2016年6月4日土曜日

【AIという最新兵器】自分で考え判断し「敵」を殲滅させるであろう未来型コマンダー

◎まめちしき・人工知能

 人工知能という言葉の歴史は古く、米国の計算機・認知科学者のジョン・マッカーシー氏が1956年の国際会議で「アーティフィシャル・インテリジェンス」と命名したのが始まりだ。
アーキン氏は「人間は戦場の重圧の中で失敗を犯すが、戦闘ロボットは人間より状況の把握と分析、行動にすぐれ、非戦闘員や兵士の生命を救うことができる」と指摘する。敵味方の識別も「10~20年を要するだろうが、できるようになる」と断言した。


言葉そのものは広く浸透しているが、その定義は専門家の間でもはっきりしていない。「人間のような知能を持ったコンピューター」「人工的に作られた人間のような知能」など多様だ。一般的には「コンピューターで実現する人間の知能のような仕組み」と理解しておけばよさそうだ。
 最近は人間の脳の仕組みを参考にしながら学習や認識、理解、予測、計画など、さまざまな機能を実現している。
 人工知能はロボットとほぼ同じものと思っている人は意外と多い。人気マンガ「鉄腕アトム」などの影響とみられるが、両者は明確に異なる。
 単純にいえば、人型ロボットの脳に当たる部分が人工知能で、それ以外の手足を動かす仕組みは工学的な技術になる。
 ロボットカーなどと呼ばれる自動運転車も、周囲の状況を認識して自律的に対応することなど、本来は人間の脳が行う部分だけが人工知能に当たる。

南シナ海を米軍無人ロボット艦隊が航行する時代がすぐそこまで迫っている!陸では戦闘用「ターミネーター」も…
2016.6.3 01:00更新 http://www.sankei.com/premium/news/160603/prm1606030005-n1.html

AI軍事ロボットの時代 ~戦争の革新~

ホーキング博士らが警告

 中国が軍事拠点化を進める南シナ海に、米国が無人ロボット艦で編成する小艦隊を航行させる-。近未来の出来事ではない。(平成28年から)5年後にも現実となるかもしれない話だ。
 南シナ海のサンゴ礁を埋め立てた人工島に、滑走路や港湾施設を建設。さらに地対空ミサイルを配備する中国は今、ひそかに潜水艦の消音技術開発に取り組んでいる。海中に潜み、敵艦船の「領海侵入」を阻むためとみられる。
 これに対抗し、米国は海中に隠れた潜水艦を見つけ出し、攻撃できる無人ロボット艦「シーハンター」を開発。頭脳に搭載したのは人工知能(AI)だ。
 「シーハンター」はわれわれが初めて建造する完全なロボットになる。5年以内に無人艦船の小艦隊も目にすることになるだろう。武器も搭載し得るか?もちろんだとも!」
 2016年4月8日、米西部オレゴン州ポートランド市内を流れるウィラメット川の桟橋で行われた進水式で、ロバート・ワーク国防副長官はこう語り、無人艦隊を「南シナ海などどこにでも、派遣して運用する」という青写真を披瀝(ひれき)した。
 全長約40メートル、排水量145トン、最大速度27ノット(約50キロ)。灰色の細い船体が特徴的なシーハンターは試作段階だが、搭乗員も遠隔操作もなしで航行する。


詳細は「軍事秘密」としながらも、「レーダーで探知した情報を自ら分析する。海上衝突予防条約の規則に基づき判断し、航行するよう設計されている」。
 開発に携わった国防総省の国防高等研究計画局(DARPA)のアラティ・ブラバカー局長は、搭載されたAI技術についてこう説明した。しかも「潜水艦を探知、追尾し、さらに機雷を探知して掃海する機能には学習機能(機械学習)を含む」と胸を張った。経験を積むほど“賢くなる”というわけだ。すでに海軍第3艦隊の拠点、サンディエゴ海軍基地(カリフォルニア州)で、この春から実用試験が始まっている。
 DARPAが推進しているのは単なる無人技術ではない。「人の手を借りず自ら判断できる自律型の技術だ」。DARPA戦術技術室のスコット・リトルフィールド氏はこう強調する。
 1958年の発足以来、DARPAは米軍に技術革新をもたらしてきた。インターネットやGPS(全地球測位システム)、ステルス技術、無人機など。革新的な軍事技術を次々と開発し、その多くは一般生活にも溶け込んでいる。
 AIを搭載した兵器の開発は「火薬、核兵器に続く第三の革命」と呼ばれている。6年前、DARPAは艦船運用の効率を上げ、兵員の犠牲を減らすことを主目的に、今回のプロジェクトを立ち上げた。ただ、国防総省の野心はそれだけにとどまらない。


「殺人ロボットを国際的に禁止すべきだ」(ジム・マクガバン米下院議員・民主党)。そうした批判は専門家の間でも強く、国連などがAI兵器についての議論を始めている。だが、各国は秘密裏に研究開発を進めており、「議論のペースは氷河のように遅い」のが実情だ。
 イスラエルが2月、「シンガポール・エアショー2016」で公開した無人攻撃機「ハーピーNG」が世界の軍事関係者に衝撃を与えた。完全自律型で、赤外線カメラなどで敵のレーダーを検知し、攻撃目標に突っ込み自爆する。「人間の許可なしに攻撃し、一度飛び立ったら戻すことができない」という長距離爆弾ドローンだ。
 イスラエルは、戦場で敵を急襲し、自軍の兵士を救出する無人機も開発中だという。その頭脳となっているのが人工知能(AI)である。中国はイスラエルから旧型の「IAIハーピー」を輸入し、「分解して模倣しようとしている」とみられているほか、「ロシアは将来、ロボット部隊を編成することを欲している」とされる。
 英国やフランスなども軍事ロボットの開発にしのぎを削る。韓国は北朝鮮との間の非武装地帯に、またイスラエルはパレスチナ自治区の飛び地、ガザ地区周辺に、それぞれ武装警備ロボットを配備している。


「米国は(同分野で)ロシアや中国より進んでいるだろう。ただ、最も先を行くのはイスラエルだ」。かつて米国防長官室で自律システムの構築に携わった新アメリカ安全保障センター(CNAS)の研究員、ポール・シャーレ氏はこう指摘する。
 AIを搭載した戦闘ロボットは、敵と味方を完全に識別できるのか。
 国防高等研究計画局(DARPA)の下で、米軍のロボット開発にあたるAIロボット研究開発の第一人者、ジョージア工科大学のロナルド・アーキン教授の実験室にはさまざまな形状のロボットが並ぶ。
 研究は複数のロボットが相互に連携し、仮想敵兵を発見、追跡するシステムの開発など多岐にわたる。なかでも自律型の無人攻撃機やロボットが戦場で「倫理的統制」「人工的判断」ができるシステムの開発に貢献しているという。
 例えば、戦車を探知したら「攻撃」。周囲に教会やモスクがあったり、民間人がいれば「撃ってはならない」。こうした「義務」と「禁止」の判断と動作を、交戦規則や国際人道法などに則してできるようにするわけだ。


 AIが進化すると、懸念されるのは米映画「ターミネーター」のような「人間のコントロールから完全に独立して動くロボット」の登場だ。
 「倫理的なロボット兵器を製造することができるというのは幻想だ」
 「殺人ロボットはいずれ人間の脅威になる」
 「AI兵器の開発競争が人類に有益なものとなるはずがない」。
 科学者たちからもこんな脅威論は絶えない。それでも米国を筆頭に、各国のAI軍事ロボット開発は、秘密のベールに包まれながら急速に進んでいる。
米グーグルが開発したAI「アルファ碁」が、「世界最高の棋士」の一人とされる韓国のプロ囲碁棋士を破り、ニュースとなったのは今年3月のことだ。日進月歩で進化するAIは、世界に何をもたらすのか。AIがもたらす人類の未来図を探った。

《維新嵐》
1958年の発足以来、DARPAは米軍に技術革新をもたらしてきた。インターネットやGPS(全地球測位システム)、ステルス技術、無人機など。革新的な軍事技術を次々と開発し、その多くは一般生活にも溶け込んでいる。
 荒唐無稽な話で恐縮ですが、上のような先端技術の軍事分野への応用については、1947年アメリカのニューメキシコ州に異星人のUFOが墜落し、これを回収して機体や搭載物について徹底的に分析したアメリカ軍が、その未知の技術を民間企業や軍産複合体へ提供したことに由来するという分析、意見もあります。
 確かに第二次大戦以降の人類の生活については、先端技術の恩恵をうけにくい地域もありますが、先進国などでは急速な勢いで進展したということがあります。
 宇宙開発などみてもこうした先端技術の進展により不可能を可能にしてきた、SFと思われていたことが現実化してきた、といえるのではないでしょうか?

 先端技術の根源が高度な知識や技術をもった地球外生命体からもたらされたものかどうかについては、断じきることはできませんが、知識の応用や技術の進展が、高度な軍事技術を生み出して平和秩序の安定に寄与し、日常生活の便利さ、豊かさを実現したということはまちがいありません。
 AIの発達によってこうした人工知能に人間が、制御不能になり、振り回されるのではなく同時にうまく折り合いをつけながら、要所をコントロールしてさらに豊かな暮らしやすい、そして戦争のない世界を構築していくことは、人類に与えられた歴史的な使命ともいえるのではないでしょうか?

本当に異星人がいるのなら、平和秩序を壊さないように、人類が淘汰されないようにいい関係を構築していきたい。知識の応用や技術の進展に遅れることのないよう理解し、活用する力、リテラシーは絶えず身に着けていたいものである。日々これ勉強ですね。

最後に以下の論文記事を掲載いたします。AIについての理解を深める意味でご覧いただければ幸いです。

機械に仕事が奪われる未来
AIは人類の敵か味方か? 新しい技術が経済にもたらすイン
パクトを考える(前篇)井上智洋×飯田泰之

柳瀬 徹 (フリーランス編集者、ライター)
20160222日(Monhttp://wedge.ismedia.jp/articles/-/6105

グーグル傘下企業が開発したAI(人工知能)が、欧州大会での優勝経験をもつプロ棋士に勝利したというニュースは、驚きとともに世界を駆け巡った。チェスや将棋よりも複雑さをもつ囲碁でコンピューターが人間を凌駕するのは当分先のこと、と思われていたからだ。
 同時に、コンピューターが人間から仕事を奪う可能性も、いよいよ真実味を帯びつつある。いたるところでAIが働く社会はユートピアなのか、それとも大格差社会なのか。AIのもたらす経済へのインパクトを研究する井上智洋氏と、人と人のコミュニケーションこそが成熟社会の鍵と見る飯田泰之氏、二人の経済学者が描くシナリオとはーー。
コンピューターに奪われる仕事、奪われない仕事
井上 オックスフォード大学でAIなどを研究しているマイケル・オズボーンとカール・ベネディクト・フライが、『雇用の未来―コンピューター化によって仕事は失われるのか』という論文を発表して話題になりました。彼らが「クリエイティビティ」と「ソーシャルスキル」、そして「マニピュレーション(操作)」の三要素が残っていく職種の条件だろうと仮定して調べたところ、マニピュレーションの要素がある職種はあまり残らないという予測になってしまいました。
 事務労働のなかでも入力など定型的な業務仕事が代替されるのはわかっていたことですが、多くの肉体労働も代替されてしまう。タクシードライバーのような肉体を使って操作する仕事もなくなっていくし、ウェイターや理髪師のような仕事も残らない可能性が高いという予測は衝撃的でした。
飯田 マニピュレーション要素の強い種類の事務労働の代替は通説通りという見方もありますからね。
井上 彼らの予測では「1020年程度で、米国の総雇用者の約47%の仕事が自動化される可能性が高い」となっています。さらに野村総研がオズボーン&フレイと組んで日本版の「雇用の未来」をはじきだしたところ、「全雇用者の49%が自動化」となって、アメリカよりも若干高い。ほかの調査でも、2030年頃におおむね半分程度になっているというのが多いです。
ただし、「雇用の未来」は技術的に代替可能であるかどうかしか考慮していません。代替可能になってもその技術が社会や企業に導入されるまでにはいくらかのタイムラグが発生します。それから、技術的代替可能性そのものも未来のことなので、確かなことは誰にもわかりません。「雇用の未来」では、各職種のコンピューターによる自動化されやすさを人工知能(機械学習)の研究者達が主観的に判断しています。
飯田 人工知能の未来を信じている人たちですね()
ポテンシャルが未知数のIoT
井上 近頃、人工知能と並んで注目されているのが「IoTInternet of Things:コンピュータやスマートフォンなどの機器のみならず、あらゆるモノに通信機能を組み込みインターネットに接続させて、機器同士の通信や使用履歴の記録、遠隔操作などを可能にすること。「モノのインターネット」とも訳される)」ですが、これは人工知能以上にどうなるかわからない技術です。20年ほど前に「ユビキタス」という言葉が流行りました。これは「どこでもコンピューター」などと訳されましたが、あらゆるモノがコンピューターネットワークに接続される状況を意味しています。しかし、ユビキタスが結局のところ何の役に立つのかがいまひとつはっきりしませんでした。今度はユビキタスがIoTと呼び替えられたわけですが、企業側も今のところ何に使ったらいいのかよくわからないというのが正直なところみたいです。
 買い物をしているときに、冷蔵庫に何が入っているのかがわかればたしかに便利でしょうし、飛行機のエンジンからリアルタイムの情報が受信できれば、安全性は高まるでしょう。でもそれが産業革命のような大転換をもたらすのかというと、IoTだけでは恐らくそこまでのインパクトは持ち得ないでしょう。IoTと人工知能がうまく組み合わされれば、大きな可能性が開けてくるかもしれませんが。いずれにしても、次の産業革命の中心は人工知能だと思います。IoTについては、すごく期待している企業と、持て余している企業に分かれている印象です。
飯田 そうですね。ただ、検査や点検を人力でしなくても、稼働させたままデータが取れるという意味では、検査をしている人たちの仕事を奪う可能性はありますよね。いわゆる「技術的失業」の問題です。エリク・ブリニョルフソンとアンドリュー・マカフィーの著書のタイトルになぞらえれば「機械との競争」ですね。
井上 はい。IoTに限らず避けられない問題ですね。
飯田 産業革命期のイギリスで起こったラッダイト運動は、最初期の労働運動でした。機械によって仕事を奪われ、稼ぐことができなくなった労働者が、機械や生産設備を壊して回った。それでも馬車はバスに代わり、人力車はタクシーに取って代わられてしまいました。人間の肉体が機械に代替されて、肉体労働者が危機に瀕するというのがいわば伝統的な技術的失業だったわけです。
その一方で、20世紀末のコンピューター普及では、肉体労働から「シンボル操作型労働」の消失へと技術的失業の中身が変容しました。会計ソフトの発達で経理課の社員が減ったのは、その典型例です。
 つまり、ブルーカラーだけではなくホワイトカラーにまで技術的失業の波が届いてしまった。しかし今後の技術的失業は、ホワイトカラーの上層にまで及びつつあるということですね。
井上 アメリカでも事務労働がどんどん失われています。日本ではまだそこまで破壊的ではありませんが、これからアメリカの後を追うことになるのでしょうか。会計士や弁護士助手といった専門職も減っていく。銀行の窓口業務のみならず、与信業務までもAIに置き換わっていくという予測まであります。
飯田 機械による肉体労働の代替で、肉体労働に従事していた人たちが別の仕事に就くことでそれまでなかった付加価値が生み出され、むしろ経済全体は発展するといわれてきました。高度成長期はもちろん、80年代の工場無人化あたりまでは実際にそうなってきたのです。その一方で、コンピューター普及はどの程度まで付加価値を生んだのか、ちょっとはっきりしない気はします。
井上 プログラマー、ウェブデザイナー、IT系のサービス企画やマネジメントの仕事は増えましたが、ただ情報技術というものの性質上、新たに増えた仕事と失われた仕事を比べれば、基本的には減る仕事のほうが多くなります。みんながネットで飛行機やホテルの予約をするようになったら、リアルの旅行代理店の雇用者数が減る。ネットのほうが安上がりだからみんなが使うわけで、ネット業者がリアルよりも人件費を払っていたら安くはできませんから。これが人工知能の導入まで進めば、さらに雇用を減らす可能性が高いとは思います。
「機械との競争」は不可避である
飯田 一方で、従来型の技術革新ではまったく違う分野の新たな仕事が生み出されてきました。日本の産業構造でいえば、第二次産業である工場労働者の需要減少を吸収したのは、準ホワイトカラーの仕事。典型的には営業マンでした。
 営業マンの仕事は、以前にも増してあらゆるビジネスのキーになってきています。顧客の漠然とした要望に対して解決できるパッケージを提案すること、いわばコンサルティング機能としての営業がビジネスの主役になりつつある。コンピューターが発達しても営業マンの数が増えている理由はここにあります。
 コピペで広まったジョークに「NASA100億ドルの開発費をかけて無重力でも書けるボールペンを開発した。一方ロシアは鉛筆を使った」というのがあります。本当はNASAだって鉛筆を使っていたわけですが()、ボールペンの性能比較や、最安値を探すことはコンピューターの得意分野です。でも鉛筆を真のソリューションとして提案するのは人間の仕事だった。あなたに必要なのはボールペンなのか、鉛筆なのか、それとも紙を変えることなのか。その人の仕事ぶり全般を見ての提案は、人間でないとできなかったわけですが、これもまたAIの発達で次のステージに移行しつつあるのでしょうか?
井上 予兆といえるものは出てきていますよね。アマゾンなどのレコメンデーション機能は「協調フィルタリング」の仕組みを使っています。購買履歴が似た人を見つけて推論し、「この商品を買った人はこちらも買っています」と提案する。まだそこまで賢いシステムではありませんが、提案型の営業までもが代替される未来の始まりとはいえるかも知れません。
 そもそも、外交員が毎週のように訪ねてくる生命保険の営業スタイルがネット保険に代替されつつあるのは、みんなが「必要なときにだけ提案してほしい」と思っていたことの裏返しでもあって、それはコンピューターのほうがうまくやりやすい分野ですよね。とはいえBtoBではまだ当面、生身のセールスマンが必要かなとは思いますが。
技術革新は日本をブラック化させる?
飯田 BtoCの営業はきつくなっていくでしょうね。その影響もあってか、BtoC企業の営業部門のブラック化はしばしば耳にします。BtoCは確実にレコメンデーションとの競争になっていて、人間側は労働時間を増やして時給を実質的に下げることで対抗するという、いつかは必ず終わる必敗戦法でしか対抗できない。そもそも無理な競争を強いられています。
井上 そこなんですよね。AIが人間の労働を補完するのか、あるいは代替してしまうのか。その線引きは明確ではないとも思っています。
 アマゾンのシステムとアマゾンの社員は、補完的な関係です。だけどアマゾンは町の本屋さんを潰してしまうので、本屋で働いている人たちは技術的に失業してしまう。今の日本で進行しているのは、間接的ではあれレコメンデーションなどの機能で技術的失業が生じているということなのでしょう。ただ、技術的失業がどのくらい起きているかという統計がおそらく存在しないのですが。
飯田 日本の場合は労働人口がそもそも縮小しているので、影響が見えにくくなっていますよね。また肉体労働者を中心に強烈な人手不足状況にあるので、失業を吸収してしまう。この二つの要因で相殺されて、失業率そのものはむしろ低下傾向にあります。今後、中間層が肉体労働に押し出されてくるとどうなるかわかりませんが、現状は肉体労働の給料が良いので選択としては魅力的になっている。
井上 少子高齢化の進展と技術革新の速度が同じテンポで進んでいればショックは相殺されるかも知れませんが、そうはうまくいかないでしょう。テンポのズレの部分はマクロ政策や、再分配政策による手当てが必要ですね。
飯田 技術の進歩はある瞬間から指数関数的に伸びていきますからね。今の社会におけるAIは、産業革命初期に蒸気機関が改良されたくらいのレベルなのだとしても、これが内燃機関レベルへの進化を遂げると一気に局面が変わる。それは必ず起こると思います。
井上 蒸気機関もドニ・パパンの真空エンジンからワットの蒸気機関まで、75年かかっていますからね。リアルタイムで見ていれば「まだまだ」と思っていたものが、一気に花開いて社会を一変させてしまった。AIがどの時点で火がつくかはわかりませんが、2030年あたりまでのどこかで点火するだろうとは思っています。
飯田 インターネットも、90年代後半まで日本は先進国最低レベルの普及率でどうにもならないといわれていたのに、2000年代初頭に爆発的に普及しました。携帯電話の普及もそうでしたし、財はどこかで指数関数的に普及してしまう。でも少子高齢化はゆっくりとしか進まないから、どこかで技術の発展スピードがあっさり追い越してしまうでしょう。その時までに、機械には代替不可能な仕事を増やしておかないと厳しい。
井上 もっと恐ろしいシナリオですが、技術的失業はあまり問題ではなくなるかも知れません。賃金だけが下がってブラック職場ばかりになってしまうという可能性が大いにあると思います。このままでは失業かブラック化のどちらかは起こってしまう気がします。
飯田 生産性だけで見れば工業用ロボットと手作業の勝負は完全についてしまっていますが、手作業でしか作れないものに特別な価値を見出す人を相手にした商売は、代替できないものとして存在できる。でもそれまでの過渡期は、経営者は目先さえ乗り切れればなんとかなってしまうので、賃金を下げていくだけでも数十年は耐えられてしまうかもしれない。そういう業界がブラック化する懸念がありますね。
井上 そうですね。
飯田 欧米は労働時間の管理が厳格な職種が多いですから、技術的失業に収斂する可能性が高いのではないでしょうか。一方で、日本の場合は正社員中心に解雇規制がある中で、労働時間管理はザルですから、ブラック化しやすい。
最低賃金は上げるべきか下げるべきか
井上 日本は賃金の下方硬直性が低い、つまり賃下げしやすいこともブラック化を招きやすいですね。
飯田 サービス残業で実質的な時給はいくらでも下げられますからね。ここのところ最低賃金をめぐる議論も増えてきましたが、AIで代替されるタイプの仕事でさえ、生産性と比較した最低賃金水準よりもだいぶ賃金が高いという報告も多い。ですから、これから最低賃金ラインに向かって下がっていく可能性があります。いよいよ最低賃金と競合したり、サービス残業の規制強化で事実上の最低賃金とぶつかり始めたら、いよいよ技術的失業へと向かうかも知れません。技術的失業までのバッファが、日本の場合はあるということもできるのかも知れない。
井上 それを見越して最低賃金を上げるべきなのか下げるべきなのかは、かなりシビアな問題ですよね。
飯田 最低賃金の話は難しい面があって、アメリカであれば最低賃金を上げるとむしろ生産性は高まるといわれています。
 その要因のひとつは、労働者に多く分配するので単純に総需要を引き上げる効果がある。地域産業にお金がまわるようになり、地域の景気が良くなるということですね。
 もうひとつの要因が「これだけ払うんだから見合った生産性を発揮してもらわないと困る」と経営者が考えることなんです。賃金並みの生産性を得るために、従業員教育にもお金を払うようにもなって、地域の生産性が上がるんですね。
 ただ、日本の場合は最低賃金で働いている労働者の内実が、アメリカとは違います。アメリカで最低賃金で働いている労働者の典型例は移民一世か二世で、家族の生計を支えている人たちになる。ところが日本ではパートなど、いわゆる補助的な収入を得るために最低賃金水準で働いている人が中心です。この人たちは最低賃金が下がると自発的に失業する可能性があります。
井上 補助的収入を得るために働いている人たちは、高い収入を得る仕事に就けないので家族を形成できないという問題もありますよね。アメリカの移民の人たちは、収入が少なくても家族を作ってしまうことが多いですが、日本だと「こんな安い給料では結婚できない」となってしまう。
飯田 ここが人口論のパラドクスです。昔から言われているように「ひとり口は食えないがふたり口は食える」。生計費は家族が1人増えるごとにほぼ2分の1乗倍でしか増えていかないので、2人世帯は1人暮らしの1.4倍、3人だったら1.7倍で済む。だから単身より暮らしやすいというのが定説ですが、日本の場合はそうはならない。
井上 実家暮らしの人も多いので、結婚しないほうが親にパラサイトできるということもあるのかも知れませんね。
飯田 もはやAIとは関係ない問題ですが()、実際に結婚するまでは実家暮らしが当たり前という国では、婚姻数が減少傾向にあります。イタリアや韓国、台湾もその傾向が強いですね。実家暮らしという選択肢がある国では、そうなりがちなのかも知れません。
井上智洋(いのうえ・ともひろ)
駒澤大学経済学部講師。慶應義塾大学環境情報学部卒業、早稲田大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。20154月から現職。博士(経済学)。専門はマクロ経済学、貨幣経済理論、成長理論。著書に、『
新しいJavaの教科書』、『リーディングス政治経済学への数理的アプローチ(共著)などがある。
飯田泰之(いいだ・やすゆき)
1975
年東京都生まれ。エコノミスト、明治大学准教授、シノドスマネージング・ディレクター、財務省財務総合政策研究所上席客員研究員。東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。著書に『
経済は損得で理解しろ!(エンターブレイン)、『ゼミナール 経済政策入門(共著、日本経済新聞社)、『歴史が教えるマネーの理論(ダイヤモンド社)、『ダメな議論(ちくま新書)、『ゼロから学ぶ経済政策(角川Oneテーマ21)、『脱貧困の経済学(共著、ちくま文庫)など多数。
「東大卒の保育士」がビジネスになる理由
AIは人類の敵か味方か?新しい技術が経済にもたらすイン
パクトを考える(中編)井上智洋×飯田泰之

柳瀬 徹 (フリーランス編集者、ライター)
20160223日(Tue)  http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6107

前回で明らかになったのは、AIなどの新技術がもたらす格差拡大の可能性だった。消える仕事に就く人と残る仕事に就く人の、違いはどこにあるのか。お金や学歴だけでは得られない「財産」が、そこでは運命の分かれ目となってしまう。
AIとピケティの深い関係?
飯田 AIによって生じるであろう技術的失業や、賃金引き下げから逃れるために、人々はどの職種に移動するのでしょうか。正直なところ、現時点ではまったく見えません。
井上 既存の仕事が減っても新たな仕事が増えるから大丈夫なんだと断言する人もいますが、過去にそうだったからといって未来にあてはまるとは限りません。それが普遍的な経済の法則として成り立つ保証はどこにもないんです。僕の想像力では新しく生まれる仕事がイメージできないので、「遊んで暮らす社会を作るしかないんじゃないか」と言ってしまいたくなります()
飯田 コンピューターにはできないとされるのがデザインなどのクリエイティブ職や、コンサルティングだったわけですが、コンサルティングも代替されていくとなるとほかに何が残るのか、あるいは新たにどんな仕事が出てくるのかということですよね。
 今は肉体労働の需要が高い状況ですが、このまま賃金が上がっていけば代替も起こりやすくなります。もともと給料が安いものをITや人工知能に代替したところで、経営者にとっては意味がないからです。不況期は設備投資よりも人力でまかなってしまおうとするので、2000年代に業績を伸ばした外食チェーンなどは、限られたところしか自動化しませんでした。セントラルキッチン方式さえ導入していなかった有名チェーンもあったほどです。
井上 「イギリスで産業革命が起きたのは、イギリスの賃金が高かったからだ」というロバート・アレンの説がありますが、たしかに技術力だけみればフランスのほうが高かったんじゃないかという気もするんですよね。
飯田 発明家にはむしろフランス人が多いですもんね。
井上 けっしてイギリスが突出して技術が進んでいたわけではない。にもかかわらず、イギリスの賃金が高かったために最初の産業革命が起きたという見立ては、これからの未来を考える際にも有効な仮説かも知れません。賃金が相対的に高い職種ほど、AIやロボットに代替されやすいということになりますね。
飯田 AI革命を本気で進めたい人は、まずは人々の賃金を上げることを目指すべきかも知れないですね()。その意味で今こそ真剣に考えなければならないのは、ほとんど誰も覚えていない例の「r>g」なのだと思います。
井上 わずか一年前に出た本なのに、もうすっかり話題に上らなくなりましたね。「資本収益率r」が「経済成長率g」を上回る限りは、資産家とそれ以外の経済格差は開いていってしまうという、『21世紀の資本』でのトマ・ピケティの議論ですね。
飯田 ほとんど「ラッスンゴレライ」並みに誰も口にしなくなってしまいましたが()、フランスでは続編も出て話題になっていますし、日本人の飽きっぽさが際立ちます。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6107?page=2
井上 重要になってくるのはこれからですね。AIロボットが人間の労働を代替したときに、そのロボットを誰が所有しているのか、という問題です。
みんなが等しく所有していれば、ロボットが作ったものをロボットが売って、人間は遊んで暮らすことができる。でも一部の資本家しか所有できないのであれば、遊んで暮らせるのは彼らだけ、労働者は職にあぶれて食うや食わずになってしまう。もしそうであるなら、なんらかの再分配政策が必要になるでしょう。
飯田 生産手段の進化と独占は、ときに破壊的なインパクトを人類史にもたらしてきました。たとえばアジアのモンスーン地域にとって、米がもたらしたインパクトはとてつもなく大きかった。米はほかの作物と比べると格段に手がかからない。特に水田栽培の米は連作障害が出ないし、収穫量あたりの労働時間もほかの穀物よりはるかに低い。米に匹敵するのは、新大陸で作られるトウモロコシくらいなんだそうです。
 食料維持に奪われる時間が短くなると、食料生産に従事しない人が出てきて、王権や権力が発生する。皮肉なことですが、戦争をする余裕も生まれる。そして産業革命は、さらに生産に従事しない資本家を生みました。その後も技術が発達すると、工業から商業へと人が流れていきました。
 AIもまた、生産手段です。このあたりはほとんどマルクス経済学の世界ですが()、技術革新は生産手段を持つ側、つまり資本家への資本分配率を上げることになるので、労働者との間に豊かさの大分岐が生じる可能性はとても大きいと思います。
文化や教養が人生の分かれ道になってしまうのか
飯田 ここまでの議論を「文化資本」、教養やスキルの面から考えてみます。20世紀までの技術革新では、その時点で必要とされる文化資本が最も少ない職業を機械が代替し、労働者はより文化資本を要求される職種へと移っていきました。炭鉱夫から工場労働へ、工場労働から技術部門や管理部門、事務や経理へという流れです。
井上 そうなんですよね。でも今後の技術革新は、文化資本の中間層を減らす圧力となっていく、ということですね。
肉体労働(低所得)-事務労働(中間所得)-創造的な頭脳労
働(高所得)※雇用量の移動
中間所得層の労働がAIに代替され、技術的失業者が肉体労働に移動する。今後、頭脳労働への移動を多くすることが課題となる。

飯田 この図の上から追い立てられて(中間所得層から雇用量が減り)左側に逃げる(低所得層にシフトする)のでは、全員の行き皿がなくなってしまう。下がり続ける賃金を取るか失業か、の二者択一になりかねない。創造的な労働はいわゆる「クリエイティブ職」よりももっと広義にとらえる必要はあるでしょうが、文化資本がないとほぼ就けないという問題は大きいです。
井上 身も蓋もない話ですが、本当にそうですね。
飯田 「田舎に住んで畑を耕して、夜は本を読んで質素に暮らせればそれでいい」という非成長的な志向もまた、高い文化資本のたまものであることがほとんどなんですよね。高度成長期から、それこそ私たちが育ったバブル期までは、自宅に百科事典や文学全集を揃えるのがステータスでした。でもそれは食うに困らない物的資本があることの裏返しで、そこで育った子にはその得難さは理解しにくい。そして、こういう有形無形の文化資本は、社会的な再分配がとても難しい。
井上 親から子へ受け継がれるものを取り上げて、別の誰かに渡すということができませんからね。
飯田 華僑やユダヤ系の人々が子どもの教育を重視する理由は、政治体制が変わっても取り上げられないからだという話を聞いたことがありますが、それだけ再分配されにくいということですね。
井上 今後の教育改革でどうなるかわかりませんが、日本はまだ点数さえ取ればどこの学校でも入ることができます。でもアメリカのアイビーリーグやフランスのグランゼコールなどは、文化資本がないととても入れないような選抜方法を採っています。どの家庭に生まれるかで受けられる教育レベルが決まってしまっていて、社会階層もほぼ決まってしまう。高い教育を受けられなければ、クリエイティブ層に行くことはかなり難しいでしょう。
飯田 文化資本による分断、大分岐ですよね。家庭ごとの文化資本の差は、日本でもどんどん広がっている気がします。年少時から海外のサマースクールで語学を学ばせるといったことも流行っていますね。
井上 子どもの早期教育に国がお金を出してくれれば、まだなんとかなるでしょうけど、やらないでしょうね。
飯田 もっといえば「学校くらいは真面目に行っておいたほうがいいよ」というのも文化資本で、それさえ欠けているとかなり厳しくなってしまいます。ペーパーテストも高成績で、文化資本も高いスーパーエリート層は、海外の大学に行ってしまう。成績か文化資本のどちらかでもあれば、広義のクリエイティブ層にはなんとか入ることができるでしょうが、どちらもないと厳しい。そして学力も文化資本も、代を重ねるごとにどんどん持っている層に集中していってしまうので、お金がないと階層移動はどんどん難しくなってしまいます。
「エリート学童保育」はなぜ生まれたのか
 そのことに気づいてしまった人たちも少なくありません。そのひとつは教育ビジネスです。学位を持っている外国人語学教師や、東大・一橋・早慶クラスの修士号以上でTOEFL一定成績以上の「保育士」を揃えた学童保育、などといったビジネスモデルがすでに存在しています。小学生から英語でディスカッションをさせたり、書籍やDVDもハイクラスのものを揃えている。でも受験勉強はまったく教えないそうです。
井上 徹底していますね。あくまでも文化資本だけを提供する、と。
飯田 これまで日本では文化資本は教育ビジネスにならなくて、ほぼ受験産業しかなかったのですが、現時点で金銭的資本を持っている層は、今後は文化資本が生命線になることに気づいている。
井上 難しい状況ですね。日本でうまくいくかどうかはわかりませんが、フィンランドのように教師資格要件のひとつが修士卒といった形で、すべての子どもが高い文化資本にアクセスできるように保証するのがひとつの手でしょうか。
飯田 たとえばスウェーデンは男女間の労働格差をなくすために、公共セクターで女性の雇用を優遇する政策を採りましたよね。ある程度の文化資本をつけていれば相対的に高賃金の職に就けるという状況が女性の社会進出ルートを作り、そのルートに乗った女性が次の世代に文化資本を継承していく。公教育や労働政策により文化資本を再分配することは、とても重要な課題だと思います。家庭単位での公平な再分配は難しいので、学校や学童にいる時間を長くすべきだとおっしゃる研究者もいます。それくらい文化資本を均等にすることは難しいということですね。
格差縮小のカギは相続税強化にあり
AIは人類の敵か味方か?新しい技術が経済にもたらすイン
パクトを考える(後編)井上智洋×飯田泰之

柳瀬 徹 (フリーランス編集者、ライター)
20160224日(Wed)  http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6110

これからの技術革新によって起こることをめぐる対談の最終回。階層格差を放置すれば、いつか国全体が衰退していく。では、格差を是正する方法はあるのだろうか。そのために必要なのは「お金」と「文化」の再分配だ――。
衰退国に陥らないための教育の再分配を
飯田 「機械との競争」をここまでは労働者の側から考えてきましたが、経済全体への影響も考えてみたいと思います。人口知能の発達により、就労者一人当たりの生産性は間違いなく上がります。上がらなかったらそもそも導入する意味がありません。ただ、それがマクロの経済成長に結びつくのかどうかということです。
 一人当たりの生産性は上がっても、それを上回るほど技術的失業が発生したら元も子もありません。生産される付加価値の総計が増えなければ、100人で分けていた富を70人で分けることになるので、就労し続けられる人だけが豊かになるという状況になってしまいます。
井上 すべての労働がAIやロボットに代替されてしまうまでの過程では何が起きるのか、考えるべきはそこなのかも知れません。人間の能力の限界が成長の足かせになってきたのであれば、もっと経済成長できるようになるかも知れない。問題は生産性向上に需要の側がついてくるのかどうかですが、ついてくるのであれば需要の増大によって仕事が増えるので、技術的に失業した人が別の仕事に就くこともできると考えられます。
飯田 恐ろしいシナリオは技術的失業や低賃金によって、消費性向の高い中間層の需要が下がり、消費性向の低い富裕層の資産ばかりが増えていくというものですね。需要制約は深刻になりますし、国全体では成長せずに経済格差はどんどん悪化していく。先進国未満で発展途上国以上の経済規模の国が、途上国の追い上げにより輸出競争力を失って停滞する現象を「中進国の罠」といいますが、階層格差を拡大させながら成長力を失う構造はこのシナリオと似ています。
井上 先進国でもアメリカでは1970年代から、格差拡大と成長鈍化が起きています。所得の中央値は停滞するか、もしくは低下しています。日本はアメリカほどにはなっていませんが、近い状況が生まれるかも知れません。
 需要制約を打ち破るものは、基本的には金融政策と財政政策ですが、もうひとつは再分配政策です。再分配は日本では理解を得にくいのですが、「需要制約の打破」のために再分配が必要だ、という正当化はできるのかも知れません。
 階層を問わず、これからもしっかり稼いで幸せに暮らしていくためには、需要制約を打破する必要がある。「努力した人からなぜ奪うんだ」といった再分配への抵抗は根強いものがありますが、親から受け継いだ資産は本人の努力とは関係ありません。相続税を上げる必要を理解してほしいと思ってしまうのですが、実際には抵抗が大きいでしょうね。
飯田 相続税への抵抗はものすごく強くて困ってしまいます。
 近年、消費増税の必要がしきりに叫ばれているのは、「日本の税制は所得課税に傾いている」と問題視されてきたからです。いわゆる直間比率是正論ですね。その一方で、所得課税にはいわゆる「ビルトインスタビライザー」の機能がある。景気の加熱時には税率が高くなり景気を冷まし、低迷時には税率が低くなって景気を浮揚させるので、景気を一定の幅で安定させる働きがあるのですが、税収として見れば安定性に欠けるので、間接税比率を高めて税収を安定させたいということが議論の根幹にあります。
 しかし先進国間で比較すれば、税収における消費税の占める割合では、日本はドイツに次ぐ高さです。本来なら、これから上げるべきは資産課税の方です。
 資産課税は基本的に、毎年徴収する固定資産税か、相続時に徴収する相続税の2パターンです。僕は相続税の方が理解も得やすいし、効率的だと思っていますが、その是非は実務サイドからの意見をもっと聞きたいと思います。
 自分自身の将来のために溜めた資産の収奪を、正当化することは難しい。一方で相続税は、親が持っていた分から引く税であって、子が取られるわけじゃない。どちらが自分の子に優しいかは明白なのですが、高齢者層ほど相続増税は忌避します。
抵抗する「親」たち
井上 生きていた証しになる何かを残したいと思ってしまうんでしょうね。子から孫、またその子へと永遠に家族が続いていくような感覚は、資産家ほどもってしまうものなのかも知れません。
飯田 たとえば相続税が一律20%となれば、税収は約16兆円になり得る。税制問題はそのかなりの部分が助かるわけです。20%は富裕層にとってはむしろ減税で、相続財産が5000万~1億円当たりには増税になってしまいますが。
井上 とにかく相続財産から2割出していただいて、サステイナブルな社会にしませんか、ということですよね。
飯田 その税収を原資に、公教育を充実させることが必要だと思うんです。小中学生に提供される、学校以外の公的な教育の場ですね。そこがもっと充実してもいいんじゃないかな、と。
井上 資本家、つまりキャピタルクラスか、クリエイティブクラスしか生き残れないとするなら、クリエイティブクラスまでには全員を入れるくらいの意気込みが必要ですよね。キャピタルクラスとクリエイティブクラスからお金をいただいて、それを元手にすべての子どもたちをクリエイティブクラスに育てていく。
飯田 それがうまくいかないと、日本は新興国と賃金切り下げ競争をすることになります。たとえばプロの「おもてなし」、高度なホスピタリティを提供するサービスは感情に関わるものなので、AIはそう簡単には代替できないでしょうし、そこをもっと重視すべきだと思います。
ホスピタリティという付加価値
井上 フレイとオズボーンの『雇用の未来』ではホスピタリティはあまり考慮されていなくて、消える可能性が高い仕事にバーテンダーなども入っていますが、ちょっと違和感があります。
 バーテンダーは機械的にお酒を出す仕事ではなくて、場を和ませたり会話を弾ませたりといったホスピタリティ能力を必要とされます。ウェイターやウェイトレスはすでに一部が機械に代替されていますし、ファストフードやコンビニもレジから人がいなくなるかも知れませんが、ちょっと高級な店や特徴のある店は、生身の人間が給仕し続けることになると思うんですよね。コンシェルジュがいるような高級感が売りのホテルと、機械でチェックインするビジネスホテルが共存するのと同じです。
 「クリエイティブクラス」という言葉は、そういったホスピタリティという付加価値を生み出す人たちも含めて考えるべきなのかも知れません。
飯田 一握りのキャピタルクラスは世界のどこにでも住める人たちなので、日本で稼げなくなれば移住してしまいますが、その下のクリエイティブクラスにはそこまでの自由はない。だから社会のサステナビリティのために少しずつ拠出することが、自分の子どもたちのサステナビリティになるという説得は、ロジックとしては通っていると思います。ホスピタリティで競争できる人が多ければ多いほど、人によるホスピタリティをサポートするための技術革新が潜在成長率を引き上げていくでしょう。そうならなければ衰退国へ一直線です。日本はどちらに転んでもおかしくない。
井上 どっちに転ぶかはわからないですよね。
飯田 衰退国側に落ちたのがアルゼンチンです。「母をたずねて三千里」のマルコのお母さんはイタリアからアルゼンチンに出稼ぎに行っていたわけです。当時のアルゼンチンはそれくらいの大先進国だったのに、気がつけば現在のような経済状況になってしまった。市街地に残っている建物の多くは文化財級ですが、それは衰退以降に経済発展が起こらなかったことの証拠でもあります。アルゼンチンの凋落を独裁政権と規制で説明する人は多いのですが、独裁政権で規制だらけでも成長する国はしますし、むしろ階層分岐で需要制約を打破できなかったんじゃないかという気がしますね。
国策でクリエイティブクラスは育つのか
井上 シンガポールなどは開発独裁ですからね。むしろ開発独裁が有利なのかなって気さえしてきます。
飯田 差し障りのある言い方をすれば、国家が強制的に教育してクリエイティビティを厚くしないといけないのかも知れない。「開発独裁型クリエイティブクラス」ってほとんど形容矛盾ですが(笑)。
井上 危機感はすごく伝わりますね(笑)。私は量的にも質的にもクリエイティブクラスが分厚い社会を「高度創造社会」と呼んでいますが、政府や政党には「高度創造社会を目指す」といったキャッチコピーを掲げてほしいですね。つい「人工知能を導入した国」と「導入しない国」といった対比で議論しがちなのですが、そこに「クリエイティブクラスを増やすための再分配政策をした国」「再分配しない国」の対比も合わせないといけない。再分配しない国は人工知能が発達したところで、成長率が伸び悩み結局は衰退国になってしまうかも知れません。
多様なコミュニケーションを生む都市の「規模」
飯田 問題は、クリエイティブクラスが食べていける土壌は人口集積地にしか存在しないということです。キャピタルクラスはどこに住んでもいい。クリエイティブクラスは人がいるところでしか仕事にならないし、集まっていないとそもそもクリエイティブになれない。
井上 「巨人の肩の上に乗る」という言葉がありますよね。過去の文化や知恵の蓄積があって初めて新しい発見ができる。そういった集積の上でクリエイティビティが生まれるのであって、そこには人と会うことで得られる暗黙知もあるのだろうと思います。人のいない寒村に住んで独学で学び、本やネットで情報を集めてクリエイティビティを開花させるのは相当に難しいけど、隣に「巨人」が住んでいれば手っ取り早い。クリエイティブクラスがバーベキューやワインパーティーを開きたがるのは、人と会う機会をつくることにメリットを見出しているからですよね。
 
飯田 インフォーマルコミュニケーションを取りやすく、コミュニティ形成が起こりやすい規模の都市が必要ですね。そこでは通勤時間の長さがかなり分かれ目になってしまう。出生率は通勤時間に依存しますし、平均初婚年齢も非正規労働者の割合と通勤時間の長さに依存します。通勤時間が長いとバーベキューをやる時間も体力もなくなってしまう。
井上 そもそも出会えない。
飯田 恋愛なんてインフォーマルコミュニケーションの最たるものですからね。クリエイティビティや暗黙知の共有も恐らく同じだと思います。集積だけ見れば「東京一極集中すべき」という議論もできるんですが、通勤時間を見るとやはり長過ぎることの弊害が出てくる。
井上 そこで『「30万人都市」が日本を救う!』というわけですね(笑)。
飯田 共著者の田中秀臣さんは、「50万人商圏にはアイドルがいる」とおっしゃっていました。その地方だけで有名なローカルタレントやラジオパーソナリティは、それくらいの規模がないと存在できない。テレビもラジオもその規模の商圏がないと広告料が入らないから、キー局の番組を流すしかなくなってしまうんです。
井上 ローカルなコンテンツが生み出されない限り、その地域がクリエイティブにはなりえない。
飯田 かといってラジオパーソナリティを10人移住させても経済成長しない(笑)。リチャード・フロリダは同性愛人口の占める比率である「ゲイ・レズビアン指数」を都市の創造性を表す指標として挙げていますが、クリエイティブな空気に惹かれて多様な人たちが集まっているのであって、その逆ではない。つまりラジオパーソナリティも同性愛者もここでは多様さを生む「何か」の代理変数なのですが、その「何か」がわからない。
井上 自由や寛容なのでしょうか。アメリカの法学者エイミー・チュアは、『最強国の条件』という本で、最も寛容な国こそがその時代の最強国になるという考えを示しています。そうした国には、差別されたり弾圧された人たちが集まる。金融のノウハウを持ったユダヤ系の人たちが集まって、世界の金融センターになったりして栄える。日本の都市や地域にも同じことが言えるかも知れません。寛容な都市や地域にこそ、多様な人々が集まり、クリエイティビティが醸成される。
飯田 歴史作家の佐藤雅美さんは、江戸時代は「政策的には何もしていない時期」ほど発展して、真面目に政治をすると停滞する、その繰り返しだったとおっしゃっていました(笑)。僕は文化文政期が大好きですが、政策的にはほとんど何もしていない。でも自由な雰囲気があるんですよね。ローカルアイドルでもラジオパーソナリティでもいいのですが、その余裕を生み出す根本に何があるのか、これから3年かけて掴むというのが僕の目下の課題です。経済学という分野も、こういう方向性を失うとつまらなくなるし、魅力的な人材が入ってこないんじゃないかという危機感がありますね。






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