2015年6月10日水曜日

沖縄駐留のアメリカ海兵隊基地の名称の由来について

 昭和20年4月の沖縄県民にとっては悪夢のような壮絶な沖縄地上戦により、局地的に日本軍守備隊が拠点を奪還し攻勢にでることもありましたが、結局日本軍守備隊はアメリカ軍に「無条件降伏」し、沖縄地上戦は終焉します。
 それ以降、昭和47年(1972年)に沖縄の住民たちの「日本本土復帰運動」という非暴力の戦いにより、日米両政府により「施政権」の日本政府への返還という形で、日本本土復帰が実現します。
 国際戦争において敵国に奪われた領土主権が返還されることはまずありえません。
そういう意味では、この沖縄県の日本への「施政権」返還は歴史的快挙、沖縄県民にとっては、弾を撃たない戦争において大国アメリカに勝利した記念すべき出来事といえますが、同時に第二次大戦後、沖縄に極東防衛、アメリカの世界戦略の名の下に設置された多くの軍事基地は、沖縄に残されることとなりました。
 これは何を意味するのか?

つまり沖縄県民が勝ち取った沖縄返還については、あくまで「施政権」の返還であり、「軍事的権益」はアメリカ政府は日本政府に返していないからです。
 軍事的には、沖縄はアメリカ合衆国の西に存在する「国防線」の拠点であり、東アジア、東南アジア、西アジア、オセアニア、アフリカまでプレゼンスを発揮する「前方展開拠点」なのです。
 日本列島自体がそういう性格もあるわけですが、こうしたことはアメリカが日米戦争で我が国から獲得した国際的な「権利」で我が国もサンフランシスコ講和条約で受け入れたわけですから、沖縄におけるアメリカ軍関係の基地権益を我が国政府は保障してあげる義務があるわけです。
 アメリカ海兵隊が沖縄の基地にアメリカ人の人名をつけていることは、そこがアメリカ合衆国の主権域だからであって、正確にいえば沖縄は、日本とアメリカによる二重統治の構造になっているともいえるでしょう。


在沖海兵隊基地の名称について

https://www.facebook.com/notes/yasuhiro-miyagi/%E5%9C%A8%E6%B2%96%E6%B5%B7%E5%85%B5%E9%9A%8A%E5%9F%BA%E5%9C%B0%E3%81%AE%E5%90%8D%E7%A7%B0%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/844843225542431より

 在沖海兵隊基地の名称はすべて、海兵隊員の名に基づいて付けられている。バトラーだけは沖縄戦での活躍ではなく海兵隊が誇る歴史的人物だが、あとはすべて沖縄戦で活躍した海兵隊員である。
普天間飛行場と伊江島補助飛行場は、陸軍から(普天間は陸軍から空軍へ移管されその後)海兵隊に移管された施設だから海兵隊員の名は冠されていない。
下記本文はすべて在日米海兵隊の公式ホームページからのコピペ。

在沖米海兵隊バトラー基地

1898年から1931年までアメリカ海兵隊に仕えた、スメドリー・バトラー少将にちなんで命名されました。
バトラー少将は唯一、名誉勲章を二度受章した二名のアメリカ海兵隊員のうちの一人です。
バトラー基地は、沖縄県北中城村(きたなかぐすくそん)石平に所在する米海兵隊施設キャンプ・フォスター司令部ビルに位置し、その任務は、沖縄県内にある全ての海兵隊施設や駐留する海兵部隊の訓練場、職場施設の断続的かつ合理的なサービスを提供することで、海兵隊が効果的に訓練を実施し、日米安全保障の任務を遂行できるように必要な支援を行っています。
バトラー基地に属する沖縄県内の主な米海兵隊施設は次の7つの基地です。

  キャンプ・ゴンザルベス
  キャンプ・シュワブ
  キャンプ・ハンセン
  キャンプ・コートニー
  キャンプ・フォスター
  キャンプ・レスター
  キャンプ・キンザー

キャンプ・ゴンザルベス

キャンプ・ゴンザルベスは、第二次世界大戦中の沖縄戦で戦死して名誉勲章を受章したハロルド・ゴンザルベス一等兵に敬意を表して命名されました(別名:北部訓練所とも呼ばれています)。
沖縄本島最北端の国頭村と東村にまたがる米海兵隊施設で、国道70号線上に位置し、森林地帯で形成される、海兵隊唯一のジャングル訓練場です。
キャンプ・ゴンザルベスは沖縄で最も小さな自己充足施設で、50名ほどの米海兵隊員および米海軍兵が常駐しています。



キャンプ・シュワブ

キャンプ・シュワブの名前の由来は、第二次世界大戦中の沖縄戦で自らの命を危険にさらし、勇敢かつ剛勇に活躍し、194757日に名誉勲章を受章したアルバート・シュワブ一等兵にちなんで名付けられました。
同施設は沖縄本島北部の久志岳下方傾斜に位置し、アメリカ海兵隊で最も歴史の古い第四海兵連隊の本拠地でもあります。

キャンプ・ハンセン

キャンプ・ハンセンは田園地帯に建設され、第二次世界大戦中の沖縄戦で戦死し名誉勲章を受章したデール・ハンセン二等兵にちなんで名付けられました。
同施設は金武町に所在し、中部訓練場 (CTA) が隣接しており、米国内の海兵隊基地からきた部隊配備プログラム (UDP) を受け入れています。
同施設は19456月、当時の金武村に金武飛行場として建設され、1956年に最盛期を迎えましたが、現在その飛行場は存在していません。
同施設は1957年にキャンプ・ハンセンとして使用が開始され、ベトナム戦当時、米国とベトナムの中間通過地点として使用されました。
2008
年からは陸上自衛隊も同施設内での訓練を開始しました。

キャンプ・コートニーとキャンプ・マクトリアス

在沖米海兵隊施設キャンプ・コートニーは、第二次世界大戦中の沖縄戦で戦死して名誉勲章を受章した、ヘンリー・コートニー少佐にちなんで命名されました。
キャンプ・コートニーは、沖縄本島東岸のうるま市具志川内を走る国道75号線沿いの東側に位置しています。
在沖米海兵隊施設キャンプ・マクトリアスは、第二次世界大戦中の沖縄戦で戦死して名誉勲章を受章した、ロバート・マクトリアス二等兵にちなんで命名されました。
キャンプ・マクトリアスは住宅地としてキャンプ・コートニーに隣接しており、沖縄本島東岸のうるま市安慶名区に所在し、県内の中・北部の基地で働く軍人やその家族の住宅地として使用されています。

キャンプ ・フォスター

在沖米海兵隊施設キャンプ・ フォスターは、沖縄戦で勇敢に戦い、名誉勲章を受章したウイリアム・フォスター 一等兵の名前に由来し、沖縄本島中部に位置し、沖縄市、宜野湾市、北谷(ちゃたん)町、北中城(きたなかぐすく)村にまたがっています。いまだにキャンプ瑞慶覧(ずくらん)と呼ばれますが、実際には1975年にアメリカ陸軍からアメリカ海兵隊に移管した際に、キャンプ名も変わりました。
基地前方に広がる海岸地域は、沖縄戦当時、米軍の上陸地として形成され、ここから米陸軍二十四部隊が上陸し、島を二分して南に方向転換して那覇へ向かい、そして日本軍の主な防衛戦闘部隊がいる嘉数と首里を目指しました。

キャンプ ・レスター

キャンプ・レスターは、沖縄戦で活躍して名誉勲章を受章した病院の実習生、フレッド・レスター一等兵曹にちなんで名付けられました。
同施設は、キャンプ・フォスターのちょうど北に位置し、1977年にアメリカ陸軍からアメリカ海兵隊に移管されました 。
基地前方に広がる海岸地域は、沖縄戦当時、米軍の上陸地として形成され、ここから米陸軍24部隊が上陸し、島を二分して南に方向転換して那覇へ向かい、そして日本軍の主な防衛戦闘部隊がいる嘉数と首里を目指しました。

キャンプ・キンザー

キャンプ・キンザーは第二次世界大戦中の沖縄戦で戦死し、名誉勲章を受章したエルバート・キンザー先任伍長にちなんで命名されました。
同施設は沖縄の南西にある西海岸線に位置し、かつては牧港補給地域として知られていました。
同施設は一部地域を浦添市に囲まれ、浦添市は那覇市と宜野湾市の境界に位置しています。 同施設内はサッカー場が約67施設収容できる広さの屋根付き収納庫集合工業施設で、那覇港に近接していることから前進後方支援基地として理想的な場所に設置されています。

伊江島補助飛行場

伊江島は19454月上旬の沖縄戦で、米陸軍第77歩兵師団により占領されて米陸軍航空隊飛行場の本拠地となりました。
戦後は、米空軍が西側を空対地砲撃に使用して爆撃射程訓練を行いました。
最も訓練が頻繁に行われたのは、ベトナム戦争時で、 1989年に同施設は米海兵隊に転任され、現在に至ります。
沖縄戦で、世界的にも有名な戦闘記者アーニー・パイルがこの島で戦死しましたが、 米陸軍第77歩兵師団の兵士たちは、彼に敬意を表して彼が戦死した場所に墓標を建て彼を偲びました。 今でもそこには記念碑が建っており、毎年ここで記念祭が執り行われます。
伊江島は、沖縄本島本部(もとぶ)岬から西約5kmに位置し、島へは本部港からフェリーで約30分で渡航できます。
伊江島は沖縄近海の最高のダイビング・スポットの一つとしても知られていて、人口五千人近くが暮す活気あふれた農業地域でもあります。

米海兵隊普天間航空基地

普天間基地は沖縄県宜野湾市に位置し、那覇空港から北に約10km、嘉手納空軍基地からは南に約5kmの位置にあり、普天間飛行場はほとんどの航空機を支援できる機能を持ち備えています。
普天間飛行場は国連指定施設でもあり、沖縄周辺を運航するアメリカ空軍やアメリカ海軍の航空機も利用しています。
普天間飛行場の滑走路は1945年にB-29の戦略爆撃機に備えるために建設されたもので、2,700メートルの滑走路があり、兵員及び物資の輸送にも活用できるように開設されました。
普天間飛行場は1960年に海兵隊航空施設として任命され、1976年に航空基地となりました。


【関連リンク】
在日アメリカ海兵隊ホームページ



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