2015年11月30日月曜日

ロシア空軍機がトルコ領空を「領空侵犯」!?その事情と撃墜事件の影響

反テロで協調を狙うもロシアが背負う新たな脅威
トルコ軍によるロシア機撃墜で広がる余波

廣瀬陽子 (慶應義塾大学総合政策学部准教授)
20151125日(Wedhttp://wedge.ismedia.jp/articles/-/5651

20151113日にパリで発生した同時多発テロは世界に大きな衝撃を与えた。同テロは、ISIS(「イスラム国」。ISILとも)が犯行声明を出しており、また、さらなるテロの計画についても言及していることから、各国で警戒感が広がっている。今回のテロがISISに対する空爆への抗議の要素が極めて強いことからも、ISISに対する空爆に参加している諸国には特に大きな緊張が走っている。
 そして、それら諸国の中でも、9月からシリアへの攻撃を弛まず続け、報復措置も受けているロシアの警戒感は特に強いと言える。
パリ同時多発テロ前夜のロシアとISIS
 ロシアは9月末からシリアに対し空爆やカスピ海からの巡航ミサイルによる攻撃を続けているが(ただし、ロシアはISISに向けて攻撃をしていると主張している一方、欧米諸国はロシアが標的にしているのは主にシリア国内の反アサド派であると批判を続けてきた)、それに対する報復として、1031日に、シナイ半島上空で、ロシアのサンクトペテルブルクに向かっていたロシア航空会社「コガリムアビア」のエアバスA321が機内に持ち込まれた爆弾によって墜落し、乗客乗員224名が全員死亡する事件が起きた。
 同事件についても、ISISの傘下テロ組織「シナイ州」が犯行声明を出し、ロシア側は最初、テロの可能性を否定していたものの、様々な検証結果から、爆弾による空中爆破による墜落であることがほぼ間違いなくなり、ロシア当局としても本事件をテロと認めざるを得なくなった。そこで、116日には、ロシアのウラディミル・プーチン大統領が同国とエジプトを結ぶすべての旅客航空便を当面の間、運航停止にすると発表した。
 ロシア当局にとって旅客機事故をテロと認めることは大きな痛手であった。何故なら、テロから国民を守れないことは政府の失策となる上に、そのテロがシリア空爆に対する報復だということになれば、国民の支持を集めていたシリア空爆への反対論が高まる可能性もあったからだ。そのため、事件の直後からテロの可能性の高さを重々承知しつつも、ロシア政府は同事件がテロだったという断定を避けてきた。

パリ同時多発テロ発生後のロシアと
ウクライナ問題への利用
 そのような中で起きたのがパリ同時多発テロである。パリ当時多発テロは、ロシア機事件の決着のつけ方で頭を痛めていたに違いないロシア当局にとっては渡りに船になったと思われる。フランスのような欧州の先進国でもテロを防げなかったという事実はやはりテロの被害国となったロシア政府を安心させ、また、世界が「反テロ、反ISIS」で一致団結する雰囲気が高まったことは、対シリア攻撃などロシア政府の政策に対する批判をもみ消す効果を持ち得たといえるだろう。
 そして、1117日になって、プーチン大統領はやっと公にロシア機墜落を、爆発物を用いたISISによるテロと断定する発表を行ったのだった。当初、イワノフ大統領府長官が「原因解明には相当長期の調査が必要」だと述べるなど、ロシア当局が事件の結論を明示する時間稼ぎをしていたことが明らかであることからも、筆者は17日のテロとの断定宣言にはパリ同時多発テロの影響が大きいと考える。
 プーチン氏は16日深夜に、トルコで開催されていた20カ国・地域(G20)首脳会合から帰国した直後に、安全保障関係の閣僚による会議を招集し、連邦保安局(FSB)のアレクサンドル・ボルトニコフ長官に調査結果を報告させた。同長官は、乗客の荷物や機体の残骸を調査した結果、ロシア国外で製造されたと見られる手製爆弾(のちに、ISISが同型の手製爆弾の写真を公開)の痕跡を確認し、TNT火薬に換算して1kg相当の爆発があったとみられるとし、テロだと断定できると報告した。
 そして、この報告を受け、プーチン大統領は17日に墜落事件をテロだと断定する発表を行い、同時に、報復として対シリア空爆を強化する方針も明らかにし、ISISを壊滅するために、主要国の協力を強化する必要を訴えたのだった。加えて、プーチン氏はテロ実行犯を必ず見つけて訴追すると断言した上で、捜査の徹底を指示し、それを受けてFSBは有力情報には5000万ドル(61億円)の報奨金をだすとウェブサイトで発表した。
 ただし、エジプト側はまだ同事件をテロだと認めていない。同事件がテロだとなれば、エジプトの飛行場のセキュリティの甘さが証明されることとなるだけでなく、観光業が痛手を被ることも間違いなくなることから、エジプト経済への悪影響も極めて甚大となる。そのため、エジプトが同事件をテロだと認めたくないのは、ロシア以上であることは間違いない。ロシア機が出発したシャルムエルシェイク空港の職員二人を、爆弾を仕掛ける幇助をした疑いで拘束したという報道も、エジプト当局は否定している。
 ちなみに、ウクライナ問題による欧米による制裁とルーブルの暴落により、ロシア人の海外旅行先は大きく限定されるようになり、チャーター便が用意されたこともあって、エジプトのシャルムエルシェイクは最近のロシア人の人気観光先の1位を占めていた。このことから、本テロの衝撃はエジプトにとってもロシアにとっても大きな意味を持った。
 こうして、ロシアはテロとの断定を表明してからは、より一層、国際的な対テロ協力を求めるようになった。ウクライナ問題で国際的に孤立していた中で、国際的に「反テロ」で協調できれば、ウクライナ問題から諸外国の目をそらせ、欧米諸国との溝を埋められるという思惑も間違いなくあるだろう。このようなことから、ロシアにとってパリ同時多発テロは多くの利益や機会を与えてくれたと言えるのである。

 ロシアが、2001年の米国同時多発テロ後の「テロとの戦い」を目的とした米露蜜月、NATOとの関係強化に代表される、世界との関係強化という漁夫の利を再び得たいと期待しているのは間違いない。
 また、17日の発表に先立ち、ウィーンで行われたシリア和平を目指す多国間外相級協議では、ロシアの和平案が事実上採択され、シリアの政権移行を半年で行う合意も成立していた。このことからも、シリア問題でロシアがかなり主導的な立場を維持していることもわかる。米国が約1年シリアに空爆してもほとんど効果がなかったのに対し、いろいろな批判はあるものの9月末からのロシアによる対シリア空爆がそれなりの効果を出してきたことに鑑み、中東情勢ではロシアの方が米国より立場を強めたことは間違いない。
 そして、1118日、ロシアはISISをはじめとするテロとの闘いにおける協力に関する新たな決議案を国連安保理に提出した。同案文では「ISISとの闘いおよび各国の協力の必要性に大きな力点が置かれている」という。
 これに先立ち、ロシアはこれに先行する反テロの大連合を目指す決議案を930日に安保理に提出していた。それは、プーチン大統領が国連総会での演説でISISやその他のテロ組織と闘うために世界が大連合を組んで協力するよう呼びかけた2日後のことであり、ロシアがシリア空爆を開始したその日でもあった。だが、その決議案は英米仏が難色を示したことにより、採択は阻まれたという。それでも、ロシアは決議案の「再度提出」を試みつづけるという。
 なお、フランスも独自のテロ問題に関する決議案を作成し、それを受けて国連安保理は1120日に、パリ同時多発テロを非難し、ISISと「あらゆる手段で戦う決意」を表明する決議案を全会一致で採択した。この動きに対してロシアは強く反発しており、各国が決議案を出すのではなく、早急に世界がISISに対して団結すべきだと主張し、ロシアの決議案を主張し続けるとしつつも、ISIS対策での国際連携を重視し、フランスによる決議案には反対しなかった。
 一方同じく1118日に、ロシアのラブロフ外相は、シリア内戦終結と政治移行を目指す反体制派などとの協議を来年1月までに開始したいという考えを発表した。
 同日、フィリピン訪問中のオバマ米大統領は、シリア内戦の終結と政治的移行を目指す外交的取り組みでロシアを「建設的なパートナー」と評価し、シリアのアサド大統領の去就に関しては米露間の大きな溝がある一方、それが克服できれば米露の協力拡大の可能性が高まるとも述べた。
 こうして「反テロ」の国際的連帯においては、ロシアが主導的立場を取れる可能性が出てきたかに見え、同時に、ロシアがウクライナ問題で失った国際関係が改善していく可能性も生まれたように見えた(だが、後述のように、その雰囲気は長くは持たなかったのだが)。ロシアは、多国間の対シリア対策で主導権を握れば握るほど、ウクライナ問題での欧米の制裁を緩和できると見ていたといってよい。1116日には、これまで断固拒んできたウクライナの債務返済の繰延を容認する考えを突然、何の前触れもなく発表して世界を驚かしたが、その行動も、ウクライナ問題での諸外国との軋轢を緩和したい動きの一貫だと思われる。

シリア攻撃の増強とイランへの接近
 こうしてロシアは報復として、17日以降、対シリア攻撃を強化している。特に17日には、フランスとロシアがともに、ISISが「首都」とするシリア北部のラッカを含むISISの拠点を空爆した。ロシア国防省の発表によると、ロシア軍が投入した戦略爆撃機は「Tu-160」、「Tu-95MS」、「Tu-22M3」の3機種で、ロシア空軍が保有する大型戦略爆撃機と中型戦略爆撃機の全種類であり、空中発射式の巡航ミサイルや爆弾を投下したという。この規模からも、ロシアの本気度がわかる。しかも、空爆用の爆弾に「われわれのために、パリのために」と書き込む動画なども流された。
 また、20日には、ロシアのショイグ国防相が海軍のミサイル艦がカスピ海から巡航ミサイル 18発を発射し、ラッカなどを攻撃したとプーチン大統領に報告した。カスピ海からの巡航ミサイル攻撃は107日以来2回目であり、対テロ作戦で国際社会との協調を目指す姿勢を示す一方で、アサド大統領の退陣問題などで対立する欧米に対して精密誘導兵器を誇示し、牽制する目的もあったと考えられる。
 なお、1117日の攻撃では露仏両国の連携はなかったが、両国は双方が受けたテロを受け、連携姿勢を強めており、17日にプーチン大統領はオランド仏大統領との電話会談の後に、ロシア海軍に対し、地中海東部に向かうフランス海軍の部隊と連絡を取り、同盟軍として扱うよう指令を出すなど、さらなる攻撃強化に向け、両国は連携を強めつつある。プーチン氏は、ロシア軍幹部に対し、海軍と空軍によるフランスとの合同作戦計画を練ることも命じた。急遽、オランド大統領が1126日に訪露し、プーチン大統領と会談することも決まり、ISIS対策での連携強化が合意される見込みだ。
 また、ロシアのイランへの急接近も注目すべき動きだろう。そもそも、ロシアとイランの関係は基本的に良好であったが、前号の拙稿「シリアに介入するロシア その複雑な背景と思惑」でも述べたように、ロシアがシリアへの空爆を決行するに至った背景の一つに、イランの存在があったことが間違いないなど、最近の両国関係は特に緊密になっていた。
 そのような中、プーチン大統領が1123日に8年ぶりにイランを訪問し、同国の最高指導者ハメネイ師やロウハニ大統領との会談後、イランに対し、発電所や港湾整備など35の事業に計50 億ドル(6000億円)の支援を行うことを発表したのである。
 首脳会談では、ドルを介さない両国の自国通貨による貿易決済の方向性や、ロシアが主導するユーラシア経済同盟とイランの間の自由貿易協定、イランの原発建設でのロシアの支援強化、査証制度の簡素化、関税引き下げなどについても議論がなされたという。ウクライナ危機による経済制裁や石油価格下落でロシア自身の経済状態も厳しい最中の援助であることとその金額の規模を考えれば、ロシアがいかにイランを重視しているかがわかる。
 ロシアとしては、核問題の最終的な合意後に対イラン制裁が解除される前に、同盟国としてイランをしっかり取り込んでおきたいのだろう。しかも、イラン訪問を発表した1112日には、プーチンが出席予定であった18日からフィリピンのマニラで行われたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の欠席も発表していた(APECにはメドヴェージェフ首相が出席)
 これは、フィリピンに対しては極めて異例かつ非礼な決断であり、プーチンが「マニラよりテヘランを選んだ」つまり、アジア太平洋より中東を選んだとも分析された。1020日には、シリアのアサド大統領がロシアを電撃訪問し、1115-16日のトルコで行われた20カ国・地域(G20)首脳会合の際には、トルコのエルドアン大統領はもとより、サウジアラビアのサルマン国王と会談し、24日にはロシアのソチでヨルダンのアブドラ国王と会談することが決まっている。
 加えて、30日にパリで始まる国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)で、イスラエルのネタニヤフ首相との会談を早々に決めているなど、プーチン大統領の中東諸国との関係強化の姿勢は最近極めて顕著である。シリア問題で主導権を握り、そのまま中東全体での影響力を強く確保しようとしている狙いが見て取れる。

テロの脅威の増大と問われる対応
 このように、パリ同時多発テロで、ロシアは多くの外交カードを得たかに思えるが、ロシアがさらなるテロの被害を被る可能性が高まったのも事実だ。
 パリ同時多発テロが起こる前日の1112日までに、ISISのメディア部門はロシアに対する攻撃を警告するビデオ声明をインターネット上に公開していた。その声明は、プロパガンダ映像を背景に「近いうちに血が海のようにあふれ出るだろう」「ロシアは死にかけている」とロシア語で好戦的な歌を流しているが、英語の字幕付きであり、ロシアのみならず、世界に発信しようとしている意図は明らかだ。
 そして、テロの脅威はパリ同時多発テロでさらに現実味を帯びた。1120日には、国際テロ組織アルカイダ系のイスラーム武装勢力「アルムラビトゥン」によるホテル襲撃事件が起き、ロシア人6人を含む19人が犠牲になる事件が起き、アルカイダ系テロ組織がISISに対抗して起こしたテロとも見られており、世界にテロの波が広がっている。
 加えて、ロシアがシリアでの攻撃を拡大したのを受け、報復が計画される可能性が高まった中、1117日に、ロシア原子力庁は「テロ警戒の一環として、原発の安全管理や施設の警備を強化した」と発表し、ロシア全土の原子力発電所においてテロに対する警備態勢を強化した。また、国内のテロ対策も強化しており、たとえば、1122日にも、ロシア国家テロ対策委員会が同国南部のカバルディノ・バルカル共和国の首都・ナリチクで対テロ作戦を実施し、ISISに忠誠を誓っていた武装勢力の11人を殺害したと発表した。加えて、ロシア政府はこれまでにもまして、国境管理や移民管理を厳重に行うとしており、そのことは中央アジアからの出稼ぎ労働者にとっては打撃となるだろう。
 実際、ロシアの主要都市や原子力発電所などで、テロが起こされてしまえば、ロシアの対外的、対内的威信は地に落ち、ロシア国民も不安にさいなまれ、ロシア政府に対する支持も低下する可能性がある。ロシア機に対するテロについては、エジプトのセキュリティ対策不足という言い逃れができても、ロシア国内でテロが起きれば、それはプーチン政権にとって大きな痛手となる。ロシアとしては、何としてもテロを防がねばならないのである。現在、ロシアが背負ったテロ対策への重荷は限りなく大きいと言えそうだ。
 また、ロシアにとって、ロシア主導でISISを壊滅できることが、国内外共に名声や支持を高めるための最善のシナリオであるが、現在、ISISをとりまく状況は極めて複雑であり、ISISを壊滅させるために世界が一枚岩になれないが故に、それが困難となっているという図式もある。イスラーム教シーア派のイランは、スンニ派のアラブ・中東諸国とは相容れない前提がある一方、イランとイラクはロシアとの関係を緊密化している。他方、ロシアはシリアのアサド政権を支持しており、アサドをなんとしても引き摺り下ろしたい欧米諸国とシリア国内の反アサド派とは対立関係にある。そして、シリア隣国のトルコも、ISISの壊滅を望みつつも、同時にクルド人問題を抱えており、シリアではクルド人勢力を攻撃しているという事実もある。それに、欧米としては対ISISでまとまるといっても、ロシアに主導されることには我慢がならない背景もある。このように、対ISISで国際的な連携が生まれるためには様々な障壁があるのである。

テロリストの手先が背後から攻撃?
 ロシアにとっては、チャンスも含む一方、多くの困難をはらんだ、難しい局面が続いていたなか、1124日にトルコ軍がロシアの爆撃機「スホイ24」を撃墜する事件が、シリアとトルコの国境付近で発生した。トルコ側は、10回にも及ぶ警告を無視して、トルコ領空を侵犯したので撃墜したと主張するが、ロシア側はシリア領空を飛んでおり、トルコの領空を侵犯していないとし、双方の主張は完全に食い違っている。しかも、ロシアの参謀本部によれば、撃墜された爆撃機からパラシュート脱出した乗員のうち一人が地上から銃撃されて死亡し、救出に向かったロシアのヘリコプターも攻撃を受けて兵士一人が死亡したとのことで、ロシアのトルコに対する憤りは頂点に達している。
 プーチン大統領は、ロシア機は決してトルコの領空を侵犯していないと主張した上で、「テロリストの手先がロシアの爆撃機を背後から襲った。2国間関係に深刻な影響を与えるだろう」と強い言葉でトルコを批判した。ロシアが中東諸国との関係強化を進めていた中で計画されていた1125日のラブロフ外相のトルコ訪問も中止となり、ロシア国民に対し、トルコ訪問を控えるようメッセージが発せられた(トルコは、ロシア人のウクライナ危機後の人気の海外旅行先として第2位の座にあった)。加えて、トルコとの軍事的な接触を中断するなど、即座に事実上の対抗措置を打ち出し(1124日現在)、今後も新たな措置が出される可能性は高い。
 だが、トルコのエルドアン大統領はロシア機が領空侵犯をし、警告を無視したという立場を崩さず、撃墜は正当であったと主張する。加えて、ロシアが空爆を行っていたトルコに近接するシリア北西部はトルコ系民族の居住地域であり、ISISとは無関係なトルコ人の親戚が多く犠牲になっているとし、ロシアの空爆そのものも批判した。そもそも、トルコは9月末からのロシアによるシリア空爆が始まってから、ロシアによる領空侵犯を度々批判し、1016日には無人機を撃墜する事件も起きていた(トルコはロシア機と判断したが、ロシア側は否定)。このような緊張感の中、トルコは「何か発生した場合の責任はロシアにある」と度々警告してきた経緯がある。そのため、トルコとしては、今回の事件の責任もロシアにあるという立場だ。
 今回の撃墜は、ISISとの戦いという目的を共有しつつも、アサド政権の去就を巡っては対立するロシアとトルコを含む有志連合の乖離と、対ISISの国際連携の難しさを浮き彫りにする象徴的な事件だと言える。皮肉なことに、このような事件はISISにとっては好都合であり、このような状況は国際的なテロの展開を容易にしてしまいかねない。
 しかも、ロシアとトルコは歴史的には地域の覇権を争ってきたとはいえ、近年は戦略的な大人の関係を維持してきた。そのような両国の関係が悪化すれば、そもそも多くの紛争の火種を抱えた黒海地域の微妙な均衡が崩れ、地域の混乱につながる可能性が高まる。そうなれば、世界中に不安定感が広がってしまう。

 関係国は対ISISという共通の目的を思い出し、一度冷静になって、世界の平和により資する慎重な対応を取るべきだろう。

《維新嵐・こう思います》
 あくまでシリア・アサド政権の維持から中東、地中海方面への影響力を担保したいロシアが、トルコの領空付近に接近しすぎたのか、という気がします。
 基本的に、領空侵犯した際の対応としては、警告に従わない場合は撃墜しても国際法には違反しないわけですから、ロシア側が領空侵犯がないとあくまで主張するなら、根拠となるデータをまず示すべきでしょうね。
 何にしてもロシアとトルコにとっての「共通の敵」は誰なのか、ははっきりしているわけですから、双方誤解のないようにトルコの防空データや当日のロシア側の爆撃機の飛行データをつきあわせてわだかまりのないように解決してほしいと願うばかりです。
青山繁晴氏
ロシア機撃墜に2つの理由~エルドアンの深謀遠慮~
佐々木伸 (星槎大学客員教授)
20151127日(Frihttp://wedge.ismedia.jp/articles/-/5665

トルコによるロシア軍機撃墜は両国の対立を激化させ、シリアをめぐる軍事的な緊張が高まっている。撃墜に至った背景には、トルコの”皇帝”と呼ばれるエルドアン大統領の深謀遠慮がある。しかし過激派組織「イスラム国」(IS)を攻撃する側のこうした分裂で、ISだけが独り、ほくそ笑んでいる。
アサド退陣棚上げ論つぶし?
画像:iStock

 エルドアン大統領はシリアのアサド大統領の追放を長らく求め、反体制派を支援してきた。シリアとの国境管理や物資の補給、石油の不正密売などでISに比較的緩やかな対応を取ってきたのも、ISよりもアサド政権の打倒を優先させていたからだ。
 しかし、シリアに軍事介入し、ISよりも反体制派への攻撃を続けていたロシアは10月末のエジプトでのロシア旅客機爆破テロ、パリの同時爆破テロを受けて、方針を修正しIS攻撃を本格化させた。米国のオバマ大統領やフランスのオランド大統領はロシアを取り込んでIS攻撃を一体化させようという絵を描いた。米主導の有志連合とロシアとの共闘である。
 こうした空気を反映し、シリアの紛争で欧米とロシアの最大の対立点だったアサド大統領の扱いをめぐって、アサド氏の処遇を一時棚上げにして、ISに米欧ロで一致して当たろうという機運が急速に高まった。これに危機感を深めたのがエルドアン大統領である。
 アサド退陣棚上げ論が既定路線になれば、アサド政権を追放し、トルコ寄りの新政権を樹立することを第1に掲げてきたエルドアン氏の戦略は大きく狂ってしまう。ベイルートの消息筋は「アサド棚上げ論では、結果的にロシアやイランの要求が通り、アサド氏が移行政権でも生き残ってしまう。これを恐れて棚上げ論をつぶしにかかったのがロシア機撃墜の理由の一端だ」と指摘する。

 確かに撃墜事件の後、米欧ロの共闘の雰囲気は一変し、冷戦時代の再来を思わせるような対立状況となった。米国とロシアのISに対する戦果をめぐる応酬も激しくなった。米国防総省は、ISのタンクローリー1000台を破壊したといったロシア側の発表を誇張しすぎと批判、これにロシアも米国を嘘つき呼ばわりするなどとげとげしいやり取りを繰り広げており、”棚上げ論つぶし”ということであれば、エルドアン氏の狙いはうまくいったことになる。
 もう1つ、撃墜の理由はシリアの少数民族の反体制派、トルコ系のトルクメン人をロシアが攻撃したことに対する怒りである。トルクメン人はトルコ国境に近いシリア北部を居住地区とする少数民族で、エルドアン氏が”親類”と呼び、トルコの庇護下にあると見なす部族だ。アサド政権の打倒を目指す反体制派として戦闘に加わってきたが、このところ、ロシア軍機によるトルクメン人攻撃が目立っていた。
 トルコ政府はロシア大使を呼んで再三注意したが、ロシア側がこれを軽視したような姿勢を示していたため、愛国主義者にして民族主義者のエルドアン氏が激怒し、ロシア機の領空侵犯には撃墜もやむなし、との決定になったようだ。
NATOの介入を回避 
 プーチン氏は「背後から刺された」「謝罪の一言もない」などとトルコを非難、最新の地対空ミサイル・システムをシリアに配備する一方で、ロシアからの天然ガスパイプラインの建設の見直しも含め経済制裁を発動する構えだ。
 エルドアン氏は「再び領空侵犯があれば、同じように対応する」と強気の姿勢を崩していないが、実際のところ、プーチン氏がこれほど強く反発するとは予想していなかったようで、計算違いとの見方も強い。特にロシアはトルコにとって最大の輸入先。全輸入量の10%(2014)を依存、輸出も4%を占めている上、ロシアがトルコ旅行の禁止を打ち出したのが打撃だ。
 北大西洋条約機構(NATO)はトルコの要請を受けて緊急理事会を開催し、加盟国であるトルコとの連帯を強調した。しかし今回の撃墜事件をロシアとNATOの問題にはしたくない、というのが本音で、エルドアン政権に対して自制を強く促している。オランド仏大統領は26日モスクワでプーチン氏と会談し、ロシア側にもトルコとの対立をエスカレートさせないよう求めた。
 トルコとロシアの緊張が高まる中、エジプトやチュニジアではISの分派によると見られるテロが続発するなど、パリの同時多発テロ以降も各地でISの活動が活発化しており、国際的なIS包囲網の亀裂を尻目にISが欧州で新たなテロを画策しているとの懸念も浮上している。

《維新嵐こう思います》
トルコ国内での反ロシア感情もあるようですが、トルコとロシアが反目すれば、せっかく対テロでできつつある国際連携に穴があいてしまいます。ロシアに言い分はあっても、領空侵犯に対して断固対応したトルコ側の処置を受け入れるべきでしょう。
 敵はISです。トルコ、ロシアの反目は、ISにとって好都合な事態になっていくだけです。



“ルビコン川超えた”プーチン・ロシアとト

ルコの対立、決定的に

佐々木伸 (星槎大学客員教授)
20151202日(Wedhttp://wedge.ismedia.jp/articles/-/5678

ロシア爆撃機の撃墜で緊張高まるトルコとロシアの関係はプーチン大統領が撃墜の理由について、過激派組織イスラム国(IS)からの石油密輸ルートを守るためとトルコを非難し、抜き差しならないところまで悪化した。両国の対立と緊張はいつまで続くのか。
1130日、ロシアに還される撃墜されたパイロットの遺体(Getty Images
「それを言っちゃお終い」
 プーチン氏の発言は20151130日、国連の気候変動会議「COP21」が開かれているパリの記者会見で飛び出した。同氏は「犯罪者にロシア人パイロットら2人が殺された」と非難した上で、トルコがISの支配地域から大量に石油を密輸しており、撃墜はこの輸送経路がロシア軍機に破壊されないよう守るためだった、と大胆に指摘した。
 トルコがISと手を組んでいると受け取れる発言にエルドアン・トルコ大統領も「証拠があるなら見せてもらいたい。テロ組織と商売するほどわれわれは下品ではない」と強く反発、証明されたら自分は大統領でいられないが、「あなたはどうだ?」とやり返した。
 プーチン氏の発言はトルコにとっては「それを言っちゃお終い」(テロ専門家)のような意味を持つ。ISと戦っている米欧やロシアの間には、シリアのIS支配地域からの石油の密輸やシリアへの戦闘員の流入が止まらないことにトルコが本気で国境管理を行っていないという不信感が強く、一部にはトルコとISの闇の関係を疑う声もあるからだ。
 だからこうした国際的な不信の目を意識しているトルコにとって、今回のプーチン氏の発言は到底容認できるものではない。「プーチン氏は怒りにまかせてルビコン川を渡った。両国の関係修復は難しくなった」(ベイルート筋)という険悪化した状態だ。
 プーチン氏はエルドアン氏からの首脳会談の要請を一蹴し、撃墜されたSU24爆撃機などに空対空ミサイルを搭載、最新の地対空ミサイル・システムS400をシリアのラタキアの空軍基地に配備するなど軍事的な緊張も高めている。ただこうしたロシアの強気の姿勢もいつまでも続かないという見方もある。
 ロシアは11月末、チャーター便の運航停止や農産物の輸入制限などトルコに対する経済制裁を発動したが、取り沙汰されていた天然ガスの輸出停止や原発建設中止などは含まれていない。「ロシアは原油価格の低下や西側経済制裁で経済的に大きな打撃を受けている。これ以上の経済の悪化は望んでいない」(ベイルート筋)からだ。ロシアも突っ張ってばかりはいられないというわけだ。

なぜIS資金が枯渇しないのか
 プーチン氏が指摘した石油密売はISの活動資金の大きなソースで、いったんは米軍の精油所などへの空爆で激減したものの、簡易の精油装置を導入して生産が急増。最近では15万バレル、月約50億円の密売収入を上げるようになっているという。
 このため米軍がISのタンクローリーへの攻撃を強化、ロシアも同様の攻撃を開始していた。しかし米英紙によると、ISはすでに石油密売に依存しなくてもいいように支配地域の住民らからカネを搾り取る暴力的なシステムを確立、年間約10億ドル(1200億円)もの収入を得ている。
 ニューヨーク・タイムズによると、ISのこのシステムはさまざまな徴税から不動産の家賃、電気・水道料金、イスラム法に違反した行為への罰金まで多岐に渡っており、米国のテロ専門家は「彼らは朝に戦い、午後には税金を徴収している」と指摘しているほどだ。
 税金で言えば、ISは支配地域の出入り口に検問所を設け、物資輸送のトラックなどから通行料を徴収、イスラム国のロゴの入った受領書を発行している。ヨルダンからアイスクリームを冷凍車でイラクに運ぶ運転手は1カ月に3回、300ドルを支払っている。首都であるシリアのラッカでは、「清掃税」という名目で市場の各商店から月、7ドルから14ドルを納めさせている。
 住民は電気代として月、2ドル50セント、水道料金として1ドル20セント程度を払っている。イスラム法違反の罰金も収入源となっており、例えば喫煙を見つかった男性は15回のむち打ちとともに、罰金約40ドルを支払わされたという。
 ISはこうした歳入システムを作り上げることによって、空爆などの影響を最低限にとどめており、組織の資金源を断つためには、最終的に支配地を奪回して住民を解放するしか方法がない。ロシアとトルコがいがみ合い、IS包囲網に深刻な亀裂が生じている現状では、IS壊滅は遠のくばかりだ。

《維新嵐こう思います。》
ISの首脳部を支配するのは、アメリカに崩壊させられた旧フセイン政権の残党ですから、放っておいても国家的な体裁は形成されていくでしょう。ここで対IS包囲網が作られつつある今、その中枢にあるトルコとロシアの対立で包囲が崩れるようなことはあってはならないのです。
 領空侵犯されたと「見なされれば」警告、撃墜されるのは、違法なことではありません。
ロシアは、まず自国爆撃機に本当に領空侵犯がなかったのかどうか検証して、この事件に早々にオチをつけてほしいものです。


2015年11月28日土曜日

日本人のセキュリティ意識

都市のあり方で安全保障観も変わる
鬼怒川堤防決壊 公共事業悪玉論を見直せ

大石久和 (国土技術研究センター国土政策研究所長、日本

プロジェクト産業協議会(JAPIC)国土委員会委員長)
20150918日(Fri)http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5384


インフラ認識の欠如の由来としての都市城壁の有無

 前回、日本では「インフラストックの形成手段である公共事業を単に財政上の歳出としか見ていない」ことを指摘した。それは、先進各国首脳の認識とは大きく異なっていることも紹介した。
 ところで、最近の台風17号、18号による集中豪雨によって、茨城県常総市で鬼怒川堤防が決壊し、大きな災害となって人命・財産を奪っていった。ある決壊箇所は堤防強化計画があり、まさに着手の準備をしていたところだったと言われる。
 この20年間で先進国で唯一公共事業費を削減してきた実態はすでに紹介したが、その煽りを受けて河川改修の予算も大きく減少してきた。予算が伸びていれば、この堤防強化事業もずっと前に整備が完了していたはずなのである。公共事業を「財政からの歳出」とだけとらえ、インフラストックとしての効用を理解してこなかったツケだと言っても言いすぎではない。
 この日本人の「認識欠損」はどのように生じたのか考えてみたい。人間が理解すべき領域のなかで、われわれ日本人が獲得できていない領域があるようなのだ。当然のことだが、それは民族の経験がそれをもたらしている。
 数千年にわたる日本列島での歴史のなかで、われわれは一度も「都市全体を囲む城壁」を建設した経験を持たないが、それは世界的に見てもきわめて希有なことなのだ。
 シュメールからギリシャ・ローマを経て今日の世界文明につながる西洋や、古い時代から文明を育んできた中国には、文明のゆりかごとなった都市が生まれたが、それを可能としたのは強固な城壁だったのである。
 多様な才能を持つ人間が多数蝟集するところに文明は生まれる。最も古い文明は、謎に満ちたシュメール人が5500年前にチグリス・ユーフラテスの河口近くに建設した都市国家で生まれた。
 このあたりには、ウルやウルクといった都市の遺跡が残っているが、ここで国家が生まれ、王制という統治制度が発明され、神を生んで宗教を育てて神殿を建設し、そしてやがて文字を持った。まさにここで文明は誕生したのだが、ウルもウルクも城壁で囲まれていたのである。
 なぜ、都市を囲む城壁が必要だったのかといえば、農耕民族だったシュメール人は集積した作物を山岳民族や遊牧民から収奪され、その際に愛するものの大量死を経験させられたからである。
 人々の蝟集の初期の初期には城壁など持たなかったと思われるが、それでは年間の労働の成果と仲間の命の喪失が避けられず、何度もそのことを経験したからこそ多額のカネもかかるし大変な労力も動員しなければならなかった「都市全体を大きくて強い壁」で囲むことを余儀なくされたのだ。
 今日の気象考古学によると、シュメール人の時代にはこの地方はすでに乾燥化が始まっていたらしいのである。
 Cityという言葉はラテン語のキビタス(Civitas)を語源としているが、その意味は「壁の内側の人が密集している場所」という意味だから、都市の概念のなかに壁が含まれているのである。
 中国の事情もよく似ており、都市という都市が城壁で囲まれていた。長安は平城京などのモデルとなった巨大都市だが、東西9.9キロ・南北8.4キロ、総延長37㎞の四角形の強大な城壁で囲まれていた。現在の西安(昔の長安)にも大きな城壁があるが、それよりも巨大なものだったといわれている。
 国という言葉は今では国家を指す言葉だが、もともとは「都」を意味する言葉であり、國という文字だった。「囗」は今では国囲い(国がまえ)と言うが、囗が表わしているのは実は都市城壁であり、そのなかで戈を持って敵と対峙している様子を示す文字であった。
 邑という文字も、白川静氏の説明では都市城壁を表わした囗の形の下で跪いている人を示すものだという。これは筆者の解釈だが、城壁があったおかげで命を保つことができた幸運を喜んでいる様子を示しているのではないかと考えている。
 この都市城壁は今日でいうインフラストラクチャーそのものであり、文字通り「社会を下から支える基礎構造」なのだが、われわれはこれを必要とする経験をまったくしていないから、「社会には欠かせないインフラがあるのだ」との理解が十分ではないのだ。
 シュメール人の5500年前から、パリが最終城壁であるティエールの城壁を取り外しはじめた1919年まで、「都市城壁なしには都市は存在し得ない。都市には都市城壁というインフラが不可欠である」との認識をフランス人やヨーロッパ人は共有してきたのである。
 これが今日のインフラ認識につながっている。社会には人々の暮らしを成り立たせるための共通資産として下部から支える構造があり、「かつて城壁が人の命と暮らしを支えたように、今日では、道路などの交通インフラやダムや堤防といった安全インフラが社会には不可欠なのだ」と考えているのである。
 だからこそ、前回紹介したように各国首脳はインフラの重要性についての認識を語り、国民の支持を得ることができているのである。

大量殺戮の有無
 なぜ莫大な費用を要する都市城壁を彼らは築いて来たのかといえば、繰り返しになるが、それがなければ厖大な命を失うことが確実だったからである。では、彼らはどのような戦い方をしたのだろうか。
 日本人で戦争死の数を研究している人は発見できなかったが、長年ウェブサイトで持論を展開していたマシュー・ホワイト氏は、最近「殺戮の世界史・・人類が犯した100の大罪」(早川書房)を著わし、100の紛争についての殺戮数の研究を整理した。
 これによると世界は大量殺戮に満ちあふれていることがわかる。ランダムにいくつか紹介すると、チンギス・ハンによる戦いで4000万人、明の滅亡時に2500万人、清朝末期の太平天国の乱で2000万人、白人による北アメリカ支配のために1500万人、ロシア革命の内戦で900万人、ナポレオン戦争で400万人、百年戦争で350万人、十字軍で300万人、フランスの宗教戦争で300万人、朝鮮戦争で300万人などという状況である。
 第二次世界大戦での日本人の死者数は、空襲による民間人の死者を含めて300万人超というものであったから、世界での殺戮の凄まじさがわかろうというものである(第二次大戦全体では、ホワイト氏は6600万人としている)。
 中国での殺戮の凄まじさは大変なものがあり、これはホワイト氏の研究からではないが、明の滅亡時には張献忠なる殺人鬼が現われ、兵士75万人、家族32万人をまるで草刈りをするように「草殺」したとの記録もある。また、揚州で都市内の住民全体が虐殺されたときには、火葬に付した死体は80万人にもおよんだという。
 かなり前になるが、三国志の赤壁の戦いを描いた「レッドクリフ」という映画があった。そこでは日本の合戦では見られない「倒れた兵士にとどめを刺す」場面があったことが印象に残っている。とどめを刺さしておかなければ戦闘に勝利しても長くは安心できないというのが、彼らの戦いだったのである。
 このような戦闘を経験したのでは、妻や子供と老人とが暮らしていかなければならない都市を守るためには、絶対にというほど打ち破られない城壁が必要だったと理解できる。
 われわれ日本人だけが世界の先進国の多くの民族のなかで、この経験がすっぽりと抜けているのである。日本人の思考の合理性の欠如、あらゆる局面での情緒性の優先と言ったわれわれの考え方や感じ方をこれらの経験が規定し、西洋や中国の人々との間に大きな懸隔を生んでいるのである。
 先に紹介したインフラ認識の欠如はこの反映であり、欧米が今なお力を入れている交通インフラ整備を実に安易なレッテル貼りで「従来型」などといったり、無駄の定義も示さずして「無駄な事業」というのもその現れだ。従来から必要なものは今でも充実が必要で、それは「基幹型」とか「基礎型」とでも呼ぶべきものなのだ。

安全保障観
 この経験の違いが安全保障観にも影響を与えていることは当然のことである。われわれに安全保障の観念が欠けているのは、「非武装中立」などという夢物語を比較的最近まである政党が声高に叫んでいたことでも明らかだ。
 永世中立を掲げるスイスが、いざというときには敢然と武力で戦う仕組みと仕掛けを用意しており、第二次世界大戦時でも上空侵犯の航空機を何機も撃墜したほどの覚悟を示したことを学習していたのだろうか。中立を保つことなど強力な武力が装備されなければなし得るものではないのである。
 非武装中立などと言うのは、要するに国防という一番しんどいことはやりたくないと言っていただけだったのではないか。キッシンジャーはマイケル・シャラーアリゾナ大学教授に日本人の安全保障観について、次のような辛辣な批判を語っている。
 「日本人は論理的でなく、長期的な視野もなく、彼らと関係を持つのは難しい。日本人は単調で、頭が鈍く、自分が関心を払うに値する連中ではない」
 これはかなり前の発言だったのだが、最近では彼にこのようなことをいわれないほどに、事実をもって根拠と論理性のある議論ができるようになっているだろうか。それとも相変わらず希望的な「はずだ」議論に終始しているのだろうか。
 図は、家屋を出入りする最も肝心なドアが、日本と海外では異なることを示したものである。わが国のドアはほとんど「外開き」である。おかげで玄関は広く使えて、傘立ても置けるし靴も散乱させることができる。

 しかし、このドアのセキュリティはどこで保たれているかというと、それはドアノブ一点だけなのだ。小さな金属がドアの受け柱に貫通しているが、それのみが外敵の侵入を阻止しているのである。
 ところが、海外ではヨーロッパ・アメリカ・中国でも、外部との接点であるドアはほとんどすべて「内開き」なのである。外国に旅行したりしたときに注意して観察してほしいし、海外ドラマや探訪のドキュメンタリーをよく眺めていただきたい。彼らの国では安全に関わる肝心なドアほど内開きであることに気付くに違いない。
 このドアであれば、暴漢が侵入しようとしても家族総出でドア裏に家具などを置くことで侵入を防ぐことができる。これはアメリカ映画ではおきまりの構図だといえるほどよくある場面である。
 ところが日本のドアでは、いくら家具を積み上げても何の役にも立たない。ドアノブを破った暴漢は簡単に侵入してくることだろう。それは何十年に一度起こることなのか、ほとんど一生経験しないことなのかも知れないけれども、日本人以外はセキュリティの高いドアを受け入れて、ドア裏を使えない不便な日常生活を送っている。
 これほどにわが日本が、日常生活利便優先でセキュリティが後回しの(というよりセキュリティ概念がない)国柄だということは、この比較でよく知っておかなければならないことなのだ。そういうわれわれなのだと十分に認識したうえで安全保障議論に臨まなければならないのである。

 ここで示したインフラ観や安全保障観の欠如や欠陥は、民族の経験に由来しているから、そのことへの深い理解が必要だ。最近紙版のウェッジでも紹介していただいたが、筆者の産経新聞出版の書籍『国土が日本人の謎を解く』に、この国土に暮らしてきたことに由来する日本人の強みや弱みについての考察を記した。ご一読いただければ幸いである。
  

2015年11月26日木曜日

ことさらに共産中国と事を構えたくないアメリカ ~同盟国の防衛連携強化・国民の危機意識を高めよう~

硬軟織り交ぜてアメリカを翻弄する人民解放軍
南シナ海のFON作戦を非難する一方で米中陸軍が合同訓練
北村 淳
米国タコマ郊外のルイス・マッコード陸空軍統合基地で合同訓練を指揮する米中両軍司令官

 南沙諸島の中国人工島、スービ礁、周辺海域での「公海航行自由原則維持のための作戦」(FONOP)実施以来、オバマ大統領は中国の人工島建設に対する牽制姿勢を機会あるごとに示している。ただし、中国人工島周辺海域で実施されたFONOP1回だけで、その後は具体的行動には出ていない。
FONOPをめぐる米中の応酬
もっとも、本コラムで繰り返しているように、FONOPは建前としては中国の人工島建設を牽制するためのものではなく、あくまで「公海航行自由原則」が維持されることを海軍力を使ってアピールするためのものである。したがって、アメリカ海軍自身がメディアや政治家などに注意を喚起しているように、FONOPと“人工島をはじめとする領域問題への介入”を混同することは避けねばならない。
 とはいえ、南沙諸島の中国人工島に建設中の様々な軍事施設は「公海航行自由原則」を脅かす恐れがあるため、アメリカがそれら軍事施設の建設に反対したり、建設中の軍事施設周辺海域でFONOPを実施することは当然の行動といえよう。
そのため、アメリカ海軍は引き続き航行自由原則が侵害されないためにも、南沙諸島中国人工島周辺海域でのFONOPを実施しようとしている。次の実施海域はミスチーフ礁周辺海域と言われている。
 スービ礁で実施されたFONOPは、ある意味では予告してから実施したような結果となってしまったため、米国や中国のメディアや中国当局がFONOPを領域紛争介入と混同するような伝え方をしてしまい、さして効果は上がらなかったと考えられている。したがって、次回以降のFONOPは「静かに、かつ頻繁に」実施されることになると考えられている。
南沙諸島に中国が建設している人工島

 もちろん、中国側はアメリカを強く非難している。中国側の主張は次のとおりである。
「アメリカ海軍によるFONOPは、航行自由原則を口実にした露骨な領域紛争への介入である。ベトナムやフィリピンなども歴史的に見ても明らかに中国領である南沙諸島の島嶼岩礁を占領しており滑走路や軍事施設を設置している。領域侵害の被害者は中国であるにもかかわらず、あたかも中国だけが滑走路や軍事施設を建設しているように騒ぎ立てて、一方的にフィリピンやベトナムやマレーシアなどの側に立っているアメリカの姿勢は容認しがたい」
タコマで米中陸軍が合同訓練
 ただし、中国当局はアメリカの南シナ海への介入姿勢を非難するのと並行して、人民解放軍とアメリカ軍の協力関係を深化させる努力も推し進めている。
習近平国家主席が先日訪米した際に、マイクロソフトのビル・ゲイツをはじめとするビジネスリーダーたちと懇談したり、ボーイングからの巨額に上る旅客機購入をぶち上げたシアトル周辺は、米軍反中派からは「中国に取り込まれた地域」と言われている(もちろん冗談として)。
 そのシアトルに隣接するタコマ郊外に、巨大な敷地を誇るルイス・マッコード陸空軍統合基地がある。
 この基地には、イラク戦争に際してバグダットに突入し勇名を馳せた「ストライカー旅団戦闘団」を擁するアメリカ陸軍第1軍団司令部がある。第1軍団は歴史ある部隊で、第2次大戦後に日本占領を実施したのもこの軍団である。現在は、日米同盟の強化ということで、座間に前進司令部を設置している。
 このように、アメリカ陸軍にとってルイス・マッコード陸空軍統合基地は紛れもなく主要基地の1つである。
 ここに、中国人民解放軍の陸軍部隊が乗り込んできた。災害救援活動などでの緊急医療に関する合同訓練を実施するために派遣されたのだ。この中国軍部隊は100名にも満たない小規模部隊である。とはいっても、人民解放軍陸上部隊がアメリカ本土に、それも米軍基地に足跡を記したのは史上初の出来事である。
ワシントン州軍と災害救援訓練を実施中の人民解放軍兵士たち
訓練を見守る米中の陸軍兵士たち
米海軍や海兵隊の中国封じ込め派の将校たちの中には「(上述の)冗談が、冗談ではなくなってきているようで嫌な感じだ」と苦々しく思っているものも少なくない。
 しかし、第1軍団司令官は「中国軍とのパートナーシップのチャンネルを維持し、コミュニケーションを継続し、合同訓練を実施することは、米中間の対立をこれ以上激化させないために有用である」との見解を述べている。同様に、人民解放軍アメリカ派遣部隊司令官も「米中合同訓練は米中両国の相互理解を深め、平和を維持することを助長する」と述べている。

中国艦隊によるホノルルへの親善訪問
人民解放軍の陸軍部隊が“米軍との親交を深めている”だけではない。中国小艦隊がハワイのパールハーバーに“米中両国親善のために”近々入港する。
 いうまでもなくパールハーバーはアメリカ海軍太平洋艦隊司令部所在地であり、先日南沙諸島の中国人工島周辺海域に駆逐艦を派遣しFONOPを実施した“張本人”の本拠地だ。
 ホノルルに入港した中国小艦隊はミサイル駆逐艦1隻、ミサイルフリゲート1隻、補給給油艦1隻で編成された「第152任務部隊」である。この小艦隊は本来の任務であったアデン湾ならびにソマリア沖での民間船舶護衛任務(中国海軍としては20回目の護衛戦隊の派遣)終了後にスーダンとエジプトを訪問して、地中海からジブラルタル海峡を抜けて北欧諸国や東欧諸国を訪問した。
 その後、大西洋を渡ってフロリダのメイポート米海軍基地を親善訪問した。これは、中国人民解放軍海軍艦隊として初めてアメリカ東海岸の米海軍基地への入港であった。
 フロリダでの親善行事をこなした艦隊はキューバに滞在したのち、1118日の夕方から翌早朝にかけてパナマ運河を通過した。メキシコのアカプルコに寄港したのち、パールハーバーに向かうことになっている。
 アメリカ海軍当局は、外国艦隊や艦艇の寄港に関する詳細情報は原則として公表しないことになっている。そのため、人民解放軍第152戦隊のパールハーバー入港予定日時は発表されていない。ただし、太平洋艦隊司令部は「我々はアロハ精神によって中国の客人たちの訪問をもてなすであろう」「この種の訪問は、米中両海軍の信頼醸成に大きく貢献する。アメリカ海軍は、引き続き米中海軍の相互理解を促進し、透明性を進化させ、誤解や誤算が生ずる危険性を低減させることに役立つと信じている」といった“公式見解”を発表した。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45345?page=5
日本も何らかの行動を
 原油や天然ガスを日本にもたらすシーレーンが南シナ海を縦断していることはいうまでもない。南シナ海問題に重大な影響を受ける日本としては、南沙諸島の中国人工島、そして軍事拠点の設置により公海航行自由原則が脅かされることを傍観しているわけにはいかない。
 アメリカがFONOPを実施して以降、アメリカ政府が本腰を入れて南沙人工島問題へ介入すると考えたためか、安倍政権がしばしば中国人工島に言及するようになったようだ。しかし、いくらアメリカがFONOPを実施しても、中国がせっかく作った滑走路や軍事施設を更地に戻したり、人工島を元の暗礁に戻すことは絶対にありえない。
 繰り返すようだが、アメリカ海軍のFONOPはあくまで「公海自由航行原則を維持させる」ためのデモンストレーションであって、アメリカ海軍もアメリカ政府もFONOPによって人工島軍事基地問題が解決するなどとは微塵も考えていない。
 日本政府は「アメリカのFONOPを支持はするが、自衛隊を参加させる意思はない」と明言している。そして、「アメリカを支持する」「日米同盟を強化する」「国際海洋法を尊重すべきだ」という原則論は盛んに言い立てているが、何ら具体的行動は実施していない。
 アメリカ海軍とともにFONOPを実施すること以外にも、日本が独自に南シナ海における日本の国益を維持する施策はいくらでもある。

 アメリカ軍関係者は、「南沙諸島に誕生する中国の軍事基地群が公海航行自由原則に脅威を与えるということが分かっているのか?」と安倍政権の認識を訝っている。アメリカ軍関係者に言われるまでもなく、口先だけでなく具体的な行動をとらないと、安倍政権の認識は甚だ疑問に思われても致し方ない。

《維新嵐こう思います》米中は、反目・牽制しあいながら手をつないで協調している?適当に手の内をみせあいながら相手を「透明化」することにより、軍事的脅威を減らしていくという方針がどういう結果を招くでしょうか?こういう戦略の結果が、南沙諸島の要塞化を許してしまったのではないのでしょうか?
アメリカは、本音では南シナ海の「公海自由の原則」が守ってもらえるなら、人工島を作られてしまったところはどうしようもない、という感じがみえなくもないです。

「予算承認を」米国防長官、異例の訴え
岡崎研究所

20151125日(Wedhttp://wedge.ismedia.jp/articles/-/5627
 20151020日付の米ウォールストリート・ジャーナル紙で、カーター米国防長官が、米国が国防上の任務を果たすために、議会が継続予算決議の繰り返しをするのを止め、きちんと国防歳出予算法案を通すべきである、と述べています。
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常態化する予算審議の長期化
 すなわち、米議会は7年続けて国防歳出予算法案を会計年度に間に合うように通さなかった。そして国防省は他の省庁と同様、過去4年強制削減の影響と戦ってきた。
 米国はこのような状態が普通になることは許せない。米国政府が国防予算で四苦八苦している間、中国は南シナ海において、ロシアはウクライナとシリアにおいて情勢を不安定化させる行動に出ていて、ISも野蛮な動きを続けている。
 このような不確実な安全保障環境において、米軍は機敏で力強くなければならないのに、束縛を受けている。選択肢を注意深く、戦略的に検討すべきなのに、早急な削減を迫られている。
 無差別な削減と予算の混乱は、管理上非効率であり、納税者と国防産業にとって無駄である。そして軍事戦略にとって危険である。正直言って、それは世界に対して恥ずかしい。また米国の才能ある軍人とその家族の士気を阻喪させる。米国は、最も優れた人材を引き寄せ続け、次世代の能力を開発し、当面の脅威に対応しなければならない。米国の軍事的優位は当然与えられるべきものでも保証されたものでもない。
 通常の予算に代わって継続予算決議を長期化させることは、予算の強制削減に他ならない。もし議会が継続予算決議をまる1年続ければ、国防省の予算は、10年以上にわたった戦争のあとの兵力の体制を回復し将来に向け重要な新しい能力に投資するのに必要とされる額を、380億ドル下回ることになる。
 不幸にして、議会が審議している最新の国防予算法案は、必要な改革を制限するものである。例えば、古く、能力が劣り、優先度の低い体系を止めることを制限する。また国防費の不足を隠すため、資金を通常の予算から国防省の戦争基金会計に移すが、この予算のやりくりのため、米軍を近代的で意味のあるものにし続けるために必要な長期計画と投資をする合理的な基準が失われる。

米国の国防が直面する損害は容易に回避できる。議会が政府の国防予算を承認すればよいのである。
 私は、議会に長期的な予算取引のため行動するよう訴える。それは米国の部隊とその家族に、彼らが成功するための決意と資源があることを知らしめるとともに、世界に対し、米国が世界で最も優れた戦闘能力を計画し構築し続けるというメッセージを送ることになるだろう、と述べています。
出 典:Ashton CarterThe U.S. Military Needs Budget Certainty in Uncertain Times’(Wall Street Journal, October 20, 2015
http://www.wsj.com/articles/the-u-s-military-needs-budget-certainty-in-uncertain-times-1445379339
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国防予算削減で損なわれる米国優位
 上記論説は、国防予算をきちんと審議、成立させてほしいとの、議会に対するカーター国防長官の切実な訴えです。
 国防予算の審議について、国防長官がメディアに寄稿するのは異例のことであり、国防予算の現状について、いかに国防当局が危機感を持っているかを示すものです。
 国防予算の現状のマイナスの影響は計り知れません。カーター長官は、それは米国の軍事的優位を危うくしうるものであり、米国の軍事戦略にとって危険であり、中国やロシアそしてISの行動を見れば、許せないと言い切っています。
 カーター長官は論説で、現在議会が審議中の予算法案は、必要な改革を制限するものであると批判していますが、1022日、オバマ大統領は2016年国防授権法に拒否権を行使し、その主な理由として、同法が強制削減を含んでいること、必要な改革を認めず、予算の無駄使いとなっていることを挙げて、カーターの主張と軌を一にしています。
 カーター長官の指摘しているような国防予算の現状は、単に米国のみならず、同盟国、そして国際社会全体としても無関心ではいられないものです。日本をはじめとする同盟国、そして世界の安全に関心のある国は、米軍が「機敏で、力強く」あり続け、米国の軍事的優位が維持されることを望んでいるからです。
 本来、国防は超党派の関心事項であるべきものですが、近年は党派的利害に振り回されるケースが多くなっているようです。 国防の重要性にかんがみ、両党、特に共和党は、カーター国防長官の訴えに耳を傾け、今一度党派的利害を超えるよう努めることが望まれます。

※今のアメリカには、全面戦争はおろか局地的な紛争すら共産中国と構えることは難しそうですな。アメリカの国防圏内にある同盟国は粛々と「自主防衛」を深化させるべきかもしれません。


「航行の自由作戦」では不十分
南シナ海 中国人工島問題
20151126日(Thuhttp://wedge.ismedia.jp/articles/-/5632
新米国安全保障センター(CNAS)のフォンテイン代表が、1022日付ウォールストリート・ジャーナル紙に掲載された論説にて、南シナ海問題は領土問題であると同時に軍事問題であり、中国の戦力投射能力強化に対処するため域内関係国との協力構築が重要である、と述べています。
中国が空港などの建設を進めるファイアリー・クロス礁(Getty Images
南シナ海軍事基地建設で高まる中国の戦力投射能力
 すなわち、米海軍は中国が南シナ海に建設した人工島の12海里水域で航行の自由行動を実施すると報道されている(注:1026日に実施)。しかし、対応は航行の自由作戦に限らず、それを超えて中国の戦力投射能力の強化という側面を考えるべきだ。
 訪米した習近平は南シナ海で「軍事化を追求する意図はない」と述べたがその意味は疑わしい。外務省関係者は軍事施設の存在を確認している。
 衛星写真はフィアリー・クロス環礁に軍用機が使用可能な滑走路が存在することを示している。ハリス太平洋軍司令官は戦闘機格納庫や艦艇利用が可能な水深を持つ港が建設されている、レーダーや電子戦能力も配備されるのではないかと懸念を表明した。これらは戦力投射能力の大幅な向上をもたらす。一隻の空母しか保有しない中国は、その不利を埋め合わせるために投射能力の構築を図ろうとしている。
 問題は領海紛争だけに限定されない。中国は軍事力を使う強圧外交への志向を強めており、東南アジアへの影響は甚大である。多くの西側専門家は実際の紛争の時を考えれば基地は小規模で、攻撃も容易だと言っている。しかし、紛争に当たっては、これらの島の航空機や艦船ばかりでなく、中国本土から遠く離れたこれらの島にある状況把握能力により戦力投射能力が強化される。中国は既に航行補助装備、精密レーダーやセンサーなどのハイテク装備の設置を、非軍事的なものだとして開始している。
 さらに、島が緊急事態の際に脆弱だからといって価値がないということにはならない。それは既に対抗能力を持たない係争関係国や地域の国々への中国の影響力を高めている。
 紛争が起きた場合、最初に動く側が決定的な利点を確保する。島に置かれる設備は中国の軍事作戦がそのような成功を収めることを容易にする。
米国とアジアの関係国は、中国封じ込めではなく対中均衡を図り強圧と紛争を阻止するために、協力強化を継続すべきだ。これには、航行自由維持活動をする米海軍や南シナ海で主権を主張する国々だけでなく、地域のすべての関係国が関与すべきだ。米国が開放姿勢で協力を築こうとしていることは良いことだ。米国との多国間協力に対する関心は増えている(フィリピンの基地使用再開やベトナムへの装備売却、艦艇のシンガポール配備、豪州ダーウィンへの米海兵隊配備など)。地域内国同士の協力も深まっている。米国は、これらの国々の間のインターオペラビリティー深化を支援するとともに、これらの国が航行自由行動に参加するよう慫慂していくべきだ。
 直近の航行自由行動は重要であるが、それだけでは不十分だ。東南アジアの国々との安保関係と共同活動を強化することによって、戦力投射能力を拡大させる中国を「管理」することができる、と論じています。
出典:Richard Fontaine,Projecting Power in the South China Sea’(Wall Street Journal, October 22, 2015
http://www.wsj.com/articles/projecting-power-in-the-south-china-sea-1445533018
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日本も東南アジア諸国と共同歩調を
 説得力がある論説です。フォンテインは、南シナ海問題は、領土紛争問題にとどまらず、島への軍事アセットの配備を通じた戦力投射能力の強化という軍事問題の側面があることを強調し、それゆえ米国による「航行の自由作戦」だけでは不十分だと言っています。
 習近平の米国での言葉とは裏腹に、島を軍事基地化することによって中国は南シナ海を内水化しようとしています。他方、中国の対艦ミサイル開発によって米空母が大陸へ近づけなくなるリスクも指摘されており、南シナ海問題はそのような大きなピクチャーの中で考える必要があります。フォンテインが、島は小規模であり紛争の際には容易な攻撃対象になるとする、多くの分析家の見解に反論するのは正しいです。さらに、中国の威圧外交により、関係国の対中対応にバラツキが見られるようになっています。
 南シナ海の問題が先の米中首脳会談で激しく議論されたことは共同記者会見やその後の報道によって知ることができます。習近平は、古来中国の領土であるとして主権を主張して譲らず、オバマも取り付く島もなかったようです。それで、会談後、オバマは中国の領土主権の主張に異議を唱える目的で、米艦船を12海里水域に派遣する方針を最終決定しました。
 域内国との共同行動が不可欠であるとのフォンテインの指摘は、まさに重要です。今やこの問題はアジア太平洋の最大の安保問題です。日本も注意深く協力に加わるべきで、いずれ他国との共同航行行動を考えるべきでしょう。また、そのような協力体制構築に貢献すべきです。対中関係を慮って慎重姿勢を維持しているインドネシア、マレーシアにも働きかける必要があります。11月上旬の中谷防衛相の訪越は、日本とベトナムの海洋安全保障上の協力推進を再確認したという意義がありました。
※アメリカ海軍のFON作戦は、公海自由航行の原則を確認するための最低限のオペレーションでしょうね。むしろアメリカ海軍がこじあけて確認してくれた南シナ海の各国共通の航行の権利については、関係同盟国が戦略連携しながら維持・防衛していかなければならないでしょう。アメリカは共産中国とは、全面的に敵対することはありえないです。脅威の持ち方は、アジアの国々と比較しても同等に重いということもないでしょう。我が国には、尖閣諸島という共産中国が「核心的利益」と主張する南沙諸島とおなじくらい戦略的価値をもたれている場所があります。沖縄など南西諸島は日米共通の領土利権ということを考えれば、安保関連法ごときで国論がわかれていてはいけません。自衛隊が国防軍となること、陸上自衛隊を「海兵隊化」していくこと、サイバー戦部隊の能力を向上させること、増税政策と企業における労働者の格差を是正すること、自然災害に備えたインフラの強靭化など国家戦略をもって国土を防衛すべきことは山のようにあります。



「航行の自由作戦」継続へ 米国は妥協許すな

 岡崎研究所
 20151201日(Tuehttp://wedge.ismedia.jp/articles/-/5656

20151027日、米国は南シナ海において「航行の自由作戦」の実行に踏み切りました。それに関して、ワシントン・ポスト紙とウォールストリート・ジャーナル紙が社説を掲げ、この作戦の実施を支持しています。要旨は以下の通りです。
ワシントン・ポスト「ラッセンの定期的な通航を」
 1027日、イージス艦ラッセンは南沙諸島の礁の近傍を通航した。予想された通り、中国外務省はその領域の侵害であるとして「強い不満と断固たる反対」を表明し、「必要な全ての措置をとる」と述べた。潜在的な衝突のリスクが高まったように聞こえるが、オバマ政権の決断は正しく、そもそもとっくに行われて然るべきことであった。
 南シナ海における不埒で法的根拠を欠く領有権の防衛のための中国の挑発的行動に領有権を争う諸国は警戒感をつのらせていたが、これら諸国は米国が対応しようとしないことに同様警戒感を有していた。米国海軍はかねて中国の挑戦に対応すべきことを論じていたが、首脳会談を控えて、オバマ大統領が許可を留保していた。首脳会談で習近平国家主席はこれら人工島を軍事化しないと怪しげな約束をしたが、この約束は実際に試される必要がある。
 これが、定期的な通航が今後も継続されるべき理由の一つである。もう一つの理由はこれが国際法の下で疑いもなく合法だということである。人工島は12海里の領海を有しない。領域が侵されたという中国の主張は9段線の主張に依拠するが、この主権の主張と米艦のパトロールに対する異議を根拠づけるものは何もない。
 習近平は中国がこの地域の物理的現状を変更する間、米国にブラフをかけて傍観させておくことが出来ると結論付けていたらしい。そうではないことを習近平に解らせるためにはラッセンの行動のような更なる行動を必要とするだろう。
ウォールストリート・ジャーナル「作戦日常業務に」
 ラッセンにスビ礁とミスチーフ礁の人工島の12海里内の海域を通航させたオバマ大統領の決定は正しい。これら人工島の周囲の海域、空域に対する中国の主権の主張に根拠のないことを明確にするためには更に多くのこの種のパトロールが必要となる。これら二つの礁は低潮高地であり、領海を有しない。
 驚くべきは中国の動きに挑戦するまでの遅延である。習近平の訪米の雰囲気を壊すことを怖れてホワイトハウスは逡巡した。遅延は高価についた。この間に中国は埋め立てを加速させ、中国海軍は主権の侵害には「正面からの一撃」をもって臨むと脅かした。27日、中国外務省は米国の行動は「違法」だと言い、中国艦船がラッセンを追尾した。
 中国の今後の出方は判らないが、米国が更に通航を続けなければその努力は損なわれる。作戦は日常業務とされるものであり、疑いを持たれている米国の気迫を証明するためには一回のミッションでは充分でない。また、特に価値があるのは豪州、日本、フィリピン、そしてもしかしてインドネシアとともに行う合同パトロールであろう。インドネシアが参加すればマレーシアとシンガポールも参加するかも知れない。
出 典:Washington PostObama was right to order a sail-by in the South China Sea’(October 27, 2015
https://www.washingtonpost.com/opinions/islands-of-trouble/2015/10/27/d8b6f5f6-7cc0-11e5-beba-927fd8634498_story.html
Wall Street Journal
South China Sea Statement’(October 27, 2015
http://www.wsj.com/articles/south-china-sea-statement-1445986915
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「航行の自由作戦」に替わり得るものはない
 上記2つの社説が言っていることに違いはありません。やっとオバマ大統領は決断したかということであり、遅きに失したとはいえ、この決断を支持しています。
 中国を不必要に刺激しないためでしょうか、カーター国防長官の口は重いようです。ホワイトハウスも何も言いたがりません。米国は今回の作戦の全貌を説明していません。通航したのはスビ礁だけなのか、ミスチーフ礁も含むのかも明らかではありません。また、米国は今回の作戦の国際法との関係における性格も説明していません。国務省は、「公海(international waters)を通航することは挑発的ではない」と言っているのみです。米国の認識として「ラッセン」は無害通航の態様で通航したのか、それとも無害通航でない態様で通航したのかも明らかではありません。
 一方、中国外務省は「ラッセンは中国政府の許可を得ることなく違法に南沙諸島の当該島(複数)および礁(複数)の周辺の海域に侵入した」「中国当局はラッセンを監視し、追尾し、警告した」「ラッセンは中国の主権と安全保障上の利益を脅かした」と述べています。この発言振りによれば、中国の認識としては、ラッセンの行動は無害通航ではもとよりあり得ず、そもそも中国は軍艦に対する無害通航権を認めているのかも疑わしい状況です。そういう観点からは、ラッセンの行動は中国の立場を否定する効果を持ったということかも知れません。
 2つの社説は「航行の自由作戦」の継続を求めています。適切な判断だと思います。カーター国防長官は今後数週間、数ヶ月継続する方針を表明しています。ウォール・ストリート・ジャーナル紙がいう関係国による合同パトロールは可能ならそれを排除する必要はありませんが、米国単独の「航行の自由作戦」に替わり得るものにはなりようがないでしょう。米中間の緊張の高まりを心配する声もありますが、米国としては下手な妥協はすべきではありません。

 人工島の軍事施設建設を抑制させることは恐らく出来ません。関係国間の領有権争いを解決に導くことは、この際二義的なことです。中国の長期的な狙いが西太平洋から米軍を追い出すことにあることは疑いありません。従って、最も重要なことは、中国の脅迫に拘わらず、米軍がこの地域で自由な活動を継続出来るよう、その意思を明白に表現し続けることです。それには負担が伴うだけに、日本が適時、適切に支持を表明することが重要だと思います。