2016年6月17日金曜日

我が国の防衛に戦車は必要なのか?~あらためて考えてみる~

《維新の嵐》
 個人的には、日本列島の防衛戦略の上で戦車なるものがどれくらい必要であるのか疑問をもっている一人です。
 陸上自衛隊が、「本土決戦」を主体とする防衛構想にこだわるなら陸上戦闘において民間人にまちがいなく死傷者の数が膨大にでるであろうことは間違いないでしょう。
 戦車は市街戦や山岳地帯において極限された戦略環境においてしか使えない兵器であろうと認識しています。
 歩兵用の対戦車火器も発達して威力が増大してきたことが大きいですが、最近は歩兵の強化スーツなるものも現れて、さらにAIの進化でロボット兵士がでてきそうな気配も感じます。かつて二つの大戦時は陸戦の花形であった戦車も時代は変わり、武器体系の変遷とともに運用方法も変化してきています。
最新の戦車の運用法とはいかなるものなのでしょうか?陸上自衛隊で戦車連帯の指揮官であった木元氏はどうお考えなのでしょうか?

いったいなぜ、日本には戦車が必要なのか? そこには4つのワケがある
木元寛明

東洋経済オンライン

なぜ、日本に戦車が必要なのでしょうか?

 昭和43(1968)10 月、私は富士駐屯地の戦車教導隊に配属されました。23 歳の見習幹部でした。これが私と戦車との付き合いのはじまりです。私は同年3 月に防衛大学校を卒業、福岡県久留米市の陸上自衛隊幹部候補生学校で半年間の教育を受け、卒業直前に「機甲科」職種に指定され、母隊となった戦車教導隊に赴任しました。
 以来、富士学校機甲科部で戦車小隊長、戦車中隊長の教育を受け、部隊・陸幕などの勤務を経て、第2 戦車大隊長(2 師団)、第71 戦車連隊長(7 師団)の指揮官職に就きました。この間タッチした戦車は、米軍供与のM4A3E8戦車、国産の61式、74式、90式戦車でした。10式戦車を除く陸上自衛隊のほとんどの戦車と行動を共にしたことになります。
 最近では、軍事史研究に専念し、講演活動なども行っているのですが、次のような質問をよく受けます。

 ――日本の国土が外国の軍隊から直接侵攻される可能性はありますか?
 いや、見通せる将来では、本土への直接侵攻はないと思います。ただし、現下の情勢では離島への侵攻は否定できません。

 ――ということは、離島を除く日本の本土で、外国の軍隊と地上戦を交えることはない、ということですね。
 はい、そのとおりです。わが国の本土での地上戦の可能性はきわめて低い、と私は思います。

 ――では、本土で地上戦がないにもかかわらず、陸上自衛隊が最新鋭の戦車、たとえば90式戦車、10式戦車、あるいは機動戦闘車を装備するのは、いったいどういう理由なのですか?

 以下はこの質問に対する私の回答です。
 1は、陸上戦力の本質は土地と人間を支配することです。精強で健全な陸上戦力が存在することにより、日本の国土、国民、財産、資源などを保全することができるのです。太平洋戦争敗戦後に日本全土が連合国軍に占領されました。日本は、連合国軍の陸上戦力の支配下に置かれて、独立を完全に失いました。
 わが国は、194592日、戦艦ミズーリ艦上で降伏文書に調印、195196日、サンフランシスコ講和条約に調印して独立を回復、この間、連合国軍の占領下にあり、日本の国土・国民は連合国軍総司令部=GHQ100%支配されました。
 敗戦時のわが国は、米軍の戦略爆撃と空襲により焦土と化していましたが、米軍は陸軍・海兵隊の戦闘部隊(陸上戦力)を上陸させ、日本の津々浦々まで完全に支配したのです。このことは「最終的な勝利の決め手は、陸上戦力による国土・国民の支配にある」ことを如実に示しています。平和時における陸上戦力が目立つ必要はありませんが「無言の鎮め(サイレント・プレッシャー)」として厳然として存在することが役割なのです。
 2は、軍事力の本質、抑止力です。抑止力が真に効力を発揮するためには、相手国に「日本に手を出すと痛い目にあうゾ」と思わせるだけの備えや軍事力の規模、兵器、訓練錬度、士気、国民の支持、同盟国の防衛意志などが不可欠です。
 朝鮮戦争は、抑止が破綻したわかりやすい例です。
 1950625日、北朝鮮軍は150両のソ連製T34/85中戦車を先頭に、突如、南進を開始しました。奇襲された韓国軍は対戦車手段をほとんど持たず、T34中戦車になすすべがありませんでした。北朝鮮軍は3日間でソウルを陥落させ、日本から急派された米スミス支隊を烏山で一蹴し、米第24歩兵師団を大田で撃破し、半島南部の大邱・釜山に迫りました。
 北と南の著しい軍事バランスの不均衡が、北朝鮮軍の侵攻を誘発したのです。米軍は、「朝鮮半島の山岳地形、貧弱な道路網、脆弱な橋梁は、戦車の運用に不向きである」と判断して、韓国軍の要請にもかかわらずに戦車を貸与していなかったのです。戦車戦力の1500は決定的でした。
 1950112日、アチソン米国務長官は「西太平洋における米国の防衛線は、アリューシャン‐日本‐沖縄‐フィリピンを結ぶ線である」と述べ、朝鮮半島と台湾を防衛線から外しました。この「アチソン声明」も北朝鮮に誤解を与え、南進を誘った要因の一半となりました。
 真の抑止力であるためには、精強な部隊を作るだけではなく、部隊がその能力を完全に発揮できるシステム、すなわち法体系の整備、部隊への国民の支持などが重要であることは論をまちません。
 この点に関しては、「わが国の現状は極めて不十分」といわざるをえません。このような状態を放置してきた政府・政治家の責任はもとより、国民一般の国防に関する無関心さも大きな要因です。国防を政局と切り離して、冷静に対応する英知が望まれます。
 昨今、米国政府が「尖閣諸島の防衛は日米安保条約の対象」としばしば言及していることは、アチソン声明にかんがみ、米国の防衛意志を中国に明確に示すもので、極めて意義深いことなのです。
 3は、陸上戦力は国土防衛の最後の砦です。万が一侵攻を受けた場合、最終的には侵攻部隊を海に追い落とさなくてはなりません。これは攻勢による決戦であり、その骨幹となる装備が戦車なのです。たとえ日本本土への直接侵攻の蓋然性が低いとしても、それがゼロでないかぎり、「国家百年の計」として侵攻部隊を海に追い落とすための備えを営々と持続しなければなりません。
 国土防衛作戦は、対着上陸作戦――沿岸地域における防勢行動――から始まり、陸海空全戦力を集中し、米軍の来援を得て、最終的には決戦――攻勢行動――により侵攻部隊を完全に撃破することです。国土の寸土たりとも侵攻国に与えてはいけないのです。
 50年、100年先は別としても、見通せる将来では、陸上戦力の骨幹となるのは相変わらず戦車でしょう。戦車の最大の特色は、ハイテクノロジーを駆使した攻撃力と防御力が一体となった究極の兵器であることです。
 陸上戦力は国土防衛の最後の砦です。陸上自衛隊をして最後の砦たらしめる本尊が戦車なのです。したがって、最新鋭の戦車を開発し、必要最小限の戦車を部隊に装備し、勝つための訓練を徹底して行い、ノウハウを次の世代に確実に伝えなければなりません。
 4は、戦車は国家の防衛意思を体現した陸上装備のシンボルです。一躍、世界のトップクラスに躍り出た90式戦車は、約20年間の研究開発、エンジンなど主要構成品の研究試作、システムの研究、1次・2次試作などを経て制式化し、この間1500社以上の企業が関係したといわれます。
 戦車の研究開発から製造までを一貫して行える国は、世界を見渡しても10指に満たないでしょう。戦車は国家の技術力を挙げての結晶であり、官民協力の成果でもあります。このことは戦車という究極の兵器に、国家の防衛意思が具体的に込められていることの証左です。
 戦車の研究開発は、ひとたび中断すると技術の進歩に追いつくことが極めて困難となります。世界に冠たる戦車を作り続けることが国家究極の防衛意思の表明なのです。


木元寛明
1945年広島県に生まれる。1968年に防衛大学校第12期を卒業後、陸上自衛隊で戦車大隊長、戦車連隊長、主任研究開発官などを歴任し、2000年に退官。退官後はセコム(株)研修部にて幹部社員の研修を担当する。2008年以降軍事史研究に専念する。


日本戦車変遷史


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