけでなく政治的(外交的)、軍事的な制裁を加えながら、北朝鮮が暴発しないようにする。その後は・・・詳細はふせます。ただいえることは目には目を、の戦略を駆使。自衛隊は現状のままでは拘束性が強すぎて役にたたないでしょう。法改正してたら時間ばかりがすぎます。超法規的措置かな。
 敵国の様子、動きを常に把握し「負けない」ための戦略を構築していく必要があります。あらたな情報機関(ヒューミント、シギントの部門をもつ)の創設は必須でしょう。

【北朝鮮が国家戦略として外国人を拉致していた事実を映画化】

「拉致」指令認める金正日総書記の肉声公開
ドキュメンタリー映画「恋人と独裁者」が米国で封切り

【ロサンゼルス=中村将】北朝鮮による韓国人女優と映画監督の拉致事件を扱ったドキュメンタリー映画「The Lovers and the Despot(恋人と独裁者)」の上映が23日、米ロサンゼルスやニューヨーク、首都ワシントンなどの一部の劇場で始まった。被害者が金正日(キム・ジョンイル)総書記とのやりとりをひそかに録音していた内容が含まれており、拉致の指示を認める金総書記の「肉声」が公開された。
 北朝鮮は1978年1月、韓国人女優の崔銀姫(チェ・ウニ)さんを香港から工作船で拉致。行方を捜していた元夫で映画監督の申相玉(シン・サンオク)さん(故人)もその後、拉致された。金総書記が映画作りに従事させ、北朝鮮映画の質を向上させるために拉致した事件として知られる。2人は北朝鮮で再婚した。
 映画は2人の英国人監督が撮影。崔さんの証言や、米国務省関係者や米中央情報局(CIA)関係者らのインタビューなどを基に構成されている。米サンダンス映画祭や世界三大映画祭の一つ、ベルリン国際映画祭で評価された話題作だ。


金総書記は甲高い声で被害者夫妻に拉致の目的を「映画製作のためにあなた方に目をつけた」と説明。「『(工作機関に)2人を連れてきなさい。重要なんだ』と言った」と述べている。「南朝鮮(韓国)には自由も、民主主義もない。あなたたちは本当の自由を得るために(北朝鮮に)来た。創造の自由を約束する」などと被害者夫妻を洗脳するような発言もある。
 被害者夫妻は北朝鮮で何があったのかを証明するために、かばんなどにカセットレコーダーをしのばせ、録音していたという。CIA関係者も「肉声」との認識を示している。
 申さんが怪獣映画「プルガサリ」や「帰らざる密使」などを撮影して信頼を得たことで、夫妻は映画関係の仕事で東欧などへの出国が認められた。86年3月、オーストリア・ウィーンの米国大使館に夫妻で逃げ込み、脱出に成功した。
日本でも平成28924日から一部の劇場で「将軍様、あなたのために映画を撮ります」の題名で公開が始まった。

《維新嵐》必要な技術は、それをもっている人材を外国から拉致してでも手に入れる。単に北朝鮮という国家戦略というだけではなく、民族的な慣習という側面もあるのかもしれません。少なくとも農耕民族的な価値観では理解できないやり方といえるでしょう。


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