2020年12月23日水曜日

日本外交官の情報戦 ~冷戦末期のソビエト連邦分析~

  令和二年(2020年)1月に外務省は、前年末に在ソ連日本大使館の外交官が書いた冷戦末期のソ連に関する分析報告書を公開した。執筆者の一人で大使館でソ連政治の情報収集を担う政務班長だった角崎利夫さん(71)と当時大使館員だった作家の佐藤優さん(59)に現地での情報収集活動について聞いた。

元大使館政務班長 角崎利夫さん編

 活動の内容は、ソ連人の研究者やジャーナリスト、他国の駐ソ外交官らと週に数日会いました。レストランなどでは、隣の客や店員が会話を聞いていたら当局に情報が抜けるかもしれない。「例の件で」とか「Aさんが」「Bさんが」と言っていました。

 もっと大事な話をするときは、必ず歩きながら「箱」と呼んでいた日本大使館内にある特別な盗聴防止設備が施された部屋の中で話すこともありました。

 常に盗聴や監視の危険がつきまとう。

 ある西側陣営の国の在ソ連大使館で職員の手が壁に当たった時、音の響きが違うので壁をはがしてみると、中から盗聴器が出てきた。館員が電話していると、音声に聞きなれない言葉が混じることもありました。盗聴側の声が誤って混じったとうわさされていました。

 ある日本大使館員は、ウクライナのホテルでのレセプションで女性から社交ダンスに誘われた。続いて日本語を話す男が、「彼女とこれから別荘にいこう。別の女友達もくる。」と声をかけてきました。断って帰った部屋にも何度も男から電話がきたそうです。ハニートラップの一種でしょう。

 1987年の帰国後に「ソ連在勤を終えて」と題した報告書でゴルバチョフ書記長が進めたペレストロイカが「空回りしている」と記しましたね。

 インテリ層に見られたペレストロイカへのやる気が、一般市民になかった。ゴルバチョフ氏が進めた節酒政策への反感が強かったと思います。

 当時のソ連人からはこんなジョークを聞きました。酒を買う行列に並んでいた男が「もう我慢できないゴルバチョフを殺してやる」とクレムリンに出かけていく。ところがすぐに戻ってきて男は「だめだ、あっちも行列だった。」

元大使館員・作家 佐藤優さん

 1988年~1995年にモスクワの日本大使館に勤め、1989年ごろから政務班員としてソ連高官の家を夜に訪ねる「夜回り」でソ連政治の情報収集をしていた。

 新聞記者から教わって始めた方法です。-20℃にもなる厳寒の中、高官宅前で帰りをじっと待つ。帰宅した高官が「寒いのによく待っていたな」と家に入れてくれ、一緒にお酒を飲みながら「ここだけの話だぞ。」と教えてくれるんです。

 経済危機が続き、物不足だったので、ペットの餌が買えず困っている高官が多かった。ストックホルムからペットフードを大量に買い、プレゼントしていました。栄養ドリンクも喜ばれました。ソ連の官僚も夜遅くまで仕事をしているのですが、コーヒーや紅茶以外にカフェインをとれるものがなかった。日本から大量に取り寄せ、情報交換をするときに手渡していました。

 あとはカップ麺。シーフード味が非常に受けましたね。向こうは代わりにキャビアをくれました。エビでタイを釣るような感じでしたね。私の家はいつもキャビアがあふれていました。

 高官たちが話してくれたこと。

 北方領土は戦争でソ連がとったもので日本に返してもいいが、返し方が問題だと話していました。領土問題で日本にいったん譲ってしまうと、他の国との領土問題が再燃しかねない危険があると言っていました。

(令和二年1月9日付朝日新聞より)

関連動画

「戦争は情報戦からはじまる」確かにそうですね。至言でしょう。特に各国の経済での相互依存関係がズブズブになっている現代ではなおさらでしょう。
確かに「国際情報」「国際軍事・安全保障」という専攻学科があってもいいですよね。

※外交官のみなさんは国益のために日夜技を磨いてがんばっておられることがよくわかります。「北方領土問題」は、ロシア側の事情も考慮しながら案を提示しなければ解決するものではないでしょう。外交は「win-win」が原則とすれば、ロシア側のメンツがたつように解決しなければなりません。安倍前首相の「新しいアプローチ」である北方領土での共同経済活動は、粛々と確実に進めていくべきでしょう。

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