2016年3月18日金曜日

【不滅のアルカイダ】オサマ・ビンラディンの深謀遠慮

ビンラディン容疑者が遺産33億円を聖戦に
BBC News
20160302日(Wed)  http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6257

過激派組織「アルカイダ」の指導者だったオサマ・ビンラディン容疑者が、遺書で個人資産約2900万ドル(約33億円)を残していたことが明らかになった。米軍がパキスタンで容疑者を殺害した際に押収した文書の中に、遺書も含まれていたという。米政府が201631日に公表した。
遺書でビンラディン容疑者は家族に、「私の意志に従い」、遺産を「聖戦のため、アッラーのために」使うよう指示していた。遺書には金がスーダンにあると書かれているが、それが現金か資産かは不明だ。遺産が一部でも遺族の手に渡ったのかも明らかではない。
ビンラディン容疑者は1990年代に5年間、スーダン政府の賓客としてスーダンに暮らしていた。
米政府は遺書のほか、容疑者のものとされる書簡を公表。内容の一部は次の通り――。
・「破滅的な」気候変動に戦い「人類を救う」よう米国人に呼びかけている。
・歯科医が妻の歯に、追跡装置を埋め込んだのではないか恐れていた。
2001911日の米同時多発テロ10周年を記念するため、大々的なマスコミ・キャンペーンを計画していた。
ビンラディン容疑者はさらに、欧米による「対テロ戦争」と米軍のアフガニスタン戦略について、「(欧米は)簡単な戦争になる、数日か数週間で目的を達成すると思い込んでいた」と見方を示し、「もう少し我慢すれば、勝利が訪れる」と周りを鼓舞した。
米軍特殊部隊が20115月にパキスタン・アボタバードの潜伏先でビンラディン容疑者を殺害した後、アルカイダは副官だったアイマン・アル・ザワヒリ容疑者が指導している。

(英語記事 Bin Laden left $29m inheritance for jihad) 提供元リンク
宗教・民族から見た同時代世界

荒木重雄(社会環境学会代表・元桜美林大学教授)



オサマ・ビンラディンはなぜパキスタンで殺害されたのか
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  2001年の米同時多発テロの首謀者とされるオサマ・ビンラディン容疑者が、20115月、パキスタンの首都イスラマバード郊外の隠れ家で殺害された。
  深夜、ヘリで飛来した米海軍特殊部隊の二十余人が、側近から銃声一発の反撃を受けただけで邸内を制圧し、側近二人とその家族、同容疑者の息子らを射殺し、寝室にいた丸腰のビンラディン容疑者を妻や娘の眼前で射殺した。
 遺体は即刻、北アラビア海に待機する米空母の甲板に運ばれ、「水葬」と称して海に沈められた。遺体写真の公表もない。拘束し裁判にかけることを意図的に避けたようなこの作戦じたい、国連関係者が批判するように国際法違反の疑いが強いが、「最後の審判」を待つため土に埋葬されることが必須のイスラム教徒の遺体を海に流した行為は、きわめて残酷な宗教的冒涜であり、イスラム教徒の怒りを買うことは疑いない。
 だが、米国が超大国の威信と5千万ドルの懸賞金をかけ、さらにいえば、じつは口実にすぎなかったとはいえ、そのためにアフガニスタンとイラクで米軍主導の多国籍軍の攻撃や自国の内乱で殺された幾万の人々の犠牲をもって追ったこの男が、なぜ、ついにはパキスタンで命を落とすことになったのか。ここには20世紀からつらなる世界の矛盾が凝縮してある。 


◇◇すべてはアフガンで始まった


 東西冷戦下の1979年、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻すると、無神論の共産主義国家がイスラムの土地を侵したことにたいする憤激がイスラム圏に湧き起こり、抵抗する地元アフガンのイスラム勢力を支援しようと各地から義勇兵がアフガンに向かった。サウジアラビア出身のオサマ・ビンラディンもそのなかにいた。 
 富豪の父の遺産を継いだオサマは、その豊富な資金力をもとに、米中央情報局(CIA)やサウジ王室の協力も受けつつ、イスラム圏からの義勇兵に訓練を施し、武器・糧食を整えて戦場に送り込んだ。こうしてうまれた対ソ戦を遂行するアラブ戦士のネットワークが「アルカイダ」である。
 だが、対ソ戦に勝利しサウジに戻ったオサマに転機が訪れる。91年、クウェートに侵攻したイラクを米主導の多国籍軍が攻撃した湾岸戦争が勃発すると、サウジ政府は、イラクのイスラム同胞を攻撃するための「異教徒」米軍の国内駐留を認めた。オサマはこれに反発。敵は一転、これまで協力関係にあった米国やサウジ王室に変わった。


◇◇タリバーンとアルカイダの出会い


  一方、ソ連軍撤退後のアフガンでは地元イスラム勢力が軍閥化して内戦を繰り広げていたが、これを制圧したのが「タリバーン」である。タリバーンとは、対ソ戦中に避難してきた大量のアフガン青年をパキスタンが国境近くに設立したマドラサ(イスラム寄宿学校)に受け入れ、アフガンに親パキスタン政権を樹立すべく武器・資金を与えて送り込んだ部隊である。
 サウジ国籍を剥奪されたオサマは、スーダンを経てタリバーンが政権を掌握したアフガンに戻り、98年のタンザニア・ケニア両米大使館同時爆破テロなどを指揮したとされる。そして、2001911日の米同時多発テロでは首謀者とみなされ、「テロの黒幕」としてその名が世界中に知れ渡った。
 同年10月、米主導の多国籍軍はオサマを匿っているとしてアフガンのタリバーン政権を攻撃して崩壊させ、翌々年3月にはオサマが率いるアルカイダと関係ありとの口実でイラクを攻撃した。現在に至るそのごの過程は読者がよく知るところである。オサマ・ビンラディンは確かにアジの名手であり、ビデオや録音テープで声明を発しては反米闘争を煽りつづけた。しかし、実際のテロの遂行にどの程度関与したのか。殺害によって事実は闇から闇に葬られた。


◇◇ビンラディン殺害の波紋


 オサマ・ビンラディンの急襲・殺害は米国とパキスタンの関係に軋轢をうんだ。
パキスタン政府は、事前の通告・承認なしに自国でおこなわれた米軍の急襲作戦は主権侵害と不快を表明し、米側は逆にパキスタン当局が潜伏を支援していたのではないかとの疑念を顕にし、情報漏れを恐れて単独行動に踏み切ったと主張した。
米国側の疑念に根拠がないわけではない。対ソ戦中のアフガンで、イスラム戦士とそれに武器や資金を供給する米軍・CIAを仲介したのはパキスタン当局だったし、タリバーンを育ててアフガンに送り込んだのもパキスタン当局である。
 さらに、米・多国籍軍の攻撃で放逐されたタリバーンが、多分ビンラディンも擁して転戦したのはアフガン・パキスタン国境の山岳地帯であった。これらの過程を通して、パキスタン当局、とりわけ軍統合情報部(ISI)内に「イスラム過激派」と気脈を通じるグループがうまれていたとしても不思議はない。
 政府間の摩擦は、巨額の財政・軍事援助を米国に依存せねば成り立たぬパキスタンと、パキスタンの協力なしにはアフガン政策を遂行できぬ米国のこと、早急な妥協が図れた。だが、同じイスラム同胞、しかも民族的・文化的・歴史的に近縁なアフガンへの米軍侵攻以来、パキスタンの大衆がもつ根深い反米感情は、マグマとしてさらに蓄積することは必定であろう。
 オサマ・ビンラディンの死は、「殉教」のシンボルとして意味をもちこそすれ、それによって「過激派」の活動が衰退に向かうわけではない。タリバーン政権の崩壊以来、アフガン・パキスタン国境の山岳地帯で空爆を逃げ延びつつ身を潜めていたビンラディンにできたことは、折に触れて声明を出すくらいしかなかった。その間に各地域には、サハラ砂漠周辺国の「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」、イエメンを本拠とする「アラビア半島のアルカイダ」など、アルカイダを名乗りながらビンラディンとはかかわりのない独自の組織が広がった。さらには、欧米生まれのイスラム教徒が走る「欧米国産型テロ」も相次ぐようになった。
 これらをうんだのはオサマではなく、世界に充満する不公正や矛盾である。ビンラディン容疑者殺害の報を受けた米国では、その夜、ホワイトハウス前広場や「グラウンド・ゼロ」に集まった数千の市民が、星条旗を打ち振り、歌い、踊り、歓声を上げたという。殺害作戦を命じたオバマ大統領の支持率が9ポイント上がり、メディア大手ディズニーは人気に与ろうと殺害作戦実行部隊名「SE
AL TEAM 6」の商標登録を申請したという。
 だがしかし、オサマ・ビンラディンの殺害によって、世界の悪をなにもかも彼のせいにする「物語」を語れなくなった米国は、いまあらためて、真摯にイスラム世界と向き合わざるをえなくなったはずである。

《維新嵐》 アメリカ人は時として単純な思考に踊らされます。ビンラディン殺害は、結局オバマ政権の支持率をあげ、特殊部隊の精強性を内外にアピールするのが狙いだったのでしょうか?ビンラディンを倒しただけでは、アルカイダを倒したことにはならないことも単純な論理かと思います。

突然暴露された新説に全米震撼、ビンラディン暗殺はウソばかり?

(取材/小峯隆生 世良光弘)201561 60 http://news.livedoor.com/article/detail/10176272/

2015年5月10日、アルカイダの指導者オサマ・ビンラディンの暗殺作戦が「すべて茶番だった」という記事が英誌『ロンドン・レビュー・オブ・ブックス』に発表された。執筆したのは、超一流の調査報道ジャーナリストであるシーモア・ハーシュだ。

ハーシュは、ベトナム戦争における米兵の虐殺を暴いた「ソンミ村虐殺事件」のスクープ記事でデビューし、いきなりピュリツァー賞を受賞。その後も大韓航空機撃墜事件、イスラエルの核兵器保有、イラクでの捕虜虐待事件などスクープを連発。それゆえ、ホワイトハウスやペンタゴンは火消しに躍起となり、全米が揺れた。
オバマ政権がこれまで主張してきた暗殺作戦の公式な要点は以下の4つだ。
●2010年8月、ビンラディンと外部との連絡役(クーリエ)を米諜報機関が特定。追跡の結果、その人物はパキスタンのアボタバードという街の、コンクリート塀で囲まれた邸宅に通っていると判明。
●地上と空から24時間体制で監視を続け、庭を散歩するビンラディンらしき長身の男の姿を確認。
●オバマ大統領は、男がビンラディンであるという100%の確証がないまま暗殺作戦にゴーサインを出す。11年5月2日、米海軍特殊部隊SEALs(シールズ)の精鋭隊員たちは2機のステルスヘリでアフガンの前線基地からパキスタン領空に侵入し、隠れ家を急襲。1機が着陸に失敗するアクシデントはあったが、銃撃戦の末、ビンラディンらしき男を殺害。
●SEALsは男の遺体と、大量の情報が入った電子機器を持ち帰った。DNA鑑定によりビンラディンであることが確定し、オバマ大統領が記者会見で発表。
しかし、ハーシュはそのほとんどがウソだと主張している。特に重要な点を時系列に沿って検証していこう。
(1)ビンラディンの潜伏場所は、アメリカが割り出したのではない。パキスタン軍情報機関であるISIの元高官がCIAと接触。ビンラディンにかけられた懸賞金2500万ドルと引き換えに居場所を教えると申し出た。
ハーシュの記事では「ISIの元高官」とだけ書かれているが、その正体はすでに判明しているという。国際ジャーナリストの河合洋一郎氏が解説する。
「ISIの退役准将、ウスマン・ハリッドです。彼は作戦が決行される前に、秘密裏に家族と共にアメリカへ渡っています。そこで市民権と新しい身分証明書をもらい、現在はCIAのコンサルタントをしているようです。もちろん懸賞金ももらっています」
(2)ビンラディンは潜伏していたのではなく、06年にISIに身柄を拘束され、パキスタン軍の重要施設が集中するアボタバードに軟禁されていた。彼は難病を患っており、主治医がいたが、そこからDNAがアメリカ側に渡った。つまり、アメリカは男がビンラディンであると知っていた。
これが本当だとすれば、ビンラディンをアメリカに「売った」のは前出のハリッド個人ではなくISIという組織の判断だったことになる。米当局のあるテロ対策担当者はこう解説する。
「当時、ビンラディンを殺したがっているのはアメリカだけではなかった。アルカイダが戦略を転換し、後の『アラブの春』のような民族蜂起を画策していたため、パキスタンもその芽を早めに摘みたがっていた」
しかし、パキスタンにはビンラディンに直接手を下せない事情があったという。
「パキスタン軍がビンラディンを殺したりすれば、国内外のイスラム過激派が激怒し何が起こるかわかりません。しかし、アメリカに殺させればその心配はない。復讐心に燃えるアメリカは居場所を教えれば必ずアクションを起こす――彼らはそう考え、ハリッドに『裏切りを命じた』のでしょう」(前出・河合氏)
もちろん、再選を狙うオバマ大統領にとってもこれは渡りに船。こうして両国の利害が一致した、という見方だ。
(3)オバマ政権は、情報漏洩を恐れて暗殺作戦を事前にパキスタン側に知らせなかったと発表しているが、実際は11年1月に合意が結ばれていた。作戦当日、ビンラディン邸の警備員たちは、ヘリの音が聞こえたら立ち去るように命令されていた。SEALs隊員は、一緒に来ていたISIの将校に案内されて3階の部屋へ入り、無抵抗のビンラディンを撃った。
事前に作戦の情報共有がなされていたという点については軍事評論家の古是三春(ふるぜみつはる)氏も同意する。
「領空に侵入した米軍ヘリがパキスタン軍に迎撃されなかったこと、ビンラディンの潜伏集落が作戦決行前に停電したこと。これらのことはパキスタン側の協力を仰がなければ不可能です」
(4)当初の予定では、「ビンラディンはアメリカの無人暗殺機が殺害した」というストーリーを1週間後に発表するということでアメリカとパキスタンは話をつけていた。ところが、着陸に失敗したヘリの尾部が現場に残ってしまったことを理由にオバマ大統領はすぐに会見を開き、急ごしらえの別のストーリーを発表。ここでCIAの追跡、SEALsの銃撃戦といった“ウソ”が流布された。
作戦に参加したSEALs隊員が後に出版した本では、すさまじい銃撃戦が繰り広げられたことになっているが、ハーシュの記事ではこれも全面的に否定されている。
元米陸軍大尉の飯柴智亮(いいしばともあき)氏は、ハーシュ説の真偽には首をかしげながらも元軍人の“英雄本”の信憑性の危うさについてこう語る。
「米軍がムスリムのパキスタン人をこういう状況で信用するとは考えづらく、一緒に作戦を決行したというのはほぼ間違いなくデマでしょう。ただ、SEALs隊員の本も、すべて赤裸々に書けば機密に抵触して連邦法違反になるので、30%から40%は事実を曲げて書いているはず。それに、あれだけの秘密作戦となれば、現場の隊員は“末端要員”にすぎず、すべてを知っているわけではありません」
いずれにしても、ハーシュの記事の内容は「偉大なアメリカがビンラディンをやっつけた」というアメリカ国民の“常識”を根底から覆すものだ。アメリカはパキスタンの誘いに乗り、無抵抗のビンラディンを特殊部隊に殺させておきながら、パキスタンとの約束をほごにして“ウソのストーリー”をばらまいたことになるのだから――。

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