2015年8月30日日曜日

安全保障関連法案の本質とその評価 ~不思議な安倍内閣の支持率低下~

安保法制を支持するウォールストリート・ジャーナル
岡崎研究所

20150827日(Thuhttp://wedge.ismedia.jp/articles/-/5274


 2015年717日付ウォールストリート・ジャーナル紙社説は、日本の安保関連法案につき、集団的自衛権の行使は戦後日本が築き挙げてきたことを汚すものではなく、むしろ今まで以上に民主主義とルールに基づく国際秩序の維持に責任を持つことになる、と述べています。
すなわち、安倍総理は716日、集団的自衛への参加を認める法案の国会通過に一歩近づいた。総理は、自国または同盟国が脅かされた際に、日本が同盟国とともに戦う能力を持つようにしようとしている。
 昨年7月、憲法の新解釈を閣議決定し、4月には日米ガイドラインが発表された。716日、法案は衆議院を通過し、論戦の場は参議院に移るが、物事は簡単には進んでいない。国民の多くが法案に反対しており、朝日新聞の世論調査では、総理の支持率は39%にまで落ち込み、不支持が42%となっている。
 なぜ日本の世論はこれほど動じやすいのだろうか。ジェラルド・カーティスは、憲法をめぐる議論が人々の不安をかき立てたからだという。法案が自衛隊に何を認め何を認めないのか、総理が説明するのを拒んだために状況は悪化している。反対派は法案を「戦争法案」と呼んでいる。
 だが、安倍総理が多くを語らないのは外交上ある程度仕方のないことである。米国が軍事予算の制約を受ける中で、軍事的に台頭する中国の行動はより攻撃的になっている。だからこそ、日本はフィリピンや韓国といった米国の同盟国とこれまで以上に緊密に協力する必要があるが、これらを事細かに説明するのは「野暮」である。総理が唯一集団的自衛権行使の例として説明しているのは、ペルシャ湾が封鎖された場合における米軍との共同作戦というシナリオである。
 第二次大戦時の侵略につき、安倍総理はごまかそうとしたことがあり、反対派に、総理を民族主義者と描写させやすくしている。中国はこれを利用している。
 しかし、安全保障における日本の役割を拡大することには、超党派的コンセンサスができてきている。2012年以前の民主党政権も、菅・野田元総理の下、同様の政策を推進してきた。

これを踏まえれば、法案を通した後の安倍総理の支持率は上がってしかるべきである。集団的自衛権の行使によって、戦後日本が地域の平和や安定の推進に果たしてきた模範的歴史が汚されることはない。むしろ、日本が民主主義とルールに基づく国際秩序を守るための責任を今まで以上に背負うことを可能にする、と述べています。
出典:‘Japans Peaceful Self-Defense’(Wall Street Journal, July 17, 2015
http://www.wsj.com/articles/japans-peaceful-self-defense-1437090466
* * *
 この社説は安保法制法案に対する日本の世論の反対に若干驚きを表明するとともに、集団的自衛権を認めるなどの今回の安保法制法案を強く支持し、民主党も同じ方向の政策を野田政権などの時代にとっていたから、法案成立後には安倍総理の支持は回復するだろうと予測しています。大筋で的を射ています。
 今回の安保法制への反対論は、まったく反対論の体をなしていません。「青年を戦場に送るな」などと言っていますが、徴兵制ではなく志願制の自衛隊なのですから行きたくなければ志願しなければよいだけの話です。それに、今は戦場がこちらに来る時代で、尖閣に侵攻されれば日本領土が戦場になります。今回の法制を認めれば徴兵制になるなど、とんでもないことで人々を脅す人もいますが、牽強付会も甚だしいと言わざるを得ません。そして、「戦争法案」などと扇情的なレッテル張りをしています。
 60年安保の時もPKO法案の時も大騒ぎをしましたが、今は多くの人に受け入れられています。今回の法案が通った後、戦争にもならず、徴兵制にもならず、いまの反対論が机上の空論であったことが明らかになることはほぼ確実です。
 一時的な支持率低迷で方針を変える必要はまったくありません。長い目で見て日本国民の賢明さを信頼するのが一番でしょう。それに今は自民党に代わり政権を担える政党はありません。
 なお、今度の法制は集団的自衛権の行使も限定的すぎて不十分であり、旧来の内閣法制局集団的自衛権についての誤った憲法解釈をベースにしており、安保政策の大転換というのには程遠いと思います。
※いわゆる我が国の安全保障政策を縛ってきた「我が国は、集団的自衛権を独立国として保持するが、行使はできない。」という官僚の事なかれ主義の象徴のような憲法解釈ですね。これは今回の安保関連法案で打破されているはずではないんでしょうか?

安保法制は海外軍事行動の白紙手形ではない
岡崎研究所
20150828日(Frihttp://wedge.ismedia.jp/articles/-/5275

 2015年721日付の米ウォール・ストリート・ジャーナル紙で、米シンクタンクAEIのオースリン日本部長が、安保法制を巡る情勢について観察し、安倍総理の安保法制の整備の努力を評価しています。
 すなわち、日本の海外における軍事的役割を拡大する法案成立に至る転換点を越えたところで、安倍総理の支持率は低下している。他方で、総理の東アジアの首脳との関係は突然改善するに至った。これは総理がより行動的な日本が日本そして世界のためになるという確信を微動もさせなかったことによる。
 先週、集団的自衛権の行使を認めるという憲法解釈の変更に肉付けをする法案が衆議院を通過した。法案が最終的に成立すれば自衛隊は一定の条件の下で武力攻撃を受ける第三国を支援することを許されることとなる。北朝鮮のミサイル攻撃を受ける米国艦船は海上自衛隊の迎撃ミサイルによって守られ得ることになる。しかし、日本の海外での武力行使に対する多くの制限はそのまま残ることになり、安保法制は海外での軍事行動に対する白紙手形からは程遠い。
 安保法制は限定的な性格のものであるにかかわらず、安倍総理の支持率は39%に低下し過半数は不支持となった。2万人以上の安保法制反対のデモが東京で発生したが、これは1960年代以降見られなかった規模である。
 国内で苦労を強いられている一方で、安倍総理は中国と韓国にとって好ましい人物に突如変貌した。習近平と朴槿惠は過去2年、安倍総理を締め出そうと努めてきたが、日中首脳会談は9月にも実現しそうであるし、日韓両国は国交回復50周年を機にこの秋の首脳会談を模索しつつある。この変化は総理が進めて来たインド、東南アジア諸国をはじめアジアとの関係強化および訪米の成功によるものである。
 以上の二つの事態の不思議な逆転をつなぐ共通の糸は日本の安保政策を近代化するという安倍総理の固い決意である。安保法制に対する国内の反対にかかわらず、国民の大多数が日本の安全保障に対する脅威に不安を抱いている。北朝鮮、中国がそれである。或る世論調査では国民の僅か7%が中国は信頼出来ると答えている。別の世論調査では85%が日中戦争の可能性を怖れている。

安倍総理は安保法制を成立させるであろう。その時に至れば、国民の殆どは自衛隊がアジアを席捲すべく出動することはないことを知るであろう。そうではなく、日本は米国およびその他の国々により信頼され、従って影響力のあるパートナーとなるであろう。安倍総理は彼の運勢は国内でも海外でも引き続き上向きであると信じている、と述べています。
出 典:Michael AuslinOvercoming Japans Security Skeptics at Home’(Wall Street Journal, July 21, 2015
http://www.wsj.com/articles/overcoming-japans-security-skeptics-at-home-1437497084
* * *
 安倍総理の安保法制の整備の努力を評価する論評です。敢えて難をいえば、安保法制の整備の努力と中韓両国との関係改善への動きとを結び付けて論じていますが、些か牽強付会の趣があるように思えます。
 安保法制について書かれていることは妥当だと思います。特に、末尾の指摘、即ちいずれ安保法制が成立すれば、国民は法案が「戦争法案」でないことを悟るであろうという観測はそうであろうと思いますし、そのように期待したいと思います。
 野党は、国民の理解が進んでいないとしきりにいいますが、理解しようとしない国民は理解しません。理解するためには、平和主義は日本の専売特許という思い込みを脱却すること、平和と平和憲法を奉じて呪文のように唱えれば平和は守られるという幻想から目覚めること、そして安保法制は抑止と国際協力のための道具立てを整備することだとの認識を持つこと、が欠かせません。野党は、国民の理解が進んでいないことを理由に成立阻止に動いていますが、国民のことをいう前に、国民の代表たる政治家が必要なことは決めるのが政治家の責任というものでしょう。
 なお、集団的自衛権の行使については余りに厳格な発動のための要件が課せられているために、画餅に帰さないか心配です。

※そもそも「自衛権の行使」に集団的、個別的の区別はないようにみえます。日本国憲法9条は、よく書けてるかと思いますよ。国家の戦争をする権利を「交戦権」として認めた上で、交戦権が認めない戦争がありますよ、ということが9条でいわんとしていること。パリ不戦条約の精神を受け継ぐ憲法なら「自衛権の行使」「自衛戦争」を認めているはずですし、この条文が戦力を否定してまで認めない戦争とは、「侵略戦争」で間違いないでしょうね。ただ世界的に侵略戦争の定義そのものがはっきりしないということはありますが・・・。

2015年8月27日木曜日

アメリカがとるべき「対中戦略」 ~軍事力かそれとも外交力か?~

【外交的な側面から】


中国に何をやってはならず何をやれるのか
ブレア元米太平洋軍司令官とハンツマン元駐中国大使の提言

岡崎研究所

20150824日(Monhttp://wedge.ismedia.jp/articles/-/5271

画像:iStock

 ブレア元米太平洋軍司令官とハンツマン元駐中国大使が、713日付け Defense News掲載の論説にて、南シナ海に関し、米国は中国以外の係争国に、領土および資源の配分に関する合意をつくらせ、それを法的、政治的、軍事的行動によって支持すべきである、と軍事的自制を求める提言をしています。
 すなわち、米中関係は新しい段階に入った。米中関係は独特の協力と競争の関係にあるが、それは南シナ海において特に顕著である。軍事的な侵攻に至らない行動をとる中国の現戦略は明白だ。南シナ海の非軍事的な実効支配を強め、将来的には正式な法的支配を目指すというものだ。米国のこれまでの対応は、効果を上げていない。
 米国は、二つの目標を達成すべきだ。一つは、グローバルな公共財を守り、米海、空軍及び民間船舶の航行の自由を護ることである。二つ目は、中国の、軍事的、経済的強制や政治的攻勢による支配を防ぐことである。
 米国の南シナ海戦略は、中国の経済的、外交的役割の拡大を歓迎するという、より大きな戦略の一部でなければならない。しかし、中国による強制的手段や侵略を通じる領土拡大および米国の西太平洋における完全な行動の自由に対する拒否能力に対し、明確な限界を設けるものでなければならない。
 この戦略には、以下の要素が含まれるべきである。
 ・中国以外のすべての係争国及び域外国が支持できる外交的合意の達成:中国の参加の有無にかかわらず、係争国(ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイ)は中国の参加を想定して、それぞれの間の領土および資源の配分を決める、中国以外の国々による共通の解決方法をつくり上げる必要がある。
 ・外交的合意は、国連海洋法条約に規定される海洋の自由を保障するものでなければならない。
 ・合意が達成されれば、米国は一連の法的、政治的、軍事的な行動によって支持するべきである。米国は、軍事力を誇示する行動に直ちに出るべきではない。関係国が自らの領土を守り、資源を開発し、航行の自由を強化することは支援できる。アメリカの行動は全面的なものであるべきであり、軍事に限定されるべきではない。
アメリカの政策は、思慮深い軍事力の使用に支えられた賢明な政策や牢固とした戦略ではなく、多くの分野において軍事行動に傾斜しすぎるきらいがある。安定した米中関係という利益に鑑みれば、南シナ海の紛争の平和的解決こそ、正しい方途である、と述べています。
出典:Dennis Blair & Jon Huntsman,A Strategy for South China Sea’(Defense News, July 13, 2015
http://www.defensenews.com/story/defense/commentary/2015/07/13/commentary-strategy-south-china-sea/30084573/
* * *
 米国には、包括的な対中政策、特に対南シナ海政策をつくる必要があり、この論説はその一つですが、軍事安全保障専門家を中心に対中強硬策が強まっている中、軍事的な自制を求めるものとなっています。ブレア・ハンツマン提案は、その点に限界を持っています。つまり、中国に対し何をやってはならず、何をやれるのかについての基線の提示と、それを破った場合の米国の決意の表明に失敗しているのです。ただ、世界のその他の地域における米国の行動も似たようなものなので、それが米国の現状なのでしょう。
 ブレア・ハンツマン提案の新しいところは、中国以外の係争国に領域の確定と資源の開発方法に関する合意を先ずつくらせ、それを域外国が支援し、米国は「法的、政治的、軍事的な行動」によって支持するという点です。これは、中国の既成事実による自己の立場の強化という政策に対する有効な外交的な対応策となり得ます。

 同時に「国連海洋法条約に規定される海洋の自由を保障」と言っていますが、米国がこの条約に参加していないのでは、米国の立場は弱いものになります。台頭する中国を制約するには、「国際法の遵守」が極めて有効な手立てであることを考えれば、米国議会はそろそろ海洋法条約批准の方向に舵を切る必要があります。また、解釈の統一をはじめ、国際法の中身
の確定作業も不可欠となります。


 ※アメリカが国連海洋法条約に締結していないことは意外でしたが、「航行の自由」の原則を主張する以上は、前提条件になる国際規範かと思いますね。ただ条約を批准しない、させないという政治的な事情もあるでしょうから、そこをどうクリアするかがまずは外交的な課題となるかと思います。
 「法律戦」という概念は、軍事的にはアメリカよりも劣勢を自覚している共産中国の戦争概念でしょうが、今アメリカも「戦争概念」を多様化させ、「三戦」の戦略を検討すべき時期かもしれません。

【いわゆる「三戦」について】


「三戦」は人民解放軍の公式な方針
 海洋進出をはじめとする中国の対外的な拡張姿勢を支える、ハードな軍事力に拠らない(=ノンキネティックな)攻撃手段として注目されているのが、「三戦(three warfares)」への取り組みである。
 ヘリテージ財団のD・チェン(Dean Cheng)上級研究員によれば、「三戦」とは次のように説明される。
1)輿論戦(Public Opinion Warfare / Media Warfare
 輿論戦とは、報道機関を含む様々なメディアを用いて、他者の認識と姿勢に長期的な影響を与えることを意図した持続的活動である。輿論戦の目的は友好的な雰囲気を醸成し、国内および国外における大衆の支持を生み出し、敵の戦闘意欲を削ぎ、その情勢評価を変化させることである。
2)法律戦(Legal Warfare
 法律戦とは、敵の行動を不法なものだと主張しながら、自国の行動を合法的なものだと正当化することを目指す法的主張を伴う活動である。自国の立場を法的に正当化することで、敵および中立な第三者の間に敵の行動に対する疑念を作り出し、自国の立場への支持を拡大することがその目的である。
3)心理戦(Psychological Warfare
 心理戦とは、外交的圧力、噂、虚偽の情報の流布などを通じて敵国内で敵の指導層への疑念や反感を作り出し、敵の意思決定能力に影響を与えたり、攪乱したりすることを意図した活動である。その目的は敵から迅速かつ効果的な意思決定能力を奪うことにある。
(出典:『中国の「三戦」に立ち向かう方法「戦わずして勝つ」戦法を封じ込めるための37の提言JBPRESS 2014.10.24(金) 福田 潤一 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42018)



【軍事的側面から】

中国との対立を避け 台湾に屈辱と困難を強
いる米国

岡崎研究所
20150826日(Wedhttp://wedge.ismedia.jp/articles/-/5273

 米下院軍事委員会シーパワー・戦力投射小委員会のフォーブス委員長が、716日付けウォールストリート・ジャーナル紙への寄稿にて、米国は種々の対台湾軍事交流等に係る制約を撤廃し、台湾を合同演習に参加させる等米の安全保障体制の中に含めていくべきである、と主張しています。
 すなわち、中国の「平和台頭」論は不誠実なスローガンとなってしまった。中国は隣国の領有権主張を無視して南シナ海では人工島を造り、大砲や滑走路を設置している。南シナ海でも国防識別圏を設定すると見られている。隣国漁船の威嚇や領海、領空の侵犯は恒常的になっている。
 豪州、日本、越などは、米国の強い対応を求めるとともに、米国との関係強化を図ろうとしている。しかし、米国は、中国との対立を避けるため、台湾に種々の屈辱と困難を強いて来ている。台湾が必要とする武器の供与を定める台湾関係法が成立して36年が経つというのに、米国の指導者達は、つまらない、逆効果を招く台湾政策を取っている。
 大佐以上の米国軍人は台湾を訪問できない。台湾の総統や高官はワシントンを訪問できない。訓練のため米に向かう台湾の軍人は、制服を着て入国することができない。台湾の海軍兵学校生はハワイやグアムを訓練訪問できない。友好国台湾に対するこのような卑劣な規制は、米国の対中関係の実体を露呈している。台湾、チベットや人権など中国が敏感な問題に対して、米国の政策立案者達は一貫して屈従的な宥和姿勢を取ってきた。かかる米国の姿勢は、中国を一層大胆にさせ、同盟国の安全と国際ルールを守るという米国の信頼性も損なって来た。
 米国の台湾政策は、安全保障上の協力関係と民主主義の進展という米国の戦略的利益を反映すべきもので、中国の指導者の怒りを買うのではないかとの恐怖を反映するものであってはならない。米国は、二国間関係の規制を撤廃し、台湾の軍事力を米の安全保障体制の中に含めていくべきだ。
 まず、空軍レッド・フラッグ合同演習などの主要訓練への参加を招請すべきだ。米台は、先進レーダーデータの共有、損傷滑走路の修繕、人道支援などの分野で軍事協力を進めているが、高度な協力には依然慎重である。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5273?page=2
米国の対中関係は複雑かつ多面的である。しかし、過去の経験を見れば、こちら側が弱い立場を見せた時、中国が決して前向きに反応しないことは明白である。台湾につまらない屈辱を強いたり、必要な訓練への参加を認めないことにより、事実上中国に拒否権を与えている。米国は友邦を守りアジア太平洋の国際秩序を堅持することを中国に見せるべきだ、と論じています。
出典:J. Randy Forbes,Taiwan Needs a Strong Ally’(Wall Street Journal, July 16, 2015
http://www.wsj.com/articles/taiwan-needs-a-strong-ally-1437066509
* * *
 この論説から、軍人の交流や総統の訪米などについて、米台関係が種々の規制を受けていることがよく分かります。フォーブスが中国配慮に基づくつまらない屈辱的な規制は撤廃すべきだと主張するのは、下院軍事委海軍力等小委員長としては当然でしょう。フォーブスはこれらの規制は「米国の指導者達」の一貫した政策の結果だとして批判していますが、具体的にどの政権ということは明言していません。米国の台湾政策は、共和、民主党政権を問わず、基本的には72年の米中共同声明とその後の両国のやり取りを通じて、積み重ねられたものだからでしょう。しかし、その中でも1998年のクリントン大統領の3つのノー政策(台湾の独立不支持、二つの中国及び一中一台の不支持、台湾の国連等国際機関への加盟不支持)の発表は、米国内で批判されました。
 フォーブスは、中国に弱さを見せると中国は益々大胆な行動を取ってくると対中警戒論を述べています。少なくとも今までの中国の行動を見れば、正しい指摘です。我が国も、この点を十分認識しておくことが重要です。世界で経済力をつけ、責任も持つようになった中国と協調することは結構ですが、中国に「弱さ」と誤解されないようにしなければなりません。
 他方、中国は、一つの中国の原則に基づき、国内法や政府の発言を通じて、台湾が独立宣言をすれば、武力行使を辞さないと宣言しています(2005年の反国家分裂法により明文化)。中国が、過去3回、台湾海峡で武力行使を含む危機を起こしたことを考えると、あながちブラフと片付ける訳にはいきません。米国は、台湾海峡で紛争が起きることは避けるべきだと考えています。中国に対する過度に強硬な姿勢によって武力紛争が起きるようなことは避けつつ、中国に「弱さ」とみられないよう、ぎりぎりのラインを追及していく他ないでしょう。台湾問題は、「現状維持」以外に現実的な解はありません。米国は、中国については関係発展と行動の牽制、台湾については防衛支持と行動の抑制という2つのゲームを同時にやっているのです。

 なお、台湾問題は基本的に国家間の関係の問題として議論されますが、この問題の議論に当たっては、もっと台湾住民の考えを重視することが必要だと思います。
※アメリカの本音は、自由主義と資本主義という政治理念を共有する台湾を政治的にも軍事的にも全面的にバックアップしたいというのが本音かもしれません。しかし実際には、経済的な意味で台湾への軍事的支援をできないでいる、ということは、結局はアメリカと台湾を接近させたくない、台湾を孤立化した状態においておきたい、という共産中国の戦略の優位性を担保してしまっている、ということでしょう。
 同時にアメリカにとって海上交通の大動脈である南シナ海、東シナ海が、共産中国の軍事力の脅威にさらされる、ということであろうと理解しています。
 やはり大陸からの脅威のレベルが高まっている以上、軍事面からだけでは抑止に限界があるように感じざるをえません。国際的な条約や法的な拘束力といった「法規戦」は、対中戦略として有効な一手となるでしょう。

日本の防衛予算 ~GDP比1%枠への挑戦~ 求められる効率的な予算運用

国防予算を語らずに安保の議論ができるのか
米軍戦略家たちも憂慮、中国の国防予算は日本の数倍以上
多国籍合同訓練「ドーンブリッツ2015」においてサンディエゴ港に入港するイージス駆逐艦「あしがら」。合同訓練への参加には、もちろん多大な費用がかかる

来年(平成28年)度の防衛費概算要求額が5911億円と過去最大の要求額となった。本年度当初予算に比べて2.2%増加しており、4年連続で国防予算は増加することになる。
 概算要求の詳細な内容が伝わる以前の段階ではあるが、米軍関係者の間では日本の国防予算の額ならびに増加率に関してちょっとした議論がかわされている。
 日本周辺の軍事情勢に関心を持っている人々の間で、日本がMV-22ティルトローター輸送機、F-35A戦闘機、AAV7水陸両用強襲車、E-2D早期警戒機、グローバルホーク無人偵察機などのアメリカ製高額兵器を多数調達することになっているのは周知の事実である。このような高額兵器の“買い物リスト”を承知しているため、日本の国防費が増大していくのは当然と思われており、アメリカをはじめ世界的に国防費が圧縮傾向にある中で日本の国防費が“順調”に増加していることに疑問を感じている人々は見当たらない。
 関心が持たれているのは、「いくら国防費が増加しているといっても、日本の軍事予算はわずか410億ドルにしか過ぎないではないか」という国防予算の規模に関する点である。
中国に比べて日本の国防予算規模は小さすぎる

 概算要求額は確かに5911億円史上最高額ではあるものの、ドル高円安の影響で410億ドルと、数年前のドル安円高の時代に比べるとドル換算では目減りしている。例えばストックホルム国際平和研究所の2015年度各国国防費データでは、現在ほどドル高が進んでいなかったため、日本の国防費はおよそ450億ドルとなっている。
このように通貨レートの変動があるため、そう単純に国防費の増減を論ずるわけにはいかないが、同じくドル換算した各国の国防予算の比較程度の大雑把な分析には用いることができる。
 例えば米海軍関係の極東政策アナリストは次のように指摘している。
「日本の国防予算が410億ドルであるとはいえ、日本にとって最大の軍事的脅威国である中国の国防予算は1450億ドルに達している。まして、1450億ドルという数字は中国共産党政府の公式発表であり、実質的な国防費は少なくともその倍に達していると考えるのが我々の常識である。したがって、中国の国防予算は日本の少なくとも67倍の規模に達しているのだ。このような状況で、日本の国防予算が増加しているなどと言っていて良いのか」
 これに対して国防費を総額で比較するのは単純すぎるとの声もある。「為替変動ファクターを別にしても、それぞれの国ごとに兵器や装備の調達方法も違うし、軍需産業の生産コストも様々だ。それに、国防予算の最大の割合を占める人件費の基準そのものに、国によってかなり大きな差がある」
 しかし、日本や中国の状況に通じている人々からは、「だからこそ、日中国防費の大きな差は、ますます問題なのだ」という反論がなされている。あくまでも国防予算総額に関する直感的な比較にすぎないのだが、以下のように日本の国防費が小規模すぎることを指摘する。
「確かに、現役軍人数およそ300万名規模の人民解放軍と25万名規模の自衛隊とを比較すれば、いくら自衛隊の給与が我々アメリカ軍より高額であるといっても、人民解放軍の人件費が自衛隊のそれをはるかに上回っていることは間違いない。しかし、人件費関係項目を国防予算から差し引いたとしても、日中国防費のアンバランスさは凄まじい」
「人件費を別にすると、日本も中国も新鋭兵器調達に血道を上げているようで、それらの占める割合が両国共にかなり増加しているであろう。問題は、日常の教育訓練や、大規模演習、他国軍隊との合同訓練、それにプレゼンスを示すための海外展開などの平時の作戦関係費の増加率だ。このような観点から考えると、日本の国防費は圧倒的に小規模ということになるのではないか?」
任務・訓練が増えるのになぜ予算は増えないのか

 こうした状況の中で、筆者周辺の米軍戦略家たちの間では、「日本の国防予算の規模はいつになったら拡大するのか?」という話題が取り沙汰され続けている。
とりわけ現在は、安倍政権が「日米同盟を強化し抑止力を高める」ための安保法案を成立させようと努力している状況を目の当たりにしているため、同盟国日本の国防予算が「日米同盟を強化し抑止力を高める」だけの規模に増加するかどうかを注視しているわけである。
 しかしながら、安倍首相自ら国会で、「国防費は、すでに一昨年末に決定された中期防衛力整備計画において5カ年分の総枠は決定しており、新しい法制によって新たに増額されるようなことはない」といった内容を明言している。安保法制が成立したとしても、なんら国防費には影響を与えないというのが日本政府の見解のようである。
 そんな日本政府の見解に対して、米軍関係者たちの間で次のような疑問が持ち上がっている。「日本政府は新たに集団的自衛権の行使を容認し、アメリカ軍や多国籍軍の戦闘部隊に対する兵站補給任務も解禁することになる。それに伴って自衛隊に様々な任務が付加されることになるのに、なぜ新たな予算が付与されないのか?」
 もちろん、安保法制が可決されたからといって、直ちに集団的自衛権を行使するわけではないし、兵站部隊が海外に派遣されるわけではない。また、安倍首相も語っているように、少なくとも現時点では、それらの新任務に向けて特別な兵器や装備の調達が必要になるわけではない。
 しかし、新たな任務により将来的に出動することとなる自衛隊は、当然のことながらそれらに対応した教育訓練を開始しなければならない。そして、集団的自衛権にせよ兵站補給任務にせよ、アメリカ軍や多国籍軍との共同作戦が想定されるため、アメリカ軍やその他の国々の軍隊との共同訓練や大規模合同演習などに現在以上に参加しなければならなくなる。
 このような新たに必要となる費用を考えると、「新兵器を購入する必要がないから、安保法制は国防費とは関係ない」という政府の見解に米軍関係者たちが素朴な疑問を抱くのも無理はない。なんといっても、実戦に明け暮れているアメリカ軍にとって、教育訓練費、合同演習のための遠征費、それにあらゆる軍事行動の趨勢を決める兵站関連の整備費がいかに巨額に上るのかは、骨身にしみている問題なのだ。
日米同盟強化にはカネがかかる
 訓練や遠征などに巨額の費用がかかるのは、もちろん自衛隊でも事情は同じであろう。
昨今、日米同盟の強化が唱えられているのに呼応して、日米合同訓練が質・量ともに強化されている。例えば、現在カリフォルニアのサンディエゴ周辺で実施されている水陸両用戦の多国籍合同訓練「ドーンブリッツ2015」にも、前回(2013年)から海上自衛隊と陸上自衛隊が参加している。この訓練は水陸両用戦の訓練であるため、海上自衛隊艦艇に陸上自衛隊員(参加者全員ではない)が積載されてホノルル経由でサンディエゴに到達し、合同訓練に参加した後、再びホノルル経由で日本に帰還するのである。
 このような訓練を積み重ねることにより、確かに日米同盟は強化されるし、抑止力も高まるであろう。現在ドーンブリッツに派遣されている海上自衛隊艦艇はヘリコプター空母1隻、輸送艦1隻、それにイージス駆逐艦1隻の合わせて3隻であり。このうちヘリコプター空母とイージス駆逐艦は海上自衛隊にとっては主力の水上戦闘艦であるし、おおすみ型輸送艦も3隻しか保有していないうちの1隻を送り出しているのである。
サンディエゴに入港するヘリコプター空母「ひゅうが」

歓迎を受ける「ひゅうが」

サンディエゴに入港する輸送艦「くにさき」
要するに、少ない防衛資源をやりくりしてカリフォルニアに艦隊を派遣し日米合同訓練に従事している間は、日本の防衛にそれだけ穴が空いていることになっているのである。また、3カ月にわたって大型艦をアメリカに派遣するために、海上自衛隊に特別の燃料費が上乗せされているわけでもない。
 海上自衛隊が十二分に艦艇を保有しており、燃料もあり余るほど支給されている状況ならば、虎の子の軍艦3隻をアメリカに派遣しても、さして日本防衛には影響しないかもしれない。しかし、そのようにするには、現在の国防予算では全く話にならないのだ。
 ドーンブリッツはほんの一例であるが、このような日米の合同訓練や、軍艦だけでなく航空機や隊員の相互訪問などが日米同盟を強化していくのであり、安保法制が可決されると自動的に日米同盟が強化され抑止力が高まるのではない。
 国防費を増加させることなく日米同盟を強化させ抑止力を高めよう、というのは単なる幻想である。

※財務省が防衛予算を低くおさえたい意向があり、それが防衛予算の少ない理由といわれます。節約できるところとお金をかけるべきところを十分検討されて、無駄のない予算執行をお願いします。
 防衛予算は、国民の「血税」ですから。

【自衛隊の合同軍事演習】

ドーン・ブリッツ2013の公式動画~防衛省~

配信日:2013/10/20 12:10
http://flyteam.jp/news/article/27880
防衛省・自衛隊は、2013610日から23日までアメリカ・カリフォルニアで実施された統合訓練「ドーン・ブリッツ13」の動画を2013109日にYouTubeにアップしました。

これまでアメリカ軍発表のものしかありませんでしたが、自衛隊側から撮影した動画をたっぷり見ることができます。護衛艦「ひゅうが」から離艦するCH-47JAAH-64DSH-60K、「ひゅうが」に着艦したMV-22Bオスプレイ、LCACの揚陸風景、AH-64Dの射撃など見どころ盛りだくさんです。


実録!日米合同軍事演習 2013「アイアンフィスト 2013」緊張感の高さに度肝を抜かれる
2013/11/12 に公開

米豪合同軍事演習に自衛隊が初参加、「離島奪還作戦」の様子公開=「なぜ韓国は入っていない?中国の属国だからか…」―韓国ネット
Record China2015712()1931分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150712-00000030-rcdc-cn

 2015712日、韓国・聯合ニュースは、米国とオーストラリアが実施する大規模な軍事演習に自衛隊が初めて参加したと報じた。
  日本政府は11日、敵部隊が島を占拠した状況で自衛隊と米軍が海上から船に乗って海岸に接近し、島を奪還することを想定した訓練の様子を公開した。訓練は、オーストラリア北部の準州であるノーザン・テリトリー内のフォッグベイエリアで実施された。陸上自衛隊は偵察用ボートを利用して上陸後、小銃を持って警戒態勢を維持した。

今月5日から21日まで予定されている「タリスマン・セイバー」は、オーストラリアと米国が2年に一度実施し、両国から約3万人以上が参加する大規模な合同訓練だ。自衛隊は、この訓練に隊員約40人を初めて派遣した。陸上自衛隊は当初、米軍と訓練するだけで豪軍とは訓練しないため、日米豪の3カ国連合訓練は行われないと説明していた。

この報道に、韓国のネットユーザーから多くの意見が寄せられている。以下はその一部。

「実質的に中国の人工島奪還だな」

「自衛隊の膨張の目的は、火を見るよりも明らかだ。米国は日本を育てて、監視とけん制を行う気だ」

3国同盟に韓国は入ってないんだな。中国の属国だからか…」

「そんなに戦争がしたければ、すればよい」
「これは、もう戦争の準備だ」

「訓練というのは、いつも仮想敵国を設定するものだ。中国なのか?ロシアなのか?」

「奪還する島は、独島(日本名:竹島)じゃないだろうな」

「韓国は、すべてに不満があるというのが事実だ。米国と中国に依存している存在でしかない。そんな米国の軍事訓練にも呼ばれないし、自分の無能さを直視せず、過去の歴史問題に没頭している」

「米国・日本・オーストラリア・ベトナム・フィリピンvs中国だな」

「米国の希望はここに韓国が入って、中国けん制の体制を作ることだろうが、安倍内閣の下では、夢のような話だろう」(翻訳・編集/三田)



【自衛隊の戦力】

米軍は「隊員の質、能力ともに極めて高い」と評価

2015829 110 http://news.livedoor.com/article/detail/10526193/



幸か不幸か、安倍首相のおかげで安全保障関連法案そのものへの関心が高まった。この時流に先駆けて、東京新聞論説兼編集委員で’92年より防衛庁取材を担当している半田滋さんが自衛隊の仕事内容や軍事力の実態を紹介する

駐屯地や基地では何をしているの?

陸自は本来、戦争になれば、戦場へ出て行く野戦部隊なので、駐屯地は「仮住まい」という位置づけ。ひと昔前は「仮住まいなのだから必要ないだろう」と大蔵省(現財務省)に反対され、コピー機を置く予算さえつかなかった。駐屯地では、午前6時の起床から午後5時の課業終了まで訓練、体育、事務をこなす。消灯は午後10時。

陸自の訓練はどのようなもの?

年に12回、東富士演習場など全国にある大規模な演習場に泊まり込み、上陸した敵と戦うための本格的な演習をする。駐屯地の訓練は街に進入した敵を撃退するための都市型訓練や射撃訓練など。
公表はされていないが、予算の関係から実弾射撃できる回数は極めて少ない。そのせいか2012年、オーストラリアであった15か国の軍隊が参加した射撃大会で陸自はビリから2番目だった。
2004年、陸自は米軍が戦闘を続けるイラクへ派遣された。戦闘には参加せず、道路や建物の補修などをしたが、この派遣がきっかけとなり、戦地派遣を想定した訓練も開始された。

海自、空自の訓練は?

海自の場合、侵略した外国の軍艦や潜水艦と戦う想定で護衛艦と呼ばれる海自の軍艦や哨戒機を使った訓練を日本近海で実施。米国まで行ってミサイルの実射訓練をすることも。潜水艦との戦いや海の爆弾である機雷を除去する能力は極めて高い。
空自は戦闘機同士が戦う空中戦の訓練や、日本に侵攻した航空機を地上からミサイルで撃ち落とすための訓練をしている。近年、レーダーに映りにくいステルス戦闘機に乗っていれば安心との神話が生まれ、空自はステルス戦闘機のF35を米国から購入している。F35は一機170億円もする世界一高い戦闘機だ。

ところで自衛隊は強いの?

海自の護衛艦は47隻で米海軍に続き実質的に世界第2位。オーストラリアがうらやましがっている高性能な潜水艦を含め、潜水艦は17隻を保有。哨戒機は70機ある。空自は戦闘機260機のほか、地対空ミサイル部隊があり、両自の防衛力はたいしたもの。陸自はソ連崩壊後、中国を意識した南西防衛に切り換え、移動しやすい部隊に変身する途上にある。
冷戦後、各国とも国防費を削減するなか、日本の防衛費の削減幅は小さく、安倍政権になってから3年連続で上昇。他国の本格侵攻に備えるという重厚長大な訓練を今でもやっているのは自衛隊を含め数少ない。米軍は自衛隊について「隊員の質、能力ともに極めて高い」と評価しているらしい。

殉職するとどうなるの? 家族補償は?

訓練中の事故などで亡くなった自衛官は自衛隊創設以来、1874人。
公務時の死亡と認定されれば遺族補償年金や同一時金が支払われる。金額は給与によって違う。海外派遣で死亡した場合、賞恤金と特別報奨金を合わせた1億円が遺族に支払われる。ちなみに戦争がなかったので戦死者はゼロ。仮に安全保障関連法案が成立した場合、戦死者が出ることも予想されるけど……

監修:半田滋(はんだ・しげる) 東京新聞論説兼編集委員。’92年より防衛庁取材を担当している。2007年、東京新聞・中日新聞連載の「新防人考」で第13回平和・協同ジャーナリスト基金賞(大賞)を受賞。
※どの国においても「国防軍」は国民にとって「エリート」であり、国の名誉であり、国民全体から尊敬の念をもってみられています。
 僕らの国にも「自衛隊」という「国防軍」があり、世界的に災害支援活動、復興支援活動、国連の紛争監視活動に活躍しています。もっと自分たちの国の「国防軍」に誇りをもっていいのではないでしょうか?
 その自衛隊がさらに仕事がしやすくなるための安倍内閣の安全保障関連法案です。日本がいわれのない侵略戦争にまきこまれないための法律です。


2015年8月23日日曜日

「戦争」とは?「平和」とは?

平和を願うだけでは平和は維持できないという真実
いつまで経っても具体的に反省されない“先の大戦”
2015.8.20(木)http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44563
都内で行われた全国戦没者追悼式で、祭壇に向かって一礼する安倍晋三首相(2015815日撮影、資料写真)。(c)AFP/Toru YAMANAKAAFPBB News

 毎年この時期になると、
「戦争は一般市民にも大きな犠牲をもたらしてしまう」
「戦争によって彼我ともに悲惨な状況に追い込まれる」
「戦争は多くの人々に深い心の傷を残してしまう」
といった“先の大戦”に対する観念的な反省や教訓が語られる。とりわけ今年は戦後70年ということで、この種の反省や教訓があふれていた。
 このような“先の大戦”に対する深い反省と悔悟の念を土台として、「二度と戦争の惨禍を繰り返すことなく現在享受している平和を維持していくことを誓う」といったような反省と決意が、総理大臣から一般国民まで幅広い人々によって繰り返し繰り返し述べられるわけである。
 そして、
「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない・・・」
「戦争の惨禍を決して繰り返さない・・・」
「今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い・・・」
といった“先の大戦”への反省とともに、過去70年にわたって享受してきた平和の大切さが強調されるのだ。

安倍首相の70年談話でも、「我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります」と述べられている。要するに「平和を維持するためには戦争はしない」という、やはり観念的な平和維持策が語られている。
観念的ではなく具体的反省が必要

 だが、国際社会における「平和」という状態の定義が「戦争をしていない状況」であることに鑑みると、「平和を維持するために戦争はしない」というのは無策そのものと言えよう。
 このように“先の戦争”から平和維持のための具体的方策が引き出せていないのは、戦争に対する反省が「戦争は悲惨だ」「戦争は恐ろしい」「戦争は・・・」といった観念的レベルに留まってしまっているからである。
 平和を維持するための具体的な方策を生み出すには、
「いかなる戦略によって戦争に踏み切ったのか?」
「なぜ劣勢になっても戦い続けたのか?」
「なぜ負けてしまったのか?」
といった類の具体的な反省が必要である。そして、具体的反省から得られる教訓をもとにして、平和を維持する具体的方策を打ち立てるのだ。
 反省の対象が戦争であるため、このような具体的反省から学び取れる教訓は軍事に関するものが中心となる。したがって「もはや戦争をしない日本にとっては軍事的な教訓などは無関係である」と切り捨てられてしまいかねない。
 しかし、戦争から軍事的な教訓を得ることは、平和を維持する方策を考えるために必要なのである。なぜならば「平和とは戦争のない状態」なのであり、平和は戦争すなわち軍事とは決して切り離すことができないからだ。
日露戦争の教訓を生かさずアメリカとの戦争に突入

 もっとも、日本自身が関与した戦争に対して具体的反省をせずに教訓を生かし切れなかったのは、70年前に敗北を喫してしまった“先の大戦”だけではない。日露戦争に際してもそうであったし、第1次世界大戦でも同様であった。

両戦役では日本は勝利者であったため「なぜ負けたのか?」という反省はできなかった。しかし、勝った戦争に対しても真剣な反省は必要であるし、いくらでも将来に生かすべき教訓は引き出せる。
 日露戦争では勝つには勝ったとはいえ、陸に海に苦戦の連続であった。例えば、対馬沖海戦(日本海海戦)で決定的勝利を手にした日本海軍といえども、苦境に立たされた時期もあった。すなわち、充分な軍艦数を準備することができなかった海軍は、満州でロシア軍と戦闘を交える陸軍の海上補給線(朝鮮半島と九州)を確保するために総力を挙げざるを得なかった。そのため、ロシア極東艦隊の遊撃隊であったウラジオストック巡洋艦隊に日本沿岸航路を襲撃され、日本国内の通商は寸断された。その結果、日本国内はパニックに陥った。
ロシアのウラジオストック巡洋艦隊
 日露戦争終結後、日露戦争の詳細な分析をもとに海軍戦略家の佐藤鉄太郎大佐(当時、のち大正5年に海軍中将、大正11年待命)は次のように力説した。
「島嶼国家日本の国防は海軍が主力とならなければならない。海軍力が充分でなかったがために、わずか3隻のロシア巡洋艦に東京湾の入り口まで脅かされてしまった。そして、もし日本海軍がロシア海軍に破れていたならば、満州に展開していた50万の日本陸軍は全滅してしまった。いくら陸軍が精強でも、海軍が敗北してしまっては、日本は守れない」
 しかし、日露戦争の勝利に軍も政府もそして国民も歓びに湧いているのに、それに水を差すような“反省”に耳を傾けるものはいなかった。というよりは、「海軍こそが日本防衛の主力」という佐藤鉄太郎が指摘する教訓に対して、陸軍陣営は怒り、佐藤を憎んだ。
 結局、海軍を主力とする国防戦略はその後の日本に定着するには至らず、海軍と陸軍は常に牽制し合い勢力均衡状態を保った。日露戦争終結から36年後、佐藤鉄太郎が指摘した教訓は生かされず、海軍は充分な戦力を保持しないままアメリカとの戦争に突入した。その結果、日本海軍は壊滅して日本は占領されてしまった。

KAIGUN」(Evans Peattie著)という書物をはじめとしてアメリカ海軍内部での将校教育では「もし日本が佐藤鉄太郎たちが主張した海軍優先主義に基づいて国防態勢を固めていたならば、日米戦争は勃発しなかったかもしれない」と評価している。
地中海護衛艦隊から引き出すべきだった教訓

 第1次世界大戦では、日本海軍は地中海に特務艦隊を派遣、猛威を振るっていたドイツ潜水艦群からイギリスをはじめとする連合軍側の商船の護衛にあたった。
 日本艦隊は少なからぬ戦死者を出したものの、多数の商船をドイツ潜水艦から守り、連合国側の勝利に貢献した。また、ドイツ潜水艦によって沈められたイギリス客船から乗客船員を救助し、現在に至るまで日本海軍特務艦隊の勇戦は讃えられている。
地中海に派遣された特務艦隊の旗艦巡洋艦明石
 1次世界大戦後、地中海で活躍した護衛艦隊の経験から、「潜水艦による商船攻撃(通商破壊戦)は戦争の趨勢を決める」、そして「海上補給線の確保は日本の国防にとって最優先事項である」といった教訓がもたらされるべきであった。
 しかしながら、そのようなことはなく、第2次世界大戦では日本海軍は多数の優秀な潜水艦を造り出したにもかかわらず通商破壊戦は実施しなかった。また、海上補給線の防衛にも力を入れなかった。
 逆に、第1次世界大戦の教訓を学んだアメリカ海軍は日本に対する徹底的な通商破壊戦を実施し、日本の海上補給線を完膚なきまでに寸断してしまった。

汝平和を欲さば、戦への備えをせよ

 日露戦争や第1次世界大戦と違って“先の大戦”では敗北したため、今度こそは真剣に反省し教訓を引き出すことになったのか? というと、さらに悪い結果となっている。なぜならば、冒頭で指摘したように、“先の大戦”に対する反省は観念的レベルで停止してしまったのだ。
 そして、具体的な反省をしなかったがゆえに「平和を維持するためには戦争をしない」という、実は中味が空っぽの平和維持策を金科玉条にしてしまい、いまだに甚大な犠牲を払った戦争から引き出すべき軍事的教訓を直視するのを避ける状況が続いている。
 戦争から教訓を引き出すこと、とりわけ敗北した戦争を具体的に反省し教訓を得ることは、辛い作業である。場合によっては特定の人や組織の責任を明らかにしなければいけないこともある。
 しかし、多くの犠牲と被害をもたらした戦争から軍事的教訓を得なければ、平和を維持するための具体策など生まれようもないのである。平和というのは「戦争がない状態」である以上、軍事的思考と無関係に平和を維持することはできないのだ。
 古来より西洋には「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」(Si vis pacem, para bellum)というラテン語の格言がある。原義はともかく、平和を維持するためには適正な国防戦略と必要十分なる軍事力を整備しておかねばならない、という意味で用いられている。そのために最も欠かせないのが、戦争に対する具体的な反省から引き出される教訓であることを、我々は再認識しなければならない。

※『孫子』計篇に次のようなことが書かれています。
「孫子いわく、兵とは国家の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり、」
(孫先生がいうには、戦争は国家の重大事である。国民の死活の決まるところ、国家存亡のわかれ道であるから、よくよく熟慮してかからねばならない。)

第二次世界大戦において、文字通り「国家存亡の淵」にたたされて、歴史上はじめて外国の占領下におかれるという経験をしてきたわが日本だからこそ、説得力のある教訓として聞くことができる。
 北村淳氏のご指摘の通り、「平和」とは「戦争をしない」状態であることをわれわれ日本人はもう一度肝に命じなければならないであろう。
 すなわち戦争をしてでも国家の利益を守るために各国が備えている「軍事力」の均衡、バランスの調和がとれているからこそ「平和」秩序が現出されるのである。
 第二次世界大戦後の我が国であれば、アメリカに徹底的に軍事力を破壊されつくした状態でも北東アジアまで進んできたアメリカの軍事力と北から侵略してきたソビエト連邦の軍事力のバランスがとれていたからこそ、戦後の「平和秩序」が保たれていた、つまり「戦争のない」状態であったといえる。
 ただ多くの日本人が見逃しているか、あえてみないようにしている点であろうと思うが、昭和20年以降、今日に至るまで我が国が「完全に」「平和」だったかというとそうとはいえないと思う。
 昭和25年に北朝鮮の南進によって勃発した朝鮮戦争は、アメリカ軍を中心とする国連軍の反撃で「休戦」となったものの北朝鮮がなくなったわけでもなく、この侵略色丸出しの北朝鮮の国家戦略によって沿岸漁民をはじめとする多くの日本人が拉致され、本人の意思に関係なく北朝鮮に連れていかれ、北朝鮮のための仕事をさせられたことは、独立国家日本の主権が侵害されたことであり、「テロ」などという甘い認識ではなく、明らかな「国家侵略」「戦争」であるということを日本国民全体がよく認識しなければならない。
「なぜ太平洋戦争に負けたのか?劣勢になっても戦い続けたのか?」と同時に、なぜ北朝鮮に日本人がたくさん拉致されるような結果になったのか?未だに戦後70年も経て5人とその家族の帰還しか実現できていないか?ということも国民それぞれのレベルで自問自答されなければいけないことであろう。
 戦争とは、おこしてはいけないものと情緒的、概念的にとらえるものではなく、政治的な戦略目的を達成するための一手段としてのカードにすぎないものであるから、自国民がたくさん亡くなったり、国家存続が危うくなることそのものが、敵国というより自国政府の無能を示しているのかもしれない。