2020年8月11日火曜日

米ソ諜報戦争 ~冷戦期に激化したスパイ戦争~

 第二次世界大戦後の世界、いわゆる欧州を席捲したナチスドイツ、イタリア・ムッソリーニ政権、アジアの超大国である大日本帝国が崩壊した世界、は、勝者であるアメリカを中心とする自由資本主義陣営と勝ち組になった独裁者スターリン率いるソビエト連邦を中心とする共産主義陣営に二分されることになった。

 この新たな二つの超大国は、核兵器に裏付けられる強大な力関係から、軍事力で真っ向からぶつかることはせず、「冷戦」といわれる対立戦争に入ることになった。第二次大戦で失職すると考えていた各国の諜報員たちには、冷戦下においてより一層の諜報活動の任務が与えられることになった。こうした中で台頭してきた組織が、アメリカ中央情報局(CIA)と国家保安委員会(KGB)であった。米ソという二大超大国の諜報機関を中心に冷戦中の諜報戦争は展開していくことになる。

 CIAが創設されたのは1947年(ロズウェル墜落事件と同年)、第二次大戦中に発足したOSSの後継組織としての色合いが濃い組織であった。
 CIAの最初の諜報工作は、イタリアの選挙への介入であるとされている。莫大な資金を投入してキリスト教民主党に多数派の議席をとらせ、イタリアの共産主義化を防止するという工作を成功させた。
 CIAが飛躍的に発展したのは1953年、“不世出のスパイマスター”アレン・ダレス氏が長官となり、組織を整備した。
 KGBの創設は、1954年のことであった。CIAとKGBは、キューバ危機(1962年)、ベトナム戦争(1959年~1975年)、ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年~1989年)など大きな国際紛争の水面下で絶えず火花を散らしていたといわれる。
 両者は世界中で諜報戦を繰り広げ、冷戦を象徴する都市であった東西ベルリンが、主要な舞台になったとされている。

 スパイ活動が盛んになると同時に、諜報技術も飛躍的に進化した。アメリカは高高度からソ連の軍事施設を偵察するためにU-2偵察機を開発する。
 1960年にソ連の地対空ミサイルに撃墜されるまで、ソ連上空をしばしば飛行偵察した。さらに米ソの対立はスパイ衛星(偵察衛星)を打ち上げ、宇宙空間からお互いを監視しあうまでにエスカレートする。諜報戦の部隊は宇宙空間まで拡大したのである。1989年にいわゆる「ベルリンの壁」が除去されて冷戦は終結にむかったものの諜報戦の需要はいささかも減じることはなかった。

動画

1955年に米ロッキード社が開発したU-2高高度偵察機。地対空ミサイル、迎撃機が到達できないところを飛行することでソ連の重要施設を空撮した。

諜報戦の部隊は、高高度から宇宙空間へ(1960年代)
1957年、ソ連は人類史上初となる人工衛星スプートニク1号を打ち上げた。アメリカはこれに衝撃をうけ、宇宙開発競争の幕開けとなった。




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