2015年8月23日日曜日

「戦争」とは?「平和」とは?

平和を願うだけでは平和は維持できないという真実
いつまで経っても具体的に反省されない“先の大戦”
2015.8.20(木)http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44563
都内で行われた全国戦没者追悼式で、祭壇に向かって一礼する安倍晋三首相(2015815日撮影、資料写真)。(c)AFP/Toru YAMANAKAAFPBB News

 毎年この時期になると、
「戦争は一般市民にも大きな犠牲をもたらしてしまう」
「戦争によって彼我ともに悲惨な状況に追い込まれる」
「戦争は多くの人々に深い心の傷を残してしまう」
といった“先の大戦”に対する観念的な反省や教訓が語られる。とりわけ今年は戦後70年ということで、この種の反省や教訓があふれていた。
 このような“先の大戦”に対する深い反省と悔悟の念を土台として、「二度と戦争の惨禍を繰り返すことなく現在享受している平和を維持していくことを誓う」といったような反省と決意が、総理大臣から一般国民まで幅広い人々によって繰り返し繰り返し述べられるわけである。
 そして、
「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない・・・」
「戦争の惨禍を決して繰り返さない・・・」
「今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い・・・」
といった“先の大戦”への反省とともに、過去70年にわたって享受してきた平和の大切さが強調されるのだ。

安倍首相の70年談話でも、「我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります」と述べられている。要するに「平和を維持するためには戦争はしない」という、やはり観念的な平和維持策が語られている。
観念的ではなく具体的反省が必要

 だが、国際社会における「平和」という状態の定義が「戦争をしていない状況」であることに鑑みると、「平和を維持するために戦争はしない」というのは無策そのものと言えよう。
 このように“先の戦争”から平和維持のための具体的方策が引き出せていないのは、戦争に対する反省が「戦争は悲惨だ」「戦争は恐ろしい」「戦争は・・・」といった観念的レベルに留まってしまっているからである。
 平和を維持するための具体的な方策を生み出すには、
「いかなる戦略によって戦争に踏み切ったのか?」
「なぜ劣勢になっても戦い続けたのか?」
「なぜ負けてしまったのか?」
といった類の具体的な反省が必要である。そして、具体的反省から得られる教訓をもとにして、平和を維持する具体的方策を打ち立てるのだ。
 反省の対象が戦争であるため、このような具体的反省から学び取れる教訓は軍事に関するものが中心となる。したがって「もはや戦争をしない日本にとっては軍事的な教訓などは無関係である」と切り捨てられてしまいかねない。
 しかし、戦争から軍事的な教訓を得ることは、平和を維持する方策を考えるために必要なのである。なぜならば「平和とは戦争のない状態」なのであり、平和は戦争すなわち軍事とは決して切り離すことができないからだ。
日露戦争の教訓を生かさずアメリカとの戦争に突入

 もっとも、日本自身が関与した戦争に対して具体的反省をせずに教訓を生かし切れなかったのは、70年前に敗北を喫してしまった“先の大戦”だけではない。日露戦争に際してもそうであったし、第1次世界大戦でも同様であった。

両戦役では日本は勝利者であったため「なぜ負けたのか?」という反省はできなかった。しかし、勝った戦争に対しても真剣な反省は必要であるし、いくらでも将来に生かすべき教訓は引き出せる。
 日露戦争では勝つには勝ったとはいえ、陸に海に苦戦の連続であった。例えば、対馬沖海戦(日本海海戦)で決定的勝利を手にした日本海軍といえども、苦境に立たされた時期もあった。すなわち、充分な軍艦数を準備することができなかった海軍は、満州でロシア軍と戦闘を交える陸軍の海上補給線(朝鮮半島と九州)を確保するために総力を挙げざるを得なかった。そのため、ロシア極東艦隊の遊撃隊であったウラジオストック巡洋艦隊に日本沿岸航路を襲撃され、日本国内の通商は寸断された。その結果、日本国内はパニックに陥った。
ロシアのウラジオストック巡洋艦隊
 日露戦争終結後、日露戦争の詳細な分析をもとに海軍戦略家の佐藤鉄太郎大佐(当時、のち大正5年に海軍中将、大正11年待命)は次のように力説した。
「島嶼国家日本の国防は海軍が主力とならなければならない。海軍力が充分でなかったがために、わずか3隻のロシア巡洋艦に東京湾の入り口まで脅かされてしまった。そして、もし日本海軍がロシア海軍に破れていたならば、満州に展開していた50万の日本陸軍は全滅してしまった。いくら陸軍が精強でも、海軍が敗北してしまっては、日本は守れない」
 しかし、日露戦争の勝利に軍も政府もそして国民も歓びに湧いているのに、それに水を差すような“反省”に耳を傾けるものはいなかった。というよりは、「海軍こそが日本防衛の主力」という佐藤鉄太郎が指摘する教訓に対して、陸軍陣営は怒り、佐藤を憎んだ。
 結局、海軍を主力とする国防戦略はその後の日本に定着するには至らず、海軍と陸軍は常に牽制し合い勢力均衡状態を保った。日露戦争終結から36年後、佐藤鉄太郎が指摘した教訓は生かされず、海軍は充分な戦力を保持しないままアメリカとの戦争に突入した。その結果、日本海軍は壊滅して日本は占領されてしまった。

KAIGUN」(Evans Peattie著)という書物をはじめとしてアメリカ海軍内部での将校教育では「もし日本が佐藤鉄太郎たちが主張した海軍優先主義に基づいて国防態勢を固めていたならば、日米戦争は勃発しなかったかもしれない」と評価している。
地中海護衛艦隊から引き出すべきだった教訓

 第1次世界大戦では、日本海軍は地中海に特務艦隊を派遣、猛威を振るっていたドイツ潜水艦群からイギリスをはじめとする連合軍側の商船の護衛にあたった。
 日本艦隊は少なからぬ戦死者を出したものの、多数の商船をドイツ潜水艦から守り、連合国側の勝利に貢献した。また、ドイツ潜水艦によって沈められたイギリス客船から乗客船員を救助し、現在に至るまで日本海軍特務艦隊の勇戦は讃えられている。
地中海に派遣された特務艦隊の旗艦巡洋艦明石
 1次世界大戦後、地中海で活躍した護衛艦隊の経験から、「潜水艦による商船攻撃(通商破壊戦)は戦争の趨勢を決める」、そして「海上補給線の確保は日本の国防にとって最優先事項である」といった教訓がもたらされるべきであった。
 しかしながら、そのようなことはなく、第2次世界大戦では日本海軍は多数の優秀な潜水艦を造り出したにもかかわらず通商破壊戦は実施しなかった。また、海上補給線の防衛にも力を入れなかった。
 逆に、第1次世界大戦の教訓を学んだアメリカ海軍は日本に対する徹底的な通商破壊戦を実施し、日本の海上補給線を完膚なきまでに寸断してしまった。

汝平和を欲さば、戦への備えをせよ

 日露戦争や第1次世界大戦と違って“先の大戦”では敗北したため、今度こそは真剣に反省し教訓を引き出すことになったのか? というと、さらに悪い結果となっている。なぜならば、冒頭で指摘したように、“先の大戦”に対する反省は観念的レベルで停止してしまったのだ。
 そして、具体的な反省をしなかったがゆえに「平和を維持するためには戦争をしない」という、実は中味が空っぽの平和維持策を金科玉条にしてしまい、いまだに甚大な犠牲を払った戦争から引き出すべき軍事的教訓を直視するのを避ける状況が続いている。
 戦争から教訓を引き出すこと、とりわけ敗北した戦争を具体的に反省し教訓を得ることは、辛い作業である。場合によっては特定の人や組織の責任を明らかにしなければいけないこともある。
 しかし、多くの犠牲と被害をもたらした戦争から軍事的教訓を得なければ、平和を維持するための具体策など生まれようもないのである。平和というのは「戦争がない状態」である以上、軍事的思考と無関係に平和を維持することはできないのだ。
 古来より西洋には「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」(Si vis pacem, para bellum)というラテン語の格言がある。原義はともかく、平和を維持するためには適正な国防戦略と必要十分なる軍事力を整備しておかねばならない、という意味で用いられている。そのために最も欠かせないのが、戦争に対する具体的な反省から引き出される教訓であることを、我々は再認識しなければならない。

※『孫子』計篇に次のようなことが書かれています。
「孫子いわく、兵とは国家の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり、」
(孫先生がいうには、戦争は国家の重大事である。国民の死活の決まるところ、国家存亡のわかれ道であるから、よくよく熟慮してかからねばならない。)

第二次世界大戦において、文字通り「国家存亡の淵」にたたされて、歴史上はじめて外国の占領下におかれるという経験をしてきたわが日本だからこそ、説得力のある教訓として聞くことができる。
 北村淳氏のご指摘の通り、「平和」とは「戦争をしない」状態であることをわれわれ日本人はもう一度肝に命じなければならないであろう。
 すなわち戦争をしてでも国家の利益を守るために各国が備えている「軍事力」の均衡、バランスの調和がとれているからこそ「平和」秩序が現出されるのである。
 第二次世界大戦後の我が国であれば、アメリカに徹底的に軍事力を破壊されつくした状態でも北東アジアまで進んできたアメリカの軍事力と北から侵略してきたソビエト連邦の軍事力のバランスがとれていたからこそ、戦後の「平和秩序」が保たれていた、つまり「戦争のない」状態であったといえる。
 ただ多くの日本人が見逃しているか、あえてみないようにしている点であろうと思うが、昭和20年以降、今日に至るまで我が国が「完全に」「平和」だったかというとそうとはいえないと思う。
 昭和25年に北朝鮮の南進によって勃発した朝鮮戦争は、アメリカ軍を中心とする国連軍の反撃で「休戦」となったものの北朝鮮がなくなったわけでもなく、この侵略色丸出しの北朝鮮の国家戦略によって沿岸漁民をはじめとする多くの日本人が拉致され、本人の意思に関係なく北朝鮮に連れていかれ、北朝鮮のための仕事をさせられたことは、独立国家日本の主権が侵害されたことであり、「テロ」などという甘い認識ではなく、明らかな「国家侵略」「戦争」であるということを日本国民全体がよく認識しなければならない。
「なぜ太平洋戦争に負けたのか?劣勢になっても戦い続けたのか?」と同時に、なぜ北朝鮮に日本人がたくさん拉致されるような結果になったのか?未だに戦後70年も経て5人とその家族の帰還しか実現できていないか?ということも国民それぞれのレベルで自問自答されなければいけないことであろう。
 戦争とは、おこしてはいけないものと情緒的、概念的にとらえるものではなく、政治的な戦略目的を達成するための一手段としてのカードにすぎないものであるから、自国民がたくさん亡くなったり、国家存続が危うくなることそのものが、敵国というより自国政府の無能を示しているのかもしれない。


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