岡崎研究所
2018年10月24日http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14256
平成30年10月4日、ペンス副大統領は米国の保守系シンクタンクであるハドソン研究所で、トランプ政権の対中政策に関して、約43分間にわたる演説を行なった。米国政府の対中政策として包括的な演説であり、以下に要点を紹介する。なお、ペンス副大統領は11月中旬に来日予定である。
・トランプ政権は、昨年4月6日に米国で、11月8日に中国で、米中首脳会談を開催し、個人的信頼を築きながら対中関係を優先的に推進してきた。しかし中国は、政治的、経済的、軍事的手段及びプロパガンダを利用して、米国における自国の利益や影響力を高めようとした。
・昨年12月にトランプ大統領が発表した国家安全保障戦略では、「大国間競争」の時代が明記された。これら外国勢力は国際秩序を自国に有利になるように変えようとしている。この戦略で、トランプ大統領は、米国が中国に対して新アプローチを採用したことを明らかにした。
・1949年、中国共産党は政権を取るなり、独裁膨張主義に走るようになった。ともに戦った第二次世界大戦から5年しか経っていないにもかかわらず、米中両国は朝鮮半島で戦火を交えた。父は現地で参戦した。1972年、中国との敵対関係は終わり、ほどなく米中は国交回復した。ソ連が崩壊後、自由中国の出現は不可避と思ったが、希望は満たされなかった。自由の夢は中国の人々からは遠ざかったままだ。
・この17年間で中国のGDPは9倍になり、今や世界第2の経済大国である。その成功は米国の対中投資に依るところも大きい。中国共産党は、自由で公平な貿易とは相いれない政策を行なった。それには、関税、為替操作、知的財産権の窃取、技術移転の強要、産業補助等が含まれる。米国の対中貿易赤字は、昨年は3750憶ドルで、これは全世界の半分を占めた。トランプ大統領曰く、25年間で「米国は中国を再建してあげた」のである。
・中国共産党は、「メイド・イン・チャイナ2025」計画で、世界の最先端産業のロボット、AI、バイオ産業等の90%を占めようとしている。中国は、米国の財界に、中国でビジネスをしたいなら企業秘密を渡すよう要請する。
今般の首脳会談で決まったことは、TAGという新たな協定への交渉を開始し、その交渉をしている間は、報復関税のようなことは慎むということである。この構図は、7月の米国とEUとの間の合意を想起させる。米=EU合意も、「大掛かりな貿易協定の交渉」(関税ゼロ、非関税障壁ゼロ、自動車産業以外の製品への補助金ゼロを目指す)で双方が合意し、交渉期間中は関税戦争をしないとする内容であった。米国からのLNGの輸入を拡大することで合意した点も、日米、米欧で共通している。
新たな交渉を開始するということでトランプのメンツが立ち、中間選挙に向けたアピールができた一方、日本側としても、受け入れることのできないFTAではなくサービス貿易や投資などを除いたTAGに落ち着いたこと、また、農産品の関税についてはTPPで合意済みの水準を限度(上記共同声明中「日本としては農林水産品について、過去の経済連携協定で約束した市場 アクセスの譲許内容が最大限」とある)とすることができた。なお、トランプが貿易赤字について言及する際はreciprocal(相互主義的な)という語を使うのが常であるが、共同声明ではmutually
beneficial(互恵的な)という語を使っている。まだ楽観視はできないが、態度の軟化を示しているかもしれない。
通商をめぐるトランプ政権の大きな立場は、次第に明確になりつつあるように思われる。米国は、日欧とは全面衝突を回避し、NAFTA見直しをめぐってもメキシコに続いて9月30日にカナダとの間でも合意した。今や、大きな経済ブロックで、米国と真正面から衝突しているのは中国だけと言える。米国は「経済戦争」の対象を中国に絞ったと見てよいのであろう。上記共同声明の第6パラグラフは、非市場志向型の政策や慣行、知的財産の収奪、強制的技術移転、補助金等を挙げているが、当然これは中国が念頭にあるものと思われる。ルールに基づいて中国の不当な行為を正していくのが本来あるべき姿である。しかし、そうではなく、むき出しのパワーの衝突という形で、通商分野においても米中対立が進む可能性がある。世界は、その余波を受ける覚悟をする必要があるのかもしれない。
中国との島嶼攻防戦を視野に入れ始めた米軍
「局地的軍事衝突」が前提となる大国間角逐戦争
北村淳
2018.10.25(木)http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54467
水陸両用装甲車「AAV-7」(出所:米海軍)
トランプ政権は、いわゆる中間選挙が近づいたこともあり、対中強硬姿勢を経済分野だけでなく軍事分野でもますます強めている。
基本的な戦略レベルでは、すでに昨年(2017年)12月にホワイトハウスが公表した「国家安全保障戦略」ならびに本年1月にペンタゴンが公表した「国防戦略概要」で中国に対する強硬姿勢が明示されている。すなわち、アメリカの国防基本方針は「世界的なテロリズムとの戦いに勝利する」から、「軍事大国すなわち中国とロシアとの軍事的対決に勝利する」へと変針した。とりわけ当面の主たる仮想敵は、南シナ海や東シナ海で周辺諸国を軍事的に威圧しながら海洋覇権を確保しつつある中国である。
トランプ政権がロシアとの中距離核全廃条約(INF)から離脱する意向を表明した動きも、そのタイミングから判断すると、ロシアよりもむしろ中国に対抗する米軍戦力を考慮しての動きと考えたほうが自然である。
局地的軍事衝突が前提となる大国間角逐戦争
中国との軍事的衝突を視野に入れた「大国間角逐」に打ち勝つための準備を固めるといっても、核兵器使用の有無を問わず「第3次世界大戦」に発展するような全面的戦争への突入は何としてでも避けることは確実である。このような大前提が、米国にも中国にも共通していることには疑いの余地はない。というよりは、むしろ中国のほうがアメリカよりも戦略核の使用や全面戦争への発展を忌み嫌う姿勢が強固であると考えるべきであろう。なぜならば、中国共産党の軍隊であるとはいえ中国人民解放軍の基本的戦略の根底には孫子兵法の伝統が横たわっており、「アメリカのように、敵を威圧するために構築し保持すべき軍事力を剥き出しで行使するのは大馬鹿者の行い」という考えが徹底しているからである。
いずれにせよ、核戦争や第3次世界大戦のような全面戦争を避けたうえでの中国との軍事的衝突ということになれば、局地的軍事衝突ということになる。たとえば小規模なものでは南沙諸島や尖閣諸島などの無人島嶼環礁の争奪戦、より規模が拡大して南沙諸島に中国が築いている人工島のような軍事拠点の攻防戦、さらに規模が拡大すると宮古島や石垣島のような有人島への侵攻戦、そして最大規模で台湾攻防戦といった局地限定戦争の可能性が考えられる(もちろんそれらの軍事衝突の発生確率は極めて低く、「否定され得ない」といった表現のほうが妥当かもしれない)。
「太平洋戦争」とは似て非なる中国との島嶼攻防戦
要するに、中国との間で予想されうる軍事衝突は、規模の大小はあるものの島嶼攻防戦になることが確実である。
島嶼環礁を巡っての軍事衝突という点で想起されるのは、米国が呼ぶところの「太平洋戦争」である。日本と米国は太平洋の島嶼環礁を巡り死闘を繰り広げ、沖縄攻防戦で日米島嶼攻防戦は幕を閉じた(実際に海兵隊や海軍関係者たちの中には、日本との島嶼攻防戦を“再吟味”して、来たるべき中国との島嶼攻防戦に役立つかもしれない何らかの教訓を再確認する動きも見られる)。
しかしながら似通っているのは、戦域が島嶼環礁とその周辺海域ならびに空域となるであろうという点だけである。1940年代と違って高度情報化時代の現在は、サイバー戦、宇宙戦など1940年代には思いもよらなかった概念も登場している。さらに、軍艦や軍用機などの伝統的な兵器も各種センサー類(レーダーやソナー)や高性能ミサイルなどの登場により著しく進化し、海戦や空戦そのものの概念自体が大きく変貌してしまった。
中国との局地戦を現実的に想定して準備を整えなければならなくなった米軍は、海洋戦力への予算投入を優先的に強化しているものの、“第2次世界大戦期スタイル”の空母決戦や艦隊決戦などは再現されないとも考えている。そのため、F-35やB-21などの新鋭軍用機、各種ミサイル類、それに高度情報システムと高性能センサー類を装備した新鋭戦闘艦への軍事費投入は惜しまないが、もはや現実には起こりえない戦闘形態に必要な装備や部隊に関する投資は差し控え始めた。
開発中のB-21ステルス爆撃機(出所:ノースロップ・グラマン社)
時代遅れと判断された「上陸作戦」
その典型例が、アメリカ海兵隊司令部によるAAV-7水陸両用装甲車の延命改修作業のキャンセルという苦渋の決断である。
本コラム(2018年9月20日「米国が国防費を対中戦にシフト、海洋戦力強化へ」)で触れたように、2019会計年度の国防歳出法では、中国との大国間角逐に打ち勝つために軍事費全般の増額が決定されたが、海兵隊の予算は抑制されてしまった。そのため海兵隊は、予想されうる中国との島嶼を巡る攻防戦にはさして必要としない予算を削減し、F-35B戦闘攻撃機をはじめとする航空戦力のために十分な予算を確保しておく必要が生じた。その結果、海兵隊自身が犠牲としたのがAAV-7延命改修プログラムだった。
岩国基地のF-35B戦闘攻撃機(写真:米海兵隊)
現在、陸上自衛隊水陸機動団が調達中のAAV-7水陸両用装甲車は、およそ半世紀前の設計である(さらに、基本的なコンセプトは、第1次世界大戦後に日本との大平洋における島嶼攻防戦を予想した海兵隊の天才的戦略家であったエリス中佐が策定した対日作戦計画を土台にして海兵隊が1930年代に策定した上陸作戦ドクトリンにある。つまり、80年近く前のアイデアに基づいている車両といえる代物なのである)。
海兵隊自身は、すでに25年ほど前から新型車両の開発に着手していた。しかし、ようやく誕生した新型車両(EFV)はあまりにも高額になってしまった上に、車両自体にも問題点も山積していたため、開発は中止に追い込まれた。そのため、海兵隊はおよそ1300両保有するAAV-7のうち、とりあえずは400両程度に様々な改造を施して、これから15年程度は使い続ける決断を下した。これがAAV-7延命改修プログラムである。ところが、すでにアメリカの装甲車両メーカーによって改造作業が開始されている延命改修に、海兵隊自身がキャンセルの注文を発するという異常事態が生じてしまった(そのため、このメーカーでは多数の失業者が生じている)。これは、予想されうる中国との島嶼を巡る攻防戦には、もはやエリス中佐が打ち出して以来80年近くにわたって海兵隊の基本的ドクトリンの1つとされてきた上陸作戦は「さして役には立たないであろう」と海兵隊司令部自身が判断している何よりもの証拠である。それゆえに、AAV-7の防御力増強や機動性強化をはじめとする改修作業を中止してしまったのである。
揚陸艦から発進して海岸に上陸した米海兵隊AAV-7(筆者撮影)
日本も現実を直視せよ
中国との「大国間角逐」に打ち勝つ決意を固めた米軍は、予想されうる南シナ海や東シナ海での島嶼攻防戦に打ち勝つための具体的調整を開始した。そして、もはや空母決戦や艦隊決戦、上陸作戦といった“第2次世界大戦スタイル”の戦闘は現代島嶼攻防戦では再現しないことを大前提にしている。現在の情報システム環境や兵器システムのレベルから考察すると、このような前提は至当な判断と言えよう。ただでさえ国防予算規模が微少にすぎる日本としては、海兵隊の苦渋の決断のように、少しでも無駄な装備調達を控え、必要性の低い組織を少数精鋭化するなどの、我が身を切る英断を実施する勇気を持たねばならない。
〈管理人〉第二次大戦当時のような植民地ブロック経済の時代でもないですし、今や海洋権益という概念も当時よりは重要なものになっています。国際法をよりどころにする法律、経済、プロパガンダ、サイバー戦に代表される情報戦など総合的な国家防衛戦略が不可欠ですね。最新の装備を並べるだけの防衛戦略ごっこは、生き馬の目を抜くような国際的政治の戦いの前には通用しないです。
横須賀に入港する空母の"超接近映像" (タグボートから撮影)
https://www.youtube.com/watch?v=GO9Jrv6nBMU
アメリカ太平洋艦隊のシンボルである空母打撃群。
【アメリカの対抗、既得権を守る戦い】
「日米安保条約第2条」と中国への対抗
第4次アーミテージ・ナイ報告書(経済編)
段階的な非核化と制裁緩和を主張する中ロ
中国が北朝鮮に軍事介入するであろう2つの理由
ロシアが望むのは米中両国の疲弊
中国に対する米国の厳しい姿勢
過度の対立姿勢も対米弱腰も避けたい中国
【付編】我が国がすべきこと
なぜトランプ政権はINF条約破棄表明に至ったのか
中距離核戦力全廃条約の経緯とその問題、アジア太平洋地域への影響は?(前編)
ソ連のINFは欧州にとって脅威、米「核の傘」に対するNATO諸国の不安
「INF多角化論」を主張してきたロシア
ロシアによるINF条約違反
米国による軍事的対抗策の模索
米国で再燃するINF論争
「INF条約破棄で中国に対抗」は可能か?日本への様々な影響
中距離核戦力全廃条約の経緯とその問題、アジア太平洋地域への影響は?(後編)
INF条約交渉時、日本が果たした重要な役割
条約違反対象に含めるか議論になったミサイルシステムの存在
日本の安全保障に与える直接的な脅威は限定的か
中国の脅威認識と戦力配備態勢への影響は?
条約破棄から中距離ミサイル開発・配備までにどれだけの時間がかかるか
日本がすべきことは?
https://www.youtube.com/watch?v=GO9Jrv6nBMU
アメリカ太平洋艦隊のシンボルである空母打撃群。
【アメリカの対抗、既得権を守る戦い】
「日米安保条約第2条」と中国への対抗
第4次アーミテージ・ナイ報告書(経済編)
2018年10月23日http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14245
2018年10月3日、アーミテージ元米国務副長官とナイ元国防次官補らによる日米同盟強化に関する報告書‘More
Important than Ever - Renewing the U.S.-Japan Alliance for the 21st Century’(アーミテージ・ナイ報告書の第4弾)が発表された。同報告書は、トランプ政権の言動により日米同盟の先行きについての不透明感が増していることに警鐘を鳴らしつつ、日米同盟を強化する方策を提言したものである。同報告書の安全保障関連についての内容の概要は、10月22日付け本欄で紹介した通りである。今回は、経済関係分野に焦点を当てて紹介する。経済面でも、やはり焦点となるのは中国への対抗である。
経済面では、まず、日米安保条約第2条を重視し何度も触れている点が、注目に値する。同条は「締約国は、その自由な諸制度を強化することにより、これらの制度の基礎をなす原則の理解を促進することにより、並びに安定及び福祉の条件を助長することによって、平和的かつ友好的な国際関係の一層の発展に貢献する。締約国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国の間の経済的協力を促進する」という内容である。報告書は「トランプ政権は、日本が経済的ライバルではないことを認識する必要がある。日本は、価値観と利害を共有する重要なパートナーであり、日本の経済的成功は米国に直接的および間接的な利益をもたらす」と指摘する。日本の対米貿易黒字を執拗に問題視するトランプ政権への厳しい批判であり、適切な内容である。日米間では、物品貿易協定に向けた交渉が始まったが、ムニューシン財務長官は為替条項を導入することを求めると表明するなど、引き続き不透明感が漂う。
報告書は、「TPP交渉は、米日をこれまでにないほど安保条約第2条の目標の実現に近づけた」と指摘、「米国のTPPからの離脱は、中国の経済的選択を形作るのに必要な、ルール形成と市場の梃子を、米日から失わせた」として、トランプ政権のTPP離脱を遺憾であると批判する。そして、中国が貿易と投資のルールの代案を主導しようとし続ける中、米日が如何にして勢いを取り戻せるか疑問である、という。トランプ政権の対応が、対抗すべき中国の動きをかえって助長しているとの問題提起であり、正鵠を射ている。報告書は、日本にCPTPPの推進を求め、最終的に米国がそれに参加できるように求めているが、日本としては、指摘を待つまでもなく、そのように進めることになると思われる。
同時に、当然のことではあるが、報告書は対中国ということを強く意識した内容となっている。「米国と日本にとり、おそらく最大の地域的チャレンジは、インド太平洋地域における中国の政治的・経済的影響力の増大であろう。特に中国の一帯一路構想は、東南アジア、インド洋沿岸、太平洋島嶼国などの小国に対する大きな梃子を中国に与えている。中国のインフラ投資は多くの場合歓迎されているが、それに伴う、政治的・経済的梃子は歓迎されていない」として、日米同盟は魅力的な代案を示し得ることを示すべきだ、と提言する。具体的には、インフラ整備基金を創設することを提案、多くの国々が、債務の罠、腐敗、威圧の回避を望んでいるので、日米同盟を中心とする高い基準の投資は魅力的なのではないかと言っている。少しパンチに欠ける内容ではあるが、最近、中国による債務の罠の回避に注目が集まっているという意味では、時宜にかなっている。日米に加え、豪州、インド、ニュージーランド等を主要なパートナーとして、着実に取り組んで行くほかないであろう。
大きく見れば日本および日米同盟は、経済関係においてもいわゆる「米中新冷戦」の文脈に置かれることになろう。その中でトランプ政権は自由貿易や既存のルールに重きを置かず、日本にも対米貿易黒字をめぐり厳しい注文を付けている。そうした状況へのアンチテーゼとして、今回のアーミテージ・ナイ報告書が重視する日米安保条約第2条は有意義であると思われる。トランプが聞く耳を持つとはなかなか期待できないが、繰り返し問題提起をしていくことが重要ではないだろうか。
【共産中国の本音?】
北朝鮮の不安定化、米国との衝突を避けたい中国の憂鬱
小原凡司 (笹川平和財団 上席研究員)
2018年10月23日http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14311
2018年10月7日、ポンペオ米国務長官が訪朝し、金正恩委員長と会談した。第2回米朝首脳会談の時期および内容等について協議したものと思われる。しかし、北朝鮮の非核化に関して実効性のある合意を得ることは難しかっただろう。
米朝両国は、朝鮮半島の非核化と朝鮮戦争の終結を進めることについて合意しているが、米国はまず北朝鮮が完全な非核化を進めるべきだと主張し、北朝鮮は寧辺の核施設の閉鎖とロケット・エンジン試験場の破壊と引き換えに朝鮮戦争の終結を宣言するよう要求している。全く逆のプロセスを要求する両国の溝は深い。
段階的な非核化と制裁緩和を主張する中ロ
米国は、自らが追求する理想的な結果が実現しないことを思い知りつつある。米国だけではない。日本を含む国際社会も、間もなくその不都合な現実を認識せざるを得なくなる。しかし、その現実を知った時、国際社会は、北朝鮮を非核化に向かわせるための圧力を、改めてかけることができるだろうか?
北朝鮮の非核化が進むという誤った期待感は、北朝鮮対応に影響を及ぼしかねない。
2018年6月12日に開かれたシンガポールでの米朝首脳会談の後、日本を始めとする国際社会の中にも、北朝鮮が進展するという期待感が高まってしまった。トランプ大統領が金正恩委員長に親近感を示しており、それに合わせるかのように周辺諸国も期待を示し、北朝鮮に対する警戒感が緩んだのである。
国際社会の警戒感が緩んだ機に乗じて、中国やロシアが、朝鮮半島の段階的な非核化と北朝鮮に対する制裁の緩和を公に主張し始めている。しかし、中国自身の警戒が解けた訳ではなさそうだ。トランプ大統領が、金正恩委員長に騙されたとして軍事力を行使する可能性を除いても、北朝鮮社会が不安定化する原因はいくつも考えらえる。
例えば、自然災害である。台風や地震などによって北朝鮮国内に甚大な被害が出れば、ただでさえ経済制裁で苦しい状況にある北朝鮮経済はさらに悪化する。北朝鮮国民が飢餓に苦しむ状況は、北朝鮮社会の不安定化を招くとともに、国境を越えて中国に避難しようとする大量の避難民を生むだろう。
さらに、北朝鮮軍の一部が社会の不安定化に乗じて反乱を起こす可能性もある。北朝鮮は経済的に苦しい状況にはないという分析も聞くが、軍の中にも食糧不足の兆候は見られる。食べられなくなれば暴動が起こる。軍内の暴動は他の部隊によって制圧が試みられると考えられることから、北朝鮮国内で内戦が起き、社会はより不安定化するだろう。
中国が北朝鮮に軍事介入するであろう2つの理由
こうした状況を最も憂慮するのが中国である。北朝鮮が不安定化すれば、中国が軍事的に介入する可能性がある。そして、中国の軍事介入を警戒するのが米国だ。中国が軍事介入して生起する米中間の軍事的緊張を危惧する米国の軍関係者や有識者は多い。中国が介入するだろうと考えるには、大きく2つの理由がある。
1つは、北朝鮮が保有する核兵器の管理が疎かになるからだ。こうした状況に危機感を示すのは、中国だけではない。現在でさえ米国は、北朝鮮の核兵器がイランなどを通じてISなどに拡散することを警戒している。米国は、北朝鮮とイランが核兵器やミサイル開発における協力を継続していると考えているのだ。さらに、北朝鮮軍の暴発した一部の部隊が核兵器や生物化学兵器を使用する危険もある。
核兵器の使用や拡散の危険が高まれば、米軍は、韓国軍と協力して北朝鮮の核兵器を自らの手で押さえようとする。中国が許容できないのは、米国に北朝鮮の核兵器を押さえられることだ。米国は、米軍による北朝鮮への進入が機微な問題であることを理解し、韓国軍にその任を負わせることを考えているかも知れない。しかし、中国にとっては、北朝鮮の核兵器が米国の手で管理されることに変わりはない。
2つ目の理由は、北朝鮮社会を安定化させるためだ。朝鮮半島が米国の影響下に置かれることを避けたいだけでなく、中国は、中朝国境付近の中国領側に、これ以上、朝鮮族が増加することも許容できない。国内に多数の少数民族を抱えることは、新たな社会の不安定要因となるからだ。これまでも中国は、経済不振や農作物の不作等の原因で北朝鮮国内が不安定化するたびに、中朝国境に人民解放軍の部隊を増派して、北朝鮮から中国に避難民が流れ込まないようにしてきた。
自然災害等によって北朝鮮国内が食料不足に陥ったとして、中国は、国際社会に北朝鮮に対する人道支援を呼びかけ、自らも支援を行おうとするだろう。北朝鮮社会を安定させることは、中国の利益になるのだ。食料や燃料の人道支援は、本当に困難に直面している北朝鮮国民に行き渡らないかもしれないが、中国には他にも目的がある。
北朝鮮国内が混乱に陥ったと分析すれば、中国は直ちに人民解放軍の部隊を中朝国境付近に集結させるだろう。そして、人道支援の輸送を担当するのは、これら人民解放軍の部隊である。陸軍は、陸路で物資を輸送しようとし、道路が寸断されて孤立した地域への救援活動を行うとして、大量のヘリコプターも運用されることになる。さらに、海岸から近い地域に対しての支援として、中国海軍艦艇も北朝鮮周辺海域に集まるだろう。
北朝鮮に入る中国軍の目的は、北朝鮮の核兵器を押さえることと社会を安定化させることである。北朝鮮が崩壊してしまうと、中国は、米国との間の緩衝地帯を失う。中国にとって、北朝鮮の指導者が誰であってもかまわないが、朝鮮半島が統一されず北朝鮮が中国の影響下にあり続けることが重要である。
中国軍の動きに対して、日本や米国も自衛隊および米軍の艦艇・航空機を用いた人道支援を計画する必要がある。中国が一方的に実質的軍事介入を行わないよう、カウンターパワーとして、朝鮮半島および周辺に軍事力を展開してけん制するのだ。
ロシアが望むのは米中両国の疲弊
こうした各国の動きに対して、ロシアも黙ってはいない。ロシアにとって、北朝鮮問題は特に関心のある問題ではないといわれる。ロシアは、やはりヨーロッパを向いているのだ。北朝鮮は、ウクライナやシリアとは異なり、はるか離れた極東に存在し、中国の影響下にある国である。「北朝鮮はソ連が生み中国が育てた」とは、よく言われることだ。
それでもロシアは、大国としてのステータスを維持するために、この機会を利用しようとするだろう。ロシアは、極東における中国の圧力の高まりを警戒している。北朝鮮をめぐって米中が軍事衝突すれば、ロシアにとって有利な状況が生まれる。まず、米国の関心が北朝鮮に集中することだ。米国は、中国と軍事衝突すれば、ウクライナや中東どころではなくなってしまう。
より重要なのは、軍事衝突によって米中双方が疲弊し、ロシアの影響力が相対的に向上することである。米中両国の疲弊は、米国のロシアに対する圧力が下がるという直接の効果の他に、中国がロシアの要求に従わざるを得ない状況を生み出す。
ロシアは、こうした状況を創り出すために、人道支援のためという他国と同様の口実をつけて太平洋艦隊の艦艇を出動させれば良い。複数の国の軍隊が狭い地域に集まることで、北朝鮮周辺の軍事的緊張を高め、状況をより複雑にすることができるからだ。さらにロシアは、中国の背中を押して米国とより厳しく対立させるために、軍事装備品を提供することができる。もちろん、無償で提供する必要などない。中国はお金持ちで、ロシアの軍事技術を必要としているのだ。
中国に対する米国の厳しい姿勢
中国は、こうしたロシアの思惑を理解しているが、米国の影響力に対抗するためにはロシアの協力を仰がなければならないことも理解している。米国は、すでに大国間競争の時代に入ったと認識し、「より大きなリスクを負う戦略」へと戦略を転換した。2018年10月に行われたペンス米副大統領の発言は、こうした米国の認識と意志を示すとともに、中国に対する米国の厳しい姿勢を改めて示している。
2018年に入って米国が発表した複数の「報告書」は、こうした潮流の中で発表され、米国の対中認識をより具体的に示している。例えば、8月16日に米国国防総省が発表した「中国軍事力に関する年次報告書」は、中国のAI等先端技術を用いた兵器開発に対する警戒感を露わにすると同時に、「中国軍が米国や米国の同盟国に対する攻撃訓練を行っている可能性が高い」とした。
また、8月24日に、米国議会の政策諮問機関である米中経済・安全保障問題検討委員会が発表した「中国の海外における統一戦線工作」という報告書は、米国における中国メディアや孔子学院の活動に警鐘を鳴らしている。米国では、プロバガンダやスパイ活動まで含む中国のパブリック・ディプロマシーに対する警戒感が高まっており、こうした中国の一部の動向に対してFBIも捜査を行っている。
2017年11月に、全米民主主義基金(NED)が行ったフォーラムで注目されて以来、「シャープパワー」という言葉が日本でも流行りになっているが、そもそもシャープパワーとは、NEDの説明を簡単に言えば、権威主義国家が民主主義国家に対して行う強制力や時に違法な手段を用いて世論や政治家を味方につける力のことである。
一般的に、パブリック・ディプロマシーは、文化や政治的価値観といったソフトパワーを用いた対外発信のことを指すが、中国のパブリック・ディプロマシーは、権威主義国家であることから、ソフトパワーではなくシャープパワーを用いた働きかけをすることが多いとされる。米中経済摩擦の激化や中国の軍事行動に対する警戒感の高まりに合わせて命名され流行りになった言葉であり、中国を非難するために使われる言葉であるともいえる。
さらに、2018年10月に米国防総省が発表した「防衛産業基盤に関する報告書」では、中国の攻撃的な経済活動が米国防衛産業基盤に対して悪影響を与えていると危機感を示している。加えて、中国の経済活動が軍事的拡張や軍の近代化を支えているとする。
過度の対立姿勢も対米弱腰も避けたい中国
米国の中国に対する対決姿勢は明確になってきた。空席が続いていた、東アジア・太平洋地域を担当する国務次官補に、元空軍准将のデビッド・スティルウェル氏が指名された。スティルウェル氏は韓国語と中国語が堪能であるが、退役軍人が中国を含む地域を担当する国務次官補に抜擢されること自体が、トランプ政権の対中強硬姿勢を示すものであるともいえる。
米国の圧力を跳ね除けるのは人民解放軍の役割である。最近になって、中国国営メディアが、最先端の技術を用いた武器開発の報道を繰り返すのは、米国に対するけん制であるともいえる。一方で、習近平主席は、人民解放軍を掌握するために、「反腐敗」を用いて高級将校の摘発および処分を進めている。
2018年10月16日、中国国営新華社通信が、軍の最高指導機関である共産党中央軍事委員会の委員であった房峰輝・前統合参謀部参謀長と張陽・前軍事委政治工作部主任が、贈収賄および他の手段で巨額の蓄財を行った容疑で、党籍剥奪の処分を受けたと報じた。張陽上将は、昨年11月に自殺しているにも関わらず、処分されたものだ。中国らしいと言ってしまえばそれまでだが、習近平主席の軍に対する「反腐敗」の徹底を示すものとして受け止められている。
さらに、対米政策および経済政策の失敗を理由に習近平主席の側近たちが批判される中、機会を窺っていた王岐山副主席が外交の表舞台で積極的に動き始めた。10月18日、中国外交部が、王岐山副主席が中東のイスラエルやパレスチナ自治政府、エジプトなどを歴訪すると発表したのだ。米国からの技術移転が難しくなっている現在、イスラエルに協力を求めることも重要な目的だと考えられる。王岐山氏が引き続き対米政策を主導することを示唆するものだ。
米国が中国を完全に潰そうとしていると恐れる中国は、米国との衝突を避けたいと考えているが、過度の対立姿勢を示さないようにしながら、対米弱腰ととられないように見せなければならない。米国を凌駕する軍事的・経済的実力を身に着けるまで、中国の綱渡りは続くことになる。
なぜトランプ政権はINF条約破棄表明に至ったのか
中距離核戦力全廃条約の経緯とその問題、アジア太平洋地域への影響は?(前編)
2018年10月19日、ニューヨーク・タイムズ紙は、トランプ政権がロシアとの間で締結している中距離核戦力全廃条約(以下、Intermediate-range Nuclear Forces:INF条約)の破棄を検討していると報じ、20日には、トランプ大統領自ら条約を破棄する考えであることを明らかにした。
INF条約をめぐっては、2014年にロシアが条約に違反する地上発射型巡航ミサイル(GLCM)を開発しているとして、米政府が公式に非難。2017年にはその実戦配備が確認されたことを受け、2018年2月に公表された「核態勢見直し(NPR)」(参照:http://wedge.ismedia.jp/articles/-/12095)では、対抗措置を明記するなど新たな米露間の軍拡競争に至る様相を呈してきた。そこで以下では、INF条約の経緯と米国の安全保障コミュニティで行われてきた同条約の維持・破棄をめぐる議論を総括し、それがアジアと日本に与える安全保障上の影響について考える。
ソ連のINFは欧州にとって脅威、米「核の傘」に対するNATO諸国の不安
INF条約とは、1987年12月に米ソ二国間で締結された史上初の核軍縮、特定兵器全廃条約(無期限)である。この条約は、厳密には核兵器そのものというよりも、その運搬手段を制限する条約であり、搭載される弾頭が核弾頭か通常弾頭を問わず、地上から発射される、射程500~5500kmの弾道ミサイルおよび巡航ミサイルを全て廃棄することに加え、その生産・実験も禁止している(*条約には、情報交換や施設査察などの検証措置規定も含まれる)。
なぜ米ソがこうした微妙な射程の、それも地上発射型という特殊な条件の兵器システムを全廃するに至ったのか。それには冷戦期の米=NATO間における拡大抑止(核の傘)の問題が深く関係している。
一般的に、拡大抑止の信頼性は、物理的な能力はもとより、拡大抑止提供国と被提供国の間で、脅威認識がどれほど共有されているかに左右される。冷戦初期の1950年代には、欧州に対するソ連地上部隊の侵攻に対し、米国は核兵器を用いた反撃によって対抗する意思を明示すること(大量報復戦略)で、ソ連を抑止していた。1950年代後半から60年代に入る頃には、大陸間弾道ミサイル(ICBM)を含むソ連の急速な核軍備が進んだことにより、米国の核戦力の相対的劣勢化を懸念する「ミサイル・ギャップ」問題が提起されたものの、実際の米ソの核バランスにはそこまで深刻な変動はなく、1970年代前半までは米国の相対的優位が続いた。その間にも、ソ連と地続きで対峙する欧州と、大洋を隔てた米国との間には、その地理的環境の違いから、ソ連に対する多少の脅威認識ギャップが生じることはあったが、米国の核優位が続き、在欧戦域核も十分な数を備えられていた時代には、それが大きな問題に発展することはなかった。
ところが、1970年代半ばを境にこの状況が変化し始めた。米=NATOの在欧通常戦力の拡充がなかなか進まない中、ソ連が移動式の中距離弾道ミサイル(IRBM)「SS-20」に代表されるINFを欧州正面に配備し始めたことによって、欧州の戦域核バランスは徐々にソ連優位に傾くようになっていった。ソ連のINFは、米本土に到達するほどの射程は有しておらず、その狙いを欧州に限定していたが、この「米国には届かないが、欧州には届く」という性質が、米=NATO間の拡大抑止の信頼性に大きな疑問を投げかけた。
米本土に届かないソ連のINFは、米国の安全保障にとって直接の脅威ではない。この状況の中、NATO諸国は、欧州がソ連のINFによって限定核攻撃された場合、「米国は自らが核攻撃される危険を冒してまで、欧州の安全保障にコミットしてくれるのか(核反撃してくれるのか)」という不安を抱くようになった。ソ連のINFには、NATO諸国にこのような不安を抱かせ、欧州の安全保障と米国の拡大抑止とのリンケージを切り離し、弱体化させる(デカップリング)狙いがあったのである。
この不安を解消すべく米国とNATOは協議を重ね、1979年12月のNATO外相・国防会議において、在欧核配備と米ソの軍縮・軍備管理交渉を同時に追求する「二重決定」方針が発表された。すなわち、欧州に米国のINF(「パーシングⅡ」とGLCM)を配備することによって、NATO諸国に対する拡大抑止を保証しつつ、ソ連を核軍縮・軍備管理交渉のテーブルに着かせるための圧力をかけるという方針である。この方針が奏功し、1981年11月には、米ソ双方がINFを撤去するための軍縮・軍備管理交渉が開始された。交渉は紆余曲折したものの、最終的に米ソは1987年12月に双方のINFを全廃することに合意。両国は1991年6月までに、米国は計846基のINF(パーシングⅠ・ⅡおよびGLCM)を廃棄。ソ連も計1846基のINF(SS-20、SS-4、SS-5、SS-12、SS-23、SSC-X-4)を廃棄した。
「INF多角化論」を主張してきたロシア
INF条約は失効期限の定められていない無期限条約であり、今日まで米露は同条約の規定を遵守する義務を負ってきた。しかし2005年頃を境に、ロシア側から、INF条約が米露のみに適用される二国間条約であることを問題視する発言がなされるようになった。例えば、2005年1月に当時のイワノフ副首相兼国防相は、ワシントンで行われたラムズフェルド国防長官との会談において、「ロシアがINF条約から脱退するとした場合、米国はどうするか」と疑問を投げかけたとされる。また、2007年10月の米露「2+2」では、プーチン大統領が、INF条約に米露以外の国も参加すべきとして多角化の必要性を強調し、もし他国が短・中距離ミサイルを強化する動きがあれば、ロシアはINF条約から脱退する可能性を示唆した。
ロシア側の主張は、条約に制限されない複数の国々が、INF条約が規制する水準の中距離ミサイルを自由に開発、生産、配備しており、それがロシアに脅威を与えているというものであった。事実、冷戦後には核兵器やミサイル技術の拡散が進み、米露以外でINFに相当する中距離ミサイルを保有する国は10カ国以上(中国、エジプト、インド、イラン、イスラエル、北朝鮮、パキスタン、サウジ、韓国、シリア、この他にイエメンの反体制派武装勢力など)に及んでいる。しかも、これらの国の中距離ミサイルは、いずれも米本土を捉えるほどの射程は有しておらず、ロシアだけがINF条約の不利益を被っているという主張には一定の正当性があった。
INF多角化論と同時期に、ロシアは米国による東欧の弾道ミサイル防衛計画にも懸念を見せるようになっている。2007年12月、バルエフスキー参謀総長は、当時計画されていたチェコ・ポーランドへのミサイル防衛配備に対して核戦争も辞さないとの姿勢を示した他、ロシアがINF条約から脱退するかどうかの決定は、欧州ミサイル防衛計画に対する米国の態度次第だとも発言した。
この時期は、冷戦から十数年が経過し、ロシア側の核戦力の老朽化と、通常戦力の近代化の遅れが取り沙汰されており、なおかつロシア側には米国と同水準のミサイル防衛システムを構築できる見込みがなく、米露の戦略バランスの不均衡が徐々に露呈しつつある時期でもあった。そこでロシアは、核戦力の近代化によって、通常戦力の近代化の遅れを補完することに重点を置き、その阻害要因である米国のミサイル防衛を何らかの形で無力化することを模索し始めた。その意味において、INF条約の多角化論は米国に揺さぶりをかける政治的手段であったが、現実的困難性から多角化を真剣に追求しようというモメンタムは生まれず、次第にINF脱退論とともにミサイル防衛を物理的に突破、無力化しうる能力の開発が重視されるようになった。ロシアがINF条約に違反する水準のミサイルの開発・実験を行っているとの報道が出始めたのもこの時期[2007年5月]である。
ロシアによるINF条約違反
2014年7月29日、米国務省は軍備管理・不拡散・軍縮諸条約の履行状況をまとめた年次報告を発表。その中で、「ロシアは、射程500~5500kmの能力を有するGLCMの保有、製造、飛翔実験、およびそれらのランチャーの保有・製造を行わないとするINF条約の義務に違反している」との評価を下した。ロシアがINF条約に違反するミサイルを開発・保有しているとの疑惑は、2007年頃から取り沙汰されていたものの、米政府が公にその違反を追及したのはこれが初めてであった。
そして2017年2月14日、ニューヨーク・タイムズ紙が米情報当局者の話として、ロシアが条約違反となるGLCMの配備を始めていると報道。それによると、ロシアは「SSC-8(9M729)」と称されるGLCMを2個大隊保有しており、1つを南部ヴォルゴグラード近郊にあるカプスティン・ヤール試験場に配備し、もう1つは2016年12月以降、国内の実戦配備基地に移動したと見られている。なお、米政府は条約違反とされるミサイルの諸元についての詳細を公表していない。しかし専門家らの分析によれば、SSC-8は「R-500(9M728:GLCM)」の射程延伸型で、「SS-N-30(3M14)/カリブル-NK」と呼ばれる海上発射型巡航ミサイル(SLCM)の地上配備バージョンであるとされている。カリブル-NKは、2015年10月にカスピ海からのシリア攻撃に使用された巡航ミサイルで2500kmの射程を有すると見られているため、この見立てが正しければ、オリジナルと同程度の射程を有すると考えるのが妥当であり、INF条約の制限に抵触している可能性が高い。
更に2017年3月8日には、下院軍事委員会公聴会に出席したセルヴァ統合参謀本部副議長が、「我々は、ロシアがGLCMを既に配備していると見ており、 INF条約の精神と意図に違反する」「当該システムは、欧州にある我々の施設のほとんどにリスクをもたらすものであり、(中略)それらに脅威を与える目的でロシアが意図的に配備したと考えている」と証言し、米軍高官として初めてそれが配備されていることを認めたのである。
米国による軍事的対抗策の模索
もっとも米国も手をこまねいていたわけではなく、政府内外でロシアの条約違反への対抗策が検討され続けてきた。2014年12月10日には、下院軍事委員会公聴会で証言したブライアン・マキオン政策担当筆頭国防副次官(のちに政策担当国防次官代行)は、「統合参謀本部は、ロシアの新型INFが欧州やアジアの同盟国に与える脅威に対する軍事的評価を行っており、この評価は我々の広範な軍事的対抗オプションの見直しに繋がる」と述べ、そのオプションには、巡航ミサイル防衛の配備、米国の新型中距離ミサイルの開発・配備等を含むことを示唆した。また、政府による検討措置については、FY2014以降の国防授権法において「INF条約違反に関する国防省による対応計画の報告」と題する項目が正式に盛り込まれている。
そして国務省は、INF条約調印から30周年にあたる2017年12月8日に発表した声明において、「INF条約は国際安全保障と安定の柱である」「INF条約は、米露間の戦略的競争の管理に貢献してきており、(中略)米国と同盟国とパートナーの安全にとって極めて重要である」と断った上で、ロシアが条約を遵守せず攻撃的システムを配備し続けていることに対して3つの措置、すなわち(1)同問題の解決に際し、米国は外交的解決を追求し続ける、(2)国防省は、軍事概念と、通常(非核)の、地上発射型、中距離ミサイルシステムのオプションを見直す、(3)条約に違反する巡航ミサイルを開発・製造に関与する企業への経済的措置をとるとした。
ロシアによる条約違反は、2018年2月3日に公表されたトランプ政権のNPRでの決定にも大きな影響を与えた。NPR2018では、昨年末の国務省声明に則り、条約遵守を前提としたものの、条約に抵触しない範囲での対抗手段として、(1)既存の潜水艦発射型弾道ミサイル(SLBM)の一部を低出力核弾頭に換装し、(2)中長期的には海洋発射型核巡航ミサイル(SLCM)の再開発・再配備を検討するとし、ロシアが条約遵守に回帰するのであれば、SLCM計画については見直す可能性を留保したのである(→詳しくはhttp://wedge.ismedia.jp/articles/-/12096)。
なお、ロシア政府は米政府の批判に対し、「根拠がない」とするだけでなく、自らを棚に上げて「イージス・アショアに使用される多目的ランチャーは、トマホークの発射に転用しうる」といった言いがかりをつけ、米側こそがINF条約違反を侵していると批判している。(*東欧に配備されているイージス・アショアは、艦船搭載用の多目的システムと異なり、弾道ミサイル防衛専用に改修されている)
米国で再燃するINF論争
ロシアの条約違反を明示した2014年以降も、オバマ政権は「INF条約を維持することが米国を含む各国の利益にかなう」とする立場を維持してきた。そうした態度は、オバマ政権が核兵器の削減・役割低減を標榜し、軍縮・軍備管理政策の履行を重視してきたことと無関係ではなかったように思われる。
しかしながら、米国の安全保障コミュニティでは2014年頃を境に、INF条約の今日的意義をめぐる論争が活発化してきていた。当時それらの主張は、戦略環境に対する現状認識や、INF条約対象国を多角化することへの実現可能性に対する評価の違いから、従来通り条約を堅持すべきとする「INF条約維持派」と、 INFの再配備を検討する戦略的柔軟性を確保すべきとする「INF条約破棄・見直し派」とに大別されていたが、ロシアによるGLCM配備が確実となったことで、次第に「条約維持派」の前提を踏まえながらも、「条約破棄・見直し派」が提言してきたような積極的な対抗手段を検討すべきとの議論が取り入れられるようになっていった。
例えば、2017年2月16日には、トム・コットン上院議員(*同議員はマティス国防長官の後任候補に名前があがっている)をはじめとする一部の共和党議員が、INF条約を維持しながらも、その対抗手段を検討すべきという法案を提出している。
その内容は、「トマホーク、SM-3(弾道ミサイル防衛用迎撃ミサイル)、SM-6(艦対空ミサイル)、Long-Range Standoff weapon(LRSO:AGM-86空中発射型核巡航ミサイルの後継)、陸軍戦術ミサイルシステム(ATCMS)を射程500~5500km相当の地上配備型ミサイルに改修するためのコスト、スケジュール、フィージビリティを検証し、議会に報告すべき」「INF水準の核・非核両用の移動式地上配備ミサイル・プログラムを立ち上げるべき」「追加的なミサイル防衛アセットを積極的に追求すべき。具体的には、米軍・同盟国をロシアのINFから防御するため、イージス・アショアを欧州とアジアに追加配備する際の数・地点を検証し、議会に報告すべき」「INF水準のミサイルシステムの同盟国への移転を推進すべき」といったもので、一部はFY2018の国防授権法やNPRプロセスに取り入れられている。
一方、条維維持を主張してきたスティーブン・パイファー元駐ウクライナ大使らは、「(条約から脱退すれば)相互検証措置が及ばなくなり、ロシアのミサイル配備を正当化・野放しにしてしまう」「他の装備近代化が必要とされている中、独自INFを新規開発するだけの予算上の余裕はない」「米国のINFは欧州かアジアに配備した場合のみロシアを狙えるが、配備先を見つけるのは政治的に困難であり、軍事的リスクが大きい」「条約に抵触しない空中発射・海洋発射ミサイルでも、同じ目標は達成できる」と主張している。
なお両者の間では、地域における巡航ミサイル防衛能力を強化すべきという方向性は一致している。当然そのオプションには、現在弾道ミサイル防衛専用に設計されている、ルーマニアとポーランドのイージス・アショアに巡航ミサイル防衛能力を追加することも含まれており、今後発表される「ミサイル防衛見直し(MDR)」の中で言及される可能性があるだろう。
繰り返しになるが、INF条約それ自体は米露二国間にのみ適用される条約だ。しかし日本にとってより重要なのは、米国の一部の当局者や専門家の間には、アジア太平洋地域において中国の中距離ミサイルに対抗すべく、条約を破棄した方が都合がよいという声があることだ。こうした主張は、地域の安全保障にとって果たして妥当なのであろうか。次回は、INF条約破棄が日本を含むアジア太平洋地域にどのような波及的影響を及ぼすかを細かく検討する。
「INF条約破棄で中国に対抗」は可能か?日本への様々な影響
中距離核戦力全廃条約の経緯とその問題、アジア太平洋地域への影響は?(後編)
前回(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14297)は、 INF条約が締結された背景や、ロシアによる条約違反、米国における対抗措置の検討と条約離脱派・維持派それぞれの主張を説明した。そこで述べたとおり、INF条約自体は米露二国間で締結されている条約であり、ともすれば核大国同士が議論すべき第三者的問題として扱われがちである。また条約が締結された歴史的経緯に関連して、ロシア(ソ連)と地続きになっている欧州の軍事情勢と異なり、地理的に離れている日本は蚊帳の外に置かれてしまいかねない側面もある。
INF条約交渉時、日本が果たした重要な役割
しかし、INF条約はその交渉時に日本が重要な役割を果たした当事者性の高い問題であるということは、どれだけ知られているだろうか。この経緯は、ロシアのINFが今日のアジアに与える影響を考える際にも若干関係するので、そのさわりを紹介しておきたい。
1980年代の米ソ軍備管理交渉は、最終的に両者のINFを全廃する、いわゆる「ゼロオプション」で決着したが、全廃合意に至るまでには複数のオプションが議論されており、その中には双方が欧州に配備されたINFだけを撤去する=ソ連はSS-20を欧州に届かないウラル山脈以東に移動させる、といった「欧州限定ゼロオプション」などが提案されていた。
当初から米国は、配備地域にかかわらず双方がINFを全廃することを追求していたものの、ソ連は現状維持を主張して交渉を中断するなどしたため、米側では欧州限定ゼロオプションや、SS-20の大幅削減とパーシングⅡの配備中止を引き替えとする妥協案に一定の支持が集まりかけたが、レーガン大統領自身がゼロオプションにこだわり続けた。
レーガン大統領の懸念は、「たとえソ連のSS-20をウラル以西(欧州正面)から撤去できても、ウラル山脈以東(極東正面)に残されたSS-20は、日本や韓国、中国に脅威を与え続け、なおかつSS-20の射程(5000km超)と輸送可能力をもってすれば、ウラル山脈以東に配備されていても、すぐに欧州の脅威に変わりうる」というものであった。こうしたレーガン大統領のこだわりは、中曽根総理との良好な「ロン・ヤス関係」を軸に、当時の外務省幹部らが日本側の懸念を米国と欧州双方に対して打ち込むことに尽力した成果であった(この経緯は、佐藤行雄元国連大使の著書『差し掛けられた傘』[時事通信出版局、2017]で詳述されている)。
こうした条約交渉時の経緯だけでなく、現在の北東アジアではロシア以外に、中国や北朝鮮、韓国までもが多くの中距離ミサイルを保有しており、INF条約をめぐる問題は、日本を取り巻く安全保障環境を議論する上で無視できない複雑な問題となっている。ここでは、INF条約の破棄が日本の安全保障にいかなる波及的影響を与えるかを様々な論点から検討する。
条約違反対象に含めるか議論になったミサイルシステムの存在
第一に重要な点は、INF条約を米露両国が遵守しているかどうかという制度上の問題と、条約が禁止している射程500〜5500kmの地上発射型ミサイルが両国および周辺国に与える戦略的・戦術的影響は分けて考える必要があるということだ。
2014年以来、米政府が条約違反対象と指摘しているのは、「SSC-8」と呼ばれる地上発射型巡航ミサイル(GLCM)であることは前回述べた。技術的に見て、このミサイルの射程が2000kmを超えることはほぼ確実であり、地上での飛翔試験や実戦配備も確認されているから、状況証拠からして条約違反であることは疑いの余地がない。
しかし2014年の時点で、条約違反対象に含めるか議論になったミサイルシステムがこれ以外に2つ存在する。1つは、「イスカンデルM」と呼ばれる移動式の短距離弾道ミサイル(SRBM)である。イスカンデルMは、潜在的に500km以上の射程延伸が可能と見られるが、500kmを超える距離での飛翔試験などを確認できていない等の理由で、条約違反対象にはカテゴライズされていない。とはいえ、イスカンデルMは核搭載可能な即応性の高い戦術弾道ミサイルであり、既にカリーニングラードにも一個旅団が配備されている。
これはポーランドの首都ワルシャワや、陸上部隊をバルト諸国に向け増派する際の要衝である「スヴァウキ回廊(*カリーニングラードとベラルーシを隔てるポーランド=リトアニア国境地帯)」などを即座に打撃しうる距離にある。このことから、米国やNATO、東欧諸国は、イスカンデルMが条約違反対象でないとしても非常に厄介な戦術核ミサイルとして警戒しており、それが2月の「核態勢見直し(NPR2018)」で決定された潜水艦発射型弾道ミサイル(SLBM)=「トライデントD5」への低出力核弾頭の搭載や、ポーランドにおけるミサイル防衛の強化などに繋がっているのである。
米国内で条約違反対象に認定するか議論になったもう1つのミサイルが、「RS-26」と呼ばれる開発中の移動式ICBMである。RS-26は2012年5月の飛翔試験こそ5800kmの距離で行われたものの、同年10月以降の飛翔試験はすべて2000km前後で行われている。元々米国は、ソ連がINF条約をなし崩しにするとすれば、重い弾頭を搭載するなどしてICBMを短射程で運用する可能性があることを警戒していた。2015年11月には、RS-26が条約違反対象ではないことを証明するため、米当局による査察が計画されていたものの、翌年査察はキャンセルされてしまった。このためRS-26が実質的なINFである疑いは拭えないが、米側も同ミサイルが実戦配備段階にないことを踏まえて、違反対象として正式にカテゴライズすることを躊躇したのではないかと思われる。
このことから、特定の兵器システムが条約違反に該当するか否かの問題とは別に、INF水準に近いロシアのミサイルシステムが、欧州・アジア地域にもたらす軍事的な影響を考える必要がある。以下では実戦配備されていないRS-26は脇に置き、SSC-8とイスカンデルMがもたらす影響についても検討対象とする。
日本の安全保障に与える直接的な脅威は限定的か
第二の論点は、条約違反の疑いのあるロシアのINFが極東に配備された場合に、それが日本の安全保障にどのような影響を与えるかである。これは80年代のINF条約交渉の過程で、日本側がSS-20が極東正面にスイングされて配備される危険性を主張したことを想起させるが、冷戦時代の教訓は今日の安全保障を考える上でどの程度有効だろうか。
まずはSSC-8による日本への影響であるが、現在のところ、SSC-8が日本を射程に入れる軍事拠点に配備されているかはよくわかっていない。SSC-8の射程を2000kmと仮定し、それがウラジオストクに程近いウスリースクに配備された場合を想定すると、宮古島や与那国島などの一部を除けば日本のほぼ全域が射程に収まる。当然、秋田県と山口県を配備候補地としている日本のイージス・アショアや、三沢、横須賀、岩国、嘉手納といった米軍の重要拠点もその射程に含まれる。だがここで留意しておくべきなのは、ロシアは「AS-15(Kh-55)」と呼ばれる射程3000km近い、核・非核両用の空中発射型巡航ミサイル(ALCM)を搭載可能なTu-95爆撃機を、以前から東部軍管区の航空基地に配備しているということだ(*更に言えば、オホーツク海にはSLBMを搭載した戦略ミサイル原潜が潜んでいると見られる)。
加えて冷戦期と異なるのは、ロシアによる対日軍事攻撃の蓋然性である。SS-20の極東へのスイング可能性が懸念されていた80年代は、ソ連による大規模着上陸侵攻への対処が日本の防衛政策上の最重要課題となっており、ソ連の核戦力はそうした通常戦力のエスカレーション・ラダーの延長線上に位置付けられる現実の脅威と見なされていた。しかし、北方領土問題を抱えながらも、現在の日本政府がロシアを冷戦期のような切迫した軍事的脅威と認識しているとは考えられない。これは2013年の「国家安全保障戦略」の中で、ロシアに関する記述がわずか一箇所、それも日露協力の文脈でしか言及されていないことからも明らかである。もちろん、ロシアが2014年以降にクリミアやシリアで軍事作戦を行ったり、他国への妨害工作や政治干渉を行っていることは問題視されてしかるべきだが、それを日本の防衛政策上の主要な脅威とみなすべきかは別問題であろう。
これらを総合すると、仮にSSC-8が日本を射程に収める地域に配備されたとしても、それはイージス・アショア配備に対する政治的ハラスメント以上の意味を持たず、日本の安全保障に与える直接的な脅威は限定的であろう。これは射程が短いイスカンデルMの場合も同様である。もっとも、これらのミサイルが北方領土、例えば択捉島などに機動展開してくる場合には、その政治的意図について別途考える必要があるだろう。
中国の脅威認識と戦力配備態勢への影響は?
第三の論点は、ロシアのINFが極東正面に配備された場合に、それらが中国の脅威認識と戦力配備態勢にいかなる影響を与えるかという問題である。米国の安全保障コミュニティの一部には、ロシアのINF条約違反を意図的に放置することで、それが中国の戦略計算に影響を与え、トータルな戦略バランスにおいて米国・同盟国側に有利に働くとの見方が存在する。つまり、ロシアのINFが中露国境に近いザバイカルやビロビジャン付近に増強されてくれば、中国もそれらを意識せざるをえず、中距離ミサイルや防空システムをロシア対処に振り向ける必要が出てくるため、その分、西太平洋正面=日米に向けられるミサイル戦力を相対的に分散させることができるという、ある種の対中コスト賦課戦略として利用できると捉えているのである。
しかしながら、こうした中露分断策が上手くいくかどうかは未知数である。そもそも、中国のミサイル旅団の大半は、中露国境から900〜1300km近く離れた中朝国境付近や山西省、河北省など黄海沿岸から内陸部に配備されており、イスカンデルMでこれらを攻撃することは不可能である。射程の長いSSC-8であれば、一部のミサイル旅団を射程に収めることはできるものの、飛翔速度の遅い巡航ミサイルは中国の移動式ミサイルを即座に攻撃するには不向きであり、通常弾頭であればその破壊力も限られている。したがって、中露国境付近からロシアが中国のミサイル旅団を本気で牽制しようと思えば、SSC-8に核弾頭を搭載して運用するしかない。しかしその場合、中国はミサイル戦力の残存性とSSC-8に対する迅速なカウンターフォース能力(=敵ミサイルに対する直接的な攻撃能力)を向上させるため、DF-21やDF-26等の中距離核ミサイルを増産し、配備を強化する可能性が出てくる。
これは中露を核軍拡競争という消耗戦に陥れる策と言えないこともないが、増産された中国の中距離ミサイルは、情勢変化次第で西太平洋正面にスイングされてくる可能性も否定できない。そうしたリスクを考慮すれば、日米側が大量の中距離ミサイルに対処するコストを支払わされ、結果的に逆効果になる恐れもある(*このように互いが軍拡競争の誘因に駆られている状況を専門用語で「軍備管理における安定(arms
race stability)」の低下と言う)。
これらを踏まえると、中国に対して不用意に中距離ミサイルを増産させるインセンティブを与えるのは必ずしも得策とは言い切れないため、ロシアのINFを対中牽制に利用しようという発想には慎重であるべきだろう。
条約破棄から中距離ミサイル開発・配備までにどれだけの時間がかかるか
第四の論点は、米露以外の国が保有するINF水準の地上発射型ミサイルをどのように位置づけるかである。INF問題が交渉されていた80年代と異なり、現在はミサイル技術の拡散が進み、多くの国がこの種のミサイルを保有している。特に日本周辺で影響があるのは、中国のDF-15系列(600〜850km)、DF-16(700km)、DF-21系列(1500〜1750km)、DF-26(3000km)、CJ-10(1000〜2000km:*巡航ミサイル)、北朝鮮のスカッドC(500km)、スカッドER(1000km)、ノドン(1300km)、北極星2(2000km)、そして韓国の玄武2系列(500〜800km)、玄武3系列(500〜1000km:*巡航ミサイル)などだ。
2000年代の一時期にINF条約の多角化論が提起されたように、米国が新たにINFを開発・配備することで、それを条約拡大のレバレッジとして使うことができれば、INF条約の破棄は、21世紀版の「二重決定」を狙ったものと言えなくもない。しかし現実問題として、他国が米国の中距離ミサイル配備に従って、自分たちが保有する中距離ミサイルを手放すインセンティブはほとんど生まれないだろう。残念ながら、北朝鮮の非核化交渉においても、北朝鮮側がノドンや北極星2等の中距離ミサイルを取引材料としている様子は今のところ窺えない。また中国は、中距離の弾道・巡航ミサイル戦力を、広大な地理的縦深性を利用しながら、西太平洋において米軍の介入を妨げる接近阻止/領域拒否(A2/AD)能力の中核に据えている。これだけを見ても、INF条約が見直され、多国間の軍備管理条約に発展させるのは困難と言わざるをえない。
だが中国や北朝鮮の中距離ミサイルは、日本の安全保障にとって重大な懸念事項であり、防衛政策上の対抗措置をとる必要はある。となれば、第五の論点となるのは、米国の中距離ミサイルを西太平洋地域に配備することが、周辺国の中距離ミサイル脅威を相殺し、抑止するのに資するかどうかである。
そもそも、米国が新たにINFに相当する地上配備の中距離ミサイルを開発・配備するとすれば、どのようなオプションがあるのか。既に統合参謀本部と戦略軍は、ロシアの条約違反が疑われ始めた2013年頃から、INFが必要になる場合のフィージビリティ・スタディを複数行ってきた(具体的内容は非公表)。またFY2018国防授権法は、国防長官に「通常(非核)の移動式・地上発射型巡航ミサイル」の開発プログラムを立ち上げるマンデートを与えるとともに、INF水準の地上発射型ミサイルに対抗するための(1)積極防御手段、(2)カウンターフォース能力、(3)米国の能力を拡張するための相殺攻撃能力の開発に対し、5800万ドルを授権することを決めている。ただし、NPR2018における記述は「通常(非核)の地上発射型中距離ミサイル」と若干表現が異なり、検討対象を巡航ミサイルに限定していない=弾道ミサイルの可能性を残している。
既存の兵器システムを改修する場合の候補となるのは、(1)トマホーク(*BlockⅣで射程1600km)の地上配備型、(2)空軍で開発中の空中発射型核巡航ミサイル=LRSO(推定射程2500km超)の地上配備型、(3)陸軍で開発中の新型ロケットシステム=Long Range Precision Fires(LRPF:射程300~499km)の射程延伸=戦術弾道ミサイル化などであろう。変わり種としては、(4)日米共同開発の弾道ミサイル防衛用迎撃ミサイル=SM-3BlockⅡAのエアフレームを流用し、シーカーを交換することで対地攻撃用に転用できるとの見方もある(*これはSM-3自体に攻撃ミサイルとしての汎用性があるという意味ではない)。
これらのオプションはいずれも10年以内で開発が可能とされるが、完全新規の巡航ミサイルないし弾道ミサイルを開発する場合には、より多くの時間とコストがかかる。ロシアや中国は既にINF水準のミサイルを開発・配備していることを踏まえると、いずれのオプションをとるにしても、米国が条約破棄から中距離ミサイルを開発、配備するまでにどれだけの時間がかかるかは非常に重要な問題である。
西太平洋地域に米国の中距離ミサイル配備、5つの役割
その上で、米国の中距離ミサイルを西太平洋地域のどこかに配備することの主な狙いと課題を整理してみよう。まず、想定される役割としては以下の5つが挙げられる。
(1)戦力投射能力の最適混合化
現在、西太平洋地域における米軍の主な戦力投射能力には、航空基地を基盤とする戦術航空機、戦略爆撃機、空母とその艦載機、水上艦、潜水艦などがあるが、対地攻撃に用いる長距離ミサイルの搭載量は(オハイオ級巡航ミサイル原潜を除けば)限定的である。例えば、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦でさえ、トマホークを1隻あたりおよそ30~40発程度しか搭載することができない。またこれらのミサイルは空中はもとより、洋上での再装填ができないため、一度ミサイルを撃ちきった航空機や艦艇は基地や母港に戻って補給しなければならなくなる。その点、通常弾頭の中距離ミサイルをグアムや日本、豪州北部に配備して他のアセットが担っていた攻撃任務を担うことができれば、航空機や艦艇を対水上戦や対潜水艦戦、ミサイル防衛といった他の任務に割り当てられるという利点がある。
(2)中国内陸部へのコスト賦課
地上配備の中距離ミサイルを中国の内陸部を攻撃できる地点に予め配備しておけば、B-2ステルス爆撃機などの高額なアセットを防空網に侵入させるといったリスクを冒さなくとも、恒常的に中国を牽制でき、更にそれらに対処するために防空システム等への追加的投資を強いることができるかもしれない。
(3)分散化された航空基地に対する制圧能力の補完
相手が日本やグアムなどに数カ所しかない我が方の航空基地を中距離ミサイルで脅かしうるのに対抗して、こちら側からも遠距離から中国の航空基地や関連インフラを攻撃しうる手段を多様化することで、有事における相手の航空戦力を弱体化させるということも考えられる。
(4)海上封鎖能力の補完
米軍の陸上部隊と中距離地対艦ミサイルを組み合わせ、軍事的緊張が高まった場合に島嶼部などへの迅速な機動展開を行い、バシー海峡等のチョークポイントを封鎖できる状況を作り出し、中国海軍の艦艇を牽制するという使い方もある。
(5)同盟国・パートナー国への安心供与
かつて80年代に米=NATO間で行われたように、米国の中距離ミサイルを日本などの同盟国に配備することによって、米国の防衛・拡大抑止コミットメントを保証する安心供与としての役割が考えられる。これは中国を対象とする場合のみならず、北朝鮮を対象にする場合にも同様のことが言えるだろう。
課題・デメリットは?
以上が、西太平洋地域に前方配備される米国の中距離ミサイルに見出しうる主な役割・メリットである。いずれも納得できるものではあるが、課題やデメリットについても精査する必要がある。それらをまとめると以下のような懸念が考えられる。
(1)地上発射型ミサイルである必然性
最も根本的な主張は、これらの狙いの殆どは、条約に抵触しない空中発射型ないし海洋発射型ミサイルで代替できるというものだ。実際上記の狙いは、すべて既存の能力を補完することを念頭においており、地上発射型ミサイルでなければ達成できないわけではない。
(2)地上発射型ミサイルであるがゆえの脆弱性
地上に配備されるミサイルは、航空機や艦艇に搭載されるミサイルよりも、敵の攻撃に対して脆弱である。米国が新たに開発する中距離ミサイルはいずれも路上移動式を前提としているが、広大な戦略的縦深を有するロシアや中国、あるいは欧州の戦略環境と異なり、グアムや日本、東南アジアの島嶼国はいずれも縦深性に乏しく、移動式による恩恵を受けにくい。また地上配備の場合、弾薬庫を併設すれば、航空機や艦艇よりも容易に補給が可能との見方もあるが、攻撃を避けるために予めミサイルの移動発射台を分散・秘匿しようとすれば、その分、兵站上の制約が生じて弾薬庫や補給車両を近くに置く恩恵は受けられない。逆に、補給の利便性を考慮して、移動発射台を弾薬庫近くに展開しようとすると、今度は固定式ミサイルと大して変わらなくなり、配備基地ごと先制攻撃によって撃破される恐れがある。
(3)巡航ミサイルか、弾道ミサイルか/核か、非核か
相手に対してコスト賦課を強いたり、抑止を成立させる場合、配備された兵器システムが実際に使用された場合の軍事的効果、すなわち作戦遂行においてこちらに優位があり、相手が劣勢になることがある程度はっきりしている必要がある。となれば、配備する中距離ミサイルが巡航ミサイルであるか、弾道ミサイルであるか、それに搭載する弾頭が核弾頭であるか、通常弾頭であるかの差はかなり大きい。
まず航空基地を機能不全に陥れることを目的とする場合、通常弾頭の巡航ミサイルであれば、その効果はかなり限定される。2017年4月6日に米軍がシリアのシャイラート航空基地に対して行った攻撃では59発のトマホークが使用されたが、シャイラート基地はわずか2日後には運用を再開している。したがって、通常弾頭で航空基地機能をある程度低減させることを試みる場合、弾道ミサイルを用いて滑走路などを攻撃する方が効果的である。
これは中国がDF-21等を用いて嘉手納基地などを想定した攻撃訓練を実施していることからも読み取れる。ただし、中国の分散化された航空基地ネットワークは40箇所以上に及び、これらに有効な打撃を与えるためには600発以上の弾道ミサイルが必要になると見積もられている。これだけの大量の弾道ミサイルと、ある程度の同時発射を可能とする移動発射台を予め前方展開させておくのは、政治的にも運用コスト上も難しい。となれば、航空基地を効率的に打撃する方法は低出力核を用いることだが、これは政治的に正当化しにくい上、非核三原則を有する日本でなくとも配備先の反発を招くだろう。なおかつ、そうした運用方法はNPR2018で言及された低出力トライデントや核SLCM、LRSOなどで達成できるから、地上配備の中距離核である必然性はない。
相手の移動式ミサイルを標的とする場合にも似たような問題が生じる。滑走路やレーダーサイトのような固定目標と異なり、配備基地から展開してしまった移動式ミサイルを発見して効率的に撃破することは相当難しい。日本やグアムから発射する亜音速の巡航ミサイルでは、標的に到達するまでに時間がかかり過ぎ、その間にシェルターなどに退避してしまう余地がある。弾道ミサイルであれば、発射から弾着までの時間は短縮されるが、通常弾頭では移動式ミサイルを正確に攻撃できるほどの精度を出すことは難しくなる。
そうなると、ここでも分散展開した移動式ミサイルを迅速かつ確実に撃破する方法は、低出力核攻撃ということになる。戦略軍では移動式ミサイルに対するカウンターフォース攻撃の一手法として、核弾頭を空中で起爆させ、その過圧効果により一定範囲の地表に出ている標的を一掃することを想定しているが、やはりそれは地上配備の中距離ミサイルでなくとも、低出力トライデントや核SLCM、あるいはLRSOで達成できる(*トライデントやLRSOに搭載が予定されている低出力核のイールドを5キロトンと見積もった場合、それを上空530mで起爆させた際の防護措置のとられていない攻撃目標に対する有効半径はおよそ1.2km[4.54 km²]、致死量の放射線降下物の拡散範囲は風向きに関係なく1km圏内に収まると見積もられる)。
とりわけ、潜水艦発射型のミサイルは、カウンターフォース攻撃による強制武装解除に使用する場合、相手に探知されることなく、目標付近の海域まで接近して発射から弾着までの時間を短縮できる他、発射地点を変更したり、長期間一定の水域に留まることもできるメリットがある。これこそが、NPR2018で潜水艦を基盤とする低出力核戦力の増強が決定された理由であることを踏まえると、地上配備の中距離ミサイルに見出せる軍事的なアドバンテージはそれほど多くはない。
中距離ミサイルの活用方法のうち、低リスクで軍事的効果が高そうなのは、陸上部隊による長射程対艦ミサイルの機動的運用であろう。森林や山岳地帯と異なり、遮蔽物やバンカーなどを作りようがない洋上であれば、それが巡航ミサイルであれ、弾道ミサイルであれ、通常弾頭でも精密攻撃を行う難易度はある程度低下する。米国がこの種の中距離ミサイルを本気で開発するつもりであれば、小型の固体燃料ロケット技術を持つ日本が技術協力を行うというオプションも視野に入ってくるかもしれない。それを元にして、現在防衛省で研究開発が進められている島嶼防衛用高速滑空弾に、米国の極超音速兵器開発で培ったノウハウを組み合わせて、戦術レベルの極超音速滑空ミサイルに発展させるのも一案である。事実、統合参謀本部と戦略軍が行なったレビューでは、中距離ミサイルの再開発過程で、その技術がブースト型滑空弾頭の開発に資する可能性を示唆している。
日本がすべきことは?
最後に、拡大抑止との関連についてであるが、日本を含めた同盟国に米国の中距離ミサイルを配備すれば、80年代にNATO諸国がとったのと同様、米国の防衛コミットメントを確実に出来るとの考え方には一理ある。ただし、当時米国のパーシングⅡやGLCMを受け入れた西ドイツや英国などの国々は、ソ連がそれらのINFを目掛けて核攻撃を仕掛けてくるリスクを受け入れた上で、米国との政治的連帯という安心を得ることを優先した覚悟を見落とすべきではないだろう。言い換えれば、脆弱な地上配備核の前方配備を受け入れるということは、それらの戦力が相手の攻撃に晒されることで、米国の核報復を発動させる「仕掛け線(トリップワイヤー)」としての役割を果たしていたということになる。
もっとも、米国による報復可能性を重視する抑止戦略は、相手が「米国は再反撃を恐れて、同盟国を守らないだろう」と誤算した場合には破綻してしまう。この点は、中国がDF-41を含む一定程度の非脆弱なICBM=対米第二撃能力を100基近くまで増強していること、あるいは北朝鮮が火星15のような強力な移動式ICBMの開発に成功し、自信を強めているという事実を真剣に考慮する必要があるだろう。その場合、日本の安全保障にとってより重要となるのは、報復ベースの抑止戦略のみならず、非脆弱な低出力核戦力を含めた米軍の損害限定能力が、危機時において確実に機能するよう作戦計画の共有・確認などの緊密な協議を平素から行うとともに、米軍の潜水艦や航空戦力の展開を支える対潜水艦戦・統合ミサイル防衛など、我が国自身の防衛力整備を着実に行っておくことではないだろうか。
このようにINF問題が日本の安全保障にもたらす影響は、メリットとデメリットの双方が絡み合って極めて複雑であり、簡単に答えを出すことはできない。それは冷戦期からこの問題に向き合ってきた、米国の安全保障専門家や核戦略家の間でも同様であり、その見解も一致していない。したがって、米国の条約破棄を「トランプの暴走」という単純な構図で切り取ってしまうのは不適当である。日本としては、メリットとデメリットの両面をしっかりと認識しながら、運用の現場で国民の安全にとって総合的にプラスとなる方策を地道に形作っていく必要がある。
中国のサイバー攻撃集団を暴く謎の組織